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<第4章>

「おかえりなさい、詩乃ちゃん」

 寮の自室へと戻った遠山詩乃のことを有馬怜奈はいつも通りに出迎えてくれた。

「申し訳ありませんわ、せっかく、誘っていただいたのに――」

 ただいまとは告げずに、詩乃は怜奈へと深々と頭を下げる。

「顔を上げてください、詩乃ちゃん。私も少し無理なことをさせてしまったかもと思っていたんです。ごめんなさい」

 怜奈も謝罪の言葉とともに頭を下げる。

「そんな、怜奈さんは悪くないですわ。その、わたしが出来損ないなのが――」

 そこまで口にして、詩乃ははっと思い出す。

「今日一日はまだ、弱気なのはだめですよ、詩乃ちゃん。ひとまず、お互いに頭を上げましょう。そして、部屋に入ってきて下さい」

 少しだけ詩乃のことを注意して、部屋へと迎え入れてくれる。

 詩乃は、怜奈に手招きされて怜奈の腰かける、彼女のベッドの隣に腰を下ろす。

「詩乃ちゃんは、なにがしたくて蒼華学院に入ったんですか?」

 肩を並べて座る怜奈が問い掛けてくる。

「わたしには……もう、わからないんですわ……」

 詩乃は顔を伏せ呻く。

「蒼華学院に入学する前、妹には、逃げているだけだと言われてしまったんです」

「でも、詩乃ちゃんには何か目的があったんですよね?」

「わたしは出来損ないな自分が嫌で、そんな自分を変えたくて、この学院に入ったはずなんです。この学院に入れば、こんな自分でも変われるんじゃないかって思って、でも、ここに入学してもわたしは変われなくて、出来損ないのままで……」

 泣き崩れそうになる詩乃のことをそっと怜奈が胸に抱き寄せてくれる。

 その胸の中で詩乃は涙で頬を濡らしながら胸の中でわだかまっていた想いを吐き出す。

「もうこんな自分はもう嫌なんですわ。出来損ないな自分なんて大っ嫌いなんです――」

「大丈夫ですよ、詩乃ちゃん。詩乃ちゃんは出来損ないなんかじゃありません」

 背中を撫でながら、怜奈がそっと耳元で囁く。

「でも、わたしは変われなかったんです……」

「変われますよ。きっと変われます。詩乃ちゃんなら大丈夫です。だから、もう一度考えてみて下さい」

 怜奈は胸の中の詩乃を強く抱きしめながら言葉を紡ぐ。

「詩乃ちゃんが、どんな魔女になりたいのか。それをしっかりと見つけて下さい」

「わたしは――」

 それでも、詩乃の中の気持ちはまだ言葉になるには程遠くて、代わりに怜奈へと尋ねる。

「怜奈さんは、どんな魔女になりたいんですの?」

「私ですか……そうですね。私は誰かの役に立つ、そんな魔女になりたいと思っていました。私の助けを必要としてくれる人がいた時に、その人の力になってあげられるような、そんな魔女に」

 そう語る怜奈の姿を詩乃は憧れにも似た眼差しで見上げる。

 怜奈はいつだって優しくて、困っている詩乃の事を助けてくれた。誰かの役に立つ、そんな魔女になりたい。それは本当に怜奈さんらしい目標だと感じた。そして、そう胸を張って言うことの出来る怜奈のことがたまらなく羨ましかった。

「私は、人よりも少しだけ早く、そして、少しだけうまく魔法を使うことが出来たんです。そのせいでしょうか、いつも、私が魔法を使うたびに周りの人たちは褒めてくれたんです。喜んでくれたんです。私にはそれが嬉しくて、誰かに喜んでもらうために、それだけを目的に今でも魔法を使い続けているんです」

 怜奈は懐かしそうに語り、そして、少し苦い顔をしながら続ける。

「でも、そうですね。いつも良いことばかりじゃなかったんですよ? 人よりも少し魔法がうまかったせいで、周りと距離を感じてしまうこともありました。魔法なんて使いたくないって思うこともありました。でも、四條先輩が私のことを助けてくれて、詩乃ちゃんがこうして私を頼ってくれて、そうやって今の私がいるんです。詩乃ちゃんは気付いていないかもしれないですけど、私は詩乃ちゃんに助けられているんです」

「どういうことですの?」

「この学院に入った当初、私は自分がどんな魔女になりたかったのか見失っていたんです。でも、詩乃ちゃんがそんな私に思い出させてくれたんです。私がかつてどんな想いで魔法を使っていたのか。どんな魔女になりたかったのか。だから、詩乃ちゃんにも見つけてもらいたいんです。どんな魔女になりたいのか。その目標を。それがない限り、きっと、詩乃ちゃんはいつまでたっても自分のことを出来損ないだと思ってしまうと思うんです」

「目標を見つけることが出来たら、わたしは変われるんですの?」

「そんな簡単なことではないと思いますけど、でも、目標がなければ変われないですよ。いくら強くなっても、自分のことを認めてあげられないのなら、詩乃ちゃんの中で、詩乃ちゃんは出来損ないのままなんです。だから、もう一度しっかりと考えてください」

 怜奈は、彼女のことを見上げる詩乃の目尻に浮かぶ涙の滴を拭う。

「もしそれを見つけたら、もう一度来なさいって、そう四條先輩が言ってました」

 そう言ってもらえて、でも、詩乃は困ってしまう。

(わたしは、どんな魔女になりたいんでしょうか?)

 胸の中で再び自らに問い掛ける。でも、明確な答えはまだ浮かんでこなかった。


◆◇ ◆


 どんよりと曇った昼下がり。詩乃は膝を抱えながらも、彼女の周りに溢れている天才と呼ばれる魔女達のことを観察していた。魔法演習の授業。大嫌いなはずのこの時間を詩乃は、ただ俯いて閉じこもるのではなく、思案の時間に当てていた。

 あれから数日。詩乃はもう何日もこうやって答えの出ない問い掛けを続けていた。

グランド上で戦う魔女たち。彼女たちは一体どんな魔女になりたいのだろうか? それを観戦する魔女たち。彼女たちは一体どんな魔女になりたいのだろうか? そして、そんな彼女たちを遠巻きにする自分自身。出来損ないでしかない自分はどんな魔女を目指せばいいのだろうか?

 様々な考えが浮かんでは消えて行く。そんな時、

「珍しいわね、あなたが俯いていないだなんて」

 どこか少し小馬鹿にしたような声で水沢莉伽子が声を掛けてきた。

「すいません。少し、考え事をしていましたわ」

 詩乃はそう口にしながら莉伽子へと視線を向ける。彼女は、莉伽子へと冷ややかな視線を送りながらも、凛とした出立ちで背筋を伸ばしていた。

「まったく、つまらないことでウジウジ悩んでいるくらいなら、少しは集中したら? 今日もまたこの前の様な事をしたら今度は本当に許さないわよ」

 莉伽子は、詩乃と組まされてしまったことでクラス最下位という成績に甘んじているにもかかわらず、蹲る詩乃とは違い、誰に恥じることもなく堂々と立っている。そんな莉伽子の姿を見つめながら、詩乃は彼女のことを羨む。

 莉伽子は誰が見ても立派な魔女だ。詩乃の目には間違いなくそう映っていた。では、そんな莉伽子は一体どんな魔女になりたいのだろうか? 今の莉伽子を作り上げた想いとはどんなものだったのだろうか? それがどうしても知りたくて、詩乃は勇気を振り絞って声を上げる。

「あの、莉伽子さん――」

「なに?」

「一つだけ質問をさせてもらってもよろしいですか?」

「なんのつもりか知らないけど、それであなたが少しは真面目になると言うならいいわよ。早くして」

 少し意外そうな声で返ってくる返事。拒否されれるかもと思っていたのだが、肯定の言葉と不機嫌そうな気配の感じられないその声に詩乃は胸を撫で下ろしていた。

「その、莉伽子さんは、どんな魔女になりたいと思ってらっしゃるんですの?」

「は?」

 いつも毅然としている莉伽子の表情が崩れる。訳が分からないという顔をしながら、

「なんで、そんなことを聞きたがるのよ?」

 莉伽子はいぶかしむように尋ね返してくる。

「分からないんですの。自分がどんな魔女になりたいのか、それが分からないんですの」

「それすらもないだなんて、あなたって人は……」

 莉伽子の表情が見る見るうちに険しくなり、詩乃へと向けられる視線が冷たくなる。

「あなたには、魔女としての最低限の誇りすらないの?」

「すいません……」

 莉伽子の威圧感に負けて謝罪の言葉が口を出る。だが、それがより一層莉伽子の機嫌を損ねてしまう。

「そういうのやめてって言ってるでしょ、この出来損ない。あなたって人は、本当に進歩がないのね。逆ならすぐ答えられるわよ。私は、あなたみたいにうじうじとしているだけでどこへも行けないような魔女だけにはなりたくないわ」

「ごめんな――いえ、なんでもないですわ」

 思わず零れそうになった謝罪の言葉を飲み込む。そんな詩乃の姿を見て、莉伽子は鼻を鳴らし、

「私はすごく負けず嫌いなの。だから、負けて、それで終わりなんて絶対に許せない。具体的な目標なんてないわ。昨日より強い今日の自分。今日より強い明日の自分。進み続けることが私の魔女としての目標よ。私の行けるところまでまっすぐとね」

 少し棘のある口調で、でも、詩乃の問いに答えてくれる。そして、それに聞き入っていた詩乃へと少しだけ態度を和らげて続ける。

「だから、あなたも少しは成長しなさい。失敗するなとは言わないわ。でも、失敗して、ただ謝るだけなんてもってのほかよ。そこからちゃんと何か学びなさい。少しずつでもいいから、前へと進めるのであれば、あなたみたいな出来損ないでも多少はマシになるんじゃない?」

 その言葉に詩乃は一瞬あっけにとられた後、我に返り、

「ありがとうございます――」

 詩乃は小さく頭を下げながら、彼女も間違いなく立派な魔女の一人なのだと実感した。

 まっすぐ、前を向き。どこまでも進んでいく。詩乃とは正反対な少女。どうすれば、彼女の様な魔女になれるのだろうか。羨望にも似た眼差しを向けながら、詩乃は必死に答えを探していた。


◆◇ ◆


 講義が終わった夕下がり。

いつも通りの淡い夕焼けが染める魔法術理学科の校舎裏。その隅に詩乃は隠れる様に蹲っていた。莉伽子と共に臨んだ今日の魔法演習の授業も、またいつも通りに惨敗してしまった。莉伽子からは、また棘の詰まった言葉を浴びせられ、他の生徒たちからは馬鹿にされてしまった。だが、今日の詩乃は泣いてなどいなかった。泣いていても、もう誰も来てくれない。そのことが分かっていたから、詩乃はもう泣くことが出来なかった。

 だから、その代わりに静かなこの校舎裏で一人俯いて、ただ、自らに問い掛けていた。自分は、一体どんな魔女になりたいのか。永花に尋ねられたその問いの答えを探すために。

 かつては、確かにその答えがあったはずなのだ。こんな魔女になりたい。そう思い描いていた自分がいたはずだった。でも――

 魔女のスランプ。貴音の口にした言葉がよみがえる。壁にぶつかって、今まで抱いてきた理想と現実の自分とのギャップに苦しんださ――彼女はそう言っていた。それは、そのまま詩乃にも当てはまる言葉だった。

 どんな魔女になりたいのか?

 考えてみれば簡単なことだった。詩乃は急き立てられる様に魔法を使おうと足掻いていた。自分のことを認めてもらいたくて、自分は出来損ないなどではないと、それだけを証明したくて、ただ、その一心で詩乃は魔女を目指していた。魔女になることが出来れば、魔法を使うことができれば、何かが変わるのだと、そう信じていた。詩乃が目指した魔女とは、つまりそれだった。

「そうですわ……わたしは、詩代のようになりたかったんですわ……」

 懐かしげに、その想いを口にする。親の才能を十二分に受け継いだ詩乃の妹。出来損ないの詩乃とは違い、彼女は紛うことなき天才だった。そんな少女に詩乃は憧れていた。ああなりたいと、心の底から願っていた。妹の様になれば、みんなが詩乃の事を見てくれるのだと、そう信じていた。でも、彼女はそうはなれなかった。詩乃にそっくりの姿形で、でも、その少女は詩乃から一番遠い場所にいた。魔法が使えるようになって、詩乃はそのことを嫌と言うほど思い知らされた。彼女がいた場所はあまりにも遠すぎたのだ。それに比べて、詩乃のいる場所はあまりにもみすぼらしく見えた。いくら魔法が使えるようになっても、それは何一つ変わることはなかった。そして、いまでも――

「あの頃から、わたしは何一つとして変わってはいないのですわね……」

 苦々しく吐き出す。

 詩代の様にはなれないと、そう思い知らされたあの時から、詩乃はずっと見失ってしまっていたのだ。自分がどんな魔女になりたいのかを。それを見つけることが出来ないまま今日まで来てしまった。貴音の言う様にスランプが来るのが遅かったわけではない。あの日から今日までずっと詩乃はスランプから抜け出せずにいただけなのだ。詩代にも、詩乃にもなれない少女は、出来損ないになるしかなかった。

「なら、その上でわたしはどんな魔女になればいいのでしょうか?」

 呟きながら、思い出したのはルームメイトの顔だった。彼女は、自らの力を必要としてくれる人がいた時、それに応えてあげられるような、そんな魔女になりたいと言っていた。とても、怜奈らしい答えだと詩乃は思った。

 次に思い起こされたのは、授業でのパートナーの顔だった。昨日より強い今日の自分。今日より強い明日の自分。そんな理想を自らに課して、ただ前へと進んでいく。その理想そのものが莉伽子という魔女だった。

 最後に思い浮かんできたのは、湊の顔だった。一緒に夜会に出ようと手を差し伸べてくれた彼女は一体どんな理想を抱いているのだろうか。詩乃には予想もつかなかった。もしも、もう一度話すことが出来たのであれば、湊にそれを尋ねたいと、そう詩乃は思った。でも、今のままの自分ではそれは叶わない。出来損ないのままの自分では……

 胸の中に様々な思いがわだかまる。

「わたしは……」

 口を開いてみて、でも、その想いはうまく言葉にはなってくれなかった。だが、言葉にせずとも何かがつかめた感触だけはあった。どんな魔女になりたいのか。その答えを漠然とだが見つけられた気がしていた。

 詩乃はひとりでも立ち上がる。

「わたしは、変わりたいんですわ――」

 莉伽子に言われた言葉がよみがえる。

 彼女は、詩乃のことをうじうじとしているだけでどこにも行けない魔女だと言った。その通りだと詩乃は思った。でも、もう、そんな自分のままではだめなのだ。

 その思いを胸に詩乃は立ち上がり、丁香花寮へと足を進めた。


◆◇ ◆


「怜奈さん、わたし、見つかった気がするんですわ」

 丁香花寮の自室へと戻った詩乃は、怜奈へとそっと告げる。

「なにがですか?」

 帰って来た詩乃のことを出迎えながら、怜奈が尋ねる。

「わたしが、どんな魔女になりたいかです。まだ、うまく言葉には出来ないんですけど、でも、確かに見つかった気がするんです」

「よかったですね、詩乃ちゃん。それは、どんな感じの目標なんですか?」

 怜奈は詩乃のことを自分のことのように心から喜んでくれているようだった。

「本当にうまく言葉には出来ないんです。でも、そうですわね。わたしは、みんなの想いを信じたいんですわ」

「どういう意味ですか?」

「怜奈さんも、湊先輩も、わたしは出来損ないなんかじゃないって言ってくれました。変われるんだって、言ってくれました。わたしは、その言葉に答えたい。その言葉を信じたい。その言葉の通りに変わっていきたいんです。みんなが信じてくれた、そんな出来損ないではない自分を目指したいんですわ」

 怜奈と湊だけではない。貴音だって、そう詩乃に告げてくれていた。みんなが詩乃のことを信じてくれた。出来損ないなどではないのだと、詩乃が詩乃のまま、変わっていけるのだと告げてくれていた。

「それが詩乃ちゃんの答えですか?」

「今は、こんな答えしか用意できないですけれど、でも、確かにある気がするんです。何かが掴めたような気がするんです。もう、足踏みしているだけの自分は嫌だって、心の底から思うんです」

 詩乃は、真っ直ぐに怜奈のことを見据えてそう告げる。もう俯いているだけの詩乃はそこにはいなかった。

「詩乃ちゃんなら、きっと変わっていけますよ。だから、一緒に変わっていきましょう。お互いが描く目標へと――」

「はい――」

 詩乃は力強く頷いてゆっくりと歩き出す。

 何かが変わりだす、そんなかすかな気配を漂わせながら。


◆◇ ◆


 翌日の放課後。

 すべての授業を終えた詩乃を彼女は待ち構えていた。

斜陽に染められた丁香花寮。その正門の横に、先日の怜奈の様にスポーツバックを下げながら四條永花は凛と佇んでいた。

「永花先輩……」

 詩乃は思わず名前を漏らしてしまっていた。なぜ彼女がこの場所にいるのか、詩乃にはわからなかった。その上彼女は、

「こんにちは詩乃さん。答えは見つかったのかしら?」

 そう詩乃の名前を呼びながら永花は優雅に会釈をして、尋ねてきた。

「は、はい……その、まだ、うまく言葉には出来ないのですけれど……」

 歯切れの悪い返事を返してしまう。でも、あの日の校舎裏で詩乃は確かに何かを掴んでいた。自分がどんな魔女になりたいのか。その曖昧な指針を。

「そう、なら行きましょうか」

 そう促して永花は歩き出す。その姿を茫然と目で追っていた詩乃へと振り返り、

「早く来ないと置いて行ってしまうわよ」

 と少し冗談まじりに口にする。その声に誘われるまま、詩乃は少し早足で永花の隣へと駆け寄り、並んで歩く。

「あの、なぜ先輩の方から……」

 詩乃はそのことが不思議で疑問を口にする。

「有馬が、あなたのことをよろしく頼むって、そう言ってきたのよ」

 あの日と同じように、怜奈が詩乃のためにその舞台を用意してくれたのだ。感謝の気持ちと、彼女の期待を裏切れないという想いとを胸に、永花の後に続く。

 連れられて来たのは先日と同じ戦術魔法学科の魔法演習場だった。詩乃と永花は、あの日と同じく、黒を基調とした演習服へと着替えて対峙していた。この前の雪辱戦。その機会を、永花は与えてくれていた。

「ねぇ、遠山さん、あなたは魔法が好きかしら?」

 詩乃の前に悠然と立ちはだかる永花が尋ねる。

 それは、以前彼女と対峙した時の問いとは異なっていた。永花の問いにどんな意味があるのか、彼女には分からなかった。永花の問いは、いつも遠まわしで、曖昧で、でも、何かを詩乃に気付かせようとしていることだけは自然と詩乃にも伝わっていた。

「嫌い、ではないですわ……」

 深く息を吸い込みながら考え、そう吐息を漏らすように答える。

 好きだと、そう応えるのが正解なのだろう。でも、詩乃はそうは答えられなかった。口先だけでそう答えることが、正しいことだとは思えなくて、うまく言葉にならない想いを、吐き出す。

「でも、好きではないのよね?」

「……はい」

 気付けば、その問いに頷いて答えていた。

「わたしは……あまり好きではないと思いますわ……」

 それは、詩乃の偽らざる本心だった。

 必死になって魔法を求めて、でも、詩乃の手が手に入れることが出来たのはどこまでも不完全な奇跡の欠片でしかなかった。

 魔法を使うたびに、自分は出来損ないでしかないと思い知らされた。そんな自分を変えたくて、でも、変われなくて、いつからか、詩乃は魔法のことが好きではなくなっていた。

永花は、そうなのねと少し悲しそうに呟く。

「私は大好きよ。小さな頃からそうだったわ。私には魔法しかなかったから、来る日も来る日も練習に明け暮れて、気付けばこんな学院に居て、こんな私が出来あがっていた」

 懐かしそうな顔で永花は語る。

 それを聞きながら、詩乃はどこか自分に通じるものを感じていた。詩乃にも、魔法しかなかった。魔法だけが詩乃の事を出来損ないから救ってくれる可能性を持っていて、ただそれだけに縋って、来る日も来る日も必死に練習を続けていた。そして、気が付けばこんな学院にまで来ていた。ただ一つ決定的に違う点があるとすれば、詩乃はこの学院に希望を抱いて来たわけではなかったということだった。

「たぶん、この学院の誰もがそうだと思うわ」

「わたし以外の誰もが、ですわね……」

 詩乃以外の誰もが、魔法が好きで、その腕をひたすら磨くためにこの場所に集っていた。彼女が肩身が狭く感じるのは無理もないことだった。なぜなら、実際に詩乃はこの学院にとって異質な存在だったのだから。

「ねぇ、遠山さん。この学院の誰もが当たり前に持っていて、あなただけが持っていないものが何か分かるかしら?」

 永花は、再び問いを口にする。それは、とても簡単で、でも、とても難解な問いだった。

「魔力、ではないのですよね?」

 真っ先に思い浮かんだその言葉が間違いであることは薄々気付いてはいた。

「そうね。強いとか弱いとか何が出来るとか出来ないとか、そんなものは一切関係ないわ」

「先輩のおっしゃった、どんな魔女になりたいか、という目標なのでしょうか?」

「確かにそれは、ひとつの側面ではあるわ。でも、本質ではない」

 永花はやんわりと否定する。

 答えの輪郭は何となく見えているのだ。でも、それがなんなのか、今の詩乃には分からなかった。

 そんな詩乃へと、永花は必要な答えを告げる。

「あなたに足りないのはね、遠山さん。魔女としての誇りよ」

「誇り、ですの?」

 思わず聞き返してしまっていた。

「そうよ。この学院であなただけが、自らが魔女であることに誇りを持っていない。あなただけが、魔法を使うことに何の価値も見出してはいない、違うかしら?」

「……ちがいませんわ」

 たしかにそれは今の詩乃にはないものだった。

 詩乃は魔女ではあっても、出来損ないでしかなかった。そう思っていた。そんな彼女には、魔女として誇れるものなんて何一つなかった。

「ただ魔法が使えれば、その人は魔女だと世間一般的には言われるわ。でも、魔女であることの定義っていうのは魔法の有無なんかじゃない。あなたは、魔法は使えるかもしれないけれど、まだ魔女になれてすらいないのよ」

 だから、魔女であることに誇りを持ちなさいと、あなたも魔女になりなさいと、永花は告げてくれていた。それは嬉しくて、でも、そんな期待に答えられない自分が悔しくて、悲鳴のように言葉を漏らす。

「でも、わたしには人に誇れるようなものは何もありませんわ」

「誰だって初めはそうよ。未熟で、稚拙で、私だってそうだったわ――」

 永花は黒い衣装に包まれた自らの胸に手を当てながら続ける。

「あなたの目から見て私はどう映るかしら」

 そう尋ねられて、詩乃は永花の事を改めて見つめる。

 頭の後ろで一つに束ねられた夜色の髪と、真っ直ぐに詩乃の事を見る深い色の瞳。魔女であることの証たる、漆黒の演習服からすらりと伸びる白い四肢。先日対峙した時のことを思い出す。圧倒的なまでの構成力と魔力。彼女は詩乃とは違い、誰にでも誇れるような確かな物を持っている紛れもなく魔女だった。

「とても立派な魔女だと、そう思いますわ」

 心にあるままを言葉にする。

「そんな私だって、はじめは今のあなたと同じだったわ。あなたと同じように壁にぶつかって悩んで、それでも、私は魔法が好きだったから歩み続けることを止めなかった。その結果として今の私がいる。今の私と、昔の私。どこがどう違うかなんて今の私には分からないわ。時を経るにつれてその境界は自然と曖昧になって、気付けば今の私がいた。それは、たぶんあなただって同じはずよ」

 永花が口にする言葉を心の中で反芻する。

 かつての自分――魔法を使うことに希望を抱いて、それだけが自分を出来損ないという言葉から救い出してくれると信じていた頃の自分。

 今の自分――そんな救いはないのだと諦めて、心のどこかで出来損ないという言葉を受け入れながらも、必死にそれに抗おうとしている自分。

 かつての夢を抱いていた自分は、気付けば今の薄汚れた自分へと変わっていた。

「だから気付きなさい。誰だって――あなただっていずれ立派な魔女になれるわ。魔女であることに誇りを持ち、あなたが進むべき道を歩み続けるのであれば、今でなくとも、いつか必ずね」

 今の詩乃が抱く理想。かつての詩乃が今の詩乃へと変わって行ったように、詩乃がそれを望みさえすれば、変わって行けるのだと、そう永花は告げていた。

 諦めて、出来損ないという言葉を受け入れかけていた詩乃が、変わりたいのだと、そう思えるようになったように、少しずつ今の詩乃という存在は変わっているのだ。詩乃が道さえ間違えなければ、必ず、詩乃も立派な魔女になれる。そう、永花は告げていた。それは、今すぐにではないのかもしれない。でも、いつか必ず。

「さぁ、はじめましょうか」

 そう永花は告げる。それが戦いの合図だった。永花はゆっくりと術理回路を描き始める。

(わたしは、魔女として誇れるものを見つけなければいけないんですわっ)

 詩乃は胸の中で叫ぶ。

 変わりたいと思えたのだ。今までの詩乃は変わりたいと思いながらも、心のどこかで変われない事実を受け入れてしまっていた。自分は出来損ないなのだと諦めて、その言葉から逃げ出せずにいた。でも、そんな自分は嫌なのだと、強く思った。思うことが出来た。

 詩乃は、永花に応えるために全力を賭して手を動かす。詩乃が術理回路を描き始めたのを見て、永花もそれに応えるべく回路を描く速度を急激に上げる。

今の詩乃は、以前、永花に対峙した時の詩乃とは大きく異なっていた。

勝って何かを掴み取りたいと、自分の中にわだかまる気持ちを永花へと伝えたいと、心からそう思っていた。

 今までの詩乃は、ただ惰性で戦っていた。魔法を使うという行為は、今の詩乃にとって、ただの苦痛以外の何物でもなかった。魔法を使うたびに、自分が出来損ないでしかないという事実を突き付けられるような気がして、いつしか魔法を使うこと自体を忌避するようになっていた。

 でも、そんな気持ちのままで永花に勝てるわけがないのだ。永花だけではない。この学院の誰にも――魔女であることに誇りを持って戦っている本物の魔女たちに勝てるわけがなかった。

 詩乃は息を止めて、ただひたすらに虚空に不可視の紋様を刻み込んでいく。いつものようにただ流されるまま、その場に合わせて編み上げる回路などではない。確固たる意志と目的のために、詩乃は指を動かす。

 彼女の前に立ち塞がるようにして永花が流麗な手付きで術理回路を組み立てている。思わずため息を漏らしてしまいそうなくらいに、圧倒的で、美しく、それでいて絶望的なまでに鋭い威圧感を放つ回路。抗うこと自体が無駄なのではないかという徒労感が首をもたげかける。それを必死に押し殺しながら詩乃は噛み締める様に認めた。永花は、確かに魔女としての誇りを持っている。そして、彼女が持っているようなものを詩乃は何一つ手に出来てはいないのだと。

 確かな自信と誇りとを胸に毅然と立つ永花の姿が、詩乃の目にはどうしようもなくまぶしく映った。彼女の様な存在こそ、魔女という名にふさわしいのだ。それは、様々な魔女を見るたびに幾度となく思い知らされた想い。

(それに比べて、わたしは……)

 自らの描く術理回路と永花の描く魔法の原型とを見比べながら詩乃は絶望的なまでのその差に慄く。

 永花は、先日の様に詩乃の力を量るような真似はせず、初めから全力で詩乃へと対峙していた。驚くべき速さで魔法という形を整える回路。それに必死に食らいついていく詩乃。

 鼓動は早く、でも、思考はどこまでも落ち着いていた。永花の技術は、詩乃が今までに見た同世代のどんな魔女のものよりも抜きん出ていた。あの詩代ですら、ここまでの卓越した技術は持ち合わせてはいなかった。圧倒的。その一言に尽きた。でも、詩乃はその天才にかろうじてではあるが、食らいついているのだ。

「永久の法、絶えなる調べ――」

永花は高らかにスペルを口ずさむ。淡い光に包まれる術理回路。

(絶対に負けられないのですわっ)

 その一心で回路を描き上げる。

「遙か彼方に詩声を、遠き彼方に幸いを――」

 始動鍵を口にしながら、かつて抱いた想いを回廊の様に思い出していた。ただ、ひたすら魔法というものに憧れ、求め、縋っていた頃。あの頃は、このフレーズに希望を載せていたはずだった。でも、いつからかこの言葉を口にするたびに胸が痛む様になっていた。

(わたしは、こんなわたしになりたかったわけではないんですわっ)

 あの頃抱いた理想。今ここにある現実。決して相容れないはずなのに、気付けば両者の境界は薄れていき、自然と今の詩乃が出来上がっていた。何故なのかと自らに問うてみる。答えは分かるようで分からない。でも、こんな自分は嫌だと、変わりたいのだと、そう望んでいる詩乃がそこには確かにいた。

 永花の生み出した青白い炎を詩乃の魔法が打ち消す。すべてが幻であったかのように。

「この前とは大違いね。良い目をしているわ。魔女らしくなってきたじゃない」

 光を失い消え行く回路を尻目に、新たな回路を描きながら永花が告げる。

 だが、詩乃自身としては、あの時の自分と今の自分にそう大きな違いがあるようには思えなかった。このほんの数日のうちに、技術的な面での進歩などないに等しかった。魔力が増えたわけでも、戦術を練り直したわけでもない。ただ、ほんの少しだけ心持ちが変わっただけ。たったそれだけだった。

 まだ、魔女として誇れるものなんて何一つなくて、でも、それを持ちたいと、胸を張って自分は魔女なのだと言えるようになりたいのだと、そう思った。

『あなたは必ず立派な魔女になれるわ。今でなくとも、いつか必ずね』

 優しく告げられた言葉。その言葉は確かに詩乃の中に届いていた。

優雅に、どこまでも広大で、緻密な回路を描いて行く永花。彼女はどこまでも真っ直ぐで、誰よりも魔女であることに誇りを持っていた。

彼女の様になりたいと、そう詩乃は心の底から渇望していた。でも、それは当時の――幼い頃に抱いた、妹の様になりたいという願望と似ているようで大きく異なるものだった。その気持ちに気付いた時、かちりと何かが音を立ててあるべき場所へとおさまっていく気がした。

(憧れてはいますけど、でも、わたしは永花さんになりたいわけではないのですわっ)

永花のようになることと永花になること。その両者は似ているようで、でもその実天地ほどの開きがあった。

 光を浴びて魔女としての道を歩む永花の影を追って、詩乃は必死に駆ける。彼女がいる場所はあまりにも遠くて、眩しくて、今ならなんとなく分かる気がした。

『君は君にしかなれないんだ』

 そう詩乃に告げた少女。彼女の伝えたかった本当の意味が。

 何をしたところで、人は他人になれるはずなどないのだ。どうやった所で詩乃が永花になることが出来ないように。彼女の様な魔力も、強さも、才能も詩乃にはないのだから。でも、それは逆もまた然りなのだと。

『ないものを強請ってもしょうがないじゃない。君の持っているものを輝かしていけば、君だって、君のまま立派な魔女になれる』

 つまりはそういうことだった。

 詩乃は妹を羨み、妹の様に――いや、妹そのものになりたかった。でも、そうはなれなかった。当然だ。だって、詩乃は詩代ではないのだから。だから、彼女が目指すべきだったのは、詩代の様な立派な魔女になることだったのだ。妹の姿を通してみた魔女という存在。自らの力に誇りを持ち、それを確かな責任と自信をもって扱う、そんな彼女の姿勢こそを目指すべきだった。

 それを見誤ったがために彼女は何者にもなれなくなってしまったのだ。

 詩乃であることが嫌で、詩代に憧れ、でも、そうはなれない自分に絶望して、出来損ないという言葉をいつしか受け入れてしまった。

 だが、思い返せばいつだって声は詩乃へと掛けられていたのだ。

 湊も、怜奈も、永花も、貴音も、あの莉伽子ですら詩乃へと声を掛けていた。詩代でも、他の誰かでもなく、詩乃の事を見て、詩乃へと言葉を告げてくれていた。

『詩乃っ、あんたは出来損ないなんかじゃないっ、そうだろ?』

『詩乃ちゃん、私は、詩乃ちゃんは出来損ないなんかじゃないって、そう信じてます』

『遠山さん。あなただっていずれ立派な魔女になれるわ。魔女であることに誇りを持って、あなたが進むべき道を歩み続けるのであれば、今でなくとも、いつか必ずね』

『詩乃ちゃん。君が君であることは、君が出来損ないであることとは決して等価なんかじゃないんだよ。人より劣ろうが、それを補って余りある君になればいい。それだけで、誰だって、立派な魔女になれる。君だって、君のまま立派な魔女になれるはずだよ』

(そういうことだったんですわっ)

 気付いてしまえば、それはなんとも容易い答えだった。

 この学院は、遠山の家ではないのだ。彼女のことを出来損ないだと定義し続けたあの場所ではないのだ。あの頃とは違う。今この場所において、みんなが彼女に詩乃であることを求めている。詩代でも、出来損ないでも、遠山の後継者であることでもない、彼女が彼女のまま胸を張って前へと進むことを望んでくれている。

 怜奈の言うとおりだった。壁など最初からありはしなかったのだ。誰もが彼女に言葉を告げてくれていた。それを遠いものにしてしまっていたのは詩乃自身に他ならなかった。いつだって、存在しないはずの壁におびえて、出来損ないという殻に閉じこもって、差し出される手を拒み続けてしまった。

 詩乃は術理回路を描きながら、自らに問うた。

 どんな魔女になりたいのか? 何のために魔法を使いたいのか?

 詩乃であることが嫌で、出来損ないではないことを証明したくて、妹に憧れて必死に抗っていた。でも、それが叶わないことを知り、詩代になれなかった少女は何者にもなれなくなってしまった。そうやって空っぽになった詩乃には出来損ないという名のレッテルだけが残った。

 空っぽの詩乃。でも、今からでも遅くはない。空っぽなのであれば、補えばいい。魔女であることへの誇り、自信、目的。詰め込むべきものは、詰め込まなくてはいけないものはいくらでもある。

(わたしは、どんな魔女になりたいのでしょうか?)

 現実に打ちひしがれ、出来損ないという名前を受け入れてしまった。でも、そんな詩乃へと湊は確かに言ったのだ。

『でも、あんたは違うだろ、詩乃っ。少なくとも、あたしはそう信じてるぜ』

 そう言って、手を差しのべながら詩乃の事を出来損ないなどではないと認めてくれた。自らに再び問う。どんな魔女になりたいのかと。

 今まで、出来損ないという名の殻に閉じこもっていたせいで聴こえなかった多くの言葉。でも、そのすべてを詩乃は覚えていた。一言一句間違えずに思い出せた。その一つ一つが風にかき消されても、決してなかったことになどなってはいないから。だから、答えは自然と浮かんできた。

「わたしは、湊先輩の選んでくださった遠山詩乃という魔女に相応しい。そんな魔女になりたいのですわっ!」

 決意にも似た叫びと共に爆発的に広がる回路。詩乃の確固たる意志が光の刻印として宙に具現していく。いまならば、永花にすら勝てる。そう思わせてくれる何かがその言葉には、その決意には確かにあった。


◆ ◇ ◆


「あなたの勝ちよ。遠山さん」

 最後の魔法が砕け散るのを眺めながら、永花がそっと告げる。彼女が完璧なタイミングで放った魔法は、詩乃の奇跡の前に霧散させられていた。魔法戦闘における摂理。攻性魔法は防性魔法には敵わないというその黄金律の通りに詩乃は五発の攻性魔法のすべてを防ぎ切っていた。

 彼女は優しく微笑みながら今にもへたり込みそうな詩乃へと近づく。

「あ、あの……」

 語るべき言葉が見つからずに、吐息だけを吐き出す。

 あの永花に勝てたのだと、その事実に思考と感情とが追いつけずにただ、茫然と戸惑ってしまう。こんなことは初めてだった。いままで、詩乃は常に敗者で、負け犬で、ただの出来損ないだった。それが今、初めて自らの手で意味のあるものを掴みとったのだ。

「はっきりと聞かせてもらったわ。あなたの目指す魔女をね。それがあなたが魔法を使う理由なのね」

「はい、これが、わたしの見つけた答えですわ……」

「良い答えね」

 まだどこか自信を持って口に出来ない詩乃を頷きながら肯定する。

「今のその気持ちを、忘れないで進みなさい。迷うなとは言わないわ。迷い、傷つきながらも、常に前へと歩み続けなさい。あなたの憧れたあなたの姿へと」

 永花は優しく詩乃の肩に手を置く。それをきっかけに、今まで張り詰めていた緊張の糸が切れてその場に崩れ落ちてしまう。そんな詩乃へと苦笑交じりに手を差し伸べてくれる。

「しっかりと胸を張りなさい。あなたがそんな態度では私が困ってしまうわ」

 永花は不易な笑みを浮かべる。

「非公式とはいえ、あなたはこの私――蒼華の魔女(ウィッチ・オブ・ブルーローズ)こと、四條永花を破った数少ない魔女なのだから」

 そう告げる永花の顔を見ながら、詩乃の表情が固まる。

 蒼華の魔女――それはこの蒼華学院最強の魔女に与えられる称号だ。学院最大の魔法演習大会たる夜会においてその頂点に立った魔女にだけ許された名。

 魔女の中の魔女。そんな蒼華の魔女が、出来損ないと呼ばれ続けた詩乃へと手を差し伸べてくれていた。

「誇りに思いなさい。これがあなたの魔女としての初めの一歩よ。そして登って来なさい」

 永花は詩乃の手を握り締めて引き寄せる。その手に導かれるように引き上げられる詩乃。

「あなたも、夜会に出るのでしょう?」

 永花が尋ねる。それにしっかりと首を縦に振り頷いてみせる。

「一番上で待っているわ。あの子と一緒に。だから、いらっしゃい。夜会の頂点へと――」

 この学院最強の魔女が詩乃の事を認めてくれていた。そして、待っていると、そう告げていた。それはただの世辞なのかもしれない。でも、詩乃は頷き、応える。かならず、と。

もう、詩乃は出来損ないなどではなかった。詩乃は詩乃であり、遠山詩乃という名の魔女だった。


◆ ◇ ◆


夕闇の迫る魔法術理学科の魔法演習場で、一場湊はひとり術理回路を描いていた。虚空に幾重にも刻み込まれる幾何学模様。大きく、そして細緻にどこまでも広がって行く回路。 それを描いて行く湊の表情はどこまでも真剣で、いつも詩乃へと向けているような無邪気な表情とは似ても似つかなかった。

たった一つ、魔法という奇跡を望んで湊は、必死に術理回路を仕上げる。

「たゆたう水の行方、その果ては彼方明日に――」

 湊は、どこか厳かな口調で始動鍵(イグニッション・スペル)を唱える。その瞬間、湊の身体から膨大な量の魔力が回路へと流出して行く。常軌を逸した量の魔力の本流によって、真夏の太陽の様に輝く回路。だが、その輝きは刹那のうちに燃え尽きて術理回路を瞬間的に焼き切ってしまう。

 そんな光景を、ただ呆然と見つめながら、湊は項垂れる。それは、分かり切った結末だった。幾度となく繰り返された予定調和。

 必死になって、もがいて、抗って、でも、その後には何も残らない。

「なぁ、詩乃……」

 湊は、虚ろな瞳でそこにはいない相手へと訴えかける様に呟いていた。

「あたしたちは、出来損ないなんかじゃない。そうだよな?」

 悔しげに握られた拳。爪が皮膚へと突き刺さり、鈍い痛みを告げている。

「あたしに、そう信じさせてくれよ。詩乃……」

 縋るように、彼女の名を口にする。だが、悲痛な叫びは誰にも届くことなく、風にかき消されてしまうのだった。

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