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38話 揺らぐ法廷

大講堂は水を打ったように静まり返っていた。


リリシア様は、涙に濡れた瞳で、ただまっすぐに俺を見つめている。その表情は、俺が今まで見たことのないほど、弱々しく、そして人間らしかった。で、静寂を最初に破ったのは、監察官クレマンの冷え切った声だった。


「……静粛に」


彼は、俺の予期せぬ反撃に一瞬言葉を失ったものの、すぐにその老獪な顔に冷たい仮面を貼り付けた。


「証人の個人的な感傷や根拠のない同情論は、この神聖な査問会において、何の意味も持たない。聖女リリシアが、その立場を濫用し、常軌を逸した行動をとったという事実は、揺るぎないのだ」


クレマンは、この流れを強引に断ち切り、断罪へと舵を切ろうとしている。

まずい。俺一人の言葉だけでは、この巨大な権力の奔流を押しとどめることはできない。


俺が唇を噛み締めた、その時だった。


「――異議あり」


凛とした声が響き渡った。

声の主はジュリアス様だった。彼は、静かに立ち上がると、クレマンをまっすぐに見据えた。


「監察官殿。あなたは、彼の言葉を『根拠のない同情』と断じられた。だが、我々がエルム村で発見した、この日誌を読んでも同じことが言えるかな?」


ジュリアス様は懐から、あの古びた滞在記録を取り出し、高々と掲げた。


「ここには、彼女がたった一人で地獄のような村で戦い抜いた、その全てが記録されている。これは感傷ではない。動かぬ証拠だ」


続いて、ソフィア様が優雅に立ち上がった。


「監察官様。わたくしからも証言を許可いただきたく存じます」


彼女はクレマンの許可も待たずに話し始めた。


「わたくしは、リリシア様の行動をずっと間近で拝見してまいりました。その行動は、確かに常識の範疇(はんちゅう)を超えるものだったかもしれません。ですが、その根底にあったのは、悪意や私欲では断じてなく、あまりにも純粋で、そして、不器用なまでの『守護への渇望』でした。過去に救えなかった魂への贖罪として、アラン様という『神の器』を、今度こそ完璧に守り抜こうとする、悲痛なまでの祈りだったのです」


ソフィア様の説得力に満ちた言葉が傍聴席の貴族たちの心を確実に掴んでいく。

彼女の言葉は、リリシア様の行動を下世話なスキャンダルから気高くも悲しい聖なる物語へと昇華させた。


そして、最後にエマさんが震える足でしっかりと前を向いて立ち上がった。


「私は、難しいことは分かりません! でも、私、見ました!」


彼女の真っ直ぐな声が講堂に響く。


「学園祭の時、喫茶店の準備をしていた時、リリシア先生は、私たちが作った飾り付けを見て、すごく、すごく、寂しそうな顔をしてたんです! 自分がいない場所で、アランくんが笑ってるのが、ただ、寂しかったんだって、私には分かりました!」


エマさんは涙をこらえながら叫んだ。


「彼女は、悪い人なんかじゃない! ただ、どうすればいいか分からない、一人の不器用な人なだけなんです!」


ジュリアス様の論理的な証拠。


ソフィア様の権威ある解釈。


そして、エマさんの純粋な心の叫び。


俺の、三人の仲間たちが放った言葉は、それぞれが強力な矢となって、クレマンの築いた「正論」の壁に次々と突き刺さっていく。


講堂の空気は、完全に変わっていた。

もはや、リリシア様を断罪しようという雰囲気は、どこにもない。そこにあるのは、彼女の過去への同情と俺たち四人の友情への感動だけだった。


監察官クレマンは顔を怒りと屈辱に醜く歪めていた。彼の、完璧なシナリオは、俺たち四人の予期せぬ連携によって、完全に粉砕されたのだろう。


「……本日の査問会は、これにて閉会とする!」


彼は、それだけを吐き捨てると、急いで大講堂から去って行った。残された査問官たちも慌てて、その後を追う。


残されたのは俺たち四人と、ただ呆然と俺たちのことを見つめているリリシア様だけだった。

彼女の涙に濡れた瞳には、もう戸惑いの色だけではなかった。

そこには、感謝と驚きと、そして生まれて初めて誰かに「守られる」という経験をした、少女のような戸惑いの光が宿っていた。

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