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Lace Edge  作者: 一夏
17/36

17.infant massage

 会いたい、などと思って歩いていたことは事実だ。


--お腹空いた。


 しかしとっくに23時を回っているから、食事なんて摂れない。


--眠い。


 そこに至る前に化粧を落とし、服を脱ぎ、


--お風呂入りたい。


 ゆっくり浸かりたい。しかしあんまり落ち着いてしまったら、そのまま沈んでしまうだろう。


--疲れた。


 この一言に尽きた。全身が澱で満ちているようだ。


--触って欲しい、


 平素あまり湧いて来ない類の欲望である。自分というものが一日の汚れにまみれているから、目前に現れたって直ぐに、


--触って、なんて言えないけど。


 どんよりと思い頭蓋の内部が酷く軟弱なものになっている、と彼女は少し頭を振った。


--利人、


 結局、何も落ちては行かなかったけれども。

 脆弱でも何でも、今の時点では的を得ている彼女の中身は、彼を目の当たりにして眠る直前まで、できれば。


--触りたい、


 必要だと欲していた。


「あーぁ、」


 けれども発せられた声音は、蜜の音域の中で最も低い。呆れ以外の感情が滲みようの無いもので、一気に萎えたのだと通りすがりの見知らぬ犬だって、きっと理解しただろう。


--誰に?


他でもない、彼に。


「口に、」


触らせてるし。


--考えの足りない人。


 痛烈に端的に罵る。

 広い車道を一つ隔てた向こうっ側歩道の上、いくら夜分でも公衆の面前で、である。彼女の知らない誰かに触らせたその全く瞬間を、男はうっかりと見咎められた。否。よりに寄ってのタイミングは、うっかり、では言い訳にならない。

 三津は深い呼吸を意図的に行った。喉がちりちりと痛んだが、排気ガスだけがその理由に相当する。他の原因は排除された。けれども目の奥がきぃんと抓られる感触は誤魔化し様の無い、泣き出す手前の嫌な気配であった。


「しばらく。」


--触らせないわ。


 彼女は反転させた。背筋にしゃんと筋を通して、しゃきしゃきの足取りをさせるだけの熱量へ。先ほどまでのたっぷりとした疲労は、微塵も見られなかった。

 如何程のエネルギーか。利人は推し量れないに違いない。どれ程の燃焼か。


「貴方が居ても居なくても、」


 喋る、というよりも口腔に音を留めた呟きだ。


「あたしは躊躇しない。」


--要らないわ。


 何、と問われて答えられるような形のあるものではなかった。





 非常に珍しいことに、10時である。朝の10時であって、20時ではない。彼にしてみれば早朝といって良い。眩しい陽光は如何にも新鮮な白色であった。更なることに皇居の傍である。車の通りも激しいが、同様に緑色も多く目に飛び込んでくる。濁った堀の色ばかりではない。念のため。

 それでも水面は朝の白色を弾いて燦としていた。


「……目ぇ痛ぇ、」


な。


 酔っ払いもかくやの口調で、頭を振る。眇めてみても、世間は朝だった。


--蜜の、


 好きそうな道順である。いとも容易く彼女へ帰結した。


「は、」


 笑う。

 ぱっと思い起こした自分を、有り得ないと彼は笑ったのだ。あんまりに健全すぎる。過ぎて可笑しいのだ。

 三津が不在でその存在を考える時、周囲を探っていることが多い。そうしていれば必ず脳裏に彼女はぽっと出てくる。最初に抱いたイメージが持続しているのかもしれない。

 そうして半ば意図的に働かせた勘は、彼の首を巡らせた。当然、同じだけ移動する視界。

 点。

 ピンで留めつけたように、その一点。歩みも止んだ。

 日傘とサニードレスと、しゃんとした後姿。見慣れない風景だと感じるのは、傍らが自分ではないからだろうか。

 三津の交友関係など欠片も興味がない。あくまで彼が対象とするのは蜜本体であり、それに尽きる。


「兄弟か?」


 そうかもしれない。けれどもなんて白々しい。

 多分自分が思いたいだけだろう。彼は知っている。

 傍らの見知らぬ何者かは、朝のように若くバネの様だ。彼女の日傘を持ち、更に日向に立ち、明らかにそのしなやかな庇護の下においていた。

 彼の彼女を。


--気分悪ぃ、


 狭量だと笑うものも居るかもしれないが、今の利人にしてみればいつも以上に取るに足らない。例えば幼い固体であっても、片端から薙ぎ倒して行くだろう。

 彼の、彼だけの所有であるべき女なのだ。


--触る。


 明日、否。今日中にでも。希望でも予告でもない。件の本人の意見すら無視している。文字も音も感情も全て、出所から経緯も、この結果も。一切合財が明確で確固たる意思。


「俺のものだろう、」


 絶対の取り決めだった。




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