表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

<第1章>

 広大な敷地に聳える古めかしい石造りの校舎。歴史と伝統を感じさせる佇まいのその建物の中では、まだ若い魔女たちが日々その技の鍛練に勤しんでいた。私立蒼華(そうか)学院高等魔法女学校。世界屈指の魔女を輩出する、魔女学校の最高峰。全国の魔女見習いたちの憧れの的たる幼き魔女の学び舎。

 すべての授業が終わり、淡い夕日に世界が赤く染まる頃。そんな夢と希望に溢れた蒼華学院の校舎裏で、一人の魔女がさめざめと泣いていた。蒼華学院魔法術理学科一年生、遠山詩乃(とおやましの)

入学試験の倍率十倍以上というこの蒼華学院において、毎年のように定員割れを起こす魔法術理学科の本年度の唯一の新入生である。

彼女は校舎裏で膝を抱え、その間に顔をうずめて涙を隠しながら声を押し殺して泣いていた。入学式を終えて早二週間。詩乃は事あるごとに人目に付かないここへとやって来ては泣いているのだった。そして、そんな彼女を毎回のように見つけるのは、

「こんなとこでなにやってんのさっ、泣き虫さんっ」

 勝気な少女の声が静かな校舎裏に響き渡る。

 少し癖の強い短く切り揃えられた髪と釣り目がちな瞳。すらりとした身体をおおうのは濃紺のセーラー服。その胸元に添えられた金色の糸で刺繍の入った紫色のタイ――魔法術理学科の生徒である証。詩乃の先輩である魔法術理科二年生、一場湊(ひとつばみなと)

 詩乃は湊の声に驚き、慌ててごしごしと制服の袖で涙で濡れた目元を拭ってから顔を上げる。

「わたし、泣き虫なんかじゃありませんわ、湊先輩」

自分のことを見下ろすように真正面に仁王立ちする湊へと鼻声で抗議する。しかし、その声にはまったくと言っていいほど説得力はない。涙のせいで赤く充血した黒い大きな瞳。うっすらと涙の跡と幼さの残る端正な顔。そんな明らかな詩乃の泣き顔を見て見ぬふりをして、

「ほらいこうぜ、泣き虫さんっ」

 妹にでも接するように湊は優しく手を差し伸べる。

「だから、わたし、泣いてなんていませんし、泣き虫でもありませんわ」

 詩乃はそう頑なに否定しながらも、どこか少し嬉しそうに差し出された手を取り、立ち上がる。手を繋いだまま向き合う湊と詩乃。勝気な、それでいてどこか優しさの滲み出る笑顔を浮かべる湊と、涙の後の残る顔を見られるのが恥ずかしくて顔を俯けてしまう詩乃。

「大丈夫、わかってるって、詩乃」

 湊は俯く詩乃の頭を無造作にくしゃくしゃっと撫でてやる。詩乃の艶のある長い黒髪が揺れて、思わず堪えたはずの涙が溢れてきてしまう。ぽたぽたと頬を伝った涙が地面を濡らしていく。

「ち、ちがうんです、これは――」

 涙声で必死に否定しようとする。泣いてなどいないと。これは決して涙などではないのだと。でも、否定しようとすればするほど涙が溢れてきてしまう。

「あたしには強がらなくていいって、な? 詩乃」

 湊は詩乃のことを優しく抱き寄せる。そんな湊の行為のせいで、今まで必死に堪えようと思っていた思いが一気に決壊する。湊の胸にもたれかかり小さな子供のように泣いてしまう。

「落ち着いてからでいいからさ、あたしに話してみな。力になるよ。あたしはいつだって詩乃の味方だからさ」

 そっと泣きじゃくる詩乃の耳元で囁く。ぎゅっと詩乃の事を抱きしめながら、湊はそれ以上のことをしてやれない自分に悔しさともどかしさを覚える。もっと器用な人間なら、こんな時に優しい言葉で泣いている詩乃の事を慰めてやれるのだろう。だが、不器用な湊には泣いている詩乃の隣に一緒にいてやることしか出来ない。

「わたしは、出来損ないだって」

 嗚咽を噛み殺して、詩乃がゆっくりと口を開く。

「そう、みんなが言うのですわ。わたし、それに何も言い返すことが出来なくて――」

 震える声で悔しい思いを吐露する詩乃。そんな彼女の頭を優しく撫でながら囁くように湊が尋ねる。

「詩乃は馬鹿にされたことが悔しかったの?」

「ちがいますわ。だって、それは悲しいけど本当のことなんですから。だから、わたしが一番悔しいのは、何も言い返せない出来損ないな自分自身なのですわ」

「自分のこと出来損ないだなんて思うなよ。詩乃ががんばってるのはさ、あたしがちゃんと知ってんだ。だから、自分のことはちゃんと認めてあげろよな」

「でも、努力したところでどうしようもないことなんですわ。だって、わたしにはみんなのように魔力がないのですから――」

 諦めにも似た口調で詩乃は溢す。

 詩乃には魔女としての才能に致命的な欠陥があった。先天性魔力欠乏症――生まれつき、身体に蓄積出来る魔力の量が人に比べて極端に劣ってしまう病気だ。普通に生活するうえではなんら影響のない病気なのだが、魔力を源として各種現象を引き起こす魔法を扱う上ではこの上もないハンディキャップとなってしまう。

 詩乃は、魔法を扱う才能を持ちながら、魔力の才能は一般人にすらも劣ってしまうのだ。そんな彼女が、この世界屈指の魔法学校である蒼華学院に入学できたのは、彼女たちの所属する学科に理由がある。魔法術理学科――魔法を実際に行使する花形の学科とは違い、魔法を扱うことではなく、魔法を行使するための基礎理論を探求、解析、構築することを目的とした学科だ。そのため、この学科に入学する為に魔法を扱う資質は問われない。その代わりとして、かなりの水準の一般教養及び、魔法教養が必要とされる。それこそ毎年のように数人の合格者しか出ないようなだ。魔法術理学科は不人気学科ではあるが、全国の魔女を目指す少女たちが憧れる学校の学科なのだ。他学科に比べて倍率は低いとはいえ、毎年かなりの数の受験者がいる。しかし、学院の求める水準に届かない魔女は一切合格させないという方針が、今年の様に新入生が詩乃一人といった現状を生み出してしまうのだ。

「こんなわたしのいる学科だから、どうせろくな科じゃないんだって、先輩達のことまで馬鹿にするのですわ。でも、わたし、何も言い返せなくって、だって、わたしのせいなんですから――」

「詩乃のせいなんかじゃねぇって。言いたい奴らには好きなように言わせとけばいんだよ。座学であたしら術理学科に敵う学科なんてどこにもないんだぜ。少し魔法をうまく使えるくらいなんだってんだ。だからさ、そろそろ泣き止もうぜ。ここは泣く場面じゃなくて怒る場面だろ?」

 そう言って、詩乃を抱き寄せていた手を離し、彼女に顔を上げさせる。そして、眩しいくらいの笑顔で笑い掛ける。

 そんな湊の表情に少しドキリとしながらも、慌てて服の裾で目元をこすり涙を拭う詩乃。目が真っ赤に充血してしまっていて、どこからどう見ても泣き顔だった。でも、

「あたし、泣いてなんていませんでしたわ」

 そう強がって見せる。そんな詩乃の姿に微笑ましいものを感じながら、

「あぁ、泣いてなんてねぇよ」

 そう言って、もう一度くしゃくしゃっと詩乃の頭を撫でる。それから、ふと何かを思いつき悪戯な笑顔を浮かべて、

「ほら、こっち向きな。元気の出るおまじないをしてやるよ、泣き虫さん」

「だから、泣き虫じゃ――」

 抗議しようとした、詩乃の唇に湊は自らの唇を重ねる。何が起こっているのか理解できずに唖然と立ち尽くす詩乃。ほんの僅かな時間触れあった唇と唇。時間の流れを思い出したかのようにみるみるうちに真っ赤に染まっていく詩乃の顔。

「おまじない終了っ」

 湊は触れあった唇を離して、ウィンクをして見せる。詩乃は目を白黒させながら、何が起こったのか確認するかのように自らの唇に手を触れている。そして、

「み、湊先輩っ!」

 非難めいた詩乃の可愛い声が上がる。その声にはもう完全に涙の気配はなくなっていた。

「ほら、元気になった」

 湊はそんな詩乃の姿を見てけらけらと笑う。

「ひ、ひどいですわっ」

「はやくいこうぜっ、泣き虫さんっ。じゃないと、こわーい寮長様に二人して叱られちまうぜっ」

 湊は詩乃の手をとって駆けだす。抗議の声を上げながらも手を引かれて付き従う詩乃。

 いつの間にか日は暮れ、空には眩い星が、校内には淡い外灯が仄かに灯っていた。

 しっかりと握られた手と手。その温もりに詩乃は感謝していた。歳は一つしか違わないのに、背丈はほとんど変わらないのに、なのに、前を行く先輩がやけに大きく感じられた。

 この手を握っていれば大丈夫だと、自然とそう詩乃には思えた。


◆ ◇ ◆


 蒼華学院に四棟ある学生寮の一つである魔法術理学科寮こと丁香花(はしどい)寮。本来ならば魔法術理学科生の為の学生寮なのだが、術理学科生があまりにも少ないため、この丁香花寮だけ他学科の生徒も入寮している。そのため、丁香花寮では様々な学科の生徒の顔を見ることが出来る。

 そんな各学科の入り乱れる丁香花寮の食堂に詩乃と湊はいた。

食堂の真ん中に位置する大きなテーブル。二人が座るこのテーブルには術理学科生専用だという暗黙の了解がある。そのため、他学科の生徒に邪魔されることなく、詩乃と湊の二人だけで食後のお茶を飲んでいた。少し時間が遅いため、同じ術理学科の生徒はいなかったが、それでもまだ大勢の他学科の生徒たちが各々談笑している。術理学科寮であるはずなのに、見渡す限り他学科の生徒ばかりで、どうにも詩乃には居心地が悪かった。学科ごとに制服の胸元を飾るタイの色が違うため嫌でも彼女たちは目立ってしまうのだ。そんな詩乃とは対照的にそんな視線なぞどこ吹く風といった感じで優雅に紅茶のカップを傾ける湊。湊曰く、一か月もすれば嫌でも慣れる、とのことだが、どうにもこの感じに馴染めそうにない詩乃だった。

 周りの視線から隠れるように、俯いて小さくなっている詩乃。そんな詩乃へと、

「なぁ、泣き虫さんっ」

 湊はそう短く呼びかけて、顔を上げさせる。

「だから、わたし、泣き虫なんかじゃありませんわ。そろそろわたし怒りますわよ」

「そんな顔すんなって、せっかくの可愛い顔が台無しだぜっ」

「か、かわいいって、湊先輩っ、からかわないでくださいまし」

 詩乃は少し頬を染めながら抗議の声を上げる。

「別にあたしはからかってるつもりなんてないんだけどな」

 湊は微笑ましい視線を詩乃へと向けながら続ける。

「でさ、詩乃っ」

「な、なんですの、湊先輩」

「いいことを思いついたんだ」

 湊はそう口にして、イタズラな笑みを浮かべる。意味有り気なその顔に思わずびくりとしてしまう詩乃。

「夜会に出ようぜっ。あたしとさ」

 まっすぐに詩乃の瞳を覗き込んで告げる。見つめられた詩乃は、紅茶のなみなみと入ったカップに手をかけた状態で固まってしまう。

「な、何を言ってらっしゃるのですか!?」

 我に返った詩乃は思わず尋ね返してしまう。湊の口にした夜会という言葉。それは彼女たち術理学科生にはもっとも縁遠い行事のはずだったから。

「だからさ、あたしと一緒に夜会に出ようぜって誘ってんだよ、泣き虫さんっ」

「む、無理ですわ。だって、わたしたち術理学科生なんですよ。それにわたしの魔力のこと、先輩も知ってらっしゃるはずですわ。そんなわたしなんかにはとてもとても――」

「そう、あなたには無理でしょうね」

 その声は、唐突に詩乃と湊との会話に割り込んできた。よく通る綺麗なソプラノの声。声の主は凛とした佇まいの気の強そうな少女だった。

その少女は、術理学科生ではないにも関わらずいつの間にか術理学科生専用のテーブルであるはずの詩乃の隣の席へと腰を下ろして、優雅に紅茶のカップを傾けてみせていた。

莉伽子(りかこ)さん……」

 詩乃が瞳に少女の姿を映しながら彼女の名を呟く。

優雅に波打つ色素の薄い茶色味がかった長い髪とその下の白皙の肌。ぞくりとするくらいに冷たい色をたたえる詩乃の事を映した切れ長の瞳。怜悧という言葉がよく似合う、普通魔法学科一年、水沢莉伽子(みずさわりかこ)はそんな少女だった。

「詩乃、これ知り合いなの?」

 湊が、当たり前といった顔で詩乃の隣に座る莉伽子のことを指さして、棘を隠そうともせずにこれ呼ばわりしながら尋ねる。

「あ、はい。あの、魔法演習の授業は普通科と合同で行うのですけれど、その時に――」

 たどたどしく歯切れの悪い返事を返す詩乃。湊はふーんと鼻で笑いながら値踏みするように莉伽子のことを見やる。

「失礼な方々ですね。ほんと、これだから術理学科は――」

 見下すような冷やかな視線を詩乃へと向けてから、湊に対して肩をすくめて見せる莉伽子。詩乃は、そんな莉伽子の視線から逃げるかのように顔を伏せてしまう。

 そんな彼女たちの様子を見ながら湊は何となく二人の関係を理解する。こいつが、毎度の様に詩乃の事を傷付けては泣かせている張本人なのだろう、と。

「またすぐ俯いて、ほんと、あなたみたいな出来損ないと一緒に授業を受けなくてはいけないこちらの身にもなってもらいたいわ」

「ごめんなさい――」

 刺々しい言葉に対して詩乃は俯いたまま謝罪の言葉を返す。それ以外の言葉を詩乃には口にすることができなかった。反論する資格など自分にはないと、そう詩乃は思っていた。

 詩乃と莉伽子とが顔を合わせる魔法演習という授業は、二人一組でペアを作り、実戦形式の模擬戦闘を行う授業だ。当然ながら、魔力の不足から十分に魔法を扱うことの出来ない詩乃には酷な内容となっている。そんな詩乃のペアがこの少女――水沢莉伽子なのだ。

 彼女たちペアは実質戦力が一人分でしかないため、全戦全敗の最弱ペアとして常に最下位の成績をキープしてしまっている。莉伽子単体で見るならば学年でもトップレベルの実力の持ち主なのだ。にもかかわらず、詩乃というお荷物のせいで毎回の様に辛酸を舐めさせられている。莉伽子にはそんな現状が許せないのだ。

 詩乃にもそんな莉伽子の気持ちが分かってしまうから、彼女は何を言われても言い返すことが出来ないでいた。詩乃が莉伽子に迷惑を掛けているという、それは純然たる事実なのだから。でも――

「なんで謝ってんのさっ、詩乃」

 湊が不満の声を上げる。

「謝んのは、あんたの方だろ? 莉伽子、だっけか? 人のこと出来損ない呼ばわりって、あんた何様のつもりだよっ」

「出来損ないに出来損ないだと言って何か問題でもありますか? 私は事実を述べているにすぎません」

「お前なんかに、詩乃の何が分かるってんだよ。調子に乗るのもたいがいにしておけよっ」

「あなたこそ、この出来損ないの何が分かるんですか?」

「分かるよ。少なくともお前なんかよりはよっぽど詩乃の事はよく分かってるっ」

「分かってないですよ。あなたとこの出来損ないとは致命的に違いますからね」

 冷やかな態度の莉伽子と今にも掴みかかりそうな剣幕の湊。このままでは言い争いだけでは済まなくなってしまう。そんな気配が濃厚になって来た頃に、

「湊先輩。もう、やめてください――」

 俯いていた詩乃が、顔を上げ、湊に縋るような目を向けて言葉を吐き出した。

「なんでっ!?」

「あなたはいつもそうですよね」

 湊と莉伽子――双方が同時に不満の声を上げる。

「あなたには悔しいとすら思えないくらいに負け犬根性が染みついてしまっているのでしょうね」

 莉伽子は詩乃へと冷たい言葉を吐き捨ててから、飲みかけのティーカップをソーサーに乗せる。詩乃へと向けていた冷やかな視線を湊へと移し――

「わかりましたか? 先輩。この子は先輩とは致命的に違うんですよ。この子は先輩とは違って出来損ないなんです。でも――」

 ティーカップの載ったソーサーを手に席を立ち、詩乃と湊に背を向けながら、莉伽子は続ける。

「そのことは誰よりもあなたが一番よく理解しているはずでしょう? 詩乃さん――」

 莉伽子はその問いだけを残して、詩乃の返事を待つことなくす去って行く。後に残されたのは、冷めた紅茶のカップを前に悔しげに拳を握り締める湊と俯いたままの詩乃だけ。

「悔しくないのかよっ」

 湊が詩乃の事を責めるかのように声を荒げる。こんな風に湊が詩乃に声を荒げるのは珍しいことだった。それは、彼女が本当に悔しい思いをしているという証拠に他ならなかった。

「悔しいですわ。悔しいですけれど……でも、ぜんぶ本当のこと、ですから……」

 今の自分の表情を湊には見られたくなくて、顔を伏せたまま言葉を漏らす。

「あたしは、すっごく悔しいよっ! ねぇ、詩乃。一緒に夜会に出ようよ。そこで、見せつけてやるんだっ。あたしたちが出来損ないなんかじゃないってことをさっ。そしたら、もう誰もあたしらのことを馬鹿に出来なくなる。な、いい考えだろ?」

「無理ですわ……」

「無理じゃないっ、あたしと詩乃になら出来るっ! だから、あたしと一緒に――」

「わたしには、無理なんですわっ」

 悔しくないわけではない。決してそうではない。だけど、無理なのだと詩乃は諦める。諦めることは立ち向かうことに比べれば何倍も楽だから。諦めて逃げる。それが詩乃という少女だった。

「湊先輩、ごめんなさい……」

 それだけを残して、また逃げてしまう。顔を伏せたまま、席を立ち、苦しい思いを胸に押し込んで、走り出す。湊の声が追ってくる。だが、胸の中で謝罪の言葉を繰り返しながら、詩乃は湊に背を向けてしまう。


◆ ◇ ◆


「おかえりなさい、詩乃ちゃん。帰りが遅いから心配していたんですよ?」

 湊の言葉から逃げ出し、食堂を飛び出して自室へと戻った詩乃を待っていたのはルームメイトの声だった。落ち着いた物腰の少し大人びた少女。どことなく幼さの残る詩乃と一緒にいることで彼女のそういった面がより際立って見える。

 そんな本年度の新入生最強と囁かれるその少女は自らの机に向かって勉強に励んでいたようだった。

 顎の下で綺麗に切り揃えられた漆黒の髪。雪の様に白く澄んだ肌。優しく詩乃の事を心配する瞳は控えめでいて、それでも芯の通った強い意志を感じさせる。まるで大和撫子を絵に描いたような――戦術魔法学科一年、有馬怜奈(ありまれいな)はそんな少女だった。

 丁香花寮は、生徒二人に対して一部屋があてがわれる。だいたいが同じ学年の同学科生がルームメイトとなるのだが、同級生というものが存在しない詩乃の場合は例外であり、他学科の怜奈がルームメイトとなっている。

「ごめんなさい――」

 心配してくれている怜奈へと謝罪の言葉を口にしながら、詩乃は自らのベッドに倒れ込む。事あるごとに、まず第一声で謝罪の言葉を選んでしまう。それは、彼女の悪い癖の一つだった。

「別に謝らなくっていいんですよ。ただ、少し詩乃ちゃんのことが心配になっただけですから。その、また――」

「な、泣いてなんかいませんでしたわよ」

「別に誰もそんな事言ってませんよ?」

 怜奈は優しく微笑む。それに、しまったという表情を見せる詩乃。

「泣いていたんですか?」

「泣いてなんかいませんでしたわ。ただ……」

「ただ?」

「夜会に出ないかって、そう湊先輩に誘われたんですの」

 詩乃はつい先程の食堂での出来事を思い出しながら口にする。思い出せば思い出すほど、何故湊先輩は自分なんかを、という気持ちで胸がいっぱいになる。でも、そんな気持ちとは裏腹に、

「すごいじゃないですか、詩乃ちゃんっ。先輩から夜会へのお誘いをもらえるっていうのは、とっても光栄なことなんですよ」

 怜奈は詩乃に寄り、その手を取ってまるで自分のことのように喜んでくれる。

「でも、わたしなんかが夜会に出られるわけありませんわ――」

 喜んでくれている怜奈に申し訳ないと思いながらも、詩乃は漏らしてしまう。詩乃の魔力のことはルームメイトである怜奈もよく知っていた。彼女にも、詩乃が夜会へと出るということが如何に無謀なことなのかは分かっているはずだった。

 夜会。それはこの蒼華学院で行われるもっとも伝統ある行事のことだ。学院における最強の魔女を決する栄誉ある儀式。二人一組の魔女ペア同士による実戦魔法演習大会。四月三十日(ヴァルプルギス)の夜より始まり、毎夜、幼き魔女達が持てるすべてをぶつけ合い、夏の訪れと共に蒼華の魔女(ウィッチ・オブ・ブルーローズ)を決める魔女達の舞踏会。

 魔法による演習という、魔法を行使するという点で他学科に大きく劣る術理学科には縁遠い行事なのだ。詩乃が、湊の誘いを前にたじろいでしまうのも無理のない話ではある。そこは、怜奈のような強力な魔女こそが相応しい舞台なのだ。

「まさか、断ってしまったんですか?」

 そんなはずはないだろうといった顔で怜奈が尋ねる。この蒼華学院において、先輩からの夜会への誘いを頂いてそれを断ってしまうような一年生は、よほどの変わり者か、それこそ心に決めた相手がいるかのどちらかなのだ。普通なら、そんな事は絶対にあり得ないといっても過言ではない。

「断ってはいないのですけれど、その……逃げてしまいましたの」

「逃げたって、先輩からですか?」

 怜奈は少し非難めいた口調で尋ねる。それに、詩乃は黙って頷くことで応える。

「詩乃ちゃんは、誘われて嬉しくはなかったんですか?」

「それはもちろん、嬉しかったですわ。でも、わたしなんかが出られるわけないじゃありませんか……」

 そう自分に言い聞かせるように口にする詩乃。先天性魔力欠乏症。それによって十分に魔法を扱うことの出来ない自分が夜会に出た所で恥をかくだけだということは詩乃自身が一番よく知っていた。そして、これは彼女一人だけの問題ではないのだ。詩乃が足を引っ張った結果として湊までもが全校生徒の笑い物になってしまうかもしれないのだ。詩乃には自分のせいで自分のために一生懸命になってくれる先輩までもが馬鹿にされてしまうだなんて、そんな事耐えられなかった。

「魔力のせい、ですか?」

 怜奈にも詩乃が踏み切れない理由に察しが付いて尋ねる。詩乃は首を縦に振り、応える。

「勝つことだけがすべてじゃないって、私はそう思いますよ。たぶんですね、今の詩乃ちゃんに一番足りていないのは魔力なんかじゃなくて勇気なんじゃありませんか?」

「勇気、ですの?」

「そう、勇気です。前に進んで行くための小さな勇気。背中ならいくらでも私が押してあげますよ。もし失敗しても私だけは絶対に笑いません。だから、出てみたらどうですか」

 怜奈は柔らかい頬笑みを浮かべて、そっと詩乃の背中を押してくれる。

「でも、わたし――」

「そういう弱気はだめですよ。私なんてとか言って自分を卑下しちゃ可哀想じゃないですか。だから、ほら、胸を張って、先輩に返事してみたらどうですか」

 怜奈の応援に、でも、それだけでは足りなくて――

「わたし――少し考えてみますわ――」

 そう返事を返しながら布団をかぶって隠れてしまう。少し考えてみる、詩乃はそうはっきりと口にしていた。それだけでも、この子にとってはかなりの進歩だなと、そんな事を考えながら怜奈は微笑む。彼女のルームメイトは、少し泣き虫で、いじっぱりで、でも、どうしようもなく放っておけない、彼女にとっての特別な存在なのだ。


◆ ◇ ◆


 夜が更けて、生徒たちが寝静まった頃、水沢莉伽子はひとり中庭にいた。四棟ある学生寮に囲まれた大きな中庭。中心部は大きな広場となっており、この学園最大の行事である夜会の際には、その会場ともなる。その広場を囲むように並んだ木々。そんな大きな一本の木の陰に彼女は隠れるように立っていた。

 寮の門限は遠の昔に過ぎている。この時間、外部から寮内へとは入ってこられないが、各寮からしか入ることの出来ないこの中庭へと続く扉は施錠されない。とはいえ、この時間に寮内を、ましてや中庭をうろついていることが寮監の先生に見つかりでもすれば、長々と説教を受けることは免れないだろう。

 だから、莉伽子は極力目立たないように闇夜に紛れて待っていた。四方を寮棟に囲まれたこの中庭には風が吹いて来ない。だから、薄気味悪いくらいに中庭は静寂に包まれていた。闇夜に慣れた瞳が薄らと映す月明かりが照らす不気味な世界。ふつふつと胸の奥に湧いてくる自分が寮則を犯しているという罪悪感。ここは一人でいるには心細い場所だった。

 そんな時、この中庭が静かすぎたせいだろうか、押し殺された足音がやけに大きく莉伽子の耳に響いてきた。それは徐々に莉伽子がいる方へと迫って来ている。思わず身構えてしまう。やがておぼろげな黒いシルエットが彼女の眼前に現われる。それは莉伽子が見知った相手で――

「ごめん、待たせちゃったね」

 莉伽子の耳元で囁くように小さな声が紡がれる。やっと現われた待ち人に安堵しながらも、それを表には出さずに、

「それほど待ってはいませんけど、でも、こんな時間にこんな場所に呼び出してなんのつもりですか、先輩」

 少し呆れたような声色で莉伽子が返す。そんな莉伽子の態度に苦笑を浮かべながら彼女は告げる。

「なんのつもりって、大事な話があってさ」

「大事な話って、別にこんな場所でしなくてもいいじゃないですか」

「そうかもしれないけどさ、ほら、雰囲気とか大事じゃない?」

 そう口にする彼女に対して莉伽子は諦めにも似た溜め息を漏らす。

「あなたって人は……」

「まあ、そういう訳でさ、莉伽子」

 彼女は宥めるように口にしてから、甘い響きで莉伽子の名前を呼び、彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込む。莉伽子はその瞳に映る自分の姿を見つめながら胸の鼓動が速くなっていくのを感じていた。

 そんな莉伽子へと囁くように言葉が紡がれる。

「私と夜会に出てもらえるかな?」

 青白い月明かりだけが、彼女たちのことを照らし出していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ