歯車の鎮魂祭
見渡せばそこは砂地と廃墟で構成されていた。
人間の文明が廃れて3世紀。
草木は退化し、絶滅の一途を辿り、それを守ろうとする志を持つ者すらいなくなってしまっている。水も澄んでいるものは極僅かだ。
都市の建物は全て工場となり、生物の住み家は地下へと追いやられた。
一度地下から這い出れば大地には砂ぼこりが舞い、ゴーグルをしてなければ前を直視できないだろう。
代わり映えのない砂だらけの景色を見飽きた僕は自前のトランクを降ろし、そこに腰かけた。久しぶりに地下から出て、明朝から半日歩き通しだ。ふう、と息を吐いて見渡せば周りは一面黄土色が続く。
幼い頃母に聞かされた“ここが昔大都市だった”なんてまったく信じがたいことである。
何年か前は柔らかい砂の道も難なく歩いて行けたが、歳を取って行けば柔らかく沈む砂に足を取られることが増えていく。
そんな自分の体に鞭を打っても今日は行かねばならぬ場所があるのだ。砂よけの為の外套のポケットから時計を出す。あと半刻もすれば正午になる頃合いだ。
「ねえ、これ食べるう?」
さあ、立ち上がろうとしたとき僕の目の前に少女が現れた。現れた、とは他人行儀で、彼女は私の休憩中にふらりとどこかに行っていた同行者だ。
彼女は宝石のような、しかしそれにしては幾分透明度のない物質を差し出した。
この奇妙な物質を差し出した少女はアーニャという。
「いらない。……というかそれは何だい?」
「歯車と鉄釘入りの樹脂鉱石だよお。さっきあの山で拾ったの」
アーニャは目の前にそびえる山……と言う名の産業廃棄物置き場を指差した。
砂の大地にはこうしたゴミ山が点在している。これらはすべて何世紀か前の人間が残した物だと聞いていた。
車や飛行機、訳のわからない管、いろいろあるが、それらは全て歴史的文献の物ばかりだ。文明は衰退を辿り、車が走っているところを見たことはない。人間の少ない今は全て不要物だからである。
「アーニャ、聞いて。僕、樹脂は食べられないんだ。君にとっては大好きなおやつかもしれないけれども」
そびえるゴミ山を忌々しく睨みながらアーニャに言った。
彼女は舌足らずに、なんでよお、と落ち込んだ声をあげながら僕が断った樹脂鉱石を口に入れた。ポリポリと、まるで氷砂糖を噛むかのように咀嚼され、あっという間に彼女の体内に消えていった。
それを見て、僕は大きなため息を吐く。
――アーニャは人間が残した大罪、霊魂をいれたアンドロイドだ。
人間文明が衰退し始めた23世紀半ば、科学の力は人道に背くまでに発展した。
世界的に少子化が進んだ人間たちの選んだ道は、人体から魂を抜きアンドロイドに挿入する、といった物だった。仮想人間を作り、無理やりにでも生命を残そうとしたのである。
ある先進国が人体実験を始めて半世紀、莫大な命と引き換えにその手段が確立されたのだった。
僕の目の前にいるアーニャも、元は人間だった魂のなれの果てなのだ。
「ジョッシュはいつになったらアーニャとご飯を食べてくれるのかしら? 人間なんて一握り。ジョッシュも歯車になればいいのに」
アーニャは歌う様に僕に語りかける。人間からアンドロイドになった者のことをこの世界では“歯車”と呼んでいた。なぜそうなったか分からない。古い文献によると、人体実験に失敗した人間の骨は機械の一部の歯車にしたからだと書いてあるが審議は分からないままだ。
どちらにせよ胸糞の悪い話であり、聞きたくもない真実を深く追及することを避けたのである。
僕は数少ない人間の一人で、機械だらけの地球では珍しい生命体だ。昔は魚、鳥なんていう生命体もいたそうだがすっかり絶滅してしまった。今は食用にする牛や貝類、移動用のラクダくらいの動物しか残っていない。それも数少ない人間が自分たちの生命を存続するうえで無理やり残しているのである。
「僕はそこまでして長生きしたくないさ」
「ええ、アーニャはジョッシュと一緒にいたいよお?」
「ハハ、ありがたいね。さあ、行こう」
休憩もを長く取っている暇はない。アーニャの手を取って僕は歩き出す。彼女はずっと僕の横にいて人生にぴたりと寄り添っていた。
いつだって彼女と一緒だった。お陰で人間の女性とはすっかり疎遠になり、子孫も残せていないが、この砂ぼこりだらけの星に生命を繋げても幸せとは限らない。よってそれらのことに後悔はなかった。
「行く途中にオイルを買ってもいい? あと星砂を拾っていきたいの」
「ああ、いいよ。ただ時間がないから急いでくれ」
「はあい」
アーニャは気の抜けた返事をして、お気に入りのポシェットから小瓶を取り出すと星砂を詰めていった。
これが彼女の主食である。
砂道を歩いていけば、段々と人影が見えてくる。彼らのほとんどはアンドロイドだが、極たまに僕と同じ人間もいる。
今日は年に一度、“歯車の鎮魂祭”という日だった。
この日は殆どのアンドロイド、人間が元はアメリカ大陸……現在は地球中央区に集うのだった。昔の暦ではハロウィーンという行事の日だったらしいが、とある文献によると3世紀と53年前に霊等がこの世に帰ると言われているこの日を歯車の鎮魂祭と定めたようだった。
「今日は鎮魂祭。たーまーしずめ~!ぐーるぐーるはぐーるまー……くろーいねこー」
アーニャは不思議な歌を歌いながら、僕の引く手に従った。
「そういえば鎮魂祭ってなんで行かなきゃいけないの? ねえ、なんで?」
アーニャのガラスでできた目が僕を見る。綺麗な青だった。空は昔青かったと聞くが、こんな青なのだろうか。今となってはずっしり重い砂と同じ色が、頭上を埋め尽くしている。
「君はもともと人間の魂だっただろう? だからその魂に感謝をして元の人体を追悼するのさ」
「でも人間だった時なんて覚えていないよお」
「ああ、そうだろうね。そういうプログラムなんだ」
人間の時の記憶を引き継がないようにするプログラム。それが歯車を完成させるうえで最も重要なことだった。永遠とも言える命を前に、邪心や未練、欲望が残っているのはとても厄介なことだからだ。
「ん~? あ! でもアーニャは鉱石の屋台があるからいいんだもん」
そういうと建屋を見つけたアーニャは僕の手を離して走っていった。
「あまり遠くには行くんじゃないよ! おっとっと……」
また柔らかい足に砂を取られた。慎重に足を抜いて、一歩踏み出す。もう自分も老体だ。昔のようにはいかないなと痛感しながらアーニャの姿を追うのだった。
街は暗くもないのにぼんやりと明かりがついていた。それは皆がそれぞれ持参したランタンで中の蝋燭を人魂に見立てているのだ。日付が変わるその瞬間に全員で吹き消すのだ。
魂の一部が天や霊界に帰れるように願いを込めて。いやに人間臭い風習だった。
歯車たちは風習の意味を分かっているのか分かっていないのかは不明だが、必ずとこのイベントに参加する。風習をプログラムをしていない歯車でさえもそうするのだ。
一連の習性は実に人間の知的好奇心を煽ったが解明できた者は未だに存在しない。
「見て見て! きれいでしょ! いっぱい食べるんだあ」
アーニャはくるりと回りながら帰ってきた。色とりどりの樹脂鉱石だった。僕に言わせればすべて同じ無機物で、おいしそうには見えなかった。
昔、歯車たちの主食と言えば銀や鉄などの鉱石で、しかしどれもこれも有限だった。今は様々な物を溶かし、凝固させ疑似鉱石でまかなっているのだ。
と言っても彼らには人間より食物の消費が少ないのだが。
「そりゃあよかった。さあ、アーニャ自分で火を灯すんだ」
トランクからランタンを出せば、彼女は従順にマッチで火をつける。
「えっと、なんで火を灯すんだっけえ?」
「今日が鎮魂祭だからだよ」
火が消えないようにそっとランタンの戸を閉めてアーニャにしっかりと持たせるのだった。
――はっきり言って、文明が最後に残した歯車の実験は失敗だったのだ。
アンドロイドに魂を移すと様々な障害が出た。それに人間が気付いたのは実験完成から100年以上過ぎてからだった。
歯車たちの知能指数は時間経過と共に極めて低くなり、障害を引き起こすものが多かった。攻撃的になり、自壊に走ったり。
いわゆる“不良品”は年月を重ねるごとに増えて行って取り返しのつかないことになっていた。
一方で、一部の優秀な歯車は“歯車を作る術”をプログラムされており、アンドロイドは増え続けた。その影で人間は淘汰されていっている。
作られた世界、取り残された人間。僕たちはそれを終わらせる術など持っていなかった。
「ねえ、アーニャ。僕の父さんと15年前にここに来ただろう?」
「ジョッシュ、ジョッシュには父さんなんていないよお」
アーニャのキラキラした目が細められて、人間と変わらないその口が、頬が、眉が笑った。
「……ああ、そうだったね」
この子も重大な欠陥があった。アーニャは他の歯車よりもバグが目立つのが早かった。
如実に表れたのはここ一年くらいだが、彼女の記憶プログラムはバグが起こり、壊滅に向かっているようだ。
歯車の実験は成功した……そう公言された24世紀前半からまた4世紀。その発表は大きく覆った。
僕の見解では、永遠の命と思われた歯車たちにも寿命はあるようで……人魂がこの世に留まっているには限界があるようだった。これを分かり易く言うのなら、魂はアンドロイドに挿入されてゴムの様にゆっくり引き伸ばされる。その長さは人間の何倍もだ。だが一定のところで耐えられなくなりプツリと切れるのだ。
バグを引き起こした歯車の行く末は破滅……自我を忘れ、完全に動くだけのガラクタになるのである。
「ジョッシュ、早く行こう。もうお昼すぎちゃうもん! 全部見れないよお」
間延びした声で、しかし僕の腕を引っ張る力は強い。僕は必死に足を動かして息を切らしながら彼女を離さないでいるのだった。
アーニャに付き合っていたら一日があっという間だった。
中央の広場でのサーカス、出店、知り合いの歯車に会いに行ったり、貴重な飲料水を買っていたら日付が変わるまであと少しだった。
夜になれば、ランタンの明かりが強調され、歯車の数の多さを目の当たりにする。
「アーニャ、一緒に行きたいところがあるんだ」
「なあに? いっしょに行く!」
ご満悦なアーニャは僕の隣に寄り添った。砂だらけの頬を拭ってあげれば、嬉しそうに瞼を上下させた。
僕が向かったのは広場から15分ほど歩いたゴミ山の一番上、燃料タンクの上だった。
登るのは少々大変だったが、梯子がうまい具合にかかってくれたおかげでだいぶ早く到着することが出来たのだった。
「わあ、みてみて! きらきらがいっぱいだねえ。あたらしい鉱石かなあ?」
「今日は鎮魂祭だからね。アーニャも持っているだろう」
「ランタン! ランタンー!」
アーニャはランタンの明かりに先程買った樹脂鉱石を透かせる。屈折する光がお気に入りのようだった。
「ねえ、アーニャ。君は幸せかい?」
僕は呟くように問う
「うん! アーニャ、幸せ。ジョッシュもいる。お家もある。鉱石もおいしいよお。えっとそれから、うーんと……」
「アーニャ、僕の話を聞いてほしいんだ」
僕の言葉を聞いたアーニャは考えることを辞め、タンクの上にランタンを置いた。そしてガラスの目がじっと自分の姿を捕えた時に僕はゆっくり話し始めた。
「君は僕といて幸せだった。それはとても光栄だよ。……アーニャ、どうか僕を許してほしい。最初は驚いたんだ。本当に、君の姿のままで喋るから。ずっと何十年も君と一緒にいられるなんて思わなかったんだ。君は何も覚えていないけれども」
僕の口からは言葉が溢れる。といっても話をするのは幼少のころから得意ではなかった。人並み以上の学はあるつもりだが、自分の頭の中を伝えることはとても難しい。長い人生の中で一番避けてきたことだった。けれど今日は人気のない場所を探して、彼女に言わなければならなかった。
人間の大罪……僕の犯した最初で最大の罪の話を……。
――48年前のあの時、君は僕を見ていた
「昔、君は僕の前で死んだ。あまりにもあっけない事故だった」
――目を離した隙にゴミ山から落ちたんだ。十二歳のまだ未来の一片も見ていないアーニャ。瞳に映したのは、僕ではなく暗い死の色だった。
「数日後に君は目を覚ましたけれど、もう君は君ではなかった。それでも君が戻ってきたのが嬉しかった」
――僕の手によって幼馴染だったアーニャはアンドロイドに入れられた。簡単ではなかった。まだ学の乏しかった僕は“完璧な方法”なんて出来っこなかった。僕の“施術”の腕はひどく未熟だった。
「“はじめまして、よろしくね。”君のその言葉はショックだったけれど、それでも一緒にいてくれたらよかった。若いままで、なにも変わらないままで僕を好いてくれる君が愛おしかった」
――そうだ。彼女がここにいてくれればよかった。それが望まない場所だとしても僕は君と一緒にいたかったんだ。
「……でも、それは間違いだった。僕は君の魂を弄んだ。君は違うナニカに変わって、天国に行けやしない。バグが早く出たのも、全て僕のせいだ! 君は、どこにも、この地上に縛られたままで、僕のせいで……!」
言い終わる前に嗚咽が漏れた。少女の前で涙する初老の男。ひどく滑稽だろう。それでも僕はアーニャにすべてを言わなければならない。
「ねえ、ジョッシュ。アーニャ、何もわからないの」
「そんなことは分かっているさ。でも、僕は君に……」
強い風に砂ぼこりが舞って、ハッと顔を上げる。
アーニャはひどい風に煽られていても涼しく僕を見つめたままだった。少しふくよかな頬を持ち上げて、昔の様に笑った気がした。
「ジョシュア」
彼女は昔の様に僕を呼んだ。
「アーニャ……?」
「おじさんになっても随分おしゃべりが下手なのね」
アーニャはふわりと立ち上がり、燃料タンクの僅かにはがれている壁に手を入れた。ギギッと耳に痛い音がして、その華奢な手で壁が剥がされる。人間には到底できないことをその小さな体であっても意図も容易いようだ。
「アーニャ、君は……」
「“お願いよ。わたしが死んだら燃やしてちょうだい。歯車にはなりたくないもの”」
それは大昔に彼女が言った言葉だった。
「ア……アーニャ? 戻ってきたのかい?」
すがるように聞けば、アーニャの柔らかい、だがひどく冷たい指が僕の目尻の皺を撫でる。
「アーニャは何も、“ねえ、ジョシュアお願いよ”わからな……“私が死んだら燃やす”いの……“のよ”アーニャはなにも“歯車になるの”わか“はいやだから”らないの」
ぷつり、ぷつり、アーニャの声は途切れてうまく聞き取れなかった。ただ、作られた彼女の顔はひどく苦しい表情をする。歯車の彼女がこんな顔をしたのは初めてだ。
よく分からない言葉を連呼し続けるアーニャは剥がした壁を捨てながら、僕の隣に戻ってくる。恐怖で動けないでいれば、彼女は僕の手を握った。
「アーニャ、ごめん。ごめんよ……」
力なく言えばガラスの目はこちらを見つめて、よくできた唇が半分開くと、大人っぽい声色でこう言ったのだった。
「もう、終わりにしましょう。あなたも、わたしもつらいだけだもの」
アーニャの頬を黒い液体が伝う。アンドロイドを潤滑に動かすためのオイルだった。まるで涙の様にぽろり、ぽろりと落ちていく。
「そうだ。僕もこんなに老いた。君はこんなに苦しんでいたんだね」
皺だらけの手で、彼女の涙を拭いてやる。
ゴミ山の上を滑らないように立ち上がると、先導するアーニャの手に引かれながらタンクの穴まで行った。
アーニャの口は二度と動かなかった。その代わりに繋ぐ手は心地よく暖かい。
ランタンを持つ彼女を強く抱きしめる、それに答えてくれているかのように彼女の温かさが背中から伝わった。
次の瞬間、視界に赤が広がる。ガラスの割れる音が足元から聞こえていた。
アーニャの手元からランタンがなくなっている。
オイルの入っていたタンクの中に炎のついたロウソクが吸い込まれていったのだ。熱いはずのこの場所は意外と心地よかった。口の中はカラカラで、体は痛いくらいだがそれも不快には感じない。
僕はアーニャを抱きしめながら、一歩一歩とタンクに開いた穴に近づく。
アーニャの右足が浮いて、僕の左足が浮く。そして彼女の左足が浮いた瞬間、どうしようもない浮遊感が胃と心臓を支配した。
赤く染まる、黒く染まっていく。僕たちは跡形も残ることもなく、焼かれていく。
できればこの後行く場所は君と同じ場所がいい。
いい歳をして我が儘だと僕をからかってほしい。
でもわかっているんだ。目を閉じた先には何もない。
僕は最後に少し笑って、最後にこう言うのだった。
「ああ、人間は本当に愚かだ」
砂の大地は真っ赤に染まる。大地は失くした命を偲ぶようにゆらゆらと風に吹かれた。
二人はもうこの世界の行く末を知ることはないだろう。
彼らは幸福に溢れた場所へと行ったのだから。