神さま② 別れ
夕陽が何もかもをオレンジに染める大聖堂の中で、鏡の中のその人だけは相も変わらず髪も肌も服も何にも染まらず真っ白だった。
やっほー神さま久しぶり、なんてのん気に再会を喜んでいるのはあたしだけのようで、聖堂内の空気はものすごい緊張感と、(主に渋谷先輩の発する)敵意のせいでドロドロに濁っていた。
い、胃がキリキリする……。この後の夜ご飯を美味しく食べられなくなるのでは、とあたしは一抹の不安を覚えていた。
「──まずは此処まで無事に旅を続けたことに敬意を。総員、期待した以上の働きを見せてくれた。本来無関係なお前達に危険を強いた事は心苦しくはあるが、敵の本陣は目前。どうかあと少しだけ、」
「どうっっでも良いんですよそんなことは。あなたにはこちらの質問にだけ答えてもらえれば用はありません。……こうしている間にも、あなたをそこに留めるために聖女の力が消耗され続けてる。手短に済ませましょう」
堂々と神さまを睨み上げて啖呵を切った渋谷先輩にちょっと圧倒されてたけど、その言葉にハッとして視線をずらす。
鏡の横、お兄ちゃんの胸にもたれ掛かるようにして浅く呼吸をするノエルちゃんはとっても苦しげだった。この時のために何日も力を蓄える必要があったのだ、相当な負担に違いない。神さまは静かに首肯すると、無感情な視線でもって先輩に続きを促した。
「……聞きたいことは三つ。一つ目、異世界から私たちを呼ばなければいけなかった理由は何か。二つ目、魔王とは何者で、何のためにこの世界を脅かしているのか。三つ目、なぜスキルに代償を払わなければならないのか」
刺すような先輩の問いに、神さまは一瞬の考える暇すら要さず即座に口を開いた。
「一つ目。住む世界が違うということが最大要因だ。ただし異世界の人間に『しか』出来ないと言うよりはむしろ、この世界の人間『には』出来ないからと言った方が適切だ。その原因は物理的なものではなく心理的なものに起因する。二つ目。魔王は破壊の限りを尽くすことを義務づけられ、この世界を滅ぼさなければならない存在だ。故にその行為に意志も大義名分も必要ない。三つ目は……これは、私の力不足によるものだ。少し長くなるが──」
…………ハッ!!
い、いけない、難しい話を30秒以上されると脳のショートを防ぐために意識が強制シャットダウンされるセーフティ機能が発動しかけてしまった……。いやさっぱり分かんない、もっと落ちこぼれにも分かるように易しく言ってほしい!
でもついてけてないのはあたしだけみたいで、みんな真面目な顔で話に聞き入っていたので何も言えず大人しく続きに耳を傾けることにした。悲しいね、これが非正規勇者たるゆえん……。
「もともと私は世界の創造という役目を遥か昔に終え、残された力は微々たるものだった。此度の異世界召喚も六人が限界……それも、一人目が選択した愛読書の容量が大きかったためかなりギリギリの状態だった」
「あれ? オレのせいにされてる?」
「そんなことないですよ……ゴフッ」
さり気なく槍玉に挙げられて困惑するお兄ちゃんに、ノエルちゃんが死にそうな声でフォローを入れていた。健気。……あれ、なんだろうその言い方、なんだか嫌な胸騒ぎが……
「それでも、その時点ではどうにか問題なく無事に召喚を遂げられるはずだったのだ。しかし七人目はまったくの予定外だったために、足りなくなった力の皺寄せがスキルの不完全さを生み、使用後の副作用という形で現れることになった。それがお前達が代償と呼ぶものだ」
しーん、と、沈黙が大聖堂を包んで。
「…………………。え、あれ? それってつまりあたしのせいでは!?」
全員の視線を浴びながら、頭を抱えて胸中で絶叫する。な、な、なんてこった、諸悪の根源が自分だったなんてーー!
やだ、はずかしい、穴があったら入りたい、まさか今までみんなを苦しめて来た代償があたしのオマケ召喚の弊害だったなんて! そんなの申し訳なさすぎる、ほんとにごめんなさい、一応探したけど大聖堂にそんな都合の良い穴とか無かったからもはや自ら掘って埋まるしか……?
「……ん、ちょっと待て、代償なんてものオレには無かったぞ?」
「カノン様は一人目ですから……。スキルの代償は、召喚順が後になる程重いものになっていたようです。……特に、最後の六人目だった高遠さんには、一番危険なリスクを負わせてしまいましたが……剣の使用に比例して際限なく上昇する心拍数なんて、多用すれば心臓が止まって死に至る可能性がありましたから」
唖然とした顔のまま、ぞっとした様に左胸の辺りに触れる高遠くんを見る。
雪山でひどく苦しんでいた姿がフラッシュバックして、あたしは目の奥がぶわっと熱くなるのを止められなかった。あ、あたしのせいでずっと高遠くんに辛い思いを……?
「……でも、最後の7人目、アリアちゃんの代償は『空腹』。本人にとっての苦痛度はさておき、高遠君のものと比べてそれほど重いもののようには思えないけど?」
おずおずと述べたマヤちゃんの言葉に、神さまが静かに頷く。
「彼女の弊害は代償とは別の形で現れている。愛読書に関するとある致命的な欠陥だ。そのため今後、魔王との戦いにおいて危機に陥る可能性がある。……そこで私は、残された僅かな力を使い、これから雨宮アリアを元の世界に帰そうと思っている」
謝罪回りからの穴掘り隠居計画についてカオスな脳みそでぐるぐる考えていたあたしに、追い打ちをかけるように神様がとんでもない提案をした。……い、今なんて??
「あ、あの、神さま! あたし帰りたいなんて少しも……」
「いや、そもそもが悪かったのだ。いくら懸命に請われたからとはいえ、適性のない巻き込まれただけのお前の召喚などに応じるべきでは無かった。神にあるまじき愚行だった……」
「え? そうだったの?」
「まぁそんな感じはしたけどなー」
「明らかに世界救うとかいうキャラじゃないっスもんね」
さり気なくあたしのオマケ事情を暴露する神さまに、事情を知ってるお兄ちゃんと先輩と高遠くんはあちゃーと目を覆い、マヤちゃんと太一郎君と晴春君はなぜかあっさり納得していた。話が早くて助かるけどそれもどうなんだ……
「……しかしあの時私はつい、お前の献身に心を打たれてしまったのだ。家族でも恋人でもない赤の他人の身を案じて、危険も顧みず命を賭して異世界へと身を投じるほどの尊い愛を目の当たりにして、無下にすることは出来なかった」
…………ん?
あれ、この神さま、なんかとんでもないことを暴露中のような……
「……雨宮アリア。君がただ高遠深也のためだけに選んだ異世界転移という決断は素晴らしいものだった。だがもうここまでで十分だろう。武器を捨て、平和な元の世界で普通の生活を」
「……ちょっと待ってください」
ピリ、と鼓膜から全身がひりつくような声だった。
神さまさえも気圧されて口を閉ざす。静寂の中で、高遠くんはゆっくりと俯きがちに動き出し──あたしの目の前で立ち止まると、その顔を上げた。
だけどあたしは床に視線を固定したまま身動き一つ出来ずに固まっていた。高遠くんはどんな顔をしてるんだろう。怖くて見れない、だってとりあえず笑顔じゃないし。
「…………」
「……雨宮さん、顔上げて」
「…………ご、ごめんなさ……」
「頼むからちゃんと俺を見て話してくれ、後ろめたいことが無いなら!」
突然大きな声を出されて、思わず圧倒されて顔を上げる。
あたしの両肩を掴んでまっすぐこちらを見つめる高遠くんは、とても傷ついた顔をしていた。その目がうっすら潤んでいることにショックを受けて、何も言えずにただ呆然とする。
「俺のためってどういうこと? そんなこと一言も……てっきり、選ばれてはいないけどそれでも偶然事情を知って世界を救いに来たんだって、そう……」
「…………ごめんなさい」
「謝って欲しいわけじゃない。……俺の後に召喚されたってことは、あの日学校でたまたま魔法陣を見つけて間違って飛ばされたのか? ……いや、それにしたってあの白い空間で、行くか行かないかの選択はできたはずだ。どうしてその時戻らなかったんだよ!」
あたしに隠し事をされてたのがそんなに嫌だったのか、高遠くんは怒りながら、一生懸命泣くのを堪えていた。そんな顔されたら、もう嘘はつけないし、はぐらかすこともできないと、あたしは崖の端に立つような心地に息を飲んだ。恐る恐る震える唇を開く。
「……それは、高遠くんが、向こうの世界で死んじゃったら戻ってこれないって聞いたから……」
「だからって……ただのクラスメイトが心配だから追いかけて来たっていうのか!? こんな所まで! いくら君が優しいからって馬鹿げてる、それじゃあ俺のせいで、今まで何回君が死にかけて、その度俺がどれだけ……」
高遠くんは喉が詰まったように言葉を止めると、小さく震えながら、目をつむってその奥から溢れるものを堪えていた。冷や汗が止まらない。心臓は早鐘のようでもあったし、既に止まっているようにも感じた。逃げられない、この人にこんな顔をさせてしまってはもう。
「……なんで、どうしてそこまでして俺のために……」
「それは…………」
きゅっと目を閉じて、唇を噛む。
どうせなら、ロマンチックなシチュエーションで、二人きりが良かったのにな。
言いたくなかったな、こんな形で。
「好きだから……」
大事にしまっていた宝物を、床に投げ捨てるようにして晒した後、恐る恐る見た高遠くんの顔は。
「…………………。え?」
ただただびっくりしていて、ちっともうれしそうには見えなかった。
「…………か、神さまのばかやろーーーー!!」
いつの間にかぼろぼろ流れていた涙の熱さに弾かれたように、あたしはその場から駆け出していた。
ぽかんとしていたギャラリーからハッとしたようにあたしの名前を呼ぶ声が湧いたけど、そんなものに構ってる暇はない。
ていうか代償問題の犯人でもあるからみんなにも合わせる顔がない、とにかくここに一秒だって居たら死んでしまうと判断し、後のことも考えずあたしはスキルを使ってトップスピードに乗る。
大聖堂を出る前にちらりと後ろを見ると、あたしを追いかけようと駆け出す高遠くんが一瞬見えた。
でもいくら運動部エースでもただの高校生に世界のトップと競り合う脚力なんてないのだ。あたしは愛読書に心から感謝し、あとはもう振り返れなかった。
風を切り手足を振り、涙を遥か後方に雨のように散らしながら修道院の中を突っ切る。
──このまま立ち止まらずに走って、ドラ美ちゃんを借りて教会の外に行こう。そして誰にも見つからず一人で影ながら魔獣や魔族を仕留め、その辺の木の実やキノコを食べながらひっそりと生きよう。みんなや高遠くんにこれ以上迷惑かけるくらいなら、どこか遠くで一人で──
なんて思って9秒台で駆け抜けていたら、あっさり石につまづいて体が宙に浮いた。
「あー……」
超スピードの物体が突然停止すると行き場を失ったエネルギーも凄まじく、あたしは頭から地面に落下しかけていることを悟ると咄嗟にきつく目を閉じた。
……ああ、死ぬなら、怖くても許して貰えなくてもちゃんとみんなに、……高遠くんに、謝ればよかったかな。
だけどあたしは死ななかったし、どころか、転んだ痛みすらも感じなかった。
「相変わらず前しか見てないんだな。悪いことじゃないが」
背中を支えるように回された、どこかで見慣れた黒い軍服に包まれた腕をぽかんと見て。
それから、いつの間にか辿り着いていた修道院の中庭の中、沈みかけた夕陽を背にしたその人の懐かしい顔を見上げる。あの頃と同じだ。あたしが困っている時、この人は笑うのだ──
「…………どうやってここに」
「結界が薄まるのを待っていた。教会内じゃ聖女と戦っても勝ち目はないからな……どうにか力が弱まらないかと機を伺っていれば、都合よく神降ろしの儀式なんて大イベントを開いてくれたもんだから助かったよ」
悪い悪い、と悪びれもせず言うその人──曇り空みたいな灰色の髪を今は一つに束ねて、飴玉みたいに綺麗な青磁の瞳を細めて笑うその人は。
魔族ハイネさんは、二つ目の街で共に過ごした頃とまったく変わらない飄々とした笑顔で、からかうようににこやかにあたしを見下ろしていた。
「久しぶりだなお嬢ちゃん。なんだか重くなったと思ったら武器が増えたんじゃないか?」
「はあ、色々あったもので…………って違う! 何を爽やかに話しかけてるんですか、あなた敵だったんじゃないですか! みんなを傷つけようったってそうはいきませんよ、最初にあたしに会ったのが運の尽き! ここで斬らせてもらいます!」
「いや、他の連中には用はないよ。お前を連れてこいって命令でね」
不可解なことを言うハイネさんを訝しがりつつ、妖刀の柄に手をかけようとして──指一本動かせないことに、あたしは絶句していた。
「あ、あれ?」
「悪い悪い、その力は色々厄介だからな……ちょっとばかしその本、預からせてもらうよ」
その言葉が意味することを悟り目を見開いた直後、ドクンと心臓が鳴って、全身が焼けるように熱くなる。
何かが体の奥から無理やり引きずり出されるような壮絶な感覚に思わず目を瞑りながら、いやちょっと待ってくれとあたしは歯を食いしばった。
だって今のあたしからそれを奪ったら、もう何も──
「……へえ、こんな物を仕込んでたのかあの神。死にかけのくせに考えたもんだな」
ぱちりと目を開けた先、ハイネさんの手に収められていたのは一冊の本だった。
かつて白い空間で託された、大きく年号の踊るその表紙に目を見開く。
し、しまった……! 愛読書とスキルを奪われたあたしなんてただのアホな女子高生なのに! やばい! 秒でのたれ死ぬ!
「か、返して下さい!」
「嫌だね。殴られても痛いし……ていうか大体見たところ離反するつもりだったんだろ? 雇用主から借りた物を懐に入れたまま出て行くのってどうなんだ?」
「いやその通りだけどやめてくださいよ借りパクみたいに言うの! お願いだから返してー! なんでもするからー!」
「へえ、なんでも」
「え」
「じゃあ着いて来てもらおうか。俺の上司がお前をご所望なんでね」
「は……はい……?」
ハイネさんの、魔族の上司って、いわゆる魔王ってやつでは……?
力も奪われ敵の本拠地に攫われるっぽい現状に完全に沈黙しているあたしをそっちのけで、ハイネさんはすっと指を鳴らすそぶりを見せた。あー、それパッチンしたら一瞬でワープしちゃうアレかな、魔法って便利だなあ。なんて全てを諦めて呆然としていたら。
「雨宮さん!」
響いた声に、空っぽの胸が痛むのを感じながら視線を向ける。
死にそうなほど息を切らして、今まで見たこともないくらい必死な顔をしながら、ようやく追いついたらしい高遠くんがあたしとハイネさんを見て目を見開いていた。ああ、あんなに汗を流して。苦しいだろうな、代わってあげたい。
ハイネさんはおや、と口笛を鳴らし、指を止めてちらりとあたしを見やる。だけどあたしは、高遠くんから注がれる視線に向き合うこともできず──きゅっと眉根を寄せて、敵の腕の中でぽそりと呟いた。
「高遠くんには手を出さないで……もういいです。行ってください」
ふーん、と面白そうに目を細めて笑って、ハイネさんは指を鳴らす。
最後に一瞬見えた高遠くんの顔があまりにも痛切だったので、あたしはちょっと残念だった。笑った顔が一番好きだったから。
そんなわけであたしの片思いは、あっけなく当たって砕けて散るのだった。




