最終話 俺たちの日常が始まる
査問会という名の嵐が過ぎ去り、学園には嘘のような平穏が訪れていた。
聖女リリシアは、俺という『公式監督役』の監視下におかれることを条件に、その咎を全て許された。
その日の放課後。
俺は一人、中庭のベンチに座り、空を眺めていた。これからのことを考えていたのだ。
彼女の監督役として、彼女の隣に立つことを受け入れた。
一体、この先どんな日々を送るのだろうか、と。
「――アランくん」
不意に名前を呼ばれ顔を上げる。
そこに立っていたのは、リリシアだった。
彼女は、少しだけ俯きながら、小さなバスケットを、俺の前にそっと差し出した。
「あの……もし、よろしければ……お茶、でも、いかがですか?」
そのおそるおそるといったような、上目遣いの問いかけ。かつての、有無を言わせぬ、強引な彼女の姿は、今やどこにもない。
そんな状況に俺は思わず笑ってしまった。
「ああ。喜んで」
俺たちが、並んでベンチに座り、彼女が淹れてくれた少しぬるい紅茶を飲む。
気まずい沈黙が続く。
だが、決して不快なものではなかった。
お互いが、新しい二人の距離感を探っているような、そんなむずがゆい時間。
先に口を開いたのは、もちろん彼女だった。
「……私、本当にあなたに、酷いことをしました。許されるとは、思っていません」
「もう、いいんだ。その話は」
俺は空を見上げたまま言った。
「確かに、最初は、あんたから逃げ出すことしか考えてなかった。正直に言って、ヤバいストーカーだと思ってたしな」
彼女の肩がびくりと震える。
「でも」と俺は続けた。
「でも、あんたの、不器用なところも、寂しがり屋なところも、誰かのために無茶をするところも、全部知った。……馬鹿みたいだけど、放っておけないんだよ、俺は」
俺は彼女の驚いたように見開かれた、翠色の瞳をまっすぐに見つめた。
「だから、これは監督役としての、初めての、そして最後の命令だ」
俺は、少しだけ意地悪く笑ってみせた。
「もう、一人で勝手にいなくなるな。俺のそばにずっといろ。……わかったか?」
それは、かつて彼女が、俺に押し付けてきた歪んだ独占欲の言葉。だが、俺の口から発せられたその言葉は、全く違う意味を持っている。
不器用な、俺なりの告白。
そして、彼女を二度と一人にはしないという誓いの言葉だ。
リリシア様の瞳から、大粒の透明な涙が一筋こぼれ落ちた。
だが、その顔は、今まで俺が見た中で一番、美しく幸せそうに笑っていた。
「……はいっ!」
彼女は子供のように力一杯頷いた。
「はいっ! 私のアラン様!」
◇
――こうして俺の受難の日々は、終わりを告げた。……かのように、思われた。
「アラン様! 明日の朝食は、愛を込めた特製のオムレツにしますわ! 腕によりをかけて作りますからね!」
「アランくん、おはよう! 今日もリリシア先生と一緒なんだね! 本当に仲がいいんだからー!」
「フン。ウォルトン。あまり聖女殿を甘やかすなよ。監督役は君なのだからな」
「アラン様とリリシア様の尊い関係……! ああ、今日も、一日頑張れますわ!」
俺の周りは相変わらず騒がしい。
そして俺の隣には、甲斐甲斐しく、時々、暴走しそうになりながら、俺の世話を焼こうとする一人の聖女様。
「リリシア。頼むから、料理だけは、もうしないでくれ。な? 俺が作るから」
「まあ、アランくんの手料理! 嬉しいですわ! では、私が、あーんしてさしあげます!」
「それも、いらん!」
付きまとわれていたはずの俺の日常は、いつの間にか、世界で一番手のかかる聖女様の世話を焼く、騒がしくも、まあ、悪くない日々に変わっていた。
美少女にモテたい、という俺のささやかな願望は、少しだけ形を変えて、でも確かに叶えられたのかもしれない……。
いや、これは叶ったと言えるのか……?




