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7話 過剰な守護

俺の脳内で、警報がけたたましく鳴り響く。


まずい。まずいまずいまずい!


この人の「提案」は、事実上の「決定」だ。

ここで下手に反論すれば、明日にでも俺の退学届が学園に提出され、俺は物理的に教会の鳥かごに囚われることになる。


「ま、待ってくださいリリシア様!」


俺は全力で、猛烈に、必死に前言を撤回した。


「辞めません! 学園、辞めませんから! よく考えたら、学園生活って最高です! 友達がいなくたって、一人でいる時間は自分を見つめ直す良い機会ですし! 噂なんて、人気の証拠みたいなものですし! アハ、ハハハ!」


乾いた笑いが静かな個室に虚しく響く。

俺のあまりの変わり身の速さにリリシア様は少しだけ目をぱちくりさせた。


「あら、そうですの? あなたがそう言うのでしたら……」


リリシア様は、ほんの少しだけ残念そうに眉を下げたが、すぐにいつもの慈愛に満ちた笑みに戻った。


「でも決して無理はなさらないでくださいね。学園が辛くなったら、いつでも私の胸に飛び込んできていいのですから。そのために、あなたのための愛の巣は常に準備しておきますわ」


……脅威は去っていない。


俺の首筋に冷たい刃が常時突き付けられた状態になっただけだ。少しでも「辛い」と口にすれば、即座に監禁生活がスタートする。


俺の交渉は、最悪の形で「現状維持、ただし、爆弾付き」という結果に終わった。



翌日から俺の学園生活は新たなフェーズに突入した。名付けて、『作戦コード:ハッピー・プリズナー(幸福な囚人)』。


とにかく俺は幸福でなければならない。


教室で孤立していても、にこやかに。

廊下でヒソヒソ噂されても、余裕の笑み。

窓の外からリリシア様が監視していても、爽やかにサムズアップ。


俺は、俺がこの学園生活を心の底からエンジョイしている、幸福な一生徒であることを全身全霊でアピールし続けなければならなかった。


「……おはよう、アランくん」 


「おはようございます!」


エマさんが少し戸惑ったように挨拶してくる。


もちろん俺は満面の笑みで返した。


俺の笑顔が胡散臭すぎるのか、エマさんは「う、うん……」とだけ言って足早に去っていく。ダメだ、完全に挙動不審者だ。


そんなある日の放課後。


俺は教師に頼まれ、重い教科書の束を運んでいた。両手が塞がり、視界も悪い。


その時だった。


ガクンッ!


俺は廊下のわずかな段差に気づかず、大きく体勢を崩した。

教科書が雪崩のように崩れ落ちていく。


「うわっ!?」


「おっと、危ない!」


その瞬間、ひょいと横から伸びてきた腕が崩れかけた教科書の山を支えてくれた。


「大丈夫か、後輩? すごい量だな」


「あ、ありがとうございます……!」


助けてくれたのは、顔見知りの上級生だった。確か、レオ先輩とかいう、快活で評判の良い人だ。


なんて良い人なんだ……!

この殺伐とした学園で唯一の良心……!


俺が感動に打ち震えていると、そのレオ先輩が屈託なく笑った。


「はは、礼には及ばないって。どれ、半分持ってやるよ」


「いえ、そんな、悪いです!」


「遠慮すんなって。困ったときはお互い様だろ?」


そう言ってレオ先輩が教科書の山に手を伸ばした、まさにその時。


「――まあ、ご親切な方ですこと」


全ての空気が凍った。


いつの間にか、俺たちのすぐそばにリリシア様が立っていたのだ。


「アランくんを助けてくださり、ありがとうございます。私からも、お礼を申し上げますわ」


完璧な聖女の笑み。しかし、その奥にある「何か」を俺の生存本能が鋭く感知する。

レオ先輩も、目の前の絶世の美女に、一瞬だけ頬を赤らめたが、すぐにその異様な雰囲気に気づいたようだった。


「い、いえ、当然のことをしたまでです、聖女様」


リリシア様は、レオ先輩へと一歩近づいた。

その笑みは変わらない。だが、その瞳は獲物を値踏みする捕食者のように冷たく光っていた。


「でも、アランくんは私が守りますので。ご心配には及びませんわ」


「は、はあ……」


「……ところで、あなた」


リリシア様はふっと声を潜めた。


「少し『穢れ』が溜まっているようですわね。魂が澱んでいらっしゃる。よろしければ、私が特別に『お祓い』をしてさしあげましょうか?」


『穢れ』。


聖職者が口にするその言葉の重みをこの世界の人間なら誰もが知っている。それは、単なる汚れではない。魂の腐敗、神に見放された者の烙印なのだ。

そして、聖女による『お祓い』は、慈悲深い救済であると同時に逆らえば魂ごと消滅させられかねない、絶対的な力の行使を意味する。


レオ先輩の顔から、さっと血の気が引いた。

彼は、リリシア様の後ろに何かこの世ならざるもののオーラでも見たかのように、わなわなと震え始めた。


「も、申し訳ありませんでしたぁっ!!」


レオ先輩は教科書を放り出すと、脱兎のごとく逃げ去って行った。廊下の角を曲がるまで一度も振り返らなかった。


一人、廊下に取り残された俺の背中に冷たい汗が伝う。


床に散らばった教科書が、やけに虚しい。


リリシア様の「守護」は、ただのストーキングや友人関係の妨害ではなかった。

彼女は、俺に近づく全ての「害虫と彼女が認識したもの」を霊的なレベルで完全に排除しようとしているのだ。


愛情じゃない。これは支配だ。


完璧な神聖にしておぞましい完全支配。


俺は、心の底から戦慄した。


逃げなきゃ。

何があっても、ここから……この聖女から、逃げ切らなきゃ。


さもなければ、殺される。

社会的に、そして多分、霊的に!


俺の脳内で生存本能が最後の、そして最大の警鐘を鳴らしていた。

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