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<第7章>

「圧倒的だったね――」

 まだ冷めえぬ熱気を肌で感じながら一場湊は興奮した様子でそう漏らした。彼女の眼下に広がるのは石畳の舞台。そこでは、つい先程まで私立蒼華学院最強の魔女がその力を遺憾なく披露してみせていた。

「そうですわね」

 息を呑んでから、湊の隣で肩を並べてその試合を見守っていた遠山詩乃が頷いて応える。夜会第一の夜、第一試合。彼女たちの前で繰り広げられたその舞踏は、湊の言葉通りに圧倒的なものだった。

「なんとなくですけれど、湊先輩がおっしゃっていたことの意味がわかった気がしますわ」

 詩乃は昨年度の夜会の覇者たる四條永花の姿を思い出しながら告げる。彼女は攻撃役として舞台に立ち、そして、たった五度の魔法によって相手の防御を切り崩してみせたのだ。

「永花先輩は間違いなくこの学院でもトップの腕を持っています。でも、あそこまで一方的な試合になってしまうほど相手のお二人と比べて圧倒的な実力差があるわけではなかったと思うんですわ――」

 攻性魔法に比べて防性魔法の方が容易であるというのは魔法戦闘の常識だ。攻性魔法で防性魔法を破るには圧倒的な実力差が必要とされる。それこそ、圧倒的なまでの実力差がだ。

「そうだね。他の場所ならいざ知らず、この蒼華学院の中でたった五度の魔法で相手を圧倒出来るほどに実力がかけ離れることなんてあり得ないんだ。なら、何がここまで致命的に結果を分けたんだと思う?」

 湊は期待の眼差しで詩乃の答えを待つ。

「永花先輩がしていることは、わたしたちがしようとしていることと同じ、なんですわよね?」

「正解だよ、詩乃。つまりそういうことなんだ」

 湊は感慨深げに頷いてから、不敵な笑みを浮かべる。

「あの四條永花は間違いなくこの学院で一番強い。でも、圧倒的に強いわけじゃない。ただ、圧倒的な勝ち方しか出来ないだけなんだ。そして、あたしたちにもさ、あの四條永花と同じことが出来る」

 そう言われて思い出したのは、かつて相対した永花の姿だった。

 彼女は一対一の魔法演習において詩乃の防性魔法を圧倒してみせた。あれと同じことが詩乃にも出来る。それは俄かには信じがたいことだった。

 でも、思い返せばあのとき感じたあの感覚は確かにその片鱗だったのだ。

「たぶん永花先輩のようにはいかないと思いますわ」

「別にそれでもいいよ。あたしたちは、あたしたちのやり方でやればいい。他の誰でもない、あたしたちだけの魔女になればいい。だから――」

 湊は手を差し伸べてくれる。

「はいっ!」

 そして、詩乃はその手をとる。

彼女たちの舞台はもう目前まで迫っていた――


◆ ◇ ◆


詩乃と湊は普段着ている制服を脱ぎ、魔法演習服へと着替えていた。戦術魔法学科寮の一階に用意された夜会選手控室。そこに彼女達はいた。

ついにこの時が来たのだ。夜会第六の夜。詩乃と湊の初めての舞台。

これから始まる戦いのことを考えただけで詩乃は手が震えて上手く演習服のボタンがとめられなかった。

「かしてみな」

 そう言って、先に着替え終わった湊が詩乃の代わりにボタンをとめてくれる。詩乃はぺこりとお辞儀をして礼を言いながら、いつもと変わらない様子の湊へと尋ねる。

「湊先輩は緊張していないのですか?」

「あたし? あたしはまぁ、大丈夫かな……ってのは嘘で、詩乃にかっこ悪いところ見せられないから強がってるだけだったりしてね」

 そう言いながらぽんぽんと詩乃の背中をたたく。

「こんな舞台初めてだもん。緊張するなって方が無理だって。でも、あたしたち二人なら――」

「出来る、ですわよね」

 湊の代わりに詩乃がその先を告げる。それを聞いて湊は満足そうに頷いてから、

「そう。だから一人で気を張らなくても大丈夫。あたしがずっと傍にいるからさっ」

 そう優しく笑い掛けてくれる。

 それだけで息苦しいほどに感じていたプレッシャーが消えていく。

「それは心強いですわね」

 心の底からそう思えた。

 湊と二人ならば何だって出来そうな気がした。自分たちはもう出来損ないなどではないと信じることだって出来た。

 だが、そんな詩乃たちを制するように冷たい声が浴びせられる。

「本当に逃げ出さずに来たのね――」

 その少女は肩にスポーツバッグをかけ、詩乃へと冷たい視線を送りながら控室へと入って来た。水沢莉伽子――彼女は今晩詩乃たちが戦う相手だ。

 彼女は依然として詩乃への敵意をむき出しにしていた。

「わ、わたしはもう逃げたりなんかしませんわ」

 今にも足がすくみそうになってしまうほどの視線を真正面から浴びながら、それでも、詩乃は毅然と応えた。

 だが、そんな詩乃をふんと鼻で笑って告げる。

「今からでも遅くないから、この場所からこそこそと逃げ出しなさい。ここはあなたみたいな出来損ないには相応しくないわ」

「どういうことだよっ!」

 詩乃の事を否定する莉伽子へと湊が声を挟む。彼女は、詩乃と莉伽子との間に割って入り、莉伽子へと対峙していた。

「言ったままです。ここはそこにいるような出来損ないが居ていい場所じゃないんですよ」

「今の言葉撤回してよっ」

 詩乃の事を指さして馬鹿にする莉伽子に、湊は今にも掴み掛かりそうな勢いで食って掛かる。だが、そんな湊の様子にも莉伽子は顔色一つ変えることはない。

「そこの出来損ないのような不誠実な人には立ってほしくないんです。あの夜会の舞台には。あそこは心から魔女であることに誇りを持ち、誰かを打ち負かしてでも、その頂点を望む者だけが立つことを許される場所なんです。あなたには、その覚悟があるのかもしれません。でも、あの子は違う。あなたとは違うんですよ。そうですよね、詩乃」

 その問いに、詩乃はすぐに応えることは出来なかった。誰かを打ち負かしてまで、何かを願うことなんて彼女には今までなかったから。

でも、そんな詩乃の代わりに湊が声を上げた。

「あるよ。詩乃にだってあるんだ。あたしたちは約束したんだから、もうあたしたちは出来損ないなんかじゃない。それを証明するって――」

 そうだろ詩乃と湊が詩乃の事を促す。

「――そうです。だから、わたしたちは、たとえ相手が莉伽子さんだろうと絶対に負けませんわ」

 詩乃は応える。

 もう出来損ないなどではない。そう決めたのだ。後は、そのことをみんなに――莉伽子に認めさせるだけだった。彼女に、自分たちにもこの場所に立つ資格があるのだと、そう分かってもらいたかった。

「初めてね。あなたが啖呵を切ってみせたのは――」

 莉伽子は少しだけ意外そうな顔をしてから鼻を鳴らし、続ける。

「なら、見せてみなさい。あの舞台の上で」

 そう言って莉伽子は窓の向こうに見える夜会の舞台を指さす。それだけで全部だと言わんばかりにすたすたと二人の横を通り過ぎ、少し離れた場所で着替え始める。

「詩乃、ついに言ってやったねっ」

「はい。少しだけ怖かったですけど、でも、ちゃんと言えましたわ」

「あとはさ、あたしたちが見せつけてやるだけだね」

 湊の言葉に詩乃は頷いて応える。

 そんな二人を尻目に着替え終わった莉伽子が足早に中庭の方へと控室を後にする。それと入れ替わるように桐生貴音が入ってくる。彼女は詩乃の事を見つけると、

「また会ったね、小さな魔女さん」

 そう言って笑い掛けてくれる。それは、同性の詩乃の目から見ても魅力的に映る微笑みだった。

「貴音さん。お久しぶりです。やはり、あなただったんですわね……」

 詩乃はうすうす気づいていた事を口にする。

「詩乃の知り合い?」

「はい、大切な事を教えてもらった人で、そして、今日の対戦相手の一人ですわ」

 そう詩乃に言われて、湊は改めて貴音のことを見る。

 そこに立っているのは、自信に満ち溢れた何処に出しても恥ずかしくない凛々しくも立派な魔女だった。

「こうなるとは思っていなかったんだけどさ、でも、ちゃんと見つけられたみたいだね。君だけの立派な魔女が」

「はい、貴音さんのおかげですわ」

「それはよかった。でも、どうやら敵に塩を送っちゃったみたいだね。あの時とは全然違う目をしてるよ。今日は楽には勝たせてもらえなさそうだ」

 貴音はそう言って魅力的な顔で笑う。彼女は、詩乃たちのことを対等な魔女だと、夜会の舞台で相対するに値する相手であると認めてくれていた。そのことが嬉しくもあり、でも、同時に少しだけ申し訳なくもあった。

「その、申し訳ありませんわ」

「いいって、その代わりにさ、あの子に今の君をちゃんと見せてあげてよ。あの子はとっても真っ直ぐだからさ、自分のことを出来損ないだとか、そんな風に思っている子が夜会の舞台に立つことが許せないんだ。でも、君はもう違うんだろ?」

 貴音が言うあの子というのは彼女のパートナーである莉伽子の事だろう。

「はい」

 詩乃は力強く肯定する。もう自分は出来損ないなどではない。そうなると決めたのだから。だから、もう逃げない。たとえ相手があの莉伽子であろうとも、魔女として彼女の前に立ちはだかるのだ。

「今の君のその覚悟をあの子にぶつけてやりな。そうすればきっと分かってくれるからさ、でも――」

 そう言って貴音はウィンクをしてみせる。

「勝つのは私達だ。それだけは譲れないよ」

 それだけを言い残して彼女も奥へと行き着替え始める。

「見せてやれってさ」

 そう湊が呟く。それに詩乃が頷いて応える。

「なら、そうしてやろうぜ。あそこがあたしたちの最高の舞台だ。あたしたちはもう出来損ないなんかじゃない。あたしたちは魔女だ。それを見せつけてやろうぜっ」

「はい」

 頷いて応える。

 湊と一緒ならば、何かが変わる。変えられる。そんな確かな予感があった。

 丁寧に畳んで置かれた蒼華学院の制服。その上に置かれた紫色のタイへと手を伸ばす。それは、魔法を扱う才能を問われない唯一の学科――魔法術理学科に所属しているという証だった。指先で、滑らかなその肌触りを感じる。

 落ちこぼれ学科。このタイはそう笑われていた。でも、この紫のタイが詩乃と湊を出会わせてくれたのだ。出来損ないという言葉に屈してしまっていた二人を巡り合わせ、そして、彼女の事を変えさせてくれた。

 詩乃は目を閉じ、静かにタイを握り締める。

 遠山詩乃――魔力欠乏症によって十分に魔法を扱うことの出来ない出来損ない。それがかつての自分だった。

 魔女として必要とされる致命的な才能がなくて、魔女として誇れるようなものなんてなくて、何かに打ち勝つための力なんて持ち合わせてはいなかった。

何も持っていないちっぽけな魔女。それが遠山詩乃だった。

 でも、何がなくとも前に進む意志だけは、今この時、彼女の中にあった。

 かつて燻っていた想いは、今胸の奥で静かに燃え盛っていた。

(もう誰にもこのタイを――わたしたちのことをバカにさせたりなんてしませんわ)

 そして、もうひとつ。

 そっと伸びた手がタイを握り締める手をほぐし、するりと紫のタイを持ち去ってしまう。

「ねぇ、詩乃、ちょっと後ろ向いてみな」

 湊は櫛とタイとを手にそう優しく告げてくる。

 何よりも彼女はもう一人ではなかった。一人で膝を抱えているだけの無力な少女ではなかった。

 湊は、詩乃の長い黒髪に念入りに櫛を通し、そして、魔法術理学科であることの証であるそのタイで髪を一つにまとめてくれる。詩乃のくせのない髪を紫色のタイが可憐に飾っていた。

 詩乃の正面へと立ち、湊は優しく問い掛ける。

「ねぇ、詩乃。詩乃はさ、この学科に入った事を後悔してる?」

 蒼華学院に入ってからつらい事はいくらでもあった。

 数え始めればきりがないほどに、嫌なことはいくらでもあった。

 かつて彼女の妹が告げたように、この場所は彼女には相応しくない、そんな場所だったのかもしれない。でも――

「後悔なんてありませんわ」

 自然とこの場所に来た事を後悔する気持ちは浮かんではこなかった。

 この学院へと来たからこそ、多くの人と出会い、変わりたいと思えた。今の遠山詩乃になる事が出来た。後悔などある訳がなかった。

「あたしもだよ。あたしもこの学科に入ってよかったと思ってる。詩乃に会えて、本当によかったと思ってる。だからさ――」

 湊は詩乃の頬に手を当てるとそっと顔を寄せる。

 互いの吐息の感じられる、そんな距離で見つめ合う。そして、湊の顔が迫り、詩乃の唇へとそっと湊の唇が重ねられる。

 湊から流れ込んでくる、目には見えない力。窒息しそうなほどの圧迫感。でも、はじめてそれを感じた時に比べて、詩乃はだいぶその感覚に慣れることが出来るようになっていた。

 それこそが二人の繋がりであり、絆だった。

 短い口付けが終わり、唇が離れる。

「やっぱり、恥ずかしいですわ……」

 赤面しながら詩乃が零す。そんな詩乃の表情に湊は意地悪な笑みを浮かべ、

「でも、この後はもっと大勢の前ですることになるんだからさ、そっちのがもっと恥ずかしいと思うよ」

 再び顔を寄せて、詩乃の耳元で囁く。

「そ、そうですわよね……あぁ、もうこれ以上緊張させないでください」

 そう言って縮こまってしまう詩乃の手を取る。

「あたしがいるから大丈夫だって。さ、行こう、詩乃っ!」

 手を引き歩き出す。

 憧れの舞台――夜会へと向けて。


◆ ◇ ◆


 不安と期待とを胸に石畳の舞台を踏む。

 見上げてみれば空には青白い燐光を帯びた下弦の月が昇っていた。

 たくさんの視線が舞台の上にあがった詩乃たちへ注がれているはずだった。夜会の舞台のある中庭。その四方を囲うように聳え立つ四棟の学生寮。無数に灯る窓の明かりの数だけ、彼女たちの行く末を見守る魔女たちがいた。

 だが、なぜか詩乃には、それら周りの全てが空に昇る月ほどに遠く感じられた。

 力強く歩を進める。いつしかプレッシャーも緊張もなくなっていた。ただ、静かに凪いでいく心だけがそこにはあった。

 世界の喧騒など風の音に等しく、窓の明かりなど空で瞬く星の光に等しかった。今この時、詩乃にとっての世界とは、この舞台であり、そして、彼女の手を引く湊の手の感覚だけだった。

 舞台の中央で手を繋いだまま、横に並び対峙する。

 桐生貴音と水沢莉伽子――それが詩乃と湊が越えなくてはいけない壁の名前だった。

 詩乃の事を睨み付け、莉伽子が何かを告げようとして、でも、思い留まって口を噤む。この舞台に立った以上もう何かを告げる必要などないのだと、彼女の表情はそう語っていた。

あとは、互いの魔法を持って示すのみ。

(見ていてくださいまし。わたしは、わたしたちは、もう出来損ないなどではない。そのことを証明してみせますわ)

 大きく息を吸い込んで言葉を呑み込み、胸の中で吐き出す。

 様子を窺うように隣に並んだ湊のことを見やる。

 彼女は少し強張った表情をしていたが、詩乃の視線に気付き、その表情を和らげてみせる。握った手を通して感じていた湊の震えが止むのが分かった。

 彼女たちはもう一人ではない。出来損ないなどではない。この夜会の舞台の上に立つ立派な魔女だった。

 審判たる黒いローブの魔女が、向き合う四人の魔女の前に立つ。彼女が短い口上を述べる。

夜会第六の夜、第一試合――詩乃たちの魔女としての最初の夜。

 それが静かに始まろうとしていた。

 詩乃たちの夜会の幕開けを告げる声が上がる。その合図とともに誰よりも早く詩乃が術理回路を描き始める。

誰よりも早く、もっと早く――

 その意識だけが詩乃の頭を支配し、どこまでも彼女のことを加速させていく。高揚しているのに、どこまでも凪いでいる。まるで、あの日永花と対峙した時のような感覚を詩乃は再び感じていた。それこそが、詩乃たちの切り札だった。

そんな彼女の姿を見て舞台を見守る誰もが息を呑んでいた。試合開始の瞬間、誰もが言葉をなくし会場が静まり返る。そしてすぐに喧騒に包まれた。

誰もが驚いていた。紫色のタイで髪を束ねた無名の一年生。魔法術理学科という、今まで夜会に姿を見せることすらなかったその学科の生徒。それが、いま尋常ならざる速度で術理回路を組み立てているのだ。

 一瞬にして基礎格子を描き切り、更に攻性魔法としての最低限の形を整えてしまう。その速度は、防性魔法の回路を描いていた莉伽子のそれを完全に圧倒していた。魔法戦闘の黄金律。攻性魔法は防性魔法に敵わないというその理屈すらも超越した回路構築。

 遠山詩乃。彼女はもはや出来損ないなどではない。彼女は莉伽子に比肩しうる魔女として彼女の前に立ち塞がっていた。


◆ ◇ ◆


「――それこそが、秘策ってわけ」

 湊は、ゆっくりとした口調で言い聞かせるように口にした。

 魔法術理学科の屋外魔法演習場。

 夕焼けに染まったその場所に湊と詩乃の二人は長い影を引き連れて立っていた。

「…………」

告げられた詩乃は、その言葉の意味を取りかねて押し黙ってしまう。

「魔法とは常に律されたものでなくてはならない――」

「魔法の大原則ですわね」

 聞き覚えのあるフレーズに詩乃が応える。

「魔女とは、自らを、魔法を、完全に律する者でなくてはならない――それが魔女の理念な訳だ」

 人の身に余る限りなく万能に近い、だが、どこまでも不完全な力――魔法。それが災いではなく、力であるためには完全に制御されたものでなくてはならない。それは、かつて魔法の完全制御が不可能だと思われていた時代から連綿と続く魔女にとっての理念だった。

 魔法という力は一歩間違えれば、容易に多くの人を傷付けかねない。故に、魔法とは完全に制御されたものでなければならないのだ。

「だからこそ、わたしたちは出来損ないと呼ばれてしまうのですわ――」

 悲しそうな顔を俯けて詩乃が呟く。

 魔法戦闘において発動させたはずの魔法が不発に終わり敗北するというのは最も恥ずべき敗北だと言われている。何故なら、それは魔女の理念に反する敗北だからだ。魔力の不足故に魔法を失敗させてしまう詩乃。膨大な魔力を制御し切れずに魔法を失敗してしまう湊。魔女の尺度では、二人は間違いなく出来損ないだった。

「そう、魔女は自らの力を限界まで引き出して戦うことが出来ないわけだ。失敗のリスクの伴う魔法は、もはや力なんかじゃなくて災い以外の何物でもないからね。だから、魔女は確実に制御出来る自信のある範囲の中でしか魔法を使わない。使えないんだ」

 湊は(かぶり)を振い、含みのある顔をしてみせる。

「でも、あたしたちは違う。あたしたちは出来損ないと呼ばれることを恐れたりなんてしない。あたしたちは限界まで力を引き出して戦うことが出来る。そうだろ? 詩乃」

「それがわたしたちの秘策、なんですの?」

 確認するように尋ねる詩乃に頷いて応える。

 二人は魔女の常識からすれば出来損ないと呼ばれても仕方がない二人だった。でも、そんな二人だからこそ出来ることもある。それこそが、この秘策だった。

「完全制御不可能な領域での魔法の行使。他のどんな学科よりも基礎術理学に精通していて、かつ、失敗を恐れなくてもいい、そんなあたしたちだからこそ出来る。これがあたしたちの切り札だ」

 湊は力強くそう告げた。


◆ ◇ ◆


 莉伽子は、出来損ないであるはずの彼女を驚愕の表情で必死に追いかける。決して手を抜いている訳ではなかった。限界まで力を出している訳ではないが、でも、通常ならば間に合うタイミングで回路を描いていたはずだった。だが、詩乃はそんな莉伽子を完全に超越していた。

(このままでは、たった一撃で沈められる――)

 ありえないはずの予感が莉伽子の脳裏をよぎる。相手は出来損ないのはずなのだ。だが、何もしなければ確実に相手は莉伽子よりも先に回路を完成させてしまう。そんな確信があった。

 莉伽子はただ本能に従って、回路構築速度を引き上げる。それは、彼女が回路を破綻させることなく描くことの出来る限界速度だった。彼女が魔法を完全制御出来る領域の限界。これ以上の速度で描けば、術理回路が破綻して魔法が発動しなくなる可能性が生じる。そういうボーダーラインだ。

 そこまで、力を振り絞って初めて詩乃の速度に追いつくことが出来た。いや、詩乃が描いているのは攻性魔法で、莉伽子が描いているのは防性魔法なのだ。防性魔法に比べて攻性魔法の方が難度が高い事を考慮するならば、限界まで力を振り絞ってさえ莉伽子は詩乃の速度に及んではいなかった。

(そんな馬鹿なことがあるっていうのっ)

 認めたくなかった。そんな事が認められるわけがなかった。

 確かに、詩乃の回路構築技術には光るものがあった。魔力を気にするあまり、回路を丁寧に描き過ぎるきらいがあるため、たいした速度で回路を完成させることが出来なかった。でも、単位時間当たりの回路構築量は学年でもトップクラスといっても過言ではなかった。だが、それは、ここまで圧倒的な速度ではなかったはずだ。


「遙か彼方(かなた)に詩声を、遠き彼方(あなた)に幸いを――」

 詩乃は高らかに始動鍵(イグニッションスペル)を紡ぎ出す。いつもならばほとんど発光することのない詩乃の回路が淡い光に包まれ、魔力が魔法へと変換されていく。

 会心の出来だった。あれだけの速度で描かれていたにもかかわらず、回路は破綻してはいなかった。

(これがわたしの切り札ですわっ)

 詩乃は胸の中で叫ぶ。それが、夜会へと参加することを決めた日から彼女たちが必死で身に付けた技術だった。いや、技術というにはあまりにも愚かしすぎる無謀な賭けだった。

 完全制御不可能な領域での魔法の行使。限界を突破した、一歩間違えば魔法が破綻してしまうかもしれないリスクと隣り合わせの魔法。いや、魔法とすら呼べない、災厄の具現。

 他の魔女とは圧倒的に違う実力を四條永花が持っているわけではない。にもかかわらず、結果においてあそこまでの違いが生じてしまうのか。その答えこそがこれだった。

 確かに永花の持つポテンシェルは他の魔女よりは大きい。だが、最大の違いは、そのポテンシャルをどこまで引き出すことが出来るのかという点にあるのだ。

 他の魔女が、安定を求めて半分の力しか使えないのに対して、永花は八割以上の力を発揮できる。その効率こそが彼女の強さの秘密だった。

 いかに実力があろうとも、それを十分に発揮できないのであれば、意味はない。

 ならば、たとえ実力で劣ろうとも、その実力を相手よりも高い割合で発揮することさえ出来るのであれば、実力差を覆して、相手を上回ることが出来る。

 実力で劣る莉伽子たちに対してだって、詩乃たちが、彼女たち以上の効率で自らの力を引き出すことさえ出来れば、十分以上に戦える。


 詩乃の限界を超えた一撃。それを前に莉伽子はさらに驚愕の表情を見せた。

(これが、あの子の魔力なのっ!)

 その魔法には、いつもの詩乃が使う魔法とは比べ物にならないような魔力が注ぎ込まれていた。彼女が魔法演習の授業時間に使う魔力の総量よりも明らかに多くの魔力が、その魔法には注ぎ込まれていた。

詩乃にそんな魔力があるなど、莉伽子は知らなかった。彼女は、莉伽子とペアで行っていた演習の時には、本気を出していなかったのだろうか。そんな疑念が生まれる。

(そんなの絶対に許さないわっ!)

 困惑を怒りへと変えて術理回路を描く。

 淡い光に包まれた詩乃の術理回路がプラズマ球を生じさせる。それが放たれるよりも一瞬前に莉伽子は術理回路の末尾を綴る。

(いにしえ)(とぎ)に祀られし白き花。狂いて咲き、乱れて散れ!」

 莉伽子は懸命に始動鍵を叫ぶ。

 彼女が生み出した魔法が詩乃の魔法を寸でのところで打ち砕く。圧倒的なまでの余波が莉伽子たちを襲う。下手をすれば莉伽子が生み出した防性魔法の壁すらも貫いて彼女たちを打ちすえていたかもしれない。そう思ってしまうくらいにその一撃は強力だった。だが、ぎりぎりの迎撃の軍配は莉伽子の方に上がっていた。

 それでも、莉伽子が受けた衝撃は想像以上だった。

(あの出来損ないに私の魔法は及ばない――)

 魔法の相殺によって生じた暴風に髪を揺らしながら心が折れそうになるのを感じた。それは、あの日と同じ感覚だった。あの時に目の前にいたのも、黒い髪をなびかせた少女だった。遠山詩代。莉伽子を圧倒し、彼女の自信を微塵に砕いた魔女。その少女にそっくりの出来損ないが、今再び莉伽子の前に立ちはだかっていた。そして、彼女の事を圧倒し、彼女の心を折ろうとしていた。

(私は、諦めない! そう決めたんだ! 私は絶対に挫けたりなんてしない!)

 弱音を吐きそうになる心を奮い立てる。

 あの日とは違う。そう自分に言い聞かせる。彼女はあの日から歩き続けた。決して立ち止まらずに、ただ強さだけを求めて歩き続けてきた。ここにいるのは、あの日の弱い莉伽子などではない。敗北すらも力に変えて進んできた魔女だ。

 莉伽子は、次なる魔法を求めて術理回路を描き始める。


 次に術理回路を完成させたのは貴音だった。

「変革は唄うように、奇跡は踊るように――」

 貴音は始動鍵を口にし、攻性魔法の回路を励起する。

 詩乃の見せた魔法。それは確かに圧倒的なまでに強力なものだった。切り札という言葉が相応しいような一撃必殺。でも、それを莉伽子はいなしてみせた。もしも、それが本当に切り札であるのなら、その一撃でこの試合を決めなくてはいけなかったのだ。

 貴音の魔法が具現化する。防がれることがなければ、間違いなく彼女たちを勝利に導いてくれる魔法だ。

 貴音は知っていた。詩乃たちペアの防御役を務める湊が魔法を使えない魔女であるということを。一年間、彼女は湊と同じ魔法演習の授業を受けていた。その間、ついに湊は一度も魔法を使うことが出来ないままだった。湊は、術理回路を描き、そして、それを完成させている。だが、湊にはそれを扱えない。この一撃を湊は防げない。

 だからこそ詩乃の一撃にすべてを賭けていたのだろう。でも、莉伽子はそれを完璧に防いで見せてくれた。隣で術理回路を描いている莉伽子のことを誇らしく思う。彼女とならば、負けるわけはない。

貴音は、勝利を確信していた。

 だが、敗北を目前とした湊は動じた様子もなく、まっすぐと貴音のことを見据えていた。


(確かにあたしは魔法が使えないかもしれない――)

 湊は術理回路を完成させながら静かに認める。でも――

「あたしはひとりで戦ってるわけじゃないんだっ、そうだろ、詩乃っ!」

 最も信頼しているそのパートナーの名を呼ぶ。

 彼女は次なる魔法の萌芽を描きながら力強く応える。

「はいっ!」

 詩乃は、湊が描いた術理回路に触れ、励起回路(スペルトリガー)を書き加える。

 湊一人では、戦えないのかもしれない。でも、詩乃がいれば。詩乃と一緒ならば、湊の術理回路も魔法になることが出来る。

 それこそが、詩乃たちの戦い方だった。たった一人では出来損ないなのかもしれない。でも、二人ならば、戦える。どこまでも行ける。そう信じた。だから――

「遙か彼方に詩声を、遠き彼方に幸いを――」

 詩乃は叫びながら、その回路へと体に残るありったけの魔力を注ぐ。

 湊が限界まで丁寧に描いた術理回路は詩乃の魔力に応えてくれる。湊が魔力を注いでも魔法にはならない。だが、湊にも術理回路を描くことは出来るのだ。ならば、そんな湊の足りない部分を詩乃が補えばいい。

 湊の描いた魔法が貴音の生み出した魔法を抑え込む。


 莉伽子と貴音の二人は愕然としていた。相手を侮っていたわけではなかった。全力で魔法を放った。そして、勝ちを確信した。だが、詩乃たちはそれをあっさりと打ち破って見せた。それはあり得ないことだった。でも、現実として目の前で起こっていた。

莉伽子は不安を必死に押し殺しながら、自分のことを鼓舞して術理回路を描き続ける。

 詩乃の魔法は確かに強力だ。でも、それを扱う詩乃の魔力はどうだ。彼女は魔力の足りない魔女なのだ。彼女が使って見せた二つの魔法。今までの詩乃の魔力を考えれば、それは明らかに限界を超えた量だった。彼女にはもう魔力が残されてはいない。それは間違いない。そう思いながら歯を食いしばり、莉伽子は術理回路を描き続ける。

 次なる一撃に備えるべく必死に詩乃の速度に食らいついていく。

 あり得ない。そう思っていても、でも本能は警鐘を鳴らし続ける。なぜなら、莉伽子に対峙するその少女の顔には、まったくと言っていいほど諦めの色が浮かんでいなかったから――


 湊は傍らの詩乃を見つめる。

 彼女は、自らの限界に挑んで術理回路を描いていた。完全制御が可能な安定領域での行使ではない。失敗のリスクと隣り合わせの危険な賭け。でも、自然と湊は詩乃のことを信じることが出来た。彼女なら大丈夫。彼女なら失敗しない。

「きなっ、詩乃っ!」

 会場に湊の声が響き渡る。

 詩乃が頷き、頬を染めながら湊へと顔を寄せる。

 蒼華学院の全校生徒が注目するその中、そっと重ねられる詩乃と湊の唇。場内に黄色い歓声が上がる。なにをやっているんだ。誰もがそう思った。その真意に気付いたものはごく僅かだった。

 そんな世界の雑音を遠く感じながら、詩乃は湊のことだけを感じていた。

 触れ合った唇と唇。それを通じてあり得ないくらいに膨大な魔力が詩乃へと流入していた。魔力平衡(マナバランス)。境界条件がない場合、魔力は高密度の場所から低密度の場所へと流れ、平衡が生じる。魔力の基礎特性だ。通常ならば、意識という境界条件下の魔力が口付け程度で境界を超えることはない。だが、湊の魔力は本人の制御が及ばないほどに大きいのだ。少しでも境界が緩めば魔力は彼女から溢れ出すことが出来る。

湊だけが、詩乃の魔力を補うことが出来るただ一人の魔女だった。詩乃と湊は互いに互いの足りない部分を補い合えた。一人では無理かもしれない。でも、二人でならば彼女たちは誰にも負けない。そんな魔女になれる。


 唇が離れる。詩乃は身体の中に湊の魔力を感じていた。いつも彼女が持っている以上の魔力が、詩乃の中に渦巻いていた。この魔力を限界まで使い、自らの制御の限界まで挑んで魔法を行使する。成功しさえすれば、それは何者にも負けない魔法となる。

(これが、わたしたちの戦い方ですわっ!)

 詩乃は更に一歩限界へと踏み出す。もう一段階速度が上がる。その速度に莉伽子は付いていけない。


(私は、負けるの? この出来損ないに――)

 出来損ない。そう侮って下に見ていた相手が今、莉伽子のことを追い詰めていた。悔しかった。言葉に出来ない悔しさが莉伽子の中で暴れまわっていた。そんなことは認めたくなかった。そう心の底から思った。

 でも、これ以上回路構築速度を上げるというのは、魔法の失敗という危険を伴ってしまう。もしも、そんな事になってしまえば、彼女は学院中の笑い者になってしまうことだろう。

 最弱と呼ばれる術理学科生相手に魔法の制御をしくじって敗れた出来損ない。そう呼ばれることになるのだ。でも――

(それがどうしたっていうの? ただ、座して敗北を待つようなことは私はもうしないっ! 可能性がほんの僅かでもあるのであれば、決して諦めない。それが私よっ!)

 莉伽子も一歩を踏み出す。

 自らの限界。それを目指して進んでいく。それは、正気の魔女であれば決して足を踏み入れない領域だった。

 限界への挑戦。それは莉伽子が幾度となく繰り返してきた行為だ。ただ、ひたすら強さを目指し、限界を超えた領域で魔法を扱おうとした。その度に、彼女の手の中で術理回路はもろくも崩れ去っていった。

 演習室で挑んだ時は、あえなく失敗してしまった。今回も同じであれば、それは即敗北を意味する。

「遙か彼方に詩声を、遠き彼方に幸いを――」

 術理回路の末尾を綴り、詩乃が叫ぶ。

「古の伽に祀られし白き花。狂いて咲き、乱れて散れ!」

 負けじと莉伽子の声も響き渡る。

 破綻しかけた術理回路を必死に保持しながら魔力を注ぎ込む。淡い光に包まれ、魔法が顕現する。

 詩乃の放った魔法を莉伽子の魔法が打ち消す。限界の外側での魔法の打ち合い。どちらかの魔法が失敗した瞬間に決着がついてしまうぎりぎりの戦い。

 詩乃が湊の回路で貴音の魔法をいなし、苦悶の表情で再び口づけを交わす。

永花が圧倒的な勝ち方しか出来ないのも当然だ。こんな無茶が長く続くわけがないのだから。圧倒的な魔法で相手を一瞬のうちに制圧する。それが出来るからこそ成り立つ戦い方だった。試合が長引けば長引くだけ、術理回路の精度が落ち、魔法の失敗のリスクが跳ね上がってしまう。


 両者の間にかろうじて生じた危うい拮抗。それはどちらに転がってもおかしくはなかった。だが、それは今、確実に詩乃たちの方へと傾きつつあった。

(回路構築は私と同格か、それ以上ってわけか……)

 貴音は歯噛みしながら術理回路を描いていた。

(それに加えて、回路解析の速度が尋常じゃない。まるで、こっちの魔法が全部透けているみたいじゃないか)

 魔法術理学科が、理論及び回路解析の面で他学科よりも秀でているのは知っていた。でも、正直なところここまでだとは思っていなかったのだ。防性魔法とは攻性魔法の出方を窺いながら動くものだ。だが、湊は貴音の回路をほんの数手描いただけで先読みしてしまうのだ。ただでさえ、防性魔法に有利がついてしまうというのに、後手を取らざるを得ないという前提すらも崩れると戦局が大きく傾いてしまう。

 湊はその余力を使って、異常な速度で構築されて行く詩乃の術理回路へと回路を描き足し、支援していく。それによって、莉伽子の負担がどんどん大きくなっていく。これ以上は莉伽子が持たない。それが分かったから――

「交代よ、莉伽子。あなたが攻撃役に入りなさい」

 そう告げて莉伽子の回路に介入する。

「でも、いえ――わかりました」

 莉伽子は自らの回路を貴音へと委譲しながら、貴音の回路を受け取る。

「とにかく即効性の魔法の連続で相手のディフェンスを釘づけにしなさい。そうすれば、こっちは私がなんとかするから」

 そう告げて、莉伽子の作り上げた滅茶苦茶な回路をなんとか制御する。詩乃の回路に対抗するには、貴音もその危険域で戦わなくてはならない。

 かろうじて術理回路を維持しながら、張り裂けそうな心臓を押さえつけて手を動かし続ける。

 遠山詩乃――貴音の前に立ちはだかるその小さな魔女は間違いなく出来損ないなどではなかった。彼女たちと並び立つに相応しい、まごうことなき立派な魔女だった。それを静かに認めながら彼女に追いすがって手を動かし続ける。

(君たちに譲れないものがあるように、私たちにも譲れないものがある)

 思い出すのは莉伽子の悔しそうな顔だった。彼女は敗北を喫するたびにそんな表情を見せては、這い上がってきた。

 もう、莉伽子にそんな顔をさせたくない。何度そう願ったことだろうか。そのために何もかもをなげうって精進し続けてきた。倒れても這い上がり、前へと進んできた。

 詩乃たちがもがき苦しんでいた間、彼女たちも彼女たちの泥沼を這いずっていた。

「遙か彼方に詩声を、遠き彼方に幸いを――」

 詩乃の始動鍵が月下の舞台に響き渡る。

 それを追いかけるように、貴音も未完成の回路へと魔力を込めながら声を上げる。

「変革は唄うように、奇跡は踊るように――」

 貴音の魔力に呼応して励起される術理回路。このままでは不完全なそれへと、貴音は過詠唱によって回路を描き加え、補完してゆく。魔力が流れ、未完成部分から漏出してしまうのが先か、彼女が回路を描き切るのが先か。刹那の攻防。貴音が回路の末尾を綴り、その一瞬後に魔力が道通する。

 そんな無理やりな魔法行使によって、貴音は術理回路が魔力によって励起され、魔法へと力を変換するまでのタイムラグを省略してみせる。その僅かな時間によって、詩乃の魔法へと追い付き、そしてそれを迎撃する。

(私は負けられないんだよ。莉伽子のためにっ)

 胸の中で吐き捨て、即座に次なる魔法へと備える。


「古の伽に祀られし白き花。狂いて咲き、乱れて散れ!」

 早口で奏でられる莉伽子の魔法を湊の回路を借りた詩乃の魔法が防いでみせる。

 それは予定調和的な結果だった。莉伽子が放ったのは、防性魔法を唱えられれば簡単に防げてしまう、そんな何の小細工もないもっとも簡素な攻性魔法だった。

 だが、そんな魔法が着実に莉伽子たちの方へと戦況を傾けていた。

 一場湊――彼女の回路解析技術は確かにずば抜けていた。その解析技術によって、貴音の描く回路を解析、予測し、機先を制する。それが、彼女たちを圧倒的に有利にしていた。だが、何の小細工もないもっとも簡素な攻性魔法であればそんな優位性をすべて無効に出来る。読まれるまでもなく、一直線に攻める。

(これによって、ただの回路構築速度の勝負に持ち込むっ)

 莉伽子は自分に出しうる限界まで速度を上げ、回路を構築する。

 だが、ただの速度勝負であれば、防性魔法が有利であることには変わりない。湊の回路構築技術は莉伽子のそれを上回っており、その上、彼女は回路構築難度で勝る防性魔法を描いているのだ。莉伽子よりも、早く回路を完成し、その余力を双唱(ツインスペル)によって詩乃の支援へと回せてしまう。

 そのはずなのだが、魔法を打ち合う詩乃と貴音との拮抗が予想外の方向へとじりじりと崩れ始める。詩乃の回路構築が貴音を圧倒できなくなりつつあるのだ。

(攻撃のサイクルが短くなれば、それだけあなたの負担が増える。それがあなたたちの最大の弱点よ)

 莉伽子は魔法を放ちながら胸の奥で吐き捨てる。

 詩乃たちは確かに互いの欠点を補い合うことで十二分に戦えていた。でも、補い切れなければ一人以下の働きしか出来ないのだ。

 湊は、確かに莉伽子よりも早く回路を完成させ詩乃の支援へと回る。だが、湊が魔法を行使するためには、詩乃がその手を止め、湊の回路へと干渉しなくてはいけないのだ。莉伽子の攻撃ペースが上がれば、その分だけ、詩乃の手が止まらざるを得なくなるペースも上がる。そうなれば、湊の支援の効果が薄れ、詩乃の負担だけがどんどん増大してゆく。

 詩乃はただでさえ限界を超えた回路構築を行っているのだ。彼女が崩れるのはもはや時間の問題だった。

彼女の集中が途切れかけ始めている。それが、莉伽子には手に取るようにわかった。回路構築が単調になり、莉伽子への意識が疎かになる。

そして、莉伽子はそんな好機を決して見逃さなかった。

「遙か彼方に詩声を、遠き彼方に幸いを――」

 詩乃の攻性魔法を行使するための始動鍵が響く。それと重なるように、

「古の伽に祀られし白き花。狂いて咲き、乱れて散れ!」

 莉伽子の声が上がる。

(あなたは一人しかいない。あなたは同時に二つの魔法を使うことは出来ない。これで終わりよ、詩乃っ!)

 自らの手の中で仄かに生まれ来る魔法を前に、莉伽子は勝利を確信する。

 夜会第六の夜。二つの攻性魔法が闇を切り裂き交錯する――


(まずいっ!)

 自らの術理回路の末尾を綴りながら湊は焦っていた。

 詩乃と莉伽子。二人の描いた回路が魔力を注がれて淡い燐光を放つ。詩乃が支配するのは圧倒的なまでの力をほこる攻性魔法。莉伽子が操るのは、速度だけを重視した攻性魔法。湊が編み上げた回路が魔法として顕現しさえすれば莉伽子の放つ魔法は十分に防ぐことの出来るはずだった。

 だが、湊は完成した回路を前に途方に暮れてしまう。相手に完全にタイミングを合わせられてしまっていた。

 詩乃と湊は二人が互いに補い合うことで莉伽子たちにすら対抗出来る力を発揮していた。二人でなら変われる。二人でなら戦える。二人でならもう出来損ないなどではないのだと。

 でも、それこそが二人の最大の欠点でもあった。

魔力の足りない魔女――遠山詩乃。彼女へと湊が魔力を分け与えることで詩乃は初めて一人前の魔女として戦えた。

 魔力の制御の出来ない魔女――一場湊。彼女が描いた術理回路を詩乃が魔法とすることで湊は初めて一人前の魔女として戦えた。

だが、今、詩乃は自らの魔法を制御するので手一杯で、湊の術理回路にまで手が回らない。二人のことを莉伽子の魔法から守ってくれるものは何一つなかった。

 そんな現状を前に、悔しそうな、それでいて申し訳なさそうな表情をしている詩乃を見て思わず息を呑む。

(ここまでなのかよ……あたしたちは結局――)

 出来損ない。その言葉が湊の胸を支配しようとしていた。確かに頑張った。この場にいる誰もが、術理学科の二人がここまでやるとは思っていなかったことだろう。でも、二人は結局、一人ではろくに魔法も使うことが出来ない出来損ないでしかなかった。出来損ないでしか――

(ちがうだろ、あたしっ! 散々詩乃に言ったじゃないか! あたしたちは出来損ないなんかじゃないって、絶対に違うんだって。なのに、あたしがその言葉に屈してどうすんだよっ!)

 出来損ないなどという言葉を受け入れるためにこの場所に立ったのではないのだ。

湊は息を吸い込む。

 決意はとうの昔に決まっていた。夜会に出ようと、そう詩乃へと手を差し伸べたあの日に。そして、夜会に出てくださいと、そう詩乃が手を差し伸べてくれたあの日に。

(あたしは出来損ないなんかじゃないっ!)

 自分のためにそう信じた。詩乃のためにそう信じた。

 なら、何を恐れる必要があるというのだろうか。出来るか、出来ないかなどということはもはや問題ではなかった。やるか、やらないか。それが湊の前に突きつけられている選択肢だ。やらなければ、なにも変わらない。なにも変えられない。

 それに――湊は、詩乃のことを見る。彼女はもう一人で戦っているわけではなかった。

(あたしたちは変われるんだ。そうだろ?)

 自らが描いた術理回路を確認する。完璧な回路だ。何一つ欠けたところのない万全の回路。幾度となく失敗を繰り返してきた回路そのものだった。

 それでも、今の湊に出来ることは信じることだけだった。信じて声を張り上げることだけだった。

「たゆたう水の行方、その果ては彼方明日に――」

 その試合が始まってから初めて会場内に湊の始動鍵がこだまする。光の本流たる魔力が回路内を駆け抜け、崩壊が始まる。

 湊は必死にそれを抑え込み、立て直そうとする。だが、崩壊を止めることが出来ない。

(なんでだよっ! あたしは出来損ないなんかじゃないんだっ! なのに、なんで……)

 想いだけが空回りをする。

 詩乃は、あの二人を相手に十分すぎるだけの働きを見せていた。もはや誰も詩乃のことを出来損ないなどとは呼べないだろう。では、湊はどうだ? 一人ではろくに魔法を使えない魔女。

(あたし一人だけが――)

 諦めの想いは、でも、魔法の顕現を終え回路から解放された詩乃の手によって払拭されていた。詩乃は自らの魔法の制御を維持しながら、湊の崩壊しつつある術理回路を補修し、必死に描き改めていく。

 自分で言ったはずなのだ。

 湊たちは一人ではないのだと。一人ではもしかすると出来損ないなのかもしれない。でも、二人ならば違うのだと。

 湊は一人ではなかった。一人で戦っているわけではなかった。

 光の残滓を撒き散らしながら、それでも湊の術理回路は、彼女の魔力を魔法へと変換していく。それは、生まれて初めて湊自身が行使した魔法だった。

 生まれるはずのなかった力場が莉伽子の攻性魔法を完璧に防いでみせる。詩乃が放った魔法も貴音によって打ち消されてしまう。

 莉伽子たちが驚いている様子が手に取るように分かった。でも、そんな湊自身が一番驚いていた。

 出来損ないなどではない。その言葉を信じられる気がした。詩乃と湊の二人であれば、信じられる気がした。

 なに泣いてんのっ、泣き虫さんっ、そう笑い掛けて彼女に希望を託したことは間違いなどではなかった。だからこそ、そんな詩乃のために、自分のためにこの試合には絶対に勝ちたい。そう胸に刻み込んで湊は、声を張り上げる。

「いくぜっ! 詩乃っ!」

「はい!」

 湊に応えるように詩乃も声を張り上げ、術理回路を描く。もう既に、詩乃の回路構築は限界ぎりぎりの場所まで来ていた。ほんの数発ならば、完全制御不可能な領域でも彼女は魔法を使うことが出来た。でも、長引けば長引くだけ、その精度は落ち、失敗のリスクが跳ね上がる。

 もはや、詩乃はかろうじて魔法を操っているにすぎなかった。いつ失敗してもおかしくない。そんな紙一重な状況を、それでも負けられないという執念だけで維持し続けていた。

 詩乃は、自らの回路構築を維持したまま求めるように湊へと唇を重ねる。魔力平衡(マナバランス)。湊の膨大な魔力が詩乃へと流れ込む。今まで経験したこともないような量の魔力に身体が悲鳴を上げる。それでも立ち止まるわけにはいかなかった。

 身体の中で暴れまわる湊の魔力を必死に抑え込みながら詩乃も思う。

 一人では出来損ないでしかなかった。そう思い込んでしまっていた。諦めてその言葉を受け入れてしまっていた。

 でも、今は、湊がいて、怜奈がいて、たくさんの言葉が詩乃の中にはあった。そのすべてを詩乃は覚えていた。そのすべてが詩乃のことを支えてくれていた。出来損ないなどではないと、そう思わせてくれていた。

 詩乃はすべてを賭けてその術理回路を描く。迷いはない。ただ一心に勝ちを目指して。

 隣で湊も同じ気持ちで術理回路を描いてくれていた。

 莉伽子と貴音も必死に負けじと術理回路を編み上げていく。

 もしも、莉伽子たちのいずれかがもう少しだけ冷静であれば、気付くことが出来たのだろう。でも、二人は気付くことが出来ない。次から次へと続く想定外の事態に、翻弄されて大切なことを見落としてしまう。

 詩乃と湊。二人が描いている回路が、二つで一つの攻性魔法の回路であるということに――

 双刻(ツイン・スペル)の応用。回路支援の要領で湊が詩乃の回路へと自らの回路を接続し、詩乃も湊の回路へと自らの回路を接続する。一瞬の出来事だった。まだ、未完成のはずの二人の術理回路が、刹那のうちに強大な攻性魔法の術理回路に変貌してしまう。

 気付いた時には、もはや貴音の防性魔法は致命的なまでに間に合わなかった。

「かましてやれ、詩乃っ!」

 湊が声を上げる。

 応えるように詩乃が口にしたのは始動鍵だった。

「遙か彼方(かなた)に詩声を、遠き彼方(あなた)に幸いを――」

こんな結末を誰が予想しただろうか。

 術理回路が光に包まれる。誰もが呆然と見つめる中、生まれた魔法が莉伽子たちを襲う。放たれた魔法が二人を打ちすえる直前、彼女たちが身にまとう演習服が光を帯びて防壁を展開し、詩乃たちの魔法を防いでみせる。

 それが厳かなる魔女たちの舞台の幕切れだった。

 会場全体が一斉に沸く。試合の終了を審判が告げる。

 勝ってしまったのだ。喧騒を遠くに感じながら詩乃と湊は茫然としていた。

 負けてしまったのだ。顔を上げることが出来なくて、莉伽子と貴音は立ち尽くす。

 そんな四人のことを審判が促して整列させる。そして、一礼。その瞬間割れんばかりの拍手と歓声とに会場が包まれる。

 その音に、詩乃の周りに今まで遠ざかっていたはずの世界が戻ってくる。

 勝ったのだ。その想いを噛み締めて湊は詩乃の手を取り、握り締める。詩乃と顔が合う。優しく笑い掛ける。彼女はまだどこか夢の中にいるような、そんな表情だった。でも、これは夢などではなかった。この盛大な拍手は間違いなく彼女たちに向けられたもので、この瞬間、この学院の中心にいるのは彼女たちだった。

「さぁ、いこうぜ、詩乃っ!」

 そう口にして、手を引き歩き出す。彼女たちはもう、出来損ないなどではなかった。

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