6.ghost
--髪、伸ばしてみようか。
長く伸ばしてみようか。
彼女は思った。
出来るだけ伸びた髪の先を、利人の色素の薄い髪の先と紙縒りのように絡ませるのだ。指先でくるくると縺れさせて、
--連理の、
枝のように。
たった一瞬だけで良い。気付かれないように絡ませて、丁寧に解く。そうしたら用済みの髪の毛は切ってしまおう。彼女はそう思った。
いってらっしゃい。
おかえりなさい。
毎日言いたいわけでは決して無い。自分はそういった性質に属していない、と三津は良く知っている。時折、彼女が自身を疎ましく感じるほど湿り気を帯びる時がある。今がまさにそれだった。
--ghostだ。
明らかな匂いが、彼女の嗅覚を刺激した。
--トップノート。
香りの放つ新鮮さに、誰かの熱意を感じて一気に消耗する。
「……疲れたな、」
彼女は小さく主張した。届かないことを前提とした発言であった。寝そべっていた床で横向きに身体を転じて、香りの元の彼の上着から少し遠のいてみる。
喉と目と鼻の奥。きいんとした鋭い痛み意外、一切が無いものとして処理されていった。やってきそうな喉の震えを追いやりたくて、ゆっくりと浅い呼吸を繰り返した。
--迂闊な人。
端的に罵る。ばれないようにする、というのが暗黙の了解ではなかったのか。
「あたしみたいにさ。」
どうしても触れたいときに限って、彼はどこにも居ない。仕方ない、と一言で片付けられるほど、事は易くない。寧ろその逆だ。人が抱える淋しさには底が無い。
『俺の知らない人より、あなたが好きです。』
なんて口説かれて陥落しないほど、三津は満ち足りてはいなかった。利人の他の誰かがどうか。
--興味が無い。
「あたしのほうが、」
--利人を好き。
これすら間違わなければいい。
「どうした。」
「疲れた。」
くったりと床にくっついたまま、彼女は目を閉じた。重力のある眠気が頭を押さえ込む。
「ねむ、」
ふっ、と利人が笑った気配がした。首の下に大きな手の平が一枚。後頭部からもそおっとて指がやってきて、彼女の上体は利人の腕一本に抱え込まれた。そうして、
「よっ、」
「わ、」
抱き上げられる。
「……姫抱っこ……、」
「姫だな。」
初めてした。
--困る、
彼女は大いに困惑した。
--一番が多くて困る。
目の奥のつんとした痛みを追いやるために、深く深く息をする。
「利人の匂い。」
シャツからは彼だけの主張。
--夢、見たくない。
微かに動かした口唇で、彼のシャツを食んで、
ほう、
と、ため息を付くと彼女は眠りに落ちていった。