無能と婚約破棄されたので聖女を辞めて森の奥で鈴を鳴らします〜霧の小径で拾ったもふもふが実は国宝竜でした〜
「アリシア、貴様の聖女としての力は偽物だ! 婚約は破棄する。真の聖女は、ここにいるミレーヌだ!」
大聖堂の壇上で、第二王子ラウルが声を張り上げた。
ステンドグラスから差し込む光が、彼の華やかな金髪を照らしている。集まった貴族たちのざわめきが、波のように広がった。
聖女判定の水晶が、隣に立つ男爵令嬢ミレーヌに向かって、まばゆく輝いている。
私──アリシアは、その光をぼんやりと眺めていた。
(……あれ? この感覚、なんだっけ)
その瞬間だった。
頭の奥で、なにかが弾けた。
霧。崖。滑落する体。遠ざかる登山道。遭難者を背負って下山した、あの日の冷たい風。
──ああ、そうだ。私、前世で死んだんだ。
鈴宮すず、二十七歳。日本の霧よけ登山ガイド兼、鈴細工職人。遭難者を助けた帰りに崖から落ちて、そして。
前世の記憶が、濁流のように押し寄せてきた。
七年前にこの世界へ転生していたことも、今この瞬間、ようやく思い出した。
なんてタイミングだろう。
私は水晶を見つめ、そして静かに理解した。
(なるほど。あの水晶、私が近くにいると数値が飽和して、他人が測れなくなるだけなんだよね。七年間、毎朝こっそり結界を張り続けた結果がこれか)
七年間。誰にも気づかれないまま、銀の鈴を鳴らして、王都全体に聖域結界の魔力を供給し続けてきた。
だから水晶は、私のあまりに大きすぎる魔力に反応しきれず、代わりに隣のミレーヌに反応した──ことになっている。
「聞いているのか、アリシア! なぜ黙っている!」
ラウルが苛立たしげに叫ぶ。
ミレーヌが、潤んだ瞳でこちらを見た。だが、その口元にはうっすらと冷笑が滲んでいる。
「……何とか言ったらどうなの? 自分が偽物だって、認めるのが怖いのかしら」
私はゆっくりと顔を上げた。
喚くつもりはない。怒る気も、弁明する気も、まるで湧いてこなかった。
「いいえ。ただ、思っていたよりずっと納得したもので」
「納得だと……? 貴様、開き直る気か!」
(私が離れれば、この国、霧の魔物に呑まれるよ。……まあ、知らないふりしよ)
スカートの裾をつまみ、静かに一礼する。
「かしこまりました。聖女、辞めさせていただきます」
大聖堂が、しん、と静まり返った。
ラウルが拍子抜けした顔をする。
「……は? それだけか? 弁明も、命乞いもないのか?」
「ええ。喚いても、あなたの言葉は変わらないでしょう? 私も、変える気はありませんので」
「な、なによ、その態度……勝ったのはこっちなのに」
ミレーヌが、演技も忘れて眉をひそめる。
「勝ち負けの話でしたか。それは失礼。……では、ごきげんよう」
「待て、アリシア! 勝手に去るなど許さん──おい、聞いているのか!」
三つ編みに編み込んだ小さな銀の鈴が、歩くたびにチリンと鳴る。
(明日の朝から、この街に鈴の音は響かない。それが何を意味するのか……まあ、いずれわかりますよ)
私は振り返らず、大聖堂を後にした。
チリン──。
ああ、この音とも、王都でお別れですね。
それが何を意味するのか、まだ誰も知らない。
──────
聖女装束を脱ぎ捨てるのは、驚くほど気持ちがよかった。
動きやすい作業着に、前掛け。腰には鈴細工の道具入れ。
鏡の中の私は、聖女アリシアというより、鈴宮すずの顔をしていた。
「よし。行こう」
目指すは、伝説の“霧深き迷いの森”。
魔物が巣食い、誰も踏破できないとされる禁域。何人もの冒険者が霧に呑まれ、帰ってこなかった場所だ。
でも、私にとっては──
「前世の霧の山と、同じだよね」
森の入り口に立つと、白い霧が壁のように立ちはだかっていた。数歩先も見えない。
並の人間なら、一歩で方向を見失う。
私は腰から銀の鈴を取り出し、ゆっくりと鳴らした。
チリン──
澄んだ音が、霧の中へ吸い込まれていく。
すると。
霧が、ふわりと割れた。
足元に、一本の小径が浮かび上がる。
【鈴音結界】。銀の鈴を鳴らすことで魔物避けの霧結界を張る、私だけのギフト。
前世で培った“霧を読む”感覚と、この世界のスキルが、完璧に噛み合っていた。
「霧の濃さ、風向き、地形の起伏……うん、読める」
鈴を鳴らしながら、一歩ずつ進む。道が、開けていく。
魔物の気配は、鈴の結界がやわらかく弾いていく。近づいてくる影は一つもない。
(王都のみんなは、今ごろ大騒ぎかな。……まあ、私には関係ないけど)
名誉も地位も、もう要らない。欲しいのは、自由。実利。そして、好きな鈴を作って暮らす、静かな日々だけ。
チリン、チリン。
鈴の音を道しるべに、私は霧の奥へと進んでいった。
──────
その音に気づいたのは、森に入って三日目のことだった。
チリ……チリ……
鈴の音に、似ていた。でも、私の鈴じゃない。もっと弱々しくて、震えるような音。
「……なに?」
霧をかき分けて進むと、大きな木の根元に、それはいた。
白銀の、小さな塊。手のひらより少し大きいくらいの、子竜だった。
後ろ足が、狩人の仕掛けた罠に挟まれている。逃げようともがくたびに、全身の鱗が鈴のように震えて、あの音を立てていた。
つぶらな瞳が、涙で濡れている。
「あー、もう。動かないで。すぐ外すから」
私はしゃがみ込み、そっと手を伸ばした。子竜はびくりと身をすくめたが、逃げなかった。逃げられなかった、というほうが正しい。
「大丈夫。痛くしないよ」
前世で、怪我をした登山者を何人も介抱してきた。その手つきで、慎重に罠を開く。
カチャリ、と金具が外れた。子竜の足が、自由になる。
「よし。……傷、見せて」
道具入れから薬草と包帯を取り出し、手当てをする。子竜はじっと私を見上げていた。
「はい、おしまい。もう歩けるよ」
そう言って立ち上がろうとした、その時。
てしっ。
小さな前足が、私の前掛けを掴んだ。
「……え?」
見下ろすと、子竜が離すまいと必死にしがみついている。つぶらな瞳が、まっすぐ私を見上げていた。
キュウ、と鳴く。まるで「置いていかないで」とでも言うように。
はあ、と私はため息をついた。でも、口元は緩んでいた。
「……しょうがないなあ。一緒に来る?」
キュウ! と、今度は嬉しそうな声。
子竜は器用に私の肩によじ登り、三つ編みに顔を埋めた。
「あなた、名前は……ないよね。じゃあ、リンにしよう。鈴みたいな音だから」
リン、と名付けられた子竜は、チリンと鱗を鳴らして応えた。
この時の私は、まだ知らなかった。
この甘えん坊のもふもふが、数百年行方不明だった“国宝級・霧竜ネブリーナ”だなんて──。
──────
森を抜けた先の村で、私は一軒の宿屋を訪ねた。
扉を開けた瞬間、豪快な声が飛んできた。
「いらっしゃい! ……ってあんた、どこから来たんだい?」
カウンターの奥で鍋を振るっていたのは、恰幅のいい中年の女将。日焼けした腕には、いくつもの古傷が刻まれている。
「森を、抜けてきました」
私が正直に答えると、女将は玉杓子を落としそうになった。
「森って……まさか、あの“霧深き迷いの森”かい!?」
「はい」
「あんた、あの森を歩いてきたのかい!? あそこは禁域だよ! Aランクの私だって二度と入りたかないってのに!」
元冒険者だったのか。道理で肝が据わっている。
私が肩のリンを撫でながら「なんとか」と答えると、女将はしばらく呆気にとられていたが──やがて、豪快に笑い出した。
「はっはっは! 変わった子だねぇ! ま、いいさ。事情は聞かないよ。この村じゃ、みんな何かしら抱えてるからね」
「……ありがとうございます」
「さ、座りな! まずは飯だ。話はそれからだ!」
どん、と目の前に湯気の立つシチューが置かれた。
温かい。じんわりと、心まで温かくなる味だった。
王都を出てから、ずっと張り詰めていた何かが、ふっとほどけた。
「おいしい……」
「そうだろう? あたしはマーサ。この宿の女将だ。困ったらいつでも来な」
マーサさんは、肩のリンをじっと見て、首をかしげた。
「しかし、珍しい竜だねぇ。真っ白で……こんなの見たことないよ」
リンはシチューの匂いに釣られて、キュウキュウ鳴いている。
「この子、拾ったんです。罠にかかってて」
「へえ。まあ、よく懐いてること。……あんた、いい人間なんだねぇ」
マーサさんはそう言って、リンの分の小皿も用意してくれた。
人の過去も身分も問わず、実力と人柄だけで人を見る。そのサバサバした温かさに、私は久しぶりに、肩の力を抜くことができた。
(うん。ここでなら、やっていけそう)
──────
スローライフは、順調に転がり始めた。
森の入り口近くに小さな鈴細工工房を建て、魔物避けの鈴を作って売る。これがなかなか評判で、村人がこぞって買いに来た。
薬草も採れる。リンは日に日に元気になって、ついには小さな翼で少し飛べるようになった。
キュウ! と得意げに飛ぶリンを見て、私はぱちぱちと拍手した。
「すごいすごい。上手だよ、リン」
小さな達成感の積み重ねが、心地いい。
そして今日、私は村から少し離れた町の冒険者ギルドに来ていた。
「“霧の案内人”として、登録をお願いします」
カウンターの受付嬢は、きっちりまとめた黒髪に眼鏡の、生真面目そうな女性だった。
「かしこまりました。ええと……活動拠点は?」
「“霧深き迷いの森”です」
さらさらと書類を書いていた彼女の手が、ぴたりと止まった。
眼鏡の奥の瞳が、ゆっくりと私を見上げる。
「……もう一度、よろしいですか?」
「“霧深き迷いの森”を拠点に、迷い人の救助と、森の案内をします」
「……あの、アリシアさん」
受付嬢が、額に手を当てた。
「あそこは、国が指定した禁域なんですよ。踏破できた人間は、ここ百年で一人もいません」
「でも、私は普通に歩けるので」
「それ、普通の人間には無理なんですよ!?」
思わず、といった様子で声が跳ねた。はっと口を押さえ、彼女は咳払いをする。
「……失礼しました。受付のネリアと申します。ええと、証明できるものは……」
その時、扉が開いて、村人が駆け込んできた。
「大変だ! 旅の商人が、森の入り口で霧に呑まれて戻ってこない!」
ネリアさんの顔が青ざめる。
「森に……!? あそこに入ったら、もう──」
「行ってきます」
私は鈴を手に、さっと立ち上がった。
「え、ちょ、アリシアさん!?」
チリン、と鈴を鳴らして森に入り、迷っていた商人を見つけ出し、無傷で連れ帰る。ものの三十分の出来事だった。
呆然と立ち尽くすネリアさんの前に、私は救助した商人を差し出した。
「これで、証明になりますか?」
ネリアさんは、しばらく口をぱくぱくさせていたが──やがて、深いため息とともに、震える手で判子を押した。
「……登録、完了です。ようこそ、ギルドへ。“霧の案内人”アリシアさん」
そして、肩の上でくつろぐリンを見て、困惑げに呟いた。
「……随分、懐いた竜ですねぇ。というか、その竜も相当珍しい気が……」
私は曖昧に微笑んで、リンの頭を撫でた。
国宝竜だなんて、まだ誰も気づいていない。
──────
アリシアが王都を去った、翌朝のことだった。
第二王子ラウルは、けたたましい鐘の音で目を覚ました。
「なんだ、朝から騒々しい……」
寝ぼけまなこで窓を開けた彼は、その光景に凍りついた。
城壁の向こう。いつもは晴れているはずの空が、真っ白な霧に覆われている。
そして、その霧の中から──黒い影が、無数に這い出してきていた。
「な……なんだ、あれは!?」
深霧の魔物。何百年も、王都に近づくことすらなかったはずの化け物どもが、城壁に押し寄せている。
「聖女ミレーヌを呼べ! 結界を張らせろ!」
慌てて玉座の間に駆け込んだラウルは、そこで震えるミレーヌを見つけた。
可憐な栗毛の令嬢は、真っ青な顔で立ち尽くしている。
「ミレーヌ! 早く結界を! 聖女なんだろう!?」
「そ、そんなの……どうやって張るのよ!」
潤んだ瞳の演技も、今は完全に剥がれ落ちていた。
「あなたが言ったんじゃない! 判定さえ仕込めば、あとはどうにでもなるって! 私、聖女の力なんて、鈴も、結界も、なんにも張れないのよ!」
「なっ……お前が、玉座に近づきたいと言ったから──!」
二人は醜く罵り合った。
そのあいだにも、魔物は城壁を叩き続けている。民の悲鳴が、遠くから響いてきた。
──だが、彼らはまだ、真実を知らない。
この国を七年間、たった一人で霧の魔物から守り続けていた存在のことを。
毎朝こっそり銀の鈴を鳴らし、誰にも気づかれず、見返りも求めず、結界を張り続けていた“本物”のことを。
あの淡々とした一礼の意味を──読者だけが、知っている。
「私が離れれば、この国、霧の魔物に呑まれるよ?」
その静かな一言が、今、現実になろうとしていた。
──────
その男が森の工房に現れたのは、木枯らしの吹く昼下がりだった。
「頼む……頼む、戻ってきてくれ! 国が滅ぶ!」
泥だらけの礼装。乱れた金髪。憔悴しきったその顔を、私はしばらく思い出せなかった。
「……どちらさま?」
「アリシア、私だ! ラウルだ! お前の……お前の婚約者だった!」
ああ、と私は手を打った。
工房の作業台では、リンが丸くなって昼寝をしている。
「思い出しました。私を『無能』と呼んで、大聖堂で婚約破棄した方ですね」
ラウルは、がくりと膝をついた。
「あれは……あれは、間違いだった! 結界が消えて、魔物が押し寄せて、王都はもう限界なんだ! お前が、お前だけがあの結界を──!」
「気づいたんですね。今さら」
私は手を止め、彼を見下ろした。怒りは、湧いてこなかった。ただ、静かだった。
「私、もう聖女じゃないので」
「そこをなんとか……! 報酬なら望むだけ出す! 地位も、名誉も、王家との縁だって──!」
「要りません」
きっぱりと、私は言った。
「私、自由に、好きな鈴を作って、もふもふと暮らすって決めたんです。名誉も地位も、なんの魅力もありません」
ラウルの顔が、絶望に歪む。
でも、と私は続けた。少しだけ、口角を上げて。
「──鈴なら、売りますよ?」
「え……?」
「魔物避けの鈴。一個あれば、しばらくは王都を守れるでしょう。お売りします」
ラウルの顔に、一瞬、希望が差した。
「ほ、本当か! いくらだ!?」
私は、にっこりと微笑んだ。
「一個、国家予算まるごとで」
ラウルの表情が、凍りついた。
「な……」
「嫌なら、結構です。私は困りませんから」
チリン、と三つ編みの鈴が鳴る。
その時だった。
昼寝をしていたはずのリンが、むくりと起き上がった。
白銀の光が、工房を満たした。
小さな子竜だったリンの体が、みるみる膨れ上がり、光が収まった時──そこには、銀髪銀眼の、中性的な美青年が立っていた。
髪には、霧のような光の粒が纏わりついている。瞳の奥には、数百年を生きた威厳が宿っていた。
「な、なんだ、その男は……!」
膝をついたまま、ラウルが後ずさる。
青年は──リンは、ゆっくりとラウルを見下ろした。その眼差しは、氷のように冷たい。
「我が主に、無礼を働いた者か」
低く、静かな声。だが、その一言だけで、工房の空気が凍りついた。窓の外の霧が、ざわりと蠢く。
「わ、我が主……? 貴様、何者だ!」
リンは、うっすらと笑った。
「霧竜ネブリーナ。……お前たちが“国宝級の守護神”と呼び、数百年探し続けていた竜だ」
ラウルの顔から、血の気が引いた。
国宝竜。この国が、建国以来ずっと崇め、行方を追い続けていた伝説の守護神。
それが今、目の前で、罠にかかっていたあの子竜と同一の存在だと告げている。
「その守護神が、なぜ……」
「アリシアが、助けてくれたのだ」
リンは、ちらりと私を見た。銀眼が、ふっと柔らかくなる。
「罠にかかって震えていた私を、見返りも求めず介抱してくれた。お前たちが『無能』と切り捨てた、この娘がな」
そして再び、ラウルへと視線を戻す。今度は、氷の刃のように。
「我が主に無礼を働いた国など──霧で沈めてもよいのだぞ」
窓の外の霧が、ごうっと渦を巻いた。工房の外の森全体が、竜の怒りに呼応するように震える。
「ま、待て! 待ってくれ!」
ラウルが叫ぶ。
でも、と私は、リンの腕にそっと手を置いた。
「リン、待って。……沈める前に、見せてあげたいものがあるの」
リンは不服そうに眉を寄せたが、私の言葉におとなしく引き下がった。
この男には、まだ知らないことがある。
──────
私は道具入れから、一枚の羊皮紙を取り出した。
そこには、無数の細かな波形が、びっしりと刻まれている。
「これ、なんだと思いますか?」
ラウルは、意味がわからないという顔で首を振る。
「これは“鈴の音紋”です。私が結界を張るとき、鈴の音がどう響いたか──その魔力供給の記録が、全部刻まれています」
私は羊皮紙を広げてみせた。
「七年分。毎朝、私が王都に結界を供給し続けた証拠。音紋は指紋と同じで、一つとして同じものはありません。誰にも、改竄できない」
ラウルの顔が、ゆっくりと歪んでいく。
「つまり、この記録を王都の魔導院で照合すれば、はっきりするんです。──あの結界を張っていたのは、ミレーヌでも、あなたでもなく、私だったって」
「そ、それは……」
「そして、もう一つ」
私は、二枚目の羊皮紙を取り出した。
「聖女判定のあった日。あの水晶が反応した時の“魔力の流れ”も、実は記録が残っているんです。魔導院の記録室に。私がいたから飽和して、ミレーヌに反応が『流れた』──その不自然な流れが、そっくりそのまま」
ラウルの唇が、わなわなと震えた。
「あなたとミレーヌが判定を仕込んだこと。共謀の証拠は、もう揃っています。私が去ったあと、真面目な誰かが照合すれば、すぐにわかる」
ネリアさんの真面目な顔が、ふと頭をよぎった。
ギルドを通じて積み上げた私の実績と評判は、すでに世論を動かしている。“霧の案内人”が本物だと、誰もが知り始めていた。
「……終わりですよ、ラウル王子」
私は静かに告げた。
ラウルは、へなへなと崩れ落ちた。
王都では今ごろ、失脚寸前の彼と、馬脚を現したミレーヌが、逃げ場を失っているだろう。
可憐な演技も、身勝手な断定も、もう誰も信じない。
本物の力を持つ者を『無能』と切り捨て、偽物を担ぎ上げた──その報いを、二人は残らず受けることになる。
「証拠は、正式にギルドと魔導院に提出します。あとは、この国の法が裁くでしょう」
チリン、と鈴が鳴った。決着の、澄んだ音だった。
──────
断罪の後、王家からは何度も使者が来た。
聖女への復帰要請。莫大な報酬。爵位の授与。名誉の回復。
そのすべてを、私は丁寧に、そしてきっぱりと断った。
「私は、自由に、好きな鈴を作って、もふもふと暮らします」
そう告げると、使者は言葉を失って帰っていった。
──それでよかった。
名誉も地位も、私にはなんの意味もない。欲しかったものは、もう全部、この森にある。
工房の窓辺で、私は新しい鈴を磨いていた。澄んだ音が鳴るように、丁寧に、丁寧に。
「アリシア」
振り返ると、人型のリンが立っていた。
最近は、この姿でいることも増えた。銀髪に光の粒を纏った青年は、少し照れくさそうに私を見ている。
「なに、リン?」
「……その、な」
国宝竜。守護神。国を霧で沈められるほどの力を持つ存在。
そんな彼が、私が少し外出しただけで拗ねて、片時も離れたがらない甘えん坊だなんて、誰が信じるだろう。
リンは、視線を彷徨わせながら、ぽつりと言った。
「私は、ずっと、ここにいる。お前のそばに」
「うん」
「ずっと……ずっと、一緒だからな」
そう言った瞬間、リンの頬が、ぼっと赤く染まった。
数百年を生きた威厳ある竜が、耳まで真っ赤にして、そっぽを向いている。
私は、思わず笑ってしまった。
「うん。ずっと一緒だよ、リン」
そう答えると、リンはますます赤くなって、けれど嬉しそうに、私の隣に座った。
窓の外には、霧深い森が広がっている。
迷い人が来れば、鈴を鳴らして助けに行く。魔物避けの鈴を作って売り、薬草を採り、マーサさんの宿でシチューを食べ、ネリアさんに呆れられる。
そんな、なんでもない、けれど愛おしい日々。
私は磨き上げた鈴を、そっと鳴らしてみた。
チリン──
澄んだ銀の音が、霧の小径に響いていく。
今日も、森は静かで、優しい。私の、大好きな場所だ。
──霧深い森の小径に、今日も澄んだ銀の鈴が鳴る。
もふもふの、恋の芽と一緒に。




