再戦の魔女① スキルの欠陥
魔雪峰から雪が消えていた。春が来たのかな、と思ったけどそんなわけがない。むしろ来たのは夏だった。真夏。
「…………暑い……」
着込んだ防寒具の下でじっとりと汗が滲み、あたしは目の前に広がる火の海を睨んだ。隣にいる高遠くんと、宙にふよふよ浮く渋谷先輩も感想は同じようで、気づけば三人同時に額の汗を拭う。
ジゼルさんの指示で村の人達の避難誘導に当たっている太一郎君とマヤちゃんは、新たな魔族が現れたという魔雪峰に向かうあたし達に、渋い顔でもって端的に警告した。「精神的に暑苦しい」、と。
その意味するところは、山の入り口──周囲の雪を融かし、蒸発させ、浮き出た山肌の上でなおも爛々と燃え渡る赤い炎の中心に仁王立ちし高笑いする、その魔族を見た瞬間に理解できた。
「ハーーッハッハッハッハーーーー!! 寒い! 寒いなこの山何だこれ!? 俺は寒いのは大嫌いなんだ! こんな時どうすればいいか…………答えは一つ! そう! 寒い所では! 火に当たれーーっ!!!!」
からの、追加高笑いからの、火柱ドッカーーン。
爆炎の熱に煽られてぶわっと汗腺から汗が吹き出す。熱い。ここら一体だけ真夏日のようだ。だけど熱いのは単純な体感温度だけじゃなく、敵は見た目にも熱い奴だった。
蜃気楼に目を凝らし見据える先──まず目に飛び込む赤い髪。熱い。肌は南国を思わせる褐色。熱い。もう見慣れてしまった黒い軍服に包まれた長身、攻撃手段は火属性魔法っぽいのに無駄に武闘派に鍛え上げられていて威圧感が凄い。熱い。体育会系魔法使い、存在が暑苦しい。
他の魔族は若く見えてもどこか老成したような落ち着きを見せていたけど、今はじめましてしたこの魔族は鬱陶しいぐらい明るい生命力に満ち溢れていて、見たままの働き盛りな青年って感じだった。いや、この人にとっての労働ってあたし達を殺すことなんだろうけど?
「はっはっは、あの基本こちらの存在は無視、たまに話せばお前なんか空気のような存在と揶揄され、『空気は良いなあ、火がよく燃える』と前向きに返したら猟犬に世界の果てまで追いかけ回させる、そんな同胞一気難しい『獣飼い』が珍しく援助を請うものだから二つ返事で来てやったが……相手がこんな子供とは! 笑止と焼死を掛けたアイツなりの冗句に違いない、いや意味が分からんが! しかしオレは瀕死の鼠を焼くにも手を抜かない男、正々堂々と一人残らず灰になるまで焼き尽くすことを約束しよう!!」
…………あ、
「暑苦しーーい……」
「おお、最高の褒め言葉をありがとう人間。気分が良いからお前は特別景気良く燃やしてやろう!」
「ギャーーーー!?」
「……っ! 雨宮さん下がって!」
小声で悪口を言ったらいきなりその褐色魔族はあたしを指さし、それと同時に目の前が真っ赤に燃え盛る。…………あ、危ない、高遠くんが咄嗟に後ろに引っ張ってくれなかったら今頃焚き火のマシュマロみたいにでろでろになってるところだった……!?
腕の中でかたかた震えるあたしを抱く力をぎゅっと強めて、高遠くんは険しい表情に怒りと若干の拍子抜け感をブレンドした目で敵を睨んだ。
「……お前も魔族なのか?」
「いかにも! 王都に名を轟かす灼熱の二チェとは俺のことだ。お前達だな? 各地で同胞や魔獣を惨殺して回っているとかいう悪逆非道の子供達は。妙な力を授けられているようだが俺の炎の前では人類皆火種、平等に燃やし尽くしてやろう!」
この人が一言話すたびに周囲の気温が確実に一度以上上がるので、もう周囲の雪はでろんでろんに溶けまくっていた。一家に一人置いといたら暖房費が浮きそう。
……どこか間延びした緊張感のなさに辟易としていたあたし達だったけど、次に続く言葉に、一瞬でそんな弛んだ空気は消え去ってしまった。
「……しかし、折角こんな所まで来て小鼠退治だけで終わっては火が燻るというもの。マリアも好きにして良いと言っていたし、お前達を焼いたらその足で麓のこじんまりした街も火の海にすることにしよう! 大量に木材を運んでいたし良く燃えてくれるだろうな!」
あたしの居合スキルが発動するよりも速く──既に先輩は飛び立っていた。
互いに聖剣と妖刀の柄に手をかけたまま、あたしと高遠くんは視線の先を見つめ息を飲む。弾かれるように羽衣を揺らして魔族ニチェの目の前に舞い降りた渋谷先輩は、その常に冷静な美貌にはっきりとした怒りと、そして隠しきれない恐怖を滲ませながら、気丈に敵を睨み付けていた。
「……あなた達は、どうしてそうやってこの世界を、玩具で遊ぶようにして!」
「……ん? お前、その目は……」
ニチェと先輩の視線が交わった瞬間──敵は目を見開いて、一瞬ぐらりとよろめいた。
そして立ち直ったと思った時にはもう、その目は驚愕に見開かれて渋谷先輩だけを一心に見つめていた。褐色の頬を僅かに赤くして、左胸の上衣をキツく握りしめて、動悸に戸惑っている──
その様子には身に覚えがあった。なんだか渋谷先輩のことしか考えられなくて、この人にならころっと騙されて破滅してもいいですというような魅惑の状態……もとい、状態異常。
『魅了』スキル、ボスキャラにも効くのか!!
「すごーい渋谷先輩! これなら楽勝で……」
「……いや、何か嫌な予感が……」
拳を上げるあたし、訝しがる高遠くん、切迫した表情で向き合う渋谷先輩の視線を浴びながら、ニチェは苦悶するように頭を抱えると悩ましげに声を荒げた。
「──ああ、何という事だ……! 不動の炎たるこの俺がよもや敵に心を奪われるとは……不覚だっ! しかしこの熱い思いは今更止められようもない……! 最早この心はお前の物、かくなる上は……」
そしてぴたっと動きを止めてうつむく。
急に静かになった敵に、渋谷先輩がおずおずとその顔を覗き込もうとした瞬間────そいつは突然先輩の白い手首を掴み顔を上げると、とても良い笑顔で言った。
「燃やすしかない!」
「…………は?」
「愛とは炎! 炎とは愛! 良い女がいたら全身全霊の熱でもって消し炭になるまで燃やし尽くす! それが俺の愛の表現だ多分、さあ受け取ってくれ!」
「え? あ、やだ、ちょっと……こ、来ないでっ!」
し、しまった、魔族ってそもそも恋愛感情とか無いから愛情表現=とりあえず自分の好きなことを相手にするとかいうおかしな方式になってる!? マリアに使わなくて良かったかも、絶対ペットにされる!
片手の平の上で小さな火を揺らしながら詰め寄るニチェに、先輩は顔を真っ青にして首を振りながら狼狽える。でも、あの巨大狼や獣飼いを前にしても決して怯んだりしなかった不死と回避スキル持ちの渋谷先輩がどうしてこんなに……?
「────い、嫌、死にたくない」
先輩は消え入りそうな声でそう呟くと、思い切り空高く舞い上がり、その勢いのまま山の奥へと全速力で飛んで行く。
「む! 逃げるな! 大人しくオレの愛を受け取れー!!」
そんでもって雪をじゅわじゅわ融かしながら、その後を猛スピードで魔族ニチェが追いかけて行く。
「先輩!? ……し、死にたくないって、どういう……?」
不死スキル持ちの先輩には縁のない台詞のはずだ。呆気に取られるあたしの横で、高遠くんはギリっと奥歯を噛むと苦々しげに低い声で言った。
「死因のある不死……くそ、欠陥があるならちゃんと説明しておけよ、あの負けず嫌い!」
「た、高遠くん、どういうこと?」
「彼女の愛読書の結末だ……不老不死の薬は最後どうなった?」
う、うわー抜き打ち国語テストだ? えーっと、竹取物語の最後……かぐや姫が帝にあげた不死の薬は……。
「プレゼントされた帝が飲んだんじゃ……?」
「飲んでない。帝はかぐや姫のいない世で生きながらえても無意味だと嘆き、その薬を月に一番近い山で廃棄させた──不死の薬は燃やされたんだ。だから逸話に基づきおそらく真姫菜さんは、炎に対してだけは『不死』スキルを発動できない」
な、なんだってー!?
だから渋谷先輩、あんなに怯えてたのか。それなのに勇敢にも敵に立ち向かって……。
「で、でも回避スキルがあれば火も避けられるんじゃ?」
「おそらく回避も万能じゃなくて穴がある。……あの雪合戦で、僕の投げた雪玉が一発だけ彼女に当たった。最初はスキルの燃料切れのタイミングだったのかと思ったけど、あの時僕は、真姫菜さんじゃなくそのすぐ近くにいた小型化した花木さんを狙って投げたんだ。そのせいで当たったんだとしたら、回避スキルは自分以外を対象とした攻撃に対してはおそらく発動しない」
高遠くんの考察に、あたしは青ざめた。あの雪合戦の終盤は空腹のあまり意識が朦朧としていたけど、そういえばあたしが最後の一人になった時、確かに既に渋谷先輩は戦線離脱していたような……。
「火炎は広範囲攻撃だ。真姫菜さんを直接狙う必要はない。回避の穴を突き、不死を掻い潜って攻撃を通せる唯一の方法──あの獣飼い、見ただけで分かったのか? あの灼熱魔族は真姫菜さんにとって唯一とも言える相性最悪の天敵だ!」
だったら、と、俊足スキルですぐさま駆け出そうとした瞬間。耳に届いたのは、どこかで聞いたオオカミの遠吠えだった。
「…………!」
あの獣飼い、さすがに静観してくれたりはしないらしい。
……しょうがないかあ。
あたしは、先輩が逃げて行った方角を見つめながら、かといって迫り来る獣の気配も無視できずに戸惑っている高遠くんの背中を、ぺしっと叩いた。
「…………雨宮さん、」
「高遠くん、渋谷先輩をお願いね」
咄嗟に何か言いかけて開かれた口をずいっと手で制し、あたしは精一杯強がって声を大きくする。
「あたしね、元の世界に帰ったらまた先輩のピアノ、絶対聞きたいから……先輩の指に火傷なんてさせたら怒るからね、オムライスどころか全力のフルコースご馳走しちゃうからね!」
高遠くんはそのずば抜けて賢い頭と意外に子供っぽい意地との間でものすごーーーく葛藤していたようだったけど。やがて痛切な面持ちで息を吐き切ると、眉間にこれでもかと皺を寄せて、全然納得してない様子ではあるものの、あたしをまっすぐに見て悔しげに言った。
「…………すぐ戻る」
「雪道だから慌てなくていーよ」
へっへっへと笑いながらも、振り返らず駆け出して小さくなって行くその背中には、ついつい未練がましく手を伸ばしそうになってしまった。
いけないいけない、ここからは本当に一人なんだから。余計な甘さは捨てなければ。
あたしは残雪の柄をぎゅっと握って震えをねじ伏せると、背後から聞こえる冷たくも凛とした声に耳を澄ませた。
「目の前の相手が勇敢なのか、馬鹿なのか、区別するのは難しい事ね。貴女もそう思わない?」
「……さあ。戦ってみれば分かるんじゃない?」
そして振り返りざまに妖刀・残雪を抜刀し、遥か山のごとくおすわりする巨大狼魔獣と。
その頭上、赤い魔石の上に悠々と鎮座する美しい魔族マリアを見上げて、あたしはどうにか強がって笑って見せた。




