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無能と婚約破棄されたので聖女を辞めて森の奥で鈴を鳴らします〜霧の小径で拾ったもふもふが実は国宝竜でした〜

作者: uta
掲載日:2026/07/31

「アリシア、貴様の聖女としての力は偽物だ! 婚約は破棄する。真の聖女は、ここにいるミレーヌだ!」


大聖堂の壇上で、第二王子ラウルが声を張り上げた。


ステンドグラスから差し込む光が、彼の華やかな金髪を照らしている。集まった貴族たちのざわめきが、波のように広がった。


聖女判定の水晶が、隣に立つ男爵令嬢ミレーヌに向かって、まばゆく輝いている。


私──アリシアは、その光をぼんやりと眺めていた。


(……あれ? この感覚、なんだっけ)


その瞬間だった。


頭の奥で、なにかが弾けた。


霧。崖。滑落する体。遠ざかる登山道。遭難者を背負って下山した、あの日の冷たい風。


──ああ、そうだ。私、前世で死んだんだ。


鈴宮すず、二十七歳。日本の霧よけ登山ガイド兼、鈴細工職人。遭難者を助けた帰りに崖から落ちて、そして。


前世の記憶が、濁流のように押し寄せてきた。


七年前にこの世界へ転生していたことも、今この瞬間、ようやく思い出した。


なんてタイミングだろう。


私は水晶を見つめ、そして静かに理解した。


(なるほど。あの水晶、私が近くにいると数値が飽和して、他人が測れなくなるだけなんだよね。七年間、毎朝こっそり結界を張り続けた結果がこれか)


七年間。誰にも気づかれないまま、銀の鈴を鳴らして、王都全体に聖域結界の魔力を供給し続けてきた。


だから水晶は、私のあまりに大きすぎる魔力に反応しきれず、代わりに隣のミレーヌに反応した──ことになっている。


「聞いているのか、アリシア! なぜ黙っている!」


ラウルが苛立たしげに叫ぶ。


ミレーヌが、潤んだ瞳でこちらを見た。だが、その口元にはうっすらと冷笑が滲んでいる。


「……何とか言ったらどうなの? 自分が偽物だって、認めるのが怖いのかしら」


私はゆっくりと顔を上げた。


喚くつもりはない。怒る気も、弁明する気も、まるで湧いてこなかった。


「いいえ。ただ、思っていたよりずっと納得したもので」


「納得だと……? 貴様、開き直る気か!」


(私が離れれば、この国、霧の魔物に呑まれるよ。……まあ、知らないふりしよ)


スカートの裾をつまみ、静かに一礼する。


「かしこまりました。聖女、辞めさせていただきます」


大聖堂が、しん、と静まり返った。


ラウルが拍子抜けした顔をする。


「……は? それだけか? 弁明も、命乞いもないのか?」


「ええ。喚いても、あなたの言葉は変わらないでしょう? 私も、変える気はありませんので」


「な、なによ、その態度……勝ったのはこっちなのに」


ミレーヌが、演技も忘れて眉をひそめる。


「勝ち負けの話でしたか。それは失礼。……では、ごきげんよう」


「待て、アリシア! 勝手に去るなど許さん──おい、聞いているのか!」


三つ編みに編み込んだ小さな銀の鈴が、歩くたびにチリンと鳴る。


(明日の朝から、この街に鈴の音は響かない。それが何を意味するのか……まあ、いずれわかりますよ)


私は振り返らず、大聖堂を後にした。


チリン──。


ああ、この音とも、王都でお別れですね。


それが何を意味するのか、まだ誰も知らない。


──────


聖女装束を脱ぎ捨てるのは、驚くほど気持ちがよかった。


動きやすい作業着に、前掛け。腰には鈴細工の道具入れ。


鏡の中の私は、聖女アリシアというより、鈴宮すずの顔をしていた。


「よし。行こう」


目指すは、伝説の“霧深き迷いの森”。


魔物が巣食い、誰も踏破できないとされる禁域。何人もの冒険者が霧に呑まれ、帰ってこなかった場所だ。


でも、私にとっては──


「前世の霧の山と、同じだよね」


森の入り口に立つと、白い霧が壁のように立ちはだかっていた。数歩先も見えない。


並の人間なら、一歩で方向を見失う。


私は腰から銀の鈴を取り出し、ゆっくりと鳴らした。


チリン──


澄んだ音が、霧の中へ吸い込まれていく。


すると。


霧が、ふわりと割れた。


足元に、一本の小径が浮かび上がる。


鈴音結界ベルズ】。銀の鈴を鳴らすことで魔物避けの霧結界を張る、私だけのギフト。


前世で培った“霧を読む”感覚と、この世界のスキルが、完璧に噛み合っていた。


「霧の濃さ、風向き、地形の起伏……うん、読める」


鈴を鳴らしながら、一歩ずつ進む。道が、開けていく。


魔物の気配は、鈴の結界がやわらかく弾いていく。近づいてくる影は一つもない。


(王都のみんなは、今ごろ大騒ぎかな。……まあ、私には関係ないけど)


名誉も地位も、もう要らない。欲しいのは、自由。実利。そして、好きな鈴を作って暮らす、静かな日々だけ。


チリン、チリン。


鈴の音を道しるべに、私は霧の奥へと進んでいった。


──────


その音に気づいたのは、森に入って三日目のことだった。


チリ……チリ……


鈴の音に、似ていた。でも、私の鈴じゃない。もっと弱々しくて、震えるような音。


「……なに?」


霧をかき分けて進むと、大きな木の根元に、それはいた。


白銀の、小さな塊。手のひらより少し大きいくらいの、子竜だった。


後ろ足が、狩人の仕掛けた罠に挟まれている。逃げようともがくたびに、全身の鱗が鈴のように震えて、あの音を立てていた。


つぶらな瞳が、涙で濡れている。


「あー、もう。動かないで。すぐ外すから」


私はしゃがみ込み、そっと手を伸ばした。子竜はびくりと身をすくめたが、逃げなかった。逃げられなかった、というほうが正しい。


「大丈夫。痛くしないよ」


前世で、怪我をした登山者を何人も介抱してきた。その手つきで、慎重に罠を開く。


カチャリ、と金具が外れた。子竜の足が、自由になる。


「よし。……傷、見せて」


道具入れから薬草と包帯を取り出し、手当てをする。子竜はじっと私を見上げていた。


「はい、おしまい。もう歩けるよ」


そう言って立ち上がろうとした、その時。


てしっ。


小さな前足が、私の前掛けを掴んだ。


「……え?」


見下ろすと、子竜が離すまいと必死にしがみついている。つぶらな瞳が、まっすぐ私を見上げていた。


キュウ、と鳴く。まるで「置いていかないで」とでも言うように。


はあ、と私はため息をついた。でも、口元は緩んでいた。


「……しょうがないなあ。一緒に来る?」


キュウ! と、今度は嬉しそうな声。


子竜は器用に私の肩によじ登り、三つ編みに顔を埋めた。


「あなた、名前は……ないよね。じゃあ、リンにしよう。鈴みたいな音だから」


リン、と名付けられた子竜は、チリンと鱗を鳴らして応えた。


この時の私は、まだ知らなかった。


この甘えん坊のもふもふが、数百年行方不明だった“国宝級・霧竜ネブリーナ”だなんて──。


──────


森を抜けた先の村で、私は一軒の宿屋を訪ねた。


扉を開けた瞬間、豪快な声が飛んできた。


「いらっしゃい! ……ってあんた、どこから来たんだい?」


カウンターの奥で鍋を振るっていたのは、恰幅のいい中年の女将。日焼けした腕には、いくつもの古傷が刻まれている。


「森を、抜けてきました」


私が正直に答えると、女将は玉杓子を落としそうになった。


「森って……まさか、あの“霧深き迷いの森”かい!?」


「はい」


「あんた、あの森を歩いてきたのかい!? あそこは禁域だよ! Aランクの私だって二度と入りたかないってのに!」


元冒険者だったのか。道理で肝が据わっている。


私が肩のリンを撫でながら「なんとか」と答えると、女将はしばらく呆気にとられていたが──やがて、豪快に笑い出した。


「はっはっは! 変わった子だねぇ! ま、いいさ。事情は聞かないよ。この村じゃ、みんな何かしら抱えてるからね」


「……ありがとうございます」


「さ、座りな! まずは飯だ。話はそれからだ!」


どん、と目の前に湯気の立つシチューが置かれた。


温かい。じんわりと、心まで温かくなる味だった。


王都を出てから、ずっと張り詰めていた何かが、ふっとほどけた。


「おいしい……」


「そうだろう? あたしはマーサ。この宿の女将だ。困ったらいつでも来な」


マーサさんは、肩のリンをじっと見て、首をかしげた。


「しかし、珍しい竜だねぇ。真っ白で……こんなの見たことないよ」


リンはシチューの匂いに釣られて、キュウキュウ鳴いている。


「この子、拾ったんです。罠にかかってて」


「へえ。まあ、よく懐いてること。……あんた、いい人間なんだねぇ」


マーサさんはそう言って、リンの分の小皿も用意してくれた。


人の過去も身分も問わず、実力と人柄だけで人を見る。そのサバサバした温かさに、私は久しぶりに、肩の力を抜くことができた。


(うん。ここでなら、やっていけそう)


──────


スローライフは、順調に転がり始めた。


森の入り口近くに小さな鈴細工工房を建て、魔物避けの鈴を作って売る。これがなかなか評判で、村人がこぞって買いに来た。


薬草も採れる。リンは日に日に元気になって、ついには小さな翼で少し飛べるようになった。


キュウ! と得意げに飛ぶリンを見て、私はぱちぱちと拍手した。


「すごいすごい。上手だよ、リン」


小さな達成感の積み重ねが、心地いい。


そして今日、私は村から少し離れた町の冒険者ギルドに来ていた。


「“霧の案内人”として、登録をお願いします」


カウンターの受付嬢は、きっちりまとめた黒髪に眼鏡の、生真面目そうな女性だった。


「かしこまりました。ええと……活動拠点は?」


「“霧深き迷いの森”です」


さらさらと書類を書いていた彼女の手が、ぴたりと止まった。


眼鏡の奥の瞳が、ゆっくりと私を見上げる。


「……もう一度、よろしいですか?」


「“霧深き迷いの森”を拠点に、迷い人の救助と、森の案内をします」


「……あの、アリシアさん」


受付嬢が、額に手を当てた。


「あそこは、国が指定した禁域なんですよ。踏破できた人間は、ここ百年で一人もいません」


「でも、私は普通に歩けるので」


「それ、普通の人間には無理なんですよ!?」


思わず、といった様子で声が跳ねた。はっと口を押さえ、彼女は咳払いをする。


「……失礼しました。受付のネリアと申します。ええと、証明できるものは……」


その時、扉が開いて、村人が駆け込んできた。


「大変だ! 旅の商人が、森の入り口で霧に呑まれて戻ってこない!」


ネリアさんの顔が青ざめる。


「森に……!? あそこに入ったら、もう──」


「行ってきます」


私は鈴を手に、さっと立ち上がった。


「え、ちょ、アリシアさん!?」


チリン、と鈴を鳴らして森に入り、迷っていた商人を見つけ出し、無傷で連れ帰る。ものの三十分の出来事だった。


呆然と立ち尽くすネリアさんの前に、私は救助した商人を差し出した。


「これで、証明になりますか?」


ネリアさんは、しばらく口をぱくぱくさせていたが──やがて、深いため息とともに、震える手で判子を押した。


「……登録、完了です。ようこそ、ギルドへ。“霧の案内人”アリシアさん」


そして、肩の上でくつろぐリンを見て、困惑げに呟いた。


「……随分、懐いた竜ですねぇ。というか、その竜も相当珍しい気が……」


私は曖昧に微笑んで、リンの頭を撫でた。


国宝竜だなんて、まだ誰も気づいていない。


──────


アリシアが王都を去った、翌朝のことだった。


第二王子ラウルは、けたたましい鐘の音で目を覚ました。


「なんだ、朝から騒々しい……」


寝ぼけまなこで窓を開けた彼は、その光景に凍りついた。


城壁の向こう。いつもは晴れているはずの空が、真っ白な霧に覆われている。


そして、その霧の中から──黒い影が、無数に這い出してきていた。


「な……なんだ、あれは!?」


深霧の魔物。何百年も、王都に近づくことすらなかったはずの化け物どもが、城壁に押し寄せている。


「聖女ミレーヌを呼べ! 結界を張らせろ!」


慌てて玉座の間に駆け込んだラウルは、そこで震えるミレーヌを見つけた。


可憐な栗毛の令嬢は、真っ青な顔で立ち尽くしている。


「ミレーヌ! 早く結界を! 聖女なんだろう!?」


「そ、そんなの……どうやって張るのよ!」


潤んだ瞳の演技も、今は完全に剥がれ落ちていた。


「あなたが言ったんじゃない! 判定さえ仕込めば、あとはどうにでもなるって! 私、聖女の力なんて、鈴も、結界も、なんにも張れないのよ!」


「なっ……お前が、玉座に近づきたいと言ったから──!」


二人は醜く罵り合った。


そのあいだにも、魔物は城壁を叩き続けている。民の悲鳴が、遠くから響いてきた。


──だが、彼らはまだ、真実を知らない。


この国を七年間、たった一人で霧の魔物から守り続けていた存在のことを。


毎朝こっそり銀の鈴を鳴らし、誰にも気づかれず、見返りも求めず、結界を張り続けていた“本物”のことを。


あの淡々とした一礼の意味を──読者だけが、知っている。


「私が離れれば、この国、霧の魔物に呑まれるよ?」


その静かな一言が、今、現実になろうとしていた。


──────


その男が森の工房に現れたのは、木枯らしの吹く昼下がりだった。


「頼む……頼む、戻ってきてくれ! 国が滅ぶ!」


泥だらけの礼装。乱れた金髪。憔悴しきったその顔を、私はしばらく思い出せなかった。


「……どちらさま?」


「アリシア、私だ! ラウルだ! お前の……お前の婚約者だった!」


ああ、と私は手を打った。


工房の作業台では、リンが丸くなって昼寝をしている。


「思い出しました。私を『無能』と呼んで、大聖堂で婚約破棄した方ですね」


ラウルは、がくりと膝をついた。


「あれは……あれは、間違いだった! 結界が消えて、魔物が押し寄せて、王都はもう限界なんだ! お前が、お前だけがあの結界を──!」


「気づいたんですね。今さら」


私は手を止め、彼を見下ろした。怒りは、湧いてこなかった。ただ、静かだった。


「私、もう聖女じゃないので」


「そこをなんとか……! 報酬なら望むだけ出す! 地位も、名誉も、王家との縁だって──!」


「要りません」


きっぱりと、私は言った。


「私、自由に、好きな鈴を作って、もふもふと暮らすって決めたんです。名誉も地位も、なんの魅力もありません」


ラウルの顔が、絶望に歪む。


でも、と私は続けた。少しだけ、口角を上げて。


「──鈴なら、売りますよ?」


「え……?」


「魔物避けの鈴。一個あれば、しばらくは王都を守れるでしょう。お売りします」


ラウルの顔に、一瞬、希望が差した。


「ほ、本当か! いくらだ!?」


私は、にっこりと微笑んだ。


「一個、国家予算まるごとで」


ラウルの表情が、凍りついた。


「な……」


「嫌なら、結構です。私は困りませんから」


チリン、と三つ編みの鈴が鳴る。


その時だった。


昼寝をしていたはずのリンが、むくりと起き上がった。


白銀の光が、工房を満たした。


小さな子竜だったリンの体が、みるみる膨れ上がり、光が収まった時──そこには、銀髪銀眼の、中性的な美青年が立っていた。


髪には、霧のような光の粒が纏わりついている。瞳の奥には、数百年を生きた威厳が宿っていた。


「な、なんだ、その男は……!」


膝をついたまま、ラウルが後ずさる。


青年は──リンは、ゆっくりとラウルを見下ろした。その眼差しは、氷のように冷たい。


「我が主に、無礼を働いた者か」


低く、静かな声。だが、その一言だけで、工房の空気が凍りついた。窓の外の霧が、ざわりと蠢く。


「わ、我が主……? 貴様、何者だ!」


リンは、うっすらと笑った。


「霧竜ネブリーナ。……お前たちが“国宝級の守護神”と呼び、数百年探し続けていた竜だ」


ラウルの顔から、血の気が引いた。


国宝竜。この国が、建国以来ずっと崇め、行方を追い続けていた伝説の守護神。


それが今、目の前で、罠にかかっていたあの子竜と同一の存在だと告げている。


「その守護神が、なぜ……」


「アリシアが、助けてくれたのだ」


リンは、ちらりと私を見た。銀眼が、ふっと柔らかくなる。


「罠にかかって震えていた私を、見返りも求めず介抱してくれた。お前たちが『無能』と切り捨てた、この娘がな」


そして再び、ラウルへと視線を戻す。今度は、氷の刃のように。


「我が主に無礼を働いた国など──霧で沈めてもよいのだぞ」


窓の外の霧が、ごうっと渦を巻いた。工房の外の森全体が、竜の怒りに呼応するように震える。


「ま、待て! 待ってくれ!」


ラウルが叫ぶ。


でも、と私は、リンの腕にそっと手を置いた。


「リン、待って。……沈める前に、見せてあげたいものがあるの」


リンは不服そうに眉を寄せたが、私の言葉におとなしく引き下がった。


この男には、まだ知らないことがある。


──────


私は道具入れから、一枚の羊皮紙を取り出した。


そこには、無数の細かな波形が、びっしりと刻まれている。


「これ、なんだと思いますか?」


ラウルは、意味がわからないという顔で首を振る。


「これは“鈴の音紋”です。私が結界を張るとき、鈴の音がどう響いたか──その魔力供給の記録が、全部刻まれています」


私は羊皮紙を広げてみせた。


「七年分。毎朝、私が王都に結界を供給し続けた証拠。音紋は指紋と同じで、一つとして同じものはありません。誰にも、改竄できない」


ラウルの顔が、ゆっくりと歪んでいく。


「つまり、この記録を王都の魔導院で照合すれば、はっきりするんです。──あの結界を張っていたのは、ミレーヌでも、あなたでもなく、私だったって」


「そ、それは……」


「そして、もう一つ」


私は、二枚目の羊皮紙を取り出した。


「聖女判定のあった日。あの水晶が反応した時の“魔力の流れ”も、実は記録が残っているんです。魔導院の記録室に。私がいたから飽和して、ミレーヌに反応が『流れた』──その不自然な流れが、そっくりそのまま」


ラウルの唇が、わなわなと震えた。


「あなたとミレーヌが判定を仕込んだこと。共謀の証拠は、もう揃っています。私が去ったあと、真面目な誰かが照合すれば、すぐにわかる」


ネリアさんの真面目な顔が、ふと頭をよぎった。


ギルドを通じて積み上げた私の実績と評判は、すでに世論を動かしている。“霧の案内人”が本物だと、誰もが知り始めていた。


「……終わりですよ、ラウル王子」


私は静かに告げた。


ラウルは、へなへなと崩れ落ちた。


王都では今ごろ、失脚寸前の彼と、馬脚を現したミレーヌが、逃げ場を失っているだろう。


可憐な演技も、身勝手な断定も、もう誰も信じない。


本物の力を持つ者を『無能』と切り捨て、偽物を担ぎ上げた──その報いを、二人は残らず受けることになる。


「証拠は、正式にギルドと魔導院に提出します。あとは、この国の法が裁くでしょう」


チリン、と鈴が鳴った。決着の、澄んだ音だった。


──────


断罪の後、王家からは何度も使者が来た。


聖女への復帰要請。莫大な報酬。爵位の授与。名誉の回復。


そのすべてを、私は丁寧に、そしてきっぱりと断った。


「私は、自由に、好きな鈴を作って、もふもふと暮らします」


そう告げると、使者は言葉を失って帰っていった。


──それでよかった。


名誉も地位も、私にはなんの意味もない。欲しかったものは、もう全部、この森にある。


工房の窓辺で、私は新しい鈴を磨いていた。澄んだ音が鳴るように、丁寧に、丁寧に。


「アリシア」


振り返ると、人型のリンが立っていた。


最近は、この姿でいることも増えた。銀髪に光の粒を纏った青年は、少し照れくさそうに私を見ている。


「なに、リン?」


「……その、な」


国宝竜。守護神。国を霧で沈められるほどの力を持つ存在。


そんな彼が、私が少し外出しただけで拗ねて、片時も離れたがらない甘えん坊だなんて、誰が信じるだろう。


リンは、視線を彷徨わせながら、ぽつりと言った。


「私は、ずっと、ここにいる。お前のそばに」


「うん」


「ずっと……ずっと、一緒だからな」


そう言った瞬間、リンの頬が、ぼっと赤く染まった。


数百年を生きた威厳ある竜が、耳まで真っ赤にして、そっぽを向いている。


私は、思わず笑ってしまった。


「うん。ずっと一緒だよ、リン」


そう答えると、リンはますます赤くなって、けれど嬉しそうに、私の隣に座った。


窓の外には、霧深い森が広がっている。


迷い人が来れば、鈴を鳴らして助けに行く。魔物避けの鈴を作って売り、薬草を採り、マーサさんの宿でシチューを食べ、ネリアさんに呆れられる。


そんな、なんでもない、けれど愛おしい日々。


私は磨き上げた鈴を、そっと鳴らしてみた。


チリン──


澄んだ銀の音が、霧の小径に響いていく。


今日も、森は静かで、優しい。私の、大好きな場所だ。


──霧深い森の小径に、今日も澄んだ銀の鈴が鳴る。


もふもふの、恋の芽と一緒に。

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