主人公受難のライトノベル
「それで、昨日はスナックの一つも食べないで過ごしたんですよっ」
「ふふ、頑張ってるわね楓君」
紅葉が散る桜道のベンチ。そこで圭土のケータイの画面に写された、夕飯と一緒に写った楓の写真を見詰め、部長は微笑む。
「私も先輩の体調心配ですから。糖分摂り過ぎなんですよ~。部長知ってます? 先輩放課後にハニーラスク一気に十五個も食べたことあるんですよー」
「それはいけないわねぇ」
「……」
勝手に人の暴露トークで盛り上がる二人を尻目に、ベンチの端に座った楓は黙々とおにぎりを食べる。一応、菓子パンも控えるようにした。これで文句はない筈だ。
「部長、昼休みと放課後、だめ押しの写真で証明は出来たでしょう。だから圭土も写真、消して」
「あっ、駄目ですよ先輩っ。証拠品消すなんてっ」
圭土の手からケータイを奪い、データを消そうと操作をしようとして、楓は頬を引きつらせた。
メモリーには、スクロールの上から下まで、容量一杯にぎっしりと自分の写真が陳列していた。
「返してくださいっ」
その硬直した隙を狙って圭土はケータイを奪い返し、もう取られないよう自分の鞄の中にしまってしまう。
「あら圭土さん、そんなに沢山の写真、どうしたのかしら?」
「ふっふっふっ。秘密です! そして秘蔵なのでこれ以上はゆーりょーとなりますっ」
「あらあら。代金はお幾ら?」
「ロッソチキン一週間分です!」
圭土が強請ったのは高校に近いコンビニに売っている、百ニ十円の骨無しチキンだった。因みに楓のバイト先でもある。
「うふふ。ご自慢なのね。でも、私もちょっと持ってるのよ?」
何かの対抗心が生まれたのか、不意に部長が自身のケータイを取り出し、楓の写った写真を見せた。
「うわぁ。これどうしたんですか部長」
「うふふ、秘密。まぁ、大した秘密じゃないのだけど」
「……」
制服から私服に着替えながら此方を見る、楓の写真。これから作るのだろう、テーブルには二人分の皿が置かれ、椅子にはエプロンが掛けられていた。
その写真からまた、自分を話題に盛り上がる圭土と部長。楓は一人、背筋が凍り、嫌な汗が伝う感覚を覚えていた。
◇◇◇◇◇
ごそごそと1DKの狭い、しかし一人暮らしには十分な部屋を漁る楓。カーペットをひっくり返し、教材と並んでレシピ本が入った棚を退かし、年明けの大掃除の如く部屋を隅々まで綺麗にした。
「……。何かの間違い、だよね。うん」
テーブルの上には、黒光りする小型カメラが置かれていた。
(ドッキリでも仕掛けようとか、悪戯心が湧いたんだ。それか幻、見間違い)
彼女がそんな事をしない人間だと知っていながら、楓は言い聞かせる様に心の中で呟く。
わだかまりを誤魔化す様に寝室に逃げ、布団を頭から被って横になり、耳を塞ぎ、周囲を遮断するようにして眠りについた。
寝て起きても、わだかまりが消える訳でもましてカメラがテーブルから消える訳でもなかったが。
しかし今日は文化祭当日。休んでいる暇はない。楓は着替えを済ませ、壁に掛かった鏡を横目で見、寝癖を直しながら支度をした。
文化祭は忙しく始まり目まぐるしく時が過ぎ去っていく。
そんな中、楓は何かに急き立てられるかの様に、クラスの出し物であるホットケーキを一心不乱に作っていた。
「楓お前クマできてるけど大丈夫か?」
看板片手に呼び込みをしていたクラスメートが、敷居で覆われた教室の窓側、調理をしている裏に様子を見に来た。
「別に。少し寝不足。それだけ。それより呼び込みは?」
「そりゃ満員御礼大繁盛。ぶっちゃけ俺要らなんじゃないかって感じ。それより材料足りるかの方が心配だよ」
「そう」
クラスメートの言う通り、注文が次から次へ舞い込んでいて、楓は休みなく手を動かしていた。しかし彼は何も考えなくて済む、今の状態が有り難かった。
だがそんな平穏は長続きせず、バタバタと荒い足音とどよめきと共に、嵐はやってきた。
「蝶々先輩! そろそろ部活の方も手伝って下さいようっ」
呼び込みのクラスメートを押しのけ、裏に顔を出した圭土。彼女は黒と黄色の縞模様の裾が広がったドレスを着て、長髪を花魁の様に結い上げ、モチーフが蜘蛛と分かるように腕の飾りまで付けた派手な衣装を着ていた。
絡新婦。最終的に彼女が決めた仮装だった。日本の妖怪とは言えドレスは譲れなかったらしく、髪型は和装にしたものの、女郎蜘蛛を参考にしたドレスを作ったのだと言う。こんなに凝った衣装が作れたのは、彼女の家が呉服屋だからだろう。
胸元が見えるという少々過激にも関わらず、よく教員に止められなかったものだと楓は感心した。
「ほら先輩! 何時間ホットケーキ作る気ですかっ」
「あ、うん……」
血の気が引くのが自分でも分かる。しかしいい加減、部活の出し物も見ないといけない。他のクラスメートに持ち場を任せ、楓は圭土に引きずられる様にして部室こと家庭科室に向かった。
その際、「待て行くな楓売り上げに響く!」やら「行かないで主力戦力ぅううう」やら「爆発しろって言ったの謝るからぁああ」と謎の嘆きがクラスから聞こえた気がしたが、気にせず立ち去った。
「結局先輩は仮装どうしたんですか? やっぱり蝶々ですか!?」
「違う。吸血鬼にした」
家庭科室に着いた楓は安物の黒い布を羽織った。仮装終わりである。
「いやいやいや! せめてもうちょっと何か着飾りましょうよ!?」
「料理の邪魔になる」
「仮装は売り子の時だけですから大丈夫ですよっ。あ、そうです! 演劇部からウィッグ借りてきますっ」
気合いを入れて手の込んだ衣装を用意した自分と合うように、とでも考えたのか、圭土は楓が止める間もなく家庭科室のドアを開けて走っていった。後日噂になる事必須である。
仮装大賞でもあれば入賞してそうだな、とぼんやり考えながら楓はキッチンテーブルに菓子を並べ、接客をした。
吸血鬼はテンション低く、愛想が余り良くなくても雰囲気的に許されるのが有難い。
「楓君、来てたの」
暫くして準備室から部長が顔を出した。びくりと肩を震わせる楓。
部長は暗闇の様に、真っ黒いドレスを着ていた。胸元には蜘蛛のブローチがついている。
「圭土さんとモチーフが被ってしまって、申し訳ないわ。それに私は安物だし、何だか恥ずかしいわね」
「僕も安物ですから、心配要りませんよ」
「……。顔色悪いわよ楓君。少し休んだら?」
「お気遣い有難う御座います。大丈夫です」
「そう。楓君は地方出身で一人暮らしで、近所に頼れる人は居ないんでしょう? アルバイトもしていて大変なんだから、私で良ければ相談くらい乗るわ」
「有難う御座います。本当に、大丈夫ですから……」
「先輩!」
ターンッと勢いよく引き戸のドアを開け、圭土が家庭科室に戻って来た。片手には青いウィッグが握られている。
「借りて来たんで付けましょう!」
と、売り場を部長を始めとした部員に任せ、有無を言わせずに楓を準備室に連れ込む圭土。そしてあれよと言う間に髪を整えさせられ、青白い長髪のウィッグをつけられた。
「本当は赤とかの明るい色が良かったんですけど、これしか借りれませんでした」
「別に良いんじゃないかな?」
「だって今日、先輩顔が暗いじゃないですか。折角の文化祭ですよ。今日くらい、遊んで食べてはしゃいで馬鹿になりましょうよ。だからもっともっと楽しみましょう。もっともっと笑いましょう」
両手を握られ満面の笑みで言われ、楓は面食らったが、やがて顔を伏せ静かに微笑んだのだった。