洗礼② ポジティブなら良いってもんでもないな
……まあでも、別にこの状況にそんなに不満があるわけでもない。
何しろあたしの偉大なる愛読書に名を連ねる人々の中には、すごーく高いところですごーく危ないことをするのがすごーく大好きな人もいっぱいいるから、その影響か今のあたしも幸いこれぐらいどうとも思わなかった。いつもありがとう人類、命大事に。
なんて、向かい風に豪快に前髪を消失させながらぼんやりしていたら、ふわふわらと顔の横ではためく綺麗な布にハッとする。透けるような月の羽衣。
視線をちらりと横にすると、そこに浮かぶ心配そうな顔をした美女、もとい渋谷真姫菜先輩と目があった。
「先輩! どうしましたこんな所で?」
「上を代表して様子見に来たよ。……ごめんね、私たちだけ悠々と安全な席に座って」
「あは、お構いなく」
「あと、上で死んでる高所恐怖症ヘタレ男が『代わってあげられなくてごめん』的なうわ言を言ってたから、一応知らせておくよ」
「ああ……。『強く生きて』って伝えといてください」
「あれは私の見立てではもって一時間の命だね。あんなんでも一応は攻撃力だけは高い切り込み隊長だし、この竜にはもう少し安全運転で頑張って欲しいものだ」
真面目な顔で推測する渋谷先輩に苦笑いする。高遠くん、高いとこ死ぬほど苦手だもんなあ……。可哀想に。
「それにしても、血の気も引くような素晴らしい絶景だね。やっぱり私が抱えて飛んで行こうか?」
「いえいえ、こういう絶叫マシーンだと思えばなかなか! あとあれです、クレーンゲームのキャッチされる側の気持ちが分かって勉強になります」
「君を見てると、人間ポジティブなら良いってもんでもないなって考えさせられるよ」
心底同情するような目でしみじみ見つめられてしまった。
「……ていうかこの待遇ってやっぱり、あたしが裏口入学的にこの世界に来たことと関係してるんですかね?」
裏口入学。
そう、元はと言えばあたしは神様に選ばれたわけじゃなく、文字通りの神頼みによって無理矢理この異世界に来たおまけの者だ。
平然とパーティに加わってはいるけど、正式にはみんなと違って選ばれし勇者ってやつじゃないのだ。
「うーん……おそらく。ただ正規の召喚ではないにしてもアリアちゃんがこの世界にいることは、少なくとも神様と聖女には分かってるはずなのに。送迎車の頭数にも入ってないってのは実に腹立たしいね。何か理由があるにしても」
大人びて美人な渋谷先輩がほんのちょっと口を尖らせて怒るとそれだけでとんでもなく魅力的、と場違いに見惚れていると、「もう、アリアちゃんが怒るべきでしょう」とたしなめられた。
「いやあでも、チケットないのに入れてもらったようなものだから贅沢言えないです」
「そういう問題じゃないでしょう! もう……」
あたしの分まで怒ってくれる先輩にへへへと笑いながら、首を横に振る。
「お気持ちだけでうれしいです。でもあたしのことは気にせず、先輩も座っててください。この先何があるか分かんないし、スキルは温存するに越したことないです」
先輩は「それは」とか「うー」とか珍しく歯切れ悪くもだもだした後、観念したようにはあと息を吐いた。
「……分かった。とにかく、教会でどんな扱いを受けるのかは分からない。気を引き締めて行こう」
「了解ですー。じゃ、高遠くんを頼みます」
「それについては保証しかねるね」と不安なことを言い残しつつ、先輩はふわりと飛び上がると竜の背に戻って行った。
「…………それにしても、」
呼ばれてないのについて来たしわ寄せがここになって出てくるとは……。
あの神様、危ないからやめた方がいいよって一応止めてくれたし、死なないようにスキルまでくれたし、文句は言えないんだけど。
空いてる席に座らせてくれたっていいのになあと、眼下のとんでもない景色(激流)を眺めながら思わないでもない。
多分竜の背の空席、6つ目の椅子は教会に既に辿り着いているという『救世主』と呼ばれる勇者さんの分だろう。
…………。
なんかスピード上げてきたなこの竜……。
一人になって暇なことだし、あたしは嫌な予感と素晴らしい絶景から目を閉じてログアウトすると、新しい仲間について思いを巡らせることにした。
女の子かな男の子かな? 今のところ高校生しかいないけど年は──目を閉じても分かる、今山肌すれすれを飛んでないかなこの竜??
……ええと、ジゼルさんが強いっていうぐらいだからすごい人なんだろうけど、選んだ愛読書のジャンルは何なん──いやなんかすんごい勢いで急降下急上昇急旋回し始めた、上からの悲鳴の事件性がやばいやばいやばい!!!
これ目を開けない方がいいやつだ、ときつく瞼を閉じながら、仲間たちの阿鼻叫喚の音声に震えていると、しばらくしてふいに音も風も何もかもピタリと止んだ。
「……………。わお」
ゆっくり目を開けると、竜は翼を器用に広げながらホバリング中だった。どうやら目的地に着いたらしい。
視線を下方に落とすと、岩山の中、切り立った崖にぐるりと囲まれたような広大な穴が空いているのが見える。火山とかによくあるやつかな。
だけど穴はぽっかり空いてるだけで、そこに建物も何にも見えない。教会なんてどこに……?
と思っていると、竜は長いしっぽを前方に伸ばし、ちょいちょいと空中をノックするよう振った。
何も無いはずなのに、まるで見えない壁があるかのように、触れた位置が蜃気楼みたいに揺れる。もしや結界ってやつだろうか。
さてどうやって開けるんだろうと固唾をのんで見守っていると、ふいにどこからか声が響いた。
『──山と言えば?』
「ギャワ」
『売り言葉に?』
「ギャオギャオギャー」
『ああ言えば?』
「ギョーグゥー」
『良し。通れ』
バチバチ、と空間に光の亀裂が一瞬走ったように見えると、竜はすいっとそこを飛び越えて大きな穴の中へと下降し始めた。セキュリティパスワードの脆弱さに些か不安があるなぁこの教会……。
しかもどういうわけか、穴の中央にはさっきまでは見えていなかった大きな建物と、それを囲む街のようなものが忽然と現れていたのだ。さっきの結界が目隠しになっていたらしい。
中心の大きな白い建物は荘厳な雰囲気があって、おそらくあれがジゼルさんの言っていた大聖堂ってやつだろう。つまりそこに、あの神様や聖女さんもいるはずだ。
竜は街の入り口近くの岩肌に静かに着地すると、まずあたしを手放し、それから寝そべるように脚を折り畳んで背中に乗せていたみんなを下ろした。が、みんなほぼ死んでいた。
「…………な、長旅おつかれさまでした……」
「う゛え゛っ……」
「休憩の無い旋回型ジェットコースター……」
「綺麗な川が見えた」
「ちょっと自分で歩きなよ……あっこら! 死ぬな!」
全員顔面蒼白で目がお亡くなりになられている上に、高遠くんに至っては渋谷先輩に肩を支えられていた。ああ、ありゃほぼ意識がないな。
上に乗ってなくてかえって良かったのかも……? とか呑気に考えていたら、ジャリ、と地を踏み締める音がしてハッと振り返る。
気づけば目の前にずらりと、真っ白なローブに身を包んだいかにも聖職者然とした人達が並んで待ち構えていた。
「お待ちしておりました勇者様方。此度は険しき霊峰の道程、辛抱頂いた事を深くお礼申し上げます。さあ我らが大聖堂へ」
「……あなた達は教会の?」
「左様にございます。聖女の予言により、貴殿ら5名がこの地を訪れんとしていることは存じておりましたので、竜にて迎えを……」
そこで、あ、と全員がこれはまずい的な顔で固まった。高遠くんも真っ青な顔でようやく顔を上げ、心配そうにあたしを見ている。
前方の神官的な人たちの間にも徐々に同じ騒めきが広がっていく。いやそうだよね、だってどう見てもあたしたち六人いるもん、六人。
「…………痴れ者が! 誰だ!? 勇者に紛れて神聖なる地に脚を踏み入れるとは!」
「魔族に違いない、幻術にて勇者を騙し陥れたのだ!」
「見ただろう、あの娘だ、背に乗れず竜の手に抱えられていた!」
「誰だ『高い所が好きで敢えてあそこにいるんでしょうな、まさに勇者らしい勇敢な娘だ』とか笑って静観していたのは! 引っ捕らえろ、磔にしてくれる!」
目を釣り上げながら詰め寄ってくる教会の人達に後ずさりもできずぽかんとしていると、緩慢に前に歩み出た高遠くんが、口元を押さえながら壁になってくれる。
「む、勇者どの何を!」
「……待ってください……うっ……この子は俺たちの大切な……うげっ……」
教会の人達は歓迎すべき勇者たる高遠くんがあたしを庇ったのと、目の前の少年がいつ盛大に吐き出すか分からないのが恐ろしいのとで迂闊に近づけず狼狽しているようだった。吐きそうな人のそばってドキドキするよね……
「高遠くん……」
「ごめん……出せば楽になると思うんだけど……」
「えっ、出すの……?」
さすがにそれは、とあたしまで狼狽えていると。
「お待ちなさい。その方は魔族ではありません」
その天から響くような凛とした声は、カオスになった場の空気を一変させた。
全員が一斉に視線を寄せた先────教会の人たちの群れの背後、狭い空から降る光を一身に浴びるようにしてそこに立つ彼女の声に、しんと耳を傾ける。
「下がりなさい。我が言葉が神意の代弁である事をお忘れですか」
その一言で、殺気立っていた教会の人達はすっと身を引いて、彼女の前に膝をついて頭を下げる。
そうしてあたしはかつて魔法陣を踏んだ先、真っ白な空間で一度見た────黒い修道服がよく似合う、その金色の髪の女の子の顔を見上げ、懐かしさに目を瞬いていた。
その間抜けな顔が面白かったのか、彼女はくすっと一瞬年相応に笑う。だけどすぐに目に威厳を灯して、両手を広げて高らかに述べた。
「よくぞここまで辿り着きました。長き旅路と数多の死闘に敬意を。我が神に代わり歓迎します、異世界より来たりし勇者たちよ」
修道服を摘んで持ち上げ、恭しく礼をすると彼女────聖女さんは、少し困ったように眉を下げてあたしを見た。




