29.picking system
「利人、」
何か嫌なことがあったのだろうか。会うなり彼女は手を伸べた。
彼へと一目散に駆け寄った彼女を、利人はベンチに座したまま微動だにせず受け入れた。駆ける、といっても小走りが良い程度で、ぱたたっとした歩様はなんだか拙いものだった。
「どうした、」
「ヤな事あった。」
--やっぱり、
利人は静かに苦笑した。
頭を抱えるように廻っている細こい腕と、頬に当たるぽわぽわの乳房に彼は目を眇めた。夕刻を少し過ぎただけの公園という公共の場。そこで交わすには熱烈すぎる抱擁であるが、この居心地と世間とを秤にかけてしまえば、
「些事ね。」
と、彼女は言うだろう。事実として、その通りである。規則正しい拍動は眠る体制一歩手前の穏やかさだった。星は見えないけれども晴れてはいるから、寒いことも無いだろう。
有象無象の何に疲れ果てたのだろうか。
少し身体を離した三津は、疲労をまぶした顔色をしていた。
「今日も一日お疲れ様でした。」
言って、彼女は頬を寄せた。
「ぎゃぁ、」
色気は欠片も無い、むしろ笑いを含んだ作り物の叫び。
「どうした。」
「ざりざりするよ、」
髭が。
「まあ、夜だからな。」
ざらりと逆向く音を立てて面白がる。
「汗臭いし、」
尚も離れない。
「やめるか?」
「やだ。」
襟足を鼻先で探られる感触は、そう悪いものではない。
「疲れたよー。」
上面ばかりの平坦な、一日の感想。
「そうか。」
「そう。」
三津から漂う水に近い花の匂いは、体臭と混ざって既にラストノートである。程好く温い。
衆人環視は全く減らない公共の施設であるが、ますますどうでも良い気分になって、彼は口角を持ち上げた。鋭利な笑みだ。善からぬ事が腹に有る。そう語るものだった。
「……利人、」
三津とは似ても似つかない男の声である。利人以上にいつも同じ格好をしている。全身を、まるで欠片も外へ見せたく無いとばかりに着込んだ男は、今日も今日とて暑苦しい。
「他所でやってくれないか。」
--そういえば、
彼らが勇んで跋扈する開けた地、程好く暗い時刻、であるはずが喧嘩どころか何にも起きていない。
「じゃあ、」
よっと、彼は立ち上がる。
「他所、行くか。」
彼女を首からぶら下げたまま、全く危なげ無く。
「さようなら、木内さん。」
三津が手を振った感触。
--余計なことを、
恐らく笑んでいるだろう。呆れる衆人を尻目に、利人は歩調を速めるのであった。
利人の趣味と職業が全くの謎。……いえ、決まってはいるのですよ??




