34.花の場所
肥えた鳩を蹴散らしながら、男が歩いている。頬の肉は硬化してしまったのかの如く、微動だにしない。獰猛な目をしている、と彼女は酷く落胆した。こんな風情の利人には何を言っても届かないのだと、三津は良く知っていた。この分では彼女の前だって素通りだろう。待ち合わせの時も地も、これから赴こうとしている場所だって、
--利人が、
彼が指定したというのに。
--理不尽。
彼女はぷちんと膨れた。ベンチに更に深く腰掛けると、爪先で地を詰る。明らかに彼女に目星を着けた人間が二人ばかり増加したけれど、周囲はお構い無しになってしまった三津は、勿論気付かない。元より、そういった機能があまり働かない性質だけれども。
彼が何を目の当たりにし、何をしてきたのかなんて、あの逃げ惑う鳩と視線と避ける人並みを見なくたって、大方の予想は付くというものだ。
--あたしのほうが、
「荒んじゃうよ。」
あながち嘘でもない。
--もしも、
十中八九起こると思われる事象がある。けれども、万が一にでも覆ったなら。
この場合、見る、という行為は視界を流した中に入ることではなくて、立ち止まり視線を合わせ言葉を交わす、という、固体を認める一連を指す。今のあの状態でそれを成せたなら、今すぐにでも、
--有給もぎ取ってやる。
そうして、
--利人を攫うんだ。
歩幅から歩数を図って、彼女はカウントを始めた。
--じゅう、きゅう、はち、
絶望はなかった。彼の背中に張り付いている影のようなものなので、それは今更脱がすまでも無いシャツのようなものだ。だから本当は通り過ぎたって良いのだろう、と三津はぼんやりと迫り来る影法師を見ていた。
--よん、さん、に、
「いち、ぜろ。」
後はマイナスだ。すうっと一歩行過ぎた彼に、三津の指先は少しだけ温度を落とした。
けれど、
どかり、
と、随分尻の痛そうな音を立てて、彼はベンチに腰掛けた。
「すまん、」
遅れた。
--もしも、
あたしを見てくれたら。
声は未だ陰惨なままであるが、いつも彼らが保っている半人分の隙間が無い。とても近くて、落ちてしまった温度は瞬く間に上がっていった。恐らく二乗で。真っ赤に充血した指先を見て、三津は苦笑した。現金な身体は胸の内よりも正直だ。
顎が三津の肩にぶつかる。がつん、と骨が音を立てるほどの勢いは、利人が力の加減が出来ていない証拠である。
「すまん、」
やはり声だけは荒んでいる。彼女の方は反比例していて、先ほど抱いていた酷いささくれは全くなだらかになっていた。
「寒くない?」
熱くなっている指で彼の冷えた耳介を包んだ。少しばかり苦しい体勢である。
すん、と音を立てて、全く獣の仕草で彼女の項に鼻先を突っ込む。
--退化している。
この獣人は。
「ねえ、利人。」
すん、
鼻ばかりを鳴らして目を閉じてしまった彼に、三津は小さな声で言った。
「拾って、攫って、良いかしら?」




