第12章(最終章) — 止まって、愛しい人
街は死の沈黙に包まれた。愛する人を救うため、ララが差し伸べたその手は、冷徹な神の心に「忘れ去られた記憶」を呼び覚ます。神としての傲慢が崩れ去り、レオンの意識の深淵で、消えかかっていた光が再び灯り始める。これは、終わりではなく、過酷な運命を乗り越えるための「始まり」の物語。
街は廃墟と化していた。
崩れ落ちたビル、ひっくり返った車両、空を覆う黒煙。血と焦げたコンクリートの臭いが空気に満ちている。かつてこの地域を支配していた犯罪帝国は、その影さえ残さず、テロと恐怖の中に消え去った。
破壊の只中で、ララはレオンを腕に抱いていた。
意識を失った彼は、あまりにも脆弱で、ただの平凡な少年のように見えた。つい先ほどまで世界を滅ぼさんとする神の力を見せつけていたとは思えないほど、静かな眠りの中にいる。
リウは沈黙の中でその様子を見守っていた。
リーは膝をついている。腕は震え、服は引き裂かれ、顔は血にまみれていた。だが、彼は生きている。それ自体が奇跡だった。
数秒間、誰も言葉を発しなかった。瓦礫の間を吹き抜ける風の音だけが響く。
沈黙を破ったのはララだった。
「……彼が、やったの?」
リーが顔を上げる。答えを見つけるまでに時間がかかった。
「いいや」
リウがリーを見つめる。「リー……」
「レオンじゃない」リーは意識のない少年を見つめ、言った。「彼の内にいた『怪物』だ」
ララはレオンを強く抱きしめた。彼女の涙が、彼の頬にこぼれ落ちる。
「なら、二人とも助けるわ」
リーが凍りつく。リウも同じだ。その答えは、あの惨劇の直後だというのに、あまりにもレオンらしい言葉だったからだ。復讐でも、破壊でもない。彼女は、ただ救うことだけを考えていた。
リーは頭を垂れ、やがて力なく笑い出した。疲れ果てた、力のない笑いだった。
「……お前たちは本当に、瓜二つだな」
レオンの精神世界。
そこは漆黒の闇に覆われていた。黒い鎖が空虚を貫き、影の山々がそびえ立つ。中心にある巨大な十字架に、レオンは今も囚われていた。力尽き、傷つき、抵抗する力は残っていない。
その時、かすかな声が聞こえた。
「私たちのもとへ戻ってきて」
レオンの瞳が、ゆっくりと開かれた。
「ララ……」
闇の向こうに、小さな、だが確かな光が見えた。闇がわずかに、しかし確実に後退していく。
その遥か遠くで、影の玉座に座るカイロスが、沈黙の中でそれを見つめていた。笑いもせず、嘲ることもせず、ただ観察している。紅い瞳からは傲慢さが消え、思考が宿っていた。
彼は自分の手を見つめた。あの瞬間を思い出す。ララが差し伸べた手、彼女の抱擁、そして自分を殺すことを厭わない少女の歩み。
「愚か者め」と呟くが、その声に確信はない。
脳裏に、数千年前の記憶が蘇った。憎しみや破壊が始まる前の、一人の女性の笑顔。
カイロスは突如として立ち上がった。
「違う!」
頭を抱える。「あいつは死んだんだ!」
世界が激しく揺れる。しかし、記憶は消えない。笑顔、温もり、希望。カイロスは震えていた。何千年も感じなかった、底知れぬ恐怖を抱えて。
現実世界。
組織の船が着陸し、医療チームが瓦礫の中に降り立つ。リウは疲労困憊しながらも指揮を執る。
リーは空を見上げていた。かつて聞いた言葉たちが繋がっていく。
『二人には計画がある』
『妹を離してはならない』
『彼女だけが彼を止められる』
全ては強さの問題ではなかった。カイロスを打ち倒すためではなく、レオンに届くため。そして、レオンを通じてカイロスに触れるための運命だったのだ。
「……そういうことだったのか」
リウが近づいてくる。「これからどうする?」
リーは、瓦礫の中でレオンを膝に乗せ、何者も寄せ付けない穏やかな表情で座り続けるララを見つめた。
「帰ろう。家へ」
数時間後。船が惑星を離れる。
レオンはまだ目覚めない。ララは旅の間中、ただの一度も彼から離れなかった。彼女がレオンの手を握ったとき、微かな光が彼の指先をよぎった。
レオンの精神世界では、鎖が錆びた金属のように脆く崩れ始めていた。
カイロスはそれを聞き、何も言わず、ただ静かに目を閉じ、影の底で再び座り込んだ。
周囲の闇は、以前よりも少しだけ、その色が薄れていた。
ララの声が、再び彼に届く。
「戻ってきて」
カイロスは、その声を追い払おうとはしなかった。ただ静かに聞き入っていた。
闇は、かつてないほどに静かだった。
――『ANJO NEGRO:Pare, Meu Amor』 終幕。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
今回のお話は「アンジョ・ネグロ(Anjo Negro)」ユニバースの第1シーズン中に起きた、特定の事件を描いたエピソードです。この物語は、とあるホラー・コンペティションの挑戦企画として書き上げました。
本作の主人公であるレオンとララ、そして彼らの関係性や、なぜカイロスが彼女を傷つけられなかったのか……その核心に触れる物語本編は、私の他の作品群(Anjo Negroメインシリーズ)にて公開しております。ぜひ、彼らの旅の全貌を追いかけてみてください。またどこかでお会いしましょう!




