35.つめびき
「……これか、」
つい、
と、少しだけ優雅な仕草で彼女の腕を持ち上げた。
先ほど叫んでいたのは、きっとこれのことだろう。利人はすっかり寝入っている、彼女の肘を見た。 幸福な昼寝に意識をおっことしている、三津という女のどこにどれくらいの傷が付いてしまったのか。利人には知る権利と義務があった。彼のものだからである。
彼女の持っている、肘、という部位の薄さに慄いた。まるで刃物のように薄く、そのくせ妙に硬い。ぽちんとした水脹れは、匕首に落ちた水滴のようだ。その盛り上がりを、彼は圧した。
ふにふにしている。
液体が、薄い皮膚の下で逃げ行く感触だ。
ふに、
に、
にに、
圧して、触れて、撫でて。
ぽつ、
壊してしまった。
流れ出る血漿の中に横たわる、優雅な動きを。彼は咄嗟に手の平で受け止めた。
「魚?」
小さな、小さな小さな魚だ。透明に白い魚だ。目だけが真っ黒い。するる、と泳ぐ魚の体はとても懐かしい、少しの冷たさを湛えていた。
「どうしたもんかな、」
彼は彼女の肘を再度見やって、手首を見て、指先を見て、
「……。」
驚いた。
「爪か、」
三津の左手の小指の爪が、きれいにさっぱり消え失せていた。優雅に少し長く、透明に白い、ひんやりしている彼女の爪が。利人の愛すべき小指の爪が。
そっと。こそり、と、彼は白い魚を肘に戻した。
彼女の目蓋が持ち上がる、三分前のことである。




