来たらば去らん
小さいころから目は悪かったけど、耳はよかった。
「ねえ先生。このお薬ってなに?」
「これはね、きみの体が楽になるためのお薬だよ。苦いけど、我慢しようね」
いつも飲むお薬の中身は、何となく察しがついていた。
大人たちは大人の話を、聞こえないようにしてくれていたけど、この耳は話を聞いていた。
「成長を止めることは、これからあの子を支えるために必要なことなのです」
「ええ、わかっています。ありがとうございます、先生」
「大丈夫ですよ、お母さんお父さん。生きるものはいずれ死にますから、それほど気に留めなくとも」
「先生、あなた時々失礼と言われませんか?」
「……今のは失言でしたか」
「いえ、いえ、構いません。私たちもあの子が生きているだけで奇跡と思っていますから」
母上のすすり泣きと、先生と父上の声が聞こえる。
きっとおれは成竜になれないのだろう。
「あはは、まってよ! みんな!」
同い年の子と走り回っていた。いつも遅れて。
年下の子たちと走るとき、理解した。おれは体が悪いのだと。
男は三本角、女は四本角。おれは六本角。
できることよりできないことのほうが多いこの体は、年を重ねるごとにできないことが増えていく。
「母上、いつもありがとうございます」
「あら、どういたしまして。今日はたくさん食べられたのね」
「はい。みんなが愛情をこめてくれるので」
おれは恵まれているのだろうと、なんとなく思った。
父上が飽きないようにと大量の書物を送ってくれた。その書物の中には多くの悲劇や喜劇、歴史上起こったことや家系図まで様々なものが混ざっていた。
母上は時折同い年くらいの子や、年下の子、話し相手になりそうな子を連れてきてくれた。
その時、久しぶりに会ったのが彼女だった。
幼いのに立派な四本角と、立派な太い尾をもった少女。
みすぼらしく不揃いな六本角と小さく短い尾を持った、おれとは対照的な子。
いろんな子と話してみたり、会ったりしたが一番長く交流が続いたのは、彼女だった。
最初に会ったときは、まだ走ることができたとき。
誰よりも足が速く駆け抜ける竜。一番先から一番後ろを気にかける事が出来るほど、余裕があったあの竜が、おれを瞳に映す。
今。彼女の瞳には、少年か少女かもわからない程小さな竜が映っている。
「あなたの話を、もっともっと聞きたいです」
「いいですよ。そうですね……今日は、従姉妹と会う機会があったのですが――」
彼女の口から紡がれる言葉は、おれの心を何よりも楽しませてくれた。彼女は今日一日何があったか、朝食は何があったか、大人たちがどんなことを話していたか。大人とは違う、父母から聞く話ともまた違う、友人としての話。
彼女と話しているときだけが、おれにとって一番心が安らかになる時間。
彼と初めて会った時のことを、今でも鮮明に思い出せる。
かけっこの時、一番後ろで一生懸命に走っていた男の子。みんなに追いつこうと誰よりもまじめに走っていた子。
遊び終わったあとに声をかけると、嬉しそうに笑っていた。
「たのしかったね! またみんなで走れるといいなぁ」
はあはあと息をする。遊ぶときはいつも楽しそうで、彼と一緒にいるとわたしまで明るくなれた。
雄竜よりも強くなれと育てられていたわたしには、彼のその笑顔がまぶしかった。笑顔というもの彼から習い、ほかの子たちとの付き合い方を、彼から学んだ。
気が付くとわたしは子どもの中でリーダーとなり、同世代のどの竜にも負けないものとなった。少し年上の、体の大きい竜にも負けないほどの力を手に入れた。
体はぐんぐんと大きくなり、少しだけ肉つきが女性らしくなった。
でも、そのころになると彼を見かけなくなった。
「よかったら息子の話し相手になってくれないかしら」
生活に追われる中、彼の母親に話しかけられた。近頃、彼の母親がいろんな子たちに声をかけているのは知っていた。子どもたちの間で話題になっていたのだ。なんでも足の萎えた子の話し相手を、探しているらしい。
「いいですよ」
わたしは二つ返事で承諾した。ただし、親からはしっかりと鍛錬をし、上位の成績を収めるようにと言いつけられたが。
三日、四日に一度彼のもとを訪れる。手土産はわたしの話と、手作りしたお菓子。彼と話せる時間は短いけれど、ちょっとした息抜きになった。鍛錬ばかりの日常から、少しだけ彼のもとで尾を伸ばす。
くだらない話や大人が話していたこと、友達の間で話題になっていたこと、わたしが見聞きしたことを話す。すると、彼はいつも目を輝かせて食い入るように聞いていた。
今思えば、自身が体験できないことをいろいろと聞けてうれしかったのだろう。
そろそろつがいを迎えてはどうかと、父に言われた。群れの中で強いものは好きに選ぶ権利がある。強いものの部類に入っていたわたしは、誰をつがいとするのか決めていた。
父には大反対された。もちろん母にも。だから、掟に則り彼とつがいになった。
親を倒せない竜は、一人前じゃない。一人前の竜は、好きにつがいを得ることができる。わたしは、初めに母を倒した。その次に父を倒した。ふたりを倒したけれど、まだ一人前ではないといわれた。だから、父の手先として障壁になった祖父や叔父も倒した。これでわたしは一族の中で一番強い竜となった。
「これで、ようやくあなたとつがいになれます」
「……確かにうれしいけど、本当によかったの」
「はい、わたしが決めた事なので」
「君って、強情だよね」
「竜ですから」
彼とつがいになった時、彼の目はもう見えなくなっていた。それでも彼の瞳には希望があふれ輝いていた。彼と話すのは、いくつになっても楽しい。
「これから末永く、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
お互いに姿勢を正して頭を下げる。ふっと目が合い、かしこまった互いを見、笑いがこぼれた。
後いくつ生きられるのだろうか。あとどれくらい、彼女を見ていられるのだろうか。
程よく涼しくなった日、恒例の大会が開かれた。彼女はどの竜もなぎ倒し、連覇を達成している。
そんな中、おれは客席で会場の音を頼りに彼女の活躍を聞いていた。最近は外に出るのも大変になってきたが、父上がいつも連れ出してくれる。母上がいつも水や食べ物を与えてくれた。ほかの竜からは軟弱ものとみられているが、父上がいつも追い払っている。おれに気づかれないように動いているつもりだけど、この耳はいつだって何が起こったのかいやでも教えてくれた。だからおれは、傲慢にならずへりくだることができるのだろう。
ああ、また歓声が沸いた。彼女が勝ったのだ。司会者が勝者の名を読み上げる。おれには勿体ないほどに強い竜だ。ふと、わびしさを覚えた。彼女の横に立てたなら、どれほどよかったことか。
ごほごほと咳をする。今日は長時間動いたせいだ。小さく育った体を父上が持ち上げ、家へと帰る。おれはいつまで、生きるのだろうか。
「愛しています」
「はい、わたしも。あなたのことを愛してます」
一日の終わり。彼と同じ寝台に横たわり、尻尾を絡める。彼と視線は合わないけれど、尻尾を合わせれば感情が何となく伝わってくるのだ。わたしの大きくなった尻尾と、彼の幼いころからあまり変わらない、細長い尻尾。いつまでも一緒にいられたら幸せなのに。
彼はよく寝る前に、体をすり合わせてくる。まるで、自分がこの世にまだいることを確かめているみたいに。ほかの竜より少しだけ体温の高いわたしと、体温の低い彼。手を重ね、眠りにつく。
彼との子供は授かれない。体の弱い彼との接触は、医者から止められている。それに、彼の体は幼いころのままなのだ。彼は何も言わない。自分の体について嘆いたことを聞いたことがない。小さい体で、どれほどの感情を背負っているのか、わたしには本当の意味で知ることがなかった。
竜としての本能が、彼の子が欲しいと望んでいる。ほんの少しの寂しさが込み上げてきた。
彼と、こうやって寝るのはあといくつ程だろうか。
最近は、寝台から起きるのも辛くなってきた。彼女は強者として、次のリーダーとして忙しく動いている。おれにできることは、帰ってきた彼女をいたわり話を聞くことだ。少し前までは体のことでいろいろと悩んでいたが、今は特に気にしなくなった。だって、きっともうおれは死ぬ。彼女との日々の幸せ以外に頭を使いたくない。できるだけこの耳で彼女の声を聴きたい。息遣いを聞きたい。心臓の音を聞いて眠りにつきたい。
死ぬことが恐ろしいと、死ぬ前になれば思うのだろう。そう考えていた。けれど、恐ろしく感じることはなかった。だって、彼女と出会って番う事が出来たのだから。これ以上幸せなことはないのに、なぜ死ぬことを恐ろしく思う必要があるのだろうか。とっくに死んでいた命が、ここまで持つ事が出来た。それどころか最愛の竜を見つけられた。
ごぽりと、胃の中のものをすべて吐き出す。体が食事を受け付けなくなってきた。
あと数か月、あと数日。己の吐く音だけが聞こえてくる。バクバクと心臓がなる。冷汗はない。不規則に動く心臓は一日でも早くこの命を終わらせまいと動いてくれている。
できることなら、おれの死が彼女をもっと高くへと引き上げられるといいのに。
忙しさにかまけて彼のことを見る時間がなかった。そんな言い訳ばかりが頭の中を駆け巡る。気が付いた時に、彼はもう話すのも辛そうだった。あれほど話していた彼は、ただじっと横になってこちらに顔を向けている。
弱弱しく彼のしっぽが動く。ああ、わたしもあなたに会えてうれしい。答えるように彼のしっぽへと、自分の尾を絡める。寝台に腰掛け、彼の首をさする。体温は低くなっていた。まるで死体だ。それでも彼は生きている。
「ごめんなさい。わたし、もっとあなたのそばにいるつもりだったのに」
言葉は帰ってこない。ただ、彼の瞳が薄く揺らぐ。
「どうしよう。ああ、あなたとの別れが考えられないの」
「おれね」
小さくささやく声。
「きみの、はじめての、死の体験がおれでうれしいんだ」
「きみは強い。おれがいなくなっても、生きていける」
空咳が続く。
「どうか、同胞たちを率いてくれ」
「どうか、長生きをしてくれ」
唇を動かすのも、辛そうにしている。
「あいしてくれて、ありがとう」
彼は疲れたのか、そのまま眠りについた。
「わたしのほうが……あなたから愛をもらったのに」
届かぬ声が静かにこぼれる。彼はもう、耳が聞こえなくなっている。
その日は朝から忙しかった。寝台から飛び起きて、彼が眠っているのをしり目に走り出す。近頃、別の一族と争いごとになりかけていた。それを収めるために走り回る。ようやく落ち着いたと思ったときには、家を出て三日ほど時間がたっていた。家に近づくと、普段彼の世話をしてくれている者が立っていた。いやな予感がした。こういう時はたいてい当たっている。そして、その予想は的中してしまった。
彼が元気だったころに、世話竜へと伝言があった。もし、おれが死んだときに彼女が忙しそうであれば何も言わないでくれ、とのことだった。彼は幼いころから気が利いていた。こんな時まで気が利いていたのだ。危篤が近いことを、わたしは知っていたはずなのに。つがいの死に目にも会えなかった。
彼を埋葬した日は晴れていた。いやなほどに。足元がふわふわとする。まだ実感はない。いまでも寝台に行けば彼がそこにいる気がした。埋葬した次の日から、わたしは仕事にかかった。疲れて帰ってきたとき、寝台で出迎えてくれるものはいなかった。そんな日が数日続いた。
気が付けば、彼のいない日常が当たり前になっていた。ひと月が立ち、半年がたった。
一年がたった。今でも、彼が出迎えてくれるなんて妄想にとらわれている。きっと、彼は長い旅に出かけたんだと。どこまでもかけていける体で、ほんの少し家を留守にしているのだ。
いつまでもそばにいられないことを、知っていた気がしたのだ。
わたしは何も知らなかった。別れがこれほどつらいということを。
彼の両親に会う機会があった。葬式の時は記憶がなかった。ただ、時が流れていくことしかわからなかった。
「竜長」
「やめてください、義父上」
「いえ、どうかこのままで。あなたは、我々の……あの子の竜長なのですから」
「お忙しい所、時間を割いてくれて感謝いたしますわ」
久しぶりに会った二人は、少しやつれていた。あれほど大切にしていた一人息子が亡くなったのだから仕方がないのだろう。
「竜長、次の……つがいをそろそろご考えになってはいかがでしょうか」
彼の父が口を開く。いま、何と言ったのだろうか。
「わたしのつがいは彼だけです」
考える前に答えていた。長として、思考をやめてはならぬというのに。本能が叫んでいる。わたしのつがいは、ただ一頭の竜だけだと。
「もう三年が経ちました。竜長、どうか、いずれは新しいつがいを得てください」
「いいえ、わたしはつがいません。義父上。いくらあなたに言われようとも、」
「あなたは本当の意味で、息子と番っていないというのに、なぜそれほどかたくなになるのですか」
沈黙が流れていく。
「義父上、あなたと言えどいっていいことと悪いことがあります」
「ええ、それは存じ上げています。ですが、あなたが強くなることを息子は望んでいた」
「わたしが強くないとでもおっしゃるのですか」
「はい」
思わず目の前にいる竜をにらみつける。わたしが強くないと? なにを知っているのだろうか、この竜は。わたしは誰よりも強くなったから、つがいを得る事が出来たのに。彼を得たというのに。
「あなたはもっと強くなれる。肉体が強くとも、精神的には未だ弱いままだ」
「彼から愛を受けたわたしが、本当に強くないとあなたは言うのか!」
「あなたは幼いままだ」
「ちがう! わたしは幼くなどない。つがいを得、別れを経験したのだ」
「あなたが息子と共に過ごしてくださったことに、感謝をしてはいます。ですが、これとそれは別の問題だ」
今まで否定していたことだ。今まで考えから省いていたことを、目の前の竜ははっきりと言葉にした。
「我々はつがいを失うと、半年もたたずに死ぬことをあなたが存じ上げないはずない」




