4.トランキライザー
部屋の角に身体をぴたりと嵌めて、三津は眠っている。カーテンが翻る度、投げ出した足に影がちらちら躍った。彼の部屋は喧騒から幾分遠い。高さに比例した静かさである。アスファルトに近くなる程に上がる熱気と雑多な音。避難するに手近な場所であった。
「寝る。」
と一言宣言するなり、ことんと落ちた。見事な落下ぶりを感心するけれども、同時に彼女が本来睡眠を摂る真夜中、もしかしたら何某かが起こっているのかもしれないと、らしくも無く利人は心に懸けた。
風だけが室内に入り込んでも疎ましくない、唯一のものである。
影が揺れて髪も揺れて、それを自分は見ている。何もせず、思いつかず、見ている。
三津が眠るというのだから、それは必要なことであり解決に近いに違いないのだ。利人の心情をどれ程と数値で表してみたとして、だから、と問い質す事は出来ない。
何故ならば、彼では三津を救うことが出来ないからだ。
目蓋を閉ざして現から遠のき、内部で記憶も感情も並べ替え、更には再構築し、再び目覚めたときには、どこかですっくり立っている。そういう女だ。
利人は今、その過程を見ている。
知らぬ間に行われるよりも遙かに、否。シェルタのように無防備な殻を安置する場に選ばれたことを、彼は快楽と感じていた。
目覚めたら触れようと思った。唐突にそう決めた。
からん、
ひく、と動いた三津の手の平から小さく丸い缶が転がり、落ちた。白地に明るい色でオレンジとレモンとベリーが描かれている。文字は金色だ。
手渡したときの、はんなりとした笑みを覚えている。
もうすっかり食べつくして、中にあった粒のような飴玉は無い筈だ。
「ぁ、」
細かい発音と同じ間合いで、三津の目蓋は開いた。茫洋とした目線は明らかに缶を探している。拙い緩慢な動きで、指を伸ばす。
彼はとっくに立ち上がって傍寄っていたから、精々そぉっと渡してやる。それは驚くほど軽くて、安っぽい金属の中身が空洞な事を利人に伝えた。
三津は笑んだ。手の内に戻ったことが、純粋に嬉しいだけの笑みだ。
「空、だろ。」
「うれしかったから、」
ゆっくりと瞬いた。間近で行われる動作はいまだに何もかも緩やかだ。
「おちつく、」
ふう、とついた息は果物の匂いがした。
架空の飴玉。
--上等だ。
彼は目を眇めた。予想外に上等の出来事である。
「三津。」
彼は彼女の手指を取った。眠る人特有の温度の高さを、口に含む。
--甘ったるい匂い。
その指で果物を摘まんだ直後のような、新鮮な匂い。思い出せばどこであっても緊張状態は緩和されるだろう。どんな薬物よりも確実に。
「利人、」
すっかり眠気から抜けきった三津に呼ばわれて、
「起きたな。」
触るぞ。
彼はじったりと笑んだ。
ああ、変態変態……。