心の無い化け物
その日の目覚めは、いつもとちょっと違った。
ベッドでぼやーっと目を開けると、まずその違和感に顔をしかめ、起き上がるなり窓を開けて神経を研ぎ澄ます。
……なんだか、空気がピリピリしている。嫌な感じだ、体の中で何かがぐるぐる渦巻いてるような。
そしてそれを感じていたのはあたしだけじゃなかったみたいで、身支度を終えて一階に降りると、高遠くんも不快そうな顔をして窓の外を睨んでいた。
「高遠くんも?」
「……ああ。なんだか胸騒ぎがする、はっきりとは分からないけど」
あたしは頷いて、同じく騒ぐ胸に手を当てる。
あたしと高遠くんのそこには、タイトルは違うけど同じものが収められているはずだ。
そして神さまから武器として与えられたそれが互いに騒ぐということは、まず間違いなく、良い知らせじゃないだろう。
「気のせいかもしれないけど、一応騎士団の二人に報告しておこうかな。備えておくのに越したことはないし」
「そうだねー……うーん、お昼に送別会してくれるって言ってたけど、こんな調子じゃおなかいっぱいは食べられないかも……エリュシカにも相談してみるね」
報告の方は高遠くんにお願いしていってらっしゃいと見送り、あたしはひょこっとキッチンを覗く。
が、いつもそこにいるはずの働き者な小さな背中は見当たらず、代わりにお玉の突っ込まれた大きなお鍋と、お皿の上においしそうなサンドイッチが山盛り、そしてかわいらしい丸い文字の書置きが残されていた。
『森にベリーが実る時期なので、少し摘んで来ようと思います。スープのお鍋は温めてから。お昼もあるので、サンドイッチはほどほどに』
あたしは目を瞬き、それから、生まれて初めて朝ごはんを抜いて外に飛び出した。
森の木々に囲まれて、いくつものお墓が並んでいた。とは言っても簡素な、十字に結んだ木の棒を無造作に突き刺しただけの、まるで見よう見真似のおままごとみたいな異質さの。
この森に墓標が立てられ、これだけ大量に土に埋められて弔われるものがあるとしたら、それは何なのか。
当事者であるあたしは聞かなくても分かってしまったし、だからこそこのお墓を作ったであろう人が──
地面に散らばったベリーの脇にへたり込み、震えて声も出せずに泣きじゃくるエリュシカを見下ろし、悩まし気な表情でたたずむその美しい女の人が、どこの誰なのかもある程度の察しがついてしまった。
角の生えた一匹のちいさな子豚がその足元にちょこんと立ち、甘えるように耳をすり寄せている。久しぶりに見た、まず間違いなくアダムとイブも残さずに根絶やしにしたはずなのに。
「指が二十本、目玉が二つ、手足は四本……やっぱり墓の数に対して全然足りないわ。ねえお前、口の中に歯は何本あるの? 数えたいから笑ってちょうだい、ほら」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……ベリーのタルト、お昼までに焼いて、今日が最後だから……」
「人間ってどうしてみんな泣くの? それで何か良いことがあるの? ほら、震えてないで笑って。いーってしなさい」
苛立つでもなく急かすでもなく、ただただ単純に『人の気持ちが分からない』だけの声で淡々と告げて、その人は錯乱状態で絶叫するエリュシカの髪を掴んで引っ張った。まるで人形にそうするみたいに。
綺麗な人だった、人間離れして。
太陽のない世界で育ったみたいに真っ白な肌に、夜みたいな色の艶のある長い髪。瞳と唇だけがまるで血のように赤くて、ひとつ瞬きや言葉を落とすたびに心臓が冷えるような心地がした。
華奢な体を真っ黒な軍服調の制服で包んでいるけれど、スカートから伸びる長い脚は決して鍛えられている様子でもなく、どう見ても非力にしか思えない。今すぐスキルを使って駆け出したら、きっと簡単にボコボコにできそうなぐらい。
だけどそれが出来ないのは、その人が放つ空気がひりつくような異常な威圧感と──何より喋ってる内容がめちゃくちゃで、ただの一つも共感できなかったからだ。
ギュスタさんの言葉を思い出す。人間と虫の区別も付いていないような。あれらは人間と同じ姿をしていても、中身は心の無い化け物だ──
「……その豚たちだって、無関係な女の子をお供えされても浮かばれないでしょ! やっぱり恨みのある張本人じゃないと!」
その後に続く『勝とうと思うな、被害を最小限にして生き延びることだけを考えろ』という忠告はカットして、あたしはびしっとその人を指さして大声を上げた。
気づいたエリュシカがカタカタと震えながらあたしを見て、それからやや遅れて、女の人は赤い瞳をゆらりと巡らせてこちらを向く。そして一目見て言った。
「あなた、随分遠くから来たのね」
その言わんとする意味が当然分かって、あたしは身構える。
彼女はもうエリュシカには完全に興味を失ったみたいにぱっと手を離すと、あたしに向けてにっこりと微笑んで見せた。小鹿のように四つ這いで震えるエリュシカに、どうにかこくこくと頭を振って逃げるよう促す。
「……魔獣を操る魔族がいるって聞いたけど、この森を豚の巣にしたのはあなたなの?」
逃げるエリュシカにはもう一瞥もくれずに、彼女は──その魔族は、きょとんと目を瞬いて何でもないことのように言った。
「操ってる訳じゃないわ、ただ可愛がってるだけ。魔族の魔力の使い道は個体によって様々だけれど、私は魔獣を生み出すのが得意なの。たくさんいると可愛いでしょう? だから増やして増やして、減らしてくる奴がいたらそいつの方を減らしてあげてるだけなの。人間にはこう呼ばれたりもするわ、『獣飼い』のマリアって。まあ名乗ってもすぐ死んじゃうからあんまり覚えてもらえないのだけど……あなたもすぐそうなるわね、遠くから来たお嬢さん。寂しいわ」
かけらも寂しくなさそうに愛らしく微笑んで、マリアと名乗った魔族は「でも」と温度の無い声で呟いた。
「確かにあなたも少しは私のペットに手を出したみたいだけど、一番じゃないわ。剣を持ってるお友達はどこ?」
聞き出そうとしていることが分かって、「いや死んでも言うわけないでしょ」と歯を食いしばった直後、一瞬で目の前に迫っていた赤い瞳に射抜かれて息が止まる。
その隙にマリアはあたしのおでこを遠慮なく鷲掴みにすると、長い爪を食い込ませて力を込めてきた。アーーー!!!何!!??痛い痛い痛い!!!
だけど何かを見透かすように赤い目が細められると、マリアはすぐにぱっと手を放し、まるで恋する乙女のように頬を染めて嬉しそうに言った。
「そう、あの町にいるのね。ありがとう。彼とあなたと、ついでに町の人間みんな合わせたらお供え物も足りるわよね。そもそもあなた達が山ほど殺すからこんなにお墓が必要になったんだもの、分かってくれるわよね?」
ず、ずるい、思考まで読めるなんてずるすぎる!!こっちは本一冊だけ持たされて送り込まれたって言うのに!!
ていうか一番知られたくない人の情報を抜かれたことにあたしは青ざめ、せめて少しでも足止めしようと胸に手を当てる。
何か、何でもいい、ちょっとでも高遠くんが逃げる時間が稼げるスキルがあれば……!
だけど一騎打ちの覚悟を決めるあたしに対し、マリアはにっこり笑って首を横に振った。
「あなたをここで殺すことはとても簡単なのだけど、やっぱり私と同じ痛みを感じてもらってからじゃないと気が済まない。大事なものを奪われる痛み、じっくり味わってから死んでちょうだいね」
そう言って、足元の子豚をそっと抱き上げて愛おしそうに額に口をつけると、懐から取り出した何かを──怪しくキラキラと輝く赤い小さな宝石を、そこに躊躇いもなくえぐるように埋め込んだ。
めっちゃ痛そう、と思わずおでこを押さえたのもつかの間、あたしはすぐにその手で目を覆うことになった。目の前一帯にあふれた、まばゆい赤い光に焼かれかけて。
「私とても忙しいの。また北に戻らなくちゃ、貴女の悲鳴が聞けなくて残念だわ。さようなら、遠くから来たお嬢さん。天国で私のペット達に会えたら、今度は喧嘩しないで仲良くしてね」
あんなもんが天国にいけるか、と胸中で抗議を叫びつつ、地面がぐらぐらと揺れる衝撃と木々がなぎ倒される轟音に体をこわばらせて耐えた後──
目を開けるとそこにマリアの姿は無く、子豚がいたはずの地点に、いた。なんかとんでもないものが。
「な、な、なななな……」
見上げた先をもっと見上げた先、はるか木々も空も覆い隠すようにそこに立つ──
角の生えた山のように巨大な真っ黒な猪が、鋭い牙が覗く大きな口を開け、地面を割るようなとんでもない咆哮を上げた。
全身を覆う毛が震え、岩のような前足の蹄が地を数回蹴るのが見える。わー!?
とっさに胸に手を当て、その奥にある本のページを爆速でめくる。
猪が突進してきたギリギリの瞬間に俊足スキルを発動し、どうにか衝突を避けて息を吐いたのもつかの間、あたしは今度は慌ててその後を全速力で追いかけた。あの先にあるのは町だ。
* * *
転がり込むように戻ってきた町は、台風が猪突猛進していったように真っ直ぐ一直線に崩壊していた。ていうか本当に猪が突って行ったんだろうけど。
町の入り口は逃げ惑う人の喧騒で混乱を極めていて、あたしは崩れ落ちた煉瓦や石畳を乗り越えながら人の流れに逆行して宿の方を目指す。エリュシカが心配だ、あんなに怯えてたし一人で動けなくなってるかもしれない。
大通りを抜け、嫌な予感を振り切るように勢いよく宿の扉を開ける。
そこであたしが目にしたのは、欠けた鎧を纏い、さらさらの長い髪を血で赤く染めたルードレイクさんが、崩れ落ちるように床に倒れこむその瞬間だった。
ガチャン、と玄関に響いた大きな金属音に、ハッとして叫ぶ。
「ルードさん! ……あ、血、どうしよう、止めなきゃ、こんなにたくさん……」
ガタガタと震える手で制服のポケットから取り出したハンカチを傷口に当てると、みるみるうちに角まで真っ赤になってしまって青ざめる。
最悪の結果が怖くて震えながら子どものように泣いていると、ルードさんは血の気の無い顔に薄く笑みを浮かべて、ぐったりしたまま弱弱しくあたしの手を払いのけた。
「……頭の出血は派手に見えるものですから、泣く程の負傷ではありませんよ。あなたを探していたんです、無事で良かった」
全然無事じゃないルードさんはそう言って、激しく咳き込んだ。一言喋るごとに痛みが走るようだった。骨が折れてるのかもしれない。鎧は何か強い衝撃を受け止めたように大きく破損していた。
「あのでっかい猪にやられたんですか? ギュスタさんと高遠くんは!?」
「無事だと思いますよ、私はこの様ですがギュスターヴ様は剣の腕だけは確かですし、タカトオ君に関しては言わずもがなですから。攻撃力は圧倒的にこちらが上です。ただ……あれは、もう勝てないものなのかもしれません」
「勝てない?」
呟くルードさんに、あたしは窓の外を見る。この異世界で戦って勝てなかったらどうなっちゃうのかってことぐらいは、いくらバカなあたしにも分かった。
立ち上がりかけた腕を、ルードさんに掴んで止められる。反動で揺れる視界の中、細い指に込められた力の強さと冷たさに思わず息をのんだ。
「私は上官命令でここに来ました、『戦線を離脱し、逃げ遅れている市民がいたら誘導し保護しろ』と。負傷して使い物にならなくなった騎士は前線に置く価値がありませんから」
悔しそうに目を細めて、ルードさんは自嘲した。でもそれはきっと騎士としての言葉で、ギュスタさんは本当はただルードさんに生き残ってほしかったんだと思うけど。
「……高遠くんはなんて?」
「邪魔だから絶対に来るなと。足手まといになるだけだから大人しくしていてくれ、そう伝えてくださいと、非常に胸が痛そうな顔でお願いされました」
あたしは目を瞬き、それから思わず吹き出して、高遠くんにも苦手なことってあるんだなとちょっと安心した。人を突き放すのが下手くそ過ぎる。
そんな似合わないことをさせちゃって申し訳ないのに、あたしが初めてだったらちょっとうれしいなって、場違いなことを思ってにやけてしまった。
「ちなみに、これでも効かないようなら絶交するとのことでした」
「ヒェ……」
突き放し方極端すぎる、と青ざめつつ、それはもちろん嫌だけど二度と会えないのと天秤に乗っけたら後者が机にめり込むだけなので、あんまり効果はなかった。背中におなかは代えられないってことだ。
「……やはり迷わないんですね、あなたは」
「いや、ここで追いかけない人はそもそも異世界まで追いかけてこないですからね。ルードさんとケンカしたくないけど、止めるって言うならあたしも頑張って全力でディベートを……」
ふいにするり、と指がほどけて、ルードさんはあたしの腕を放した。ぽかんと目を丸くするあたしを面白そうに見上げて、くすりと微笑んで言う。
「騎士としてはタカトオ君に同意ですが……個人的な意見を言ってもいいのなら、大切な人にもう会えなくなるかもしれない瞬間に、そばにいられない辛さも分かりますから。後悔しないようにアリアちゃんの好きにしてください。……ついでに、私の代わりにあの人のことをよろしくお願いしますね。強がってすぐ無茶をするので」
にこりと微笑んだ後、耐えていた痛みの限界が来たようで、ルードさんは目を閉じて動かなくなった。
静かに上下する胸を見てほっとしながら、とは言え戦闘力不足は悔しいけど事実だし、さすがに目の前でクラスメイトが犬死にするとかいうトラウマを植え付けちゃったら申し訳なさすぎるなぁと悩んでいると。
「あ! アリアさん無事だったんですね! ちょっと失礼、すぐ手当てしないと」
両手いっぱいに荷物を持って階段を下りてきたエリュシカが、あっという間にルードさんの額に手際よく包帯を巻いていくのを呆然と見つめ、ハッとして叫ぶ。
「エリュシカ!? も、もう大丈夫なの? ここ危ないよ、早く逃げないと」
「はい大丈夫です、もちろん逃げますよ。でも逃げられないんです、あんなものを見つけては!」
エリュシカはぷんぷんとかわいらしく怒りながらキッチンから山盛りのサンドイッチを持ってきてあたしにずいっと差し出した。
「お姉さん朝ごはん一口も食べてないじゃないですか! そんな状態で魔族にケンカを売るなんて正気じゃないですよ、お姉さんは自分のこと何にも分かってない!」
「うう、食べてないのは高遠くんも一緒なのに名指しで怒られる……」
そういえばそうだったな、と思い出したら地鳴りのようなお腹の音が響いて、あたしは大人しくもしゃもしゃとサンドイッチを頬張った。
おいしい、絶対に敵を殲滅するという揺るぎ無い闘志が湧き上がってくる味だ。
エリュシカは満足したようにうなずき、
「お姉さん、止めても無視してお兄さんのところに行くんでしょう? お父さんが昔狩りで使ってた殺傷能力高そうなものを集めてきました!」
と、床にずらりと並べた武器に手を広げてじゃじゃーんと笑った。
なんてかわいい武器商人、ていうかこんな小さい女の子から「どうせ話を聞かないやつ」認定を受けて対話フェーズを端折られた。悲しい。
まあその通りだしありがたい、と思いつつ、でも剣とか斧とか使った記録はさすがに無いからなぁと口を尖らせる。巨大イノシシ討伐世界選手権でも開催されてれば大勝利だったけど、残念ながらあたし達はそういう世界を生きてないのだ。
うーん、何かスキルを活かせそうな武器は……
と思っていると並んだ武器の一つに目が留まり、手に取ってみると胸の中で勢いよく愛読書のページが開かれる。
──おお、これなら何とか!?
力を得るが早いか駆け出そうとするあたしに、エリュシカは「分かってたけどほんとに行っちゃうんですねぇ……」と感心したような呆れたようなつぶやきをこぼした。
「どうしてそこまでできるんですか? お姉さんってお兄さんのことが本当に好きなんですね。なんで好きになったんですか? やっぱり顔?」
「え!? け、決戦前に恋バナはダメだよエリュシカ、そういうのは甘いお菓子でも食べながらゆっくり1時間ぐらいかけてキャーキャー騒ぐものなの! これから覚えといてね、お姉さんとの約束!」
「ええ~、気になりますよぉ……じゃあ今教えてくれないなら、後でちゃんと教えてくださいね」
きゃーと頬を押さえて悶えながら外へ飛び出しつつ、だったら絶対に『後』を作ってあげなくちゃね、とあたしは勇者らしく気合いを入れて笑う。
──でもエリュシカには悪いけど、やっぱりその話は誰にも言わずに大事にしておきたいな。
目を閉じて、思い出す。元の世界で高遠くんに初めて出会った日のこと。
星もない真っ暗な夜のこと、だけど今でも胸の中できらきら輝いている、あれは大切な宝物だ。




