<プロローグ>
「何も言わずに逃げ出すおつもりですか? 出来損ないのお姉様」
まだひんやりと冷え込む春の早朝。
肌寒い春風が開花の時をそっと待つ桜並木を揺らしていた。もう数日もすれば鮮やかな薄紅色の花を咲かせるであろう桜の木。そんな並木道に二人の少女が立っている。一人は声を上げた少女、もう一人は――
「わたしは……逃げるわけでは、ありませんわ……」
おろしたての真新しい濃紺のセーラー服に身を包んだ少女が顔を伏せながらそっと言い訳の様に漏らす。ぴかぴかの革靴に着慣れない新しい制服。肩からは大きな旅行カバンが掛けられている。
「いいえ、お姉様は逃げています。その証拠に私にすら黙って出て行こうとしていたではありませんか」
去りゆく相手を責めて少女が声を上げる。
長く続く桜並木。そこはまだ、彼女達姉妹の家の中だった。広大な敷地を有するとある著名な魔女の邸宅。そして、その魔女の娘の一人たる制服姿の少女は、この無駄に広い家を出て行こうとしているのだった。
「黙って行こうとしたことは謝りますわ。でも、わたしは――」
「この家を出たかったから、母上から逃げ出したかったから蒼華学院を受験した。何か違いますか?」
制服の少女の言葉を遮るように、追及の声が上がる。
吹き荒ぶ、冷たい春風が二人の髪を揺らす。
「決して、逃げてなど、いませんわ。わたしは、あの学院に憧れて、必死に勉強をして、そして、合格したのです。それを逃げているなどとは、言ってほしくないですわ」
少し声が震えていたのは、寒さのせいだけではなかった。
「合格できたことだけは素直に驚きました、お姉様。でも、あの学院はお姉様の様な出来損ないが何の信念もなく行っていいような場所ではありません」
少女は冷やかな言葉ではっきりと彼女の姉たる制服姿の少女の行動を否定する。鋭い棘を帯びた言葉に、でも反論するように制服姿の少女は喉を震わす。
「わたしは、出来損ないなんかでは――」
「ないと、言えますか?」
否定の言葉は、少女の言葉によって遮られ、続くことはなかった。
「言えませんよね、お姉様。お姉様が魔法が使えない出来損ないだったから、代わりに私が生まれたんですもの」
少女は冷やかな視線を自らの姉へと向ける。それに威圧され、黙って俯いてしまう制服姿の少女。悔しさと情けなさとを胸の中で必死に押し殺す。
「お姉様のような出来損ないはどこに逃げても無駄なんです。何故なら、お姉様、あなたが逃げ出したかったのはこの屋敷でも、母上でもないのですから」
「どういうこと、ですの?」
「どこまで逃げても、お姉様、あなたが出来損ないであるという事実からは逃げ出せないということです。これ以上は、あえて今、私がお姉様にお教えしなくても、嫌でも知ることになるでしょう。あの学院にとってお姉様のような出来損ないは異質な存在なのですから」
俯いたまま押し黙る制服姿の少女へと一方的に言葉を吐き、少女は長く続く道を邸宅がある方へと向き直る。
「二年後、私も行きます。ですから、せいぜいそれまでに退学になるといった、母上を刺激するようなことだけはしないでくださいね。出来損ないのお姉様」
置き台詞を遺して彼女たち姉妹の家へと歩き出す。制服姿の少女の向かう方向とは真逆の方へと。
残された少女は――
「わたしは……出来損ないなんかじゃ、ないのですわ――」
小さく呟いてから、自らの進むべき方向へとゆっくりと歩を進める。彼女が、この春から通う全寮制の学校、私立蒼華学院高等魔法女学校へと――




