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スイーツ系恋愛小説

 


 ちゅぅ。



 吸い付く水音が、耳を澄ませば聞こえそうな気がした。

 薄紫色の花弁から離れた唇は綺麗な桃色をしていて、とても艶やかだ。


 垣根に咲く薄紫色の花を細長い指に挟んでプリチと引き抜き、花のお尻から蜜を吸う。ただそれだけの行為なのに、その一連の動きは何故か芸術品の様に完成して見えて、目が離せない。

 自分を見詰める視線に気が付いたその人は、ふと磨かれた宝石の様に濁りのない目を動かす。


 そして艶やかな唇に、今度は人差し指を当てて、ちょっと罰が悪そうに微笑んで、“秘密”と口だけを動かした。



 その時わかった。


 嗚呼。

 この人は、蝶の化身なんだ、って。



◇◇◇◇◇



 スイーツ系男子。


 彼を説明するにこれほど相応しい言葉はない。女子に紛れて堂々とケーキを手に取ったりプリンを手に取ったりマフィンを手に取ったりし、何食わぬ顔してレジを済ます。要するに甘党なのだ。

 そして自分で作るのも好きらしく、家庭科室の一角を占拠して黙々と菓子を作るのを日課としている。料理研究部は菓子を作る部活とは、しかも一人で勝手に作る部活とは違う筈だが。



「蝶々先輩」



 可憐な声音を使って廊下で声をかければ、彼は片眉を潜ませて此方を向いた。

 長い足に下手な女子より細い体を、真っ黒い学ランで身を包んだ彼は、体のラインが強調されてぱっと見モデルに見える。甘党なのに体が細いとはこれいかに、と彼の甘党ぶりを知る者は呟くだろう。



「“(かえで)”」



 蝶々先輩こと“楓”は名前を訂正した。



「蝶々先輩は蝶々先輩でいいでしょう?」


「……。はぁ」



 腰まで届く長い金髪に、澄んだ青色の瞳を持つ一年後輩の女の子“圭土(けいと)”。背丈は男子の楓と並ぶ、いや超える程高い。

 何処からどう見ても日本人に見えない彼女は、母親をヨーロッパ圏の外国人に持つ、混血児である。彼女は見た目こそ外国人だが、生まれも育ちも日本だった。


 新品のブレザーを着て、春先から高校入学してきたその後輩に懐かれ、“蝶々先輩”と呼ばれ続け早半年。

 聞く耳持たないとわかっていても、楓はどうしてもそのあだ名が腑に落ちず訂正を再度求めた。



「楓。か、え、で」


「蝶々先輩は蝶々先輩ですってば! 何で嫌なんですかっ!?」


「女々しい」


「甘党で女の子みたいな名前の時点で、もう充分女々しいからいいんですよっ」


 グッと拳を握って力説され、楓は深いため息を吐いた。



「そんな事よりお昼食べましょう、お昼!」



 圭土ははぐいぐいと楓の細い腕を引っ張って、廊下から外へと連れ出す。

 向かう先は校舎とグラウンドの間にある桜道。秋空の下のそこは薄ら寒く、楓は校舎に戻りたかったが圭土が許さない。



「先輩先輩! 紅葉がいっぱいですよ!」



 紅葉した桜の木々の下ではしゃぐ圭土を尻目に、楓はベンチに座って、ちゅるるるとパックジュースのストローを啜る。因みに中身はオレンジジュースである。



「先輩! 今日も菓子パン一個だけですか!? 他も食べましょうよっ」


「君もね」



 ベンチに広げられた圭土の弁当の中身、焼いた鳥、豚、牛を並べて白米の上に乗せただけという、肉しかない中身を一瞥して言った。



「蝶々先輩よりまともですよ! お昼はそれだけなのに、スイーツは沢山食べるんですからっ」


「別腹」


「主食とおやつの量が逆転してます! 糖尿病になっちゃいますよ先輩!」


「管理してる」


「いやいや出来てないでしょう! 何でか痩せてますけど、体薄くて羨ましいですけどっ、栄養偏り過ぎですよぅ」



 紅葉狩りの気が済んだのか、圭土はベンチに座り豪快に肉料理を食べ始める。飲み込む様な圭土の食べ方に、楓は「もっと噛んで」と注意するのだった。



「もうすぐ文化祭ですね先輩! 出し物は何に決まりましたか?」



 食べ終えた弁当をナプキンで包み直しつつ、圭土は楓に訊いた。二人の所属する料理研究部では、出し物を決める会をつい先日行った。しかしその日、部活に出られなかった圭土は、まだ会議の結果を知らなかった。



「ハロウィンパーティやるって、部長が決めてた」


「トリックオアトリートメントってヤツですね!?」


「トリートね」



 楓は淡々と突っ込んだ。

 次いで手書きの企画書を鞄から取り出し、部員の希望料理書き込み欄を眺める。そこには既に部員数名が選んだお菓子の名が書き込まれていた。



「お菓子沢山作って欲しいって、言っていた。言い出しっぺの部長は、クッキー作るって。君は?」


「私ですか? 七面鳥焼きますっ!」


「それだとクリスマスになる。却下」



 しかし普段お菓子作りなんてしない圭土は、何も思い付かないらしく黙り込んでしまった。

 楓はビニール袋から“野菜100%”と書かれたパックジュースを取り出すと、圭土の額にコツンと当て受け取らせた。



「宿題」



 切れ長の目を細め、艶やかな唇で弧を描き、優しく、しかしどこか妖艶に、楓は微笑んだのだった。



◇◇◇◇◇




 翌日の放課後。自分のクラスの教室で、帰りの準備をしていた楓の元に圭土が駆け込んで来た。



「先輩先輩! 決めましたっ、ケーキ作ります!」


「ケーキ?」


「はいっ。タルトタタン!」


「アップルパイじゃなくて?」


「アップルパイより難易度低いんでっ。ちょっと大雑把でもそれなりに出来上がりますし! でもシナモンとかキャラメルも入れて、本格的にしてみたいですねぇ」


「ふふ、楽しみ」



 くすくすと笑みを溢す楓。



「それじゃあ、仮装の衣装は決まった?」


「……あ!」



 楓の言葉に全く何も考えていなかった圭土は目を丸くし、あわあわと無意味に手を上下に動かし誤魔化す。そして彼女なりに精一杯、話を逸らした。



「せ、先輩は決まりましたか!?」


「マミー、を考えた。けど、家で試してみたら、予想以上に包帯が必要ってわかって、止めた」



 楓は手足と顔に軽く包帯を巻く事を考えていた。が、それだけでも意外と包帯を消費する。その為、楓は仮装を変更する事にしたのだという。



「耳付いたカチューシャでも買おうかな、って。圭土も来る?」



 今日は部活もない。買い出しをするなら都合が良いだろうと誘った楓に、圭土は周囲に花が咲いたかの様にぱあっと表情を明るくした。



「はい、行きますっ! ……きゃあっ」


「……? どうしたの?」


「先輩、蜘蛛です蜘蛛っ!」



 楓の机に這う蜘蛛を見付け、彼の後ろに隠れる圭土。楓の席は窓際。開け閉めの時にでも入って来てしまったのだろう。

 二センチぐらいの、黄色い縞模様のある長い足と体を持つ蜘蛛を見て、楓は「あぁ」と一人何かを納得する。



「女郎蜘蛛、だね」


「わかるんですか!?」


「ここら辺でよく見るから。丁度今、繁殖期らしいし、活発的なんだろうね」



 楓は鞄を開けて下敷きを取り出し、女郎蜘蛛の下に敷き、下敷きごと窓の外に出して軽く振って落とした。



「そういえば、女郎蜘蛛には毒があるんだって」


「え!?」


「弱い毒だよ。人には殆ど効かない」


「く、詳しいですね先輩……」


「いつだか、部長が話してた」


「部長が……」



 文化祭の準備に加え、つい先日、次期部長を言い渡された楓は引き継ぎで部長とよく喋っている。その合間に聞いた話なのだろう。

 むすっと頬を膨らませあからさまに不機嫌な表情を浮かべ、圭土は楓の腕に抱きつく。「歩きにくい」と言う楓の声を無視して、彼女はそのまま彼を引っ張って学校を出た。


 それを見た楓のクラスメートは言う。



「知ってるか? あいつらアレで付き合ってないんだぜ?」


「嘘だっ!」


「リア充爆発しろ」



◇◇◇◇◇



 デパートの中の雑貨屋。其処には予想通り、ハロウィン関連のパーティグッズが陳列していた。



「猫耳買う?」


「それだとありきたりじゃないですか。出来れば被りたくないので、他のにしますっ」



 カチューシャを着けて終わり、では詰まらないらしく、圭土は衣装や(特殊)メイクの道具が置かれた棚を眺めていた。棚自体にもコウモリの人形や蔦の装飾が施され、ハロウィンらしい雰囲気が漂っている。



「うわぁ、リアルな蜘蛛のおもちゃがありますよ」


「蜘蛛。アラクネ」


「はい?」


「ギリシャ神話で、蜘蛛になった女の人。トリカブトを浴びてね」


「トリカブトって猛毒じゃないですかっ。というか、いきなりどうしたんですか?」


「別に。単に蜘蛛を見て連想しただけ」


「ここは日本ですよ蝶々先輩。日本で蜘蛛のお化けと言えば絡新婦じゃないですか! ……そう言えば、部員の中に烏天狗に仮装するって言っていた人も居ましたね」


「和洋折衷も、面白いからいいんじゃないかな? 絡新婦は女性に化けたりするから、着物きちゃえば仮装になるよ?」


「着物着ただけじゃ何のお化けかわかんないじゃないですかー。それにどうせならドレス着たいですっ。結婚式も神社じゃなくて教会でしたいです!」


「……そう」



 目を輝かして語る圭土に対し、楓は心底どうでも良さそうに相槌を打った。その素っ気なさに圭土はまた頬を膨らます。



「先輩、あの」


「楓君」



 圭土の言葉を遮り、一人の女性が楓の背後に現れた。

 シミ一つない、透き通る様に白く肌理の細かい肌に、絹の様なしなやかな黒い髪。小柄で可憐な容姿。まるで物言う花を体現した様な女性。



「奇遇ね。どうしたのかしら?」


「文化祭の買い出しに」


「あら、私もなの。ここのお砂糖安いのよね。もっと部費があったら、高いお砂糖も買うんだけど」


「僕は部費があれば作る量を増やしたいです」


「楓君は質より量なのね。貴方は次期部長なんだから、自分の好物だけじゃなくて、これからは部員の作りたい物もちゃんと考慮するのよ?」


「善処シマス」



 楓は明らかに棒読みな返答をし、部長から目を逸らした。呆れた部長は「全く」と呟きながら腰に手を当てる。



「あら圭土さん。具合は良くなったのかしら?」


「……はい。もう休まなくてよさそうです」


「それは良かった」



 口元に手を当てて優雅に笑う部長。それに反比例するように、圭土の表情は浮かばない。



「先輩先輩。タルトができたら今度試食してくれませんか?」


「あら駄目よ」



 グイグイと楓の学ランの裾を引っ張りながら言った圭土のお願いは、部長によって即座に却下された。



「え!? 何でですか!?」


「楓君は甘味を食べ過ぎてるからよ。これ以上食べるのは体に悪いわ」


「で、でもハロウィンパーティするんですし……。少しぐらい」


「お菓子を食べるのはお客様よ? ハロウィンパーティって言っても実質は飲食店だから、部員は食べちゃ駄目」


「部長。売れ残りも駄目ですか?」


「売れ残りがあれば打ち上げにでも食べるけど、なかったらなし」


「え」


「あっても楓君はなるべく食べない事」


「え」



 肩を強張らせ、わななく楓。頬を引きつらす彼に背を向け、踵を返した部長は「じゃあね」と手を振って軽やかな足取りでその場から去って行った。



「先輩……。ざ、残念でしたね」


「……。軽食を暫く控える。そして許可を申請しに行く」


「めげないんですね」


「だから試食は出来ない。ごめん」


「うっ。それは、残念ですけど……大丈夫です!」



 圭土は拳を握って宣言した。強がりにしか見えない。



「それより先輩、どうやってお菓子食べてない証明する気ですか?」


「うーん。僕は一人暮らしだし、家の中の事は証明し難い。幾らでも誤魔化せて、信憑性が薄いから。でも今は文化祭の準備で学校で過ごす方が長い。その間は人目もある、何なら証言も加えて、食べてないって言えるよ。大丈夫。それでも駄目なら朝と昼と帰りに荷物チェックでもして貰う」


「執念凄いですね」



 そこまでして菓子を食べたい楓の食い意地に、圭土は素直に感心した。そして部長の扱いがまるで栄養管理にうるさい母親になっている。



「部長はああ言っていたけど、一通りの菓子は残してくれるはず。……部長の作ったお菓子は美味しいから、執着したくもなる」


「そうですか。……あ! じゃあ私が蝶々先輩のお家の事を証言しますよ。これで完璧ですね!」



 圭土は親指を立ててグッとポーズを決める。何を言っているのかわからない楓は首を傾げた。が、やる気スイッチが入った圭土に買い出しの続きを急かされ、疑問を訊く事は出来なかった。 

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