<第6章>
その魔女と対峙した時、水沢莉伽子は自分の無力さを嫌というほど感じさせられた。圧倒的なまでの力量差。彼女が中学時代の三年間のすべてをかけて積み上げたものは、そのつい最近まで小学生でしかなかった幼い少女に一切通用しなかったのだ。
莉伽子は心が挫けてしまいそうになるのを必死に堪えながら戦った。彼女のパートナーである後輩も心が折れそうになりながらも、まだ諦めていない莉伽子の姿だけを支えに戦ってくれていた。それでもまったくと言っていいほど、その魔女達には歯が立たなかった。
全国中学魔法選抜選手権大会。それは魔女を目指す中学生の誰もが夢に見る最高の舞台。中等教育を受ける魔女の内、最強の魔女を決する魔法競技の全国大会だった。
莉伽子は、一、二年生の時と、同じ学校の先輩であった桐生貴音とペアを組んで、その舞台を目指した。でも、志半ば、地区予選を突破することは出来なかった。貴音が卒業して行く時、莉伽子は去って行く先輩に誓ったのだ。先輩の分まで、来年こそは必ず自分がその場所まで登りつめてみせると。
負けてしまったその日から一年間、必死の思いで練習に明け暮れた。敗北も、悔しさも、すべてを力に変えて前へと進んだ。そして、莉伽子が三年生に上がったその年、莉伽子と後輩とのペアは地区予選を制し、その憧れの舞台へと立ったのだ。
自分に足りないものがあれば、それを補うだけの努力をした。そして、確実にその分だけ強くなれた。結果として、あの日貴音に誓ったその舞台にまで手が届いた。掴めない夢などないのだと、そう思っていた。あの時まで――
試合が終わって、莉伽子は愕然としながら、ただ、その事実を突き付けられていた。完膚なきまでの敗北。せっかく応援に来てくれていた貴音に顔を合わせることもせずに、莉伽子は会場から逃げ出していた。自分は一生あの場所までは届くことが出来ないのではないのか。そんな気持ちでいっぱいになっていた。
自分が今まで必死になって積み上げてきたもの、それが実は砂上の楼閣だったのではないかという想いが胸を支配していた。それほどまでに、彼女のことを打ち負かした相手は超越していたのだ。
魔力の制御、回路の精度、ペアの連携。何一つとっても彼女達に勝てる気がしなかった。そして、なによりも、彼女達を打ち破ったその魔女はまだ一年生でしかなかったのだ。努力だけならば決して負けているはずがなかった。それでも絶対的に届かなかった。立っている場所が違いすぎた。これが持てる者と持たざる者の違いなのだと、そう言われている気がした。
そして、そんな彼女たちですらもが、あっさりと決勝で敗れてしまったのだ。
莉伽子の中にあった自信は最早粉々に砕かれてしまっていた。でも、彼女の心は決して折れてなどはいなかった。スタートラインが違うのであれば、それを埋めて余りある努力をすればいい。今は確かに届かないのかもしれない。でも、一年後なら。十年後なら。諦めることさえしなければ、いつか必ず追いついて見せる。そう莉伽子は胸に刻んだ。
くやしさも、悲しさも、絶望も、すべてを飲み干して、それでも前へと進める。それが、水沢莉伽子という魔女だった。
そして、それから半年後、莉伽子は私立蒼華学院高等魔法女学院で一人の魔女と出会うことになる。あの時、莉伽子のことを圧倒して見せた幼い魔女、遠山詩代の姉である遠山詩乃に――
◆ ◇ ◆
淡い夕焼けに染まるそのグラウンドに遠山詩乃と一場湊の二人はいた。
魔法術理学科屋外魔法演習場。そんな魔法演習のための広大な敷地の中心で湊が魔法を生み出す源たる術理回路を描いていた。魔法を発動させたい一心で彼女が普段描く精緻を極めたような理想形の術理回路ではない。それよりも幾分か簡略化された実戦仕様の術理回路だった。湊は虚空に指を走らせて、複雑な回路を多用せず、最低限の要素だけで魔法の構成を組み上げていく。圧倒的な速さと精度。驚くべき速度で寸分の狂いもなく指が宙を滑る。そんな湊の姿を見ながら詩乃は心の底から感心していた。
(すごい、ですわ――)
湊のその回路構築技術は、この学院にいる天才と呼ばれる魔女たちにすら引けを取らないものだった。いや、むしろ彼女の技術に迫れる魔女のほうが少ないくらいだ。湊は普段、魔法を顕現させるために、一切の省略をせずに教科書通りの術理回路を描いている。そのため、どうしても回路構築に時間がかかってしまう。でも、それでは駄目なのだ。夜会の舞台で戦うには、それでは悠長すぎるのだ。だからこその、今の湊の術理回路だった。
理想回路を描くという制約を取り払った湊の回路構築は以前の湊からは想像もできないくらいにすさまじいものだった。詩乃が圧倒されている間に、一瞬で術理回路を完成させてしまう。これだけの技術があれば、夜会の舞台の上ですら十分以上に戦えるだろう。でも、湊一人では、無理なのだ。
湊は、自らの魔力を制御できない魔女だった。彼女の中には、ただの魔女が持つにはあまりにも莫大すぎる魔力が詰まっていた。そのせいで、湊は自らの魔力を制御することが出来なかった。いかに強固で精緻な術理回路を描こうと暴走した魔力によってそれをすべて壊してしまう、魔法を使えない魔女だった。だから、湊がどれだけ素晴らしい術理回路を描けようと意味はないのだ。湊一人では――
(そのために、わたしがいるのですわ。湊先輩の足りない部分を補うために)
詩乃は末尾の綴られた湊の術理回路へと手を伸ばす。慎重な手つきでほんの少しだけ回路を描き加える。
術理回路の構築の中級技術に双刻と呼ばれる技術が存在する。他者の回路に修正を加えたり、回路を描き足すなどして回路構築を支援するための技術だ。詩乃がしてみせたのは、その応用だった。湊が描いた回路に励起回路を描き、回路の優先権を掌握してみせる。それによって、その回路は湊が描き、維持しているにもかかわらず、詩乃の支配下に入ってしまう。
「さぁ、やってみな、詩乃」
湊が促し、詩乃がそれに頷いて応える。指先が触れている湊の術理回路へと意識を集中する。口にするべき言葉は、決まっている。
「遙か彼方に詩声を、遠き彼方に幸いを――」
願いを込めて始動鍵を紡ぐ。詩乃の魔力が湊の描いた術理回路へと雪崩れ込み、淡い燐光を放つ。湊が描いた回路は、僅かしかない詩乃の魔力をその圧倒的なまでの精緻さと変換効率とで魔法へと変換していく。その結果として、二人の前に光すらも捻じ曲げる強力な力場が生じる。
「すごいよっ! うまくいったじゃんか、詩乃っ」
感極まって声を上げる。それは湊が描いた術理回路が初めて魔法となった瞬間だった。
「自分でも驚いていますわ。本当に湊先輩がおっしゃった通りにうまくいくだなんんて」
「言ったろっ、あたしたち二人なら出来るって、変わっていけるって」
「はい――」
湊の言葉に詩乃が頷いて応える。
湊一人では、魔法すら使えない出来損ないなのかもしれない。でも、詩乃と一緒であれば、魔法だって使える。彼女たちはもう出来損ないなどではないのだ。
「とはいえ、ここまで来てようやくスタートラインに立てただけ、なんだよな」
湊は遠くを見据えてそう口にする。彼女が見ているのは、もうすぐそこまで迫っている夜会――その舞台の上で華麗に戦う自分たちの姿だった。
「そうですわね……」
それは認めざるを得ない事実だった。
湊は詩乃の助けを借りることでようやく擬似的に魔法が使えるようになった。二人ともが夜会の舞台で魔法を使えること。それは、その舞台に上がる上での最低限の条件をクリアしたに過ぎなかった。
「相手はさ、あの詩乃の事を馬鹿にした最低の魔女だけど、それでも今まで必死になって魔法の腕を磨いてきた魔女なんだ。普通に考えたらあたしたちのような魔女が勝てるような相手じゃないのかもしれない」
この学院にいる魔女たちに驕りなどない。彼女たちは、湊や詩乃が必死になって魔法を使おうと抗っていた間、天才とよばれるその才能をただ強さだけを求めて磨き続けてきたのだ。詩乃たちが進んだ分だけ、彼女たちも確実に前へと進んでいる。そこには純然たる実力差があった。
「でもさ、それを今からあたしたちがひっくり返してやるんだぜ、詩乃」
「わ、わたしたちに本当に出来るんでしょうか?」
「出来るさ。いや、絶対にやって見せるんだよ、あたしと詩乃とでさっ」
湊が快活に笑う。そんな湊の表情を見ていると、自然と勇気が湧いてきた。彼女となら、出来てしまうのではないか。そう詩乃に思わせる確かな何かがそこにはあった。だから、詩乃もつられて微笑む。
「そのための秘策がさ、いくつかちゃんとあるんだ。もうあまり時間がないけど、それさえ上手くいけば、十分にあの詩乃のことを馬鹿にした莉伽子とかいう魔女にだって対抗できるはずだよっ」
湊は含みのある表情をしてみせる。
湊は、かつて食堂で詩乃を馬鹿にしたことを巡って言い争ったあの莉伽子が夜会の相手だと知って燃えていた。湊にとって、彼女こそが詩乃のことを出来損ないだと規定する魔女たちの象徴だった。彼女だけには負けられなかった。
「秘策ですの?」
「そう、秘密の策ってやつ。ねぇ、詩乃。あたしたちがさ、魔法演習において他の魔女に対して勝っている点って何だと思う?」
湊の問いに詩乃は考え込んでしまう。
他の魔女に対して詩乃たちは様々な点で劣っている。彼女たちは二人とも魔女として致命的な欠陥を抱えてしまっているのだ。そうでなくとも、魔法術理学科という最も魔法演習からかけ離れた学科に所属している。
それでも、ほんの僅かながら詩乃たちが優位性を持っている点もあることは確かだった。
「回路解析、でしょうか? 戦闘時回路解析技術でしたら、他の学科を圧倒できると思いますわ」
詩乃は、そんな優位点の中でも最も魔法演習に影響のありそうな項目を口にする。回路解析とは、相手が描いている術理回路からそれが生み出すであろう魔法の効果を解析する技術のことだ。魔法術理学科は、他のどんな学科よりも詳細に術理回路の基礎理論を学ぶため、彼女たちの解析技術は大幅に他の学科を上回っていた。それは、魔法演習を行う上で、彼女たちの武器になることは間違いなかった。
「それもあるかな。でも、そんなの比べ物にならないくらいに圧倒的に有利な点が一つだけあるんだ」
だがそれは湊の望む答えではなかったのだろう。彼女は頷きながらも違う答えを求める。
「降参ですわ。わたしにはさっぱりわかりません」
「正解はさ――」
それ以上の答えが見つからずに白旗を上げる詩乃にゆっくりとした口調で答えを告げる。
「あたしたちには失うものが何もないってこと」
「どういう意味ですの?」
湊が口にした言葉の意味がわからずに聞き返してしまう。
「そのまんまの意味だよ。今のあたしたちには、出来損ないなんかじゃないってプライドくらいしか魔女として失えるものはないわけじゃん? それがさ、この夜会において、たぶんあたしたちの最大のアドヴァンテージになると思うんだ」
「失うものがないことが、武器なんですの?」
「そう、あたしたちには負けて無くせるものなんてないんだ。だからこそあたしたちは、あたしたちだけの戦い方が出来る。それこそが、秘策ってわけ」
湊はいたずらな笑みを浮かべて、ゆっくりと話しだす。
彼女たち出来損ないと呼ばれた魔女が、天才を相手に戦うための秘策を。それは――
◆ ◇ ◆
ここ最近、いつにも増して莉伽子の機嫌が悪いと詩乃は思っていた。
ついに待ち焦がれた夜会の火ぶたが切って落とされるその朝。
いつも通りの更衣室で、詩乃は次の魔法演習の授業の為に着替えていた。主にこの魔法演習の時間か、丁香花寮でばったりと出くわしてしまうくらいしか莉伽子と顔を合わせることはないのだが、それでも、目に見えて莉伽子の詩乃に対する態度が悪化しているように詩乃には感じられた。
いつもよりも、苛々しているように見えたし、出来損ないと呼ばれる回数も増えているような気がした。
確かに、莉伽子の事を怒らせてしまう原因には、いくつか心当たりがない訳でもないのだが、でも、ここまであからさまに邪険に扱われる心当たりはなかった。
どさりと、隣のロッカーに荷物が置かれる。
ふと、横を向くとむすりとした顔の莉伽子がいた。彼女は詩乃の視線に気が付くと、鋭い視線で睨み返してくる。その視線には、今まであったような詩乃の失敗などに対する純粋な怒りといった色ではなく、詩乃に対する敵意の様な物が宿っているように感じられた。
「あ、あの、莉伽子さん……」
その視線から逃げてしまおうとして、でも、寸でのところで踏みとどまり声をかける。
「…………」
だが、莉伽子は何も聞こえなかったかのように、詩乃から視線を外し黙々と着替え始めてしまう。そんな態度からも、彼女が詩乃に対して怒っているのだという事が知れた。
「莉伽子さんっ」
もう一度、先ほどよりも大きな声で名前を呼び掛ける。
「なに?」
再び鋭い視線が詩乃の方を向き、刺々しい口調で莉伽子が返してくる。
「わたし、また莉伽子さんを怒らせるような事をしてしまったのでしょうか?」
「なんで?」
莉伽子は眉をひそめる。よりいっそう機嫌を悪くしてしまったようだった。そんな莉伽子を前に詩乃はどんどん心もとなくなってしまう。
「その、怒っていらっしゃるようだったので、また、わたしが……」
「あなたがそう思うんならそうなんじゃない?」
「だから、その……わたしの何が悪かったのかを……」
「あなたはそんなことすらも分からないの?」
莉伽子は詩乃の事を糾弾するように視線を、言葉を送る。
詩乃にはただ謝罪の言葉を口にすることしか出来なかった。
「ごめんなさいですわ……」
だが、口にしてから気付く。
何の考えもない謝罪。それは一番彼女が怒る事だったのではないかと。そして、その通りにやはり彼女は腹を立てていた。
どんと、ロッカーに乱暴に手をつく。その大きな音に詩乃の心が折れそうになる。
「なら、はっきり言うわよ」
莉伽子は苛立ち交じりに吐き捨てる。
「あなたみたいな人は夜会に相応しくない」
「ど、どういうことですの……」
「目障りなのよ。この授業だけならいいわ。我慢してあげる。でも、夜会でまで私の前に立ち塞がって、私の気持ちを踏み躙るだなんて許さないわ。それだけよ」
莉伽子はそれだけを言うと手早く着替えていく。
「あの……」
何かが言いたくて、言い返したくて、でも、何も言えずに押し黙ってしまう。
詩乃は、夜会の一回戦の相手が目の前の莉伽子である事を思い出した。そして、その事を彼女が怒っているのであろうことも今のから分かった。
でも、何故そのことで莉伽子がそこまで怒っているのか、詩乃には分からなかった。
(わたしみたいな出来損ないには夜会に出てもらいたくない、ということなんですわよね)
でも、それだけは出来ない事だった。湊と決めた事だから。
夜会に出て、自分たちはもう出来損ないなどではないのだと、そう証明する事を。
(もしも、わたしが、出来損ないなどではないのだと、そう莉伽子さんにも分かってもらえたら……ゆるしてもらえるのでしょうか?)
今の詩乃は莉伽子の目から見ればまだ、ただの出来損ないでしかないのだろう。でも、変わりたいと、そう思っているのだ。まだ、自分は出来損ないなどではないと自信を持って言うことの出来る何かなんて持ち合わせてはいない。でも、それを見つけようと誓ったのだ。そのための夜会だった。
着替え終わった莉伽子は何も言わずに去って行った。
いつもならば『遅れずにきなさい』と窘めて出て行くものだが、それすらもなかった。
一人残されて、詩乃は強く思う。
絶対に変わって見せるのだと。そして、見てもらいたかった。夜会のその時に、自分がどんな魔女になっているのかを――
◆ ◇ ◆
放課後、その日の授業はすべて終わっているにもかかわらず、莉伽子は普通魔法科の魔法演習室で術理回路を描いていた。
より速く、より大きく、より緻密に。
相反するそれらを、一つに統合し回路としていく。いつもの魔法演習の授業で編み上げている回路よりも一回り以上大きな回路を描く。だけど、まだ足りない。全然足りてなどいない。
(もっと、限界まで踏み込まなくては――)
その想いを胸に、より複雑で巨大に回路を編み上げていく。誰にも負けないだけの力を、パートナーがあの出来損ないであろうとも決して負けないだけの力を求めて。
莉伽子の許容量を超えて破綻しそうになる回路を必死に維持しながら、その末尾を締めくくる。
「古の伽に祀られし白き花。狂いて咲き、乱れて散れ!」
高らかに始動鍵を詠う。
魔力が通り、淡い光を帯びて目覚めていく回路。だが、限界を超えて展開されたそれは、莉伽子の制御を離れて自壊していく。それでも諦めずに、莉伽子は過詠唱の要領で回路を修復しながら必死に制御を取り戻そうとする。拮抗する修復と崩壊。でも、これでは、魔法にはならない。悔しげに莉伽子はその事実を受け入れる。そもそも、こんな無様な魔法を夜会で披露する訳にはいかないのだ。魔法を失敗するような魔女は魔女ですらない。夜会の舞台でそんな醜態をさらせる訳がなかった。
あまりにも肥大しすぎて自壊していく術理回路をため息まじりに見つめる。そんな彼女へと、
「そんな無茶して、なにかあったの?」
傍で莉伽子の事を見守っていた、莉伽子の先輩であり夜会のパートナーでもある桐生貴音が声を掛けてくる。
「別に、何もありません」
莉伽子が頑なな態度で否定する。
でも、こういう時の莉伽子には何かがあるという事が長い付き合いの貴音には分かっていた。そして、一度頑なになってしまった莉伽子を宥めるのは非常に骨が折れるという事も知っていた。だから――
「また、いつものペアの子のせいって訳か」
とりあえず思いついた心当たりを口にする。
「なっ、いえ、まぁ、そうですけど……」
莉伽子は図星を突かれて、思わず声と顔にそれが出てしまってから、慌てて取り繕う。でも、さすがに誤魔化しきれないと諦めて素直に認める。
貴音は、莉伽子が隠し事の類が出来ない事も十分に熟知しているのだった。
「で、今日はまたどうかしたの?」
「別に今日が特別どうこうという訳ではありません。あの出来損ないには常日頃から腹は立てていますから」
そう口にして、不機嫌さを隠そうともしない莉伽子の事を貴音は少しだけ意外そうな目で見る。
「珍しいよね。莉伽子がそこまであからさまに人の事を悪く言うだなんて」
「そうですか? 私も人の子ですから、悪口の一つくらい言いますよ」
少し自嘲的に口にする。
貴音は、莉伽子にそんな顔をさせている少女の事を思い出していた。莉伽子は知らないだろうが、貴音はその少女に一度だけ会った事があった。
遠山詩乃――そう名乗ったあの少女が、莉伽子が愚痴る出来損ないと同一人物である事を知ったのはつい最近、夜会の組み合わせ表を前に莉伽子が苛立ちを露わにしている時だった。
確かに莉伽子とはそりが合わないようなタイプの子だったなと思い出す。
声を掛けた時も一人で俯いていた。自分に自信がなくて、魔女である自分の姿が見えずに戸惑っていた。一人で、すべてを抱えて、それでも前へと進める強い莉伽子には、彼女の持つ弱さが理解できないのだろう。でも、と貴音は思う。
(莉伽子が、ここまで腹を立てているのは、たぶんあの子が――)
遠山詩乃。最初名前を聞いた時には気付かなかった。そもそも、現中学魔女界で最強と謳われるあの遠山詩代に姉がいたことすらほとんどの人は知らないのだろう。でも、よくよく思い出してみれば、仕草や印象はまったくと言って違ったが容姿そのものは瓜二つといっていいほど似通っていた。
一年ほど前の完敗。その敗北の杯すらも飲み干して、今の莉伽子はこの学院にいた。でも、そこで会った、かつて完敗した相手に瓜二つの姉は、莉伽子の基準では考えられないような相手だったのだ。
莉伽子が自分の気持ちを持て余してしまうのも分からなくはなかった。だが、それ以上に貴音は詩乃に対して同情的な気持ちになっていた。
莉伽子や、この学院にいる大勢の魔女達は一人でも進んでいけるだけの強さを持っているから、弱さというものを理解する事など出来ないのだろう。彼女らの目からすれば、詩乃の様な存在は、自分で立つことすらもしない甘えた存在として映ってしまうのだ。
でも、もし、自分が彼女の立場だったらと考える。たった二つしか年が違わない、よく似た妹は最強と言っても過言ではないような魔女で、にもかかわらず、自分はろくに魔法を操る事も出来ない出来損ないなのだ。
(私なら、魔法を使うことなんて出来ないでしょうね)
胸の内で認める。
魔法を使うという事はその天才と比べられ続けるという事だ。どうしたところで敵わない相手と戦い続けないといけないという事だ。貴音にはそんな決断は出来そうになかった。
自分に自信が無くなってしまうのは当然だと思う。
莉伽子だってそうだったのではないか。あの大会で詩代に負けて、挫けそうになった。詩乃は、今でもずっと、その妹と戦い続けていて、負け続けているのだ。それでも、魔女でいようとしている事の方が貴音にとっては驚きだった。
彼女は弱いのかもしれないが、でも、強いのだ。その強さは莉伽子の持っている強さとは違うだけで、強いのだ。
「ねぇ、莉伽子。莉伽子はそのペアの子の事が嫌い?」
「大嫌いです。あんな出来損ない」
でもその本当の原因は、彼女の中にかつて敗北を喫してしまった時の自分を見ているからなのではないかと貴音は思う。自分の弱さが許せない莉伽子に、その姿を想起させてしまうからこそ、莉伽子は彼女の事がもどかしくて仕方がないのだろう。
「あの子には、勝とうという気がないんです。無難にこなして、当たり前の様に負けて、それが当然だって思ってる。こっちは、あんな出来損ないとだって勝てるって、そう思ってやっているっていうのにっ」
「莉伽子は強いよね」
貴音は、素直な気持ちを口にした。
「何を言い出すんですか。私は別に強くなんてありません。弱いからこそ、努力しているんです。負けるのは嫌いですから」
真っ直ぐな顔でそう応える莉伽子。
そんな彼女の姿勢はとても綺麗で、でも、たまに怖くなってしまう貴音がいた。
「莉伽子は自分が思ってる以上に強いんだよ」
莉伽子は、本人が気付いていないだけで、どうしようもなく強いのだ。魔法ではない。心が。決して諦めず、決して挫けず、決して弱音を吐かない。でも、そんな自分を弱いと思い込んでいる。だから、それが誰にでも出来る事なのだと思い込んでいる。自分ですらもが出来る事なのだから、あなたにもできるでしょと言って。
「私はさ、莉伽子は正しいと思うよ」
真っ直ぐな、そんな莉伽子の姿が眩しかったからこそ、貴音は彼女の事をパートナーに選んだ。彼女となら、どこまでだっていけると、そう思ったから。
「でも、その莉伽子のパートナーの子も、姿勢は正しくはないかもしれないけれど、でも、間違ってはいないんだと思うんだ」
彼女は彼女なりの歩幅で歩いている。それは莉伽子からすればサボっているように見えてしまうのかもしれない。でも、そうではないのだ。彼女だって歩き続けている。
「どういう事ですか」
莉伽子は抗議の声を上げる。強い彼女には、たぶん分からないのだろう。弱さを抱えてでも前に進むしかない強さが。
「それはさ、二人の違いであって、どちらかの間違いではないんだよ。たぶんだけど」
「先輩の言いたい事の意味が分かりません」
「今は分からなくていいよ。でも、いずれ分かってあげて。誰もが莉伽子のように強くはなれないんだ」
莉伽子は強い。でも、その強さが、貴音には不安だった。
しっかりと前を向けている時ならば、それは強さだ。でも、もし彼女が道を誤ってしまったとしたら、それは彼女の最大の弱さになってしまう。
「私はあの出来損ないのことなんて分かりたくもありませんっ」
莉伽子は頑なになってしまう。
それは、しょうがない事ではあるのだろうと、貴音は思う。
「さて、そろそろ戻ろうか、莉伽子。今日から始まるんだからね。待ちに待った夜会が。それに夜会の期間中は寮間の移動が解禁されているからね、堂々と莉伽子のとこまでいって、一緒に試合を見られる」
貴音は嬉しそうにそう告げて歩き出す。
だが、莉伽子はすぐにはついて来なかった。
「先輩……」
立ち止まったままの莉伽子がポツリと溢す。
「私が望んでいる事は、そんなに難しい事なんですか?」
(そう思ってしまうのはね、莉伽子、君が強いからなんだ)
何処までもまっすぐに進んでいく少女。だが、それ故に周りが見えなくなってしまうかもしれない。そんな時に彼女の事を導いてやれるよう、彼女の傍にいてやりたいと貴音は思った。
◆ ◇ ◆
「湊先輩、こっちですわ」
そう言って詩乃は詩乃たちの部屋に入って来た湊の事を手招きする。
それに誘われるように湊はベランダへと出る。そこから見下ろせば夜の帳の降りた中庭が見下ろせるはずだった。
でも、その夜だけは、いつもの中庭とは様子が異なっていた。詩乃たちと同様にベランダへと出ている大勢の生徒たち。それによって開け放たれた窓から差す無数の光が煌々と照らし出していた。中庭の中央に広がる石畳の広場を――
それこそが、蒼華学院の誇る伝統ある夜会の舞台だった。
「こんばんは、詩乃」
ベランダの柵にもたれかかる詩乃の隣に肩を並べる。
「こんばんはですわ、湊先輩」
挨拶に応えるように詩乃も湊へと微笑み返す。
そんな詩乃の様子をまじまじと見つめながら湊は漏らした。
「制服以外の詩乃って、なんだか新鮮だよね」
突然の湊の視線と言葉に詩乃はどこか居心地が悪そうな表情をして見せてから、
「湊先輩のパジャマ姿も新鮮ですわ」
照れ隠しにそう湊へと矛先を向けようとする。でも、湊はそんな詩乃の言葉を黙殺して、からかうように言う。
「かわいいよ、泣き虫さんっ」
「み、湊先輩っ」
詩乃は顔を紅潮させながら抗議の声を上げる。
そんな必死な詩乃の仕草についつい微笑みが零れてしまう。
「もう、湊先輩は本当に意地悪ですわ」
そう言って一生懸命怒っていますよという表情を作って見せる詩乃へと、思わず緩んでしまいそうになる表情を引き締めてみせる。
「ほら見てみなよ」
そう言って湊は中庭の方を指差して促す。
詩乃はどこかまだ釈然としないまま、湊が指さす方を見る。
中庭の中央に広がる夜会の舞台。その中心に青い糸で刺繍の施された黒いローブに身を包んだ夜会の実行委員長が歩み出ていく。彼女がその舞台の中心に立つと低い鐘の音が鳴り響き、夜会の始まりを告げていた。
鐘の音が鳴り終わるのを待って、彼女は広い舞台の中央で高らかに夜会の理念と口上とを述べる。それが夜会の開催の宣言だった。
そして、次にその舞台へと黒を基調とした演習服を身にまとった永花が舞台へと上がってくる。蒼華学院最強の魔女。魔女という存在を体現しているかのような存在。彼女は、漆黒の演習服の胸に青い薔薇のレリーフを掲げていた。それこそが蒼華の魔女たる証だった。
永花は、真っ黒な長い髪を優雅に揺らしながら、軽い足取りで石畳を踏む。彼女が舞台に上がった途端に、それを見守る誰もが息を呑むのが分かった。詩乃も湊も、どちらも思わず息を呑んでいた。
永花は実行委員長の前に立ち、青い薔薇のレリーフを胸から外して、それを実行委員長へと返還する。この学院に入学して以来、二年間ずっと彼女が守り続けてきた最強の証。そして、今、この時からその蒼き薔薇を賭けた夜会が始まるのだ。
「ついに始まるんだね――」
そう言って、湊が身体をぶるっと震わせてみせる。いつも屈託のない仕草を見せる湊には珍しく緊張している様子だった。
今日より始まる、夜会。一夜ごと三組の魔女が試合を行い、たった一組の最強の魔女ペアを決める蒼華学院最大の儀式。その始まりたる、夜会、第一の夜、第一試合。
詩乃と湊のペアの試合は第六の夜であるため、五日後となっている。それでも、会場から伝わってくる、プレッシャーに緊張せざるを得なかった。
「あたしが出る訳でもないのに、なんか緊張してきちゃってるよ。去年見てた時はこんなことなかったのにね」
湊は、苦笑しながら遠い目でその場所を見つめる。
舞台にさらに三人の魔女が上がって行く所だった。
詩乃たちが見知った魔女が一人――有馬怜奈と、知らない魔女が二人。舞台上に二組四人の魔女と、審判役の実行委員長とが立つ。
夜会の始まりを飾る学院の頂点たる四條永花の試合。
「わたしも緊張していますわ」
湊と顔を合わせてくすりと二人して笑い合う。
「今日の試合はちゃんと見ておかないといけないよ、詩乃」
「もちろんですわ」
笑みを浮かべながら促す湊に詩乃は頷いて応える。
「四條永花。あの最強の魔女こそが詩乃の目指すものなんだ」
「少し自信はないですわ……」
どこか俯き加減にそう零す詩乃。それを叱咤するように湊は詩乃へと囁く。
「いいよ。それで。あんな風にはなれないのかもしれない。でも、詩乃にしかなれない最高の魔女になればいいんだからさ」
「はいっ!」
「今はまだ届かないのかもしれない。でも、あたしたちの番までには必ず掴んでみせようぜ――」
舞台の上に立つ四人の魔女たちを真っ直ぐに見る。蒼華学院が誇る最高の魔女たち。そんな魔女たちと肩を並べるだけの何かを二人はまだ持ってはいなかった。でも、それを掴めそうな気がしていた。詩乃と湊の二人なら――
「出来損ないなんかじゃない。あたしたちの魔女をさ」
その言葉に詩乃は力強く頷き、舞台の上に堂々と立つ怜奈の姿を眩しそうに見つめる。いつか、あの隣に並べるような、そんな魔女になる。そう誓ったのだ。そして、そうあろうと彼女たちは歩き出していた。
◆ ◇ ◆
怜奈は、学校中の注目の集まるその中心で、張り裂けそうな胸の鼓動を必死に抑えつけながら、永花の隣に立つに相応しい自分を取り繕っていた。
すぐ横を見れば、パートナーである永花が余裕のある顔で相手ペアを見ていた。彼女のようにはなれないなと思いながら、手を握り締める。
やらなくてはいけない事を、確実にやり通す。例え無様であろうとも、自分を押し殺してでもそれが出来る。それが有馬怜奈という魔女の強さだった。
視線を自分たちの部屋がある方へと向ける。偶然にも、ベランダでこの試合を見守っていてくれていた詩乃の姿を見つける。その隣にいる湊。果たして自分は、彼女たちの役に立てたのだろうか。怜奈は、自分の魔女としての目標を思い起こしながら深く息を吸う。
今の怜奈の隣には永花がいる。彼女が、怜奈のことを望んでくれている。必要としてくれている。
だから、そんな永花に応えたいと、彼女の力になりたいと、そう心から思う。
怜奈は、自分のことを見守っていてくれる詩乃へと向けて小さく手を振ってみせる。彼女はそれに気付き、少し驚きながらも手を振り返してくれる。
(かっこ悪いところは、見せられませんね)
自分の隣には、自分の事を信じて選んでくれた永花がいて、あのベランダには怜奈の事を真っ直ぐに見ていてくれる詩乃がいるのだ。
他の誰でもない、彼女達二人のために負けられない。絶対に負けたくない。そう思う気持ちは心地良いプレッシャーとなって怜奈を襲う。
「さぁ、行きましょうか、有馬。ここが私たちの最高の舞台よ」
永花が叱咤するように声を掛けてくれる。
「はい」
力強く頷く。
そして、夜会の火蓋が切って落とされた。




