30.花の中の花
イランイランとシダーの香りの石鹸は、細かく強く泡立った。首筋や胸部、腕や足、身体中余すところ無く丁寧に洗い立てていく三津を、彼は見ていた。唯でさえ温柔だというのに、この泡が撫でて行った脂肪という脂肪は例外無く、溶けて落ちそうなほど柔らかくなることを利人は知っていた。目を細めて、彼は嗅覚に集中した。緩く甘く、
--濃い、
匂いだ。
貝殻骨の隙間から馨るなら、彼女が使い分けている幾つかのボディソープの中でこれが一等好きなのだ。お湯に浸して上手に泡立てるところから見たくて、彼は時折浴室に乱入する。彼女は大抵低く抗議するけれど、極端に禁止したい理由が無い場合以外は、最終的に呆れて折れた。
こつこつした背骨の隆起。彼の鼻がここが良いと決めた貝殻骨の丁度中心にそれはあった。
「利人?」
強い芳香を放つ黄緑色の、長い長い五枚の花弁。
「なんだ、これ、」
「生えた。」
イランイラン、みたいよ?
事も無げに言う。全く無頓着な三津の背に、彼は浴槽から伸び上がって鼻を寄せた。
--ああ、
その匂いは彼の視床下部を強く詰る。
すぐ真後ろに利人の顔があると知りながら、彼女は湯をかけた。泡の塊は周囲だけを溶かし、概ねその形のまま押し流されていった。浴室に立ち上る湯気はいっそう馨る。馥郁とした水気を肺に満たしながら、はたと彼は気が付いた。
「いつ、咲いた?」
「2日前?」
多分。
--48時間。
三津はこの刺激を立ち上らせて移動し、働き、笑んで、話し、物を食べていたのだ。果たして、
--俺以外の、
利人以外のどれだけの、
--誰の、
深みを揺らがしたのだろうか。
とても黒い澱は、彼を陰惨な気分にした。
「三津、」
どう言えば良いというのか。否、彼に伝える気は更々無かった。馨りに酔うだけでは、到底済まない。
「この花は、」
他の何者をも誘ってはならない、花の中の花を、彼は。
「摘むぞ。」
しおり、
啄ばんだ。




