大つごもりの夜に
こんな何の感慨もなしに新年を迎えてええもんなんやろか、と彼は思ったのでありました。
先刻までちらついていた雪はやみ、先斗町通の石畳のうえに粉砂糖のように彩りを添えています。彼はひときわ大きなため息をつき、そして力なく振り返り、ほなお先します、と頭を垂れました。中で店仕舞いをしていた女将さんが何事か声をかけてくれたようでしたが、お山から吹いてくる比叡颪にかき消され哀れ言の葉は鴨川の芥となってしまいました。
彼は龍安寺の近くにある大学に通う学生でしたが、四回生の冬だというのに進路も決まらず、おまけに単位も足りず、去年から同棲していた恋人はクリスマス直前に家を飛び出し、立ち往生した武蔵坊弁慶もかくやの満身創痍でありました。小やかましい親が雁首そろえて待っている神戸の実家へ帰省する気はさらさらなく、さりとて北野天満宮の裏手にあるあのうすら寒い下宿――そういえば今年も大掃除をしませんでした――に引きこもる気にもなれず、仕方なく先斗町にあるバイト先の小料理屋「公望」で年末年始を過ごすことにしたのでした。ここであくせく仕事をしていればバイト代も入るし、賄いつきゆえ食べるものには困りません。そして何より、清滝トンネルのように先の見えない、陰鬱な自分の行く末に目をつぶることができましたし、指導教官から書き直しを命じられた卒業論文からも一時的に逃げ出すことができるからです。
けれどもこの忙しさにはさすがに辟易しているのでした。次から次へとお客が途切れることがありません。板場も洗い場も専任の人が居ますから彼はお運びさんに徹していれば良かったのですが、それでもきりきり舞いで目の回るほどです。いかにも同伴出勤な、華やかなおねえさんを連れた大店の若旦那風の人を見てはええご身分やのうとため息をつき、酒を飲んで豪快に笑う坊さんを見ては鐘もつかんと煩悩まみれでええんかいなと疑問に思ったりもしました。しかし何より心残りだったのは、賄いで出される予定だった寒ぶりの塩焼きを食べそびれたことでした。脂のじぷじぷわき立つところにゆず皮のおろしたやつをさっと散らして、はふはふ言いながら食べるのを楽しみにしていただけに、最後のひときれを人に見せびらかしながら食べているセンセと呼ばれるオッサンが小にくたらしくてなりません。家に帰ったら作ってもらお、と彼は鼻息を荒くしましたが、作ってくれるはずのそのコはとうに荷物をまとめて出て行ったことを思い出して、オッサンをにらみつける目に力が入るのでした。
そして、そうこうしているうちに、とうとう年が明けてしまいました。ああ阿呆らし、と彼は思いました。店々の軒から下がる提灯に描かれた千鳥はこの町のトレードマークとして愛でられていますが、そのつぶらな瞳さえも今日はなんだか自分を馬鹿にしているように見えてなりません。
何のこっちゃとぶつぶつ言いながら歩く彼の足取りも千鳥足、ふらふらしています。意識もなんだか薄もやがかかったようになってきました。けれども彼は酒に酔ったりしていた訳ではありません。やっぱり暖房代ケチったらあかんなあ、と彼は悔やみました。おでこに手のひらを当ててみると、初デートで手をつないだ中学生の頬のように熱くなっています。今やわびしい独り寝の彼にも、そんな純情な時代があったのです。しかし先ほどから彼の身を揺さぶるのは恋の情動ではなく、夕方以来どんどん強まる寒気なのでした。京の底冷えは確実に健康をむしばみつつあるのです。
ですが、兎にも角にもまずは駐輪場まで歩き、停めてある原付のキーをひねらないことには、あの下宿へ帰ることすらかなわないのです。整然と町家の立ち並ぶ洛中にあって、駐輪場はそこだけブラックホールのようにぽっかりと暗い穴をあけています。それはしっとりとした大人の風情の先斗町通と、桃色ネオンが猥雑にギラつくある意味大人の風情の木屋町通にぱふぱふと挟まれているのです。彼はエクトプラズムのような白い息を吐きつつ歩きます。駐輪場の入り口はこの通りとは反対側の、隣でお巡りさんがにらみを利かせている木屋町の側にしかありません。彼はくらくらする頭で、どこの路地から向こう側へ抜けるか悩みました。本当ならば駐輪場のすぐ南側の路地を使えばいいのですが、ここは先日ゼミの同期生に出くわしたところだったからです。清純そうな見た目と香りを振りまいていたあのコが、見た目もアタマも救いようのないほど軽薄そうな男とともに大人の宿泊施設から出てきた場面を思い出して、彼の寒気は悪化しました。彼は半ば自棄を起こして、あわあわと頭をかきむしりながらいちばん手近な路地へ身を潜り込ませたのでした。
べんがら塗りの壁と白木の格子窓に挟まれて、その路地はありました。真ん中に立って両手を広げればそのどちらにも触れてしまいそうで、まるで空間に刻まれたひだのように、彼を奥へ奥へと誘います。少し歩けばすぐに木屋町の喧騒の渦の中へ出られるはずなのに、どこまでもどこまでも路地が続いている気がして彼は急に心細くなりました。こんな狭い路地にもいろいろなお店が軒を連ねているらしく、店名を記した提灯がいくつも掲げられていますが、さすがにもう店を仕舞ってしまったのか明かりがありません。思い出したようにか弱い街灯がひっそりと現れ、その真下だけをぽんやりと照らし出すのみです。
壁際に寄せられた立て看板の足元を、小さなねずみが二匹ちょろちょろと駆け回りました。彼は思わず目で追ってから、ねずみまでカップルかいや、とため息をつきました。
静まり返った一本道には、タイル敷きのうえを歩く彼の足音だけが単調に響きます。左右に続く光景は、べんがら塗りから墨色の焼き板塀、年季の入ったレンガ積み、くすみ一つない真っ白な漆喰塗り、朱塗りの壁にちりばめられた大小さまざま色とりどりの切り紙たち、思わぬところにあらわれたモザイク画にさすがの彼もその足を止めたのでした。
見ればそれはただの切り紙ではなく、「久千代」「市はな」「豆とみ」といった芸妓はんや舞妓はんの名前が書かれています。手のゆび二本分ほどの大きさの、それでいて華やかな地模様が施されたそれは花名刺と呼ばれるものなのだと、先週までの同居人が教えてくれたのを思い出しました。
今やメールにも電話にも無反応のその人の実家はこの界隈で置屋をしていたので、その手を通じて何枚かもらったことがあったのです。「舞妓はんの花名刺を貼っておくとお金がマイコむんやて」との言葉も今や昔、ともあれ、壁を埋め尽くさんばかりの花名刺にまみれて、小さな小さなお社が鎮座ましましておりました。この街の辻辻にあるお地蔵さんのお堂よりもなお小さく、一丁前に破風も設えてあるものの、その軒は彼の目線ほどの高さしかありません。その下にはこれまた電話帳ほどの大きさしかない格子戸があります。彼はどんな神様が居てはるんやろう、と思いましたが、まるでお札で封印でもするかのようにその格子戸にまでも花名刺が貼ってあり、中に何があるのかさっぱりわかりません。足元を見ればみかん箱ほどの木箱。ご丁寧にも「お賽銭→」と書いた紙が貼ってあるのでした。
溺れる者はわらをもつかむ、信じる者は救われる。彼は思わずポケットの中をまさぐりました。迷惑メールの着信時以外に鳴る機会を失った携帯電話、くしゃくしゃにつぶれたタバコの箱と一緒に、今朝菓子パンを買ったお釣りがじゃらじゃらと出てきました。彼はその中から黄銅色に輝く五円玉をつまみあげると、紙に書かれた矢印の先のすき間に投じました。