人畜無害の証明
異世界に来て数日目の朝。
「朗報ですよお兄さんお姉さん、ついに王都から派遣される騎士様の到着の目処が付いたみたいです!」
「へー」
「騎士様? 何しに?」
「それはもちろん、森にうじゃうじゃいる魔獣を討伐するためにですよ! よかったですねぇ二人とも、これでようやくこの町から出発できますから。いやあかっこいいですねぇ、騎士様と言えばこの辺境の町では憧れの王子様ですから……」
今日も今日とておいしい朝食をうきうきと味わっていたあたしと高遠くんは、浮かれるエリュシカからのお知らせを聞いた瞬間味のしなくなったサラダを噛みながら顔を見合わせた。二人同時に眉間に皺をよせる。
まずいことになった。なぜなら今あの森に、魔獣はうじゃうじゃいないからである。高遠くん(とあたし)のせいで。
「そうなんだぁ。ところで豚って何日ぐらいで繁殖するの?」
「どうしたんですかお姉さんいきなり!?」
「良いニュースが届いて良かったね。じゃあちょっと森に行ってくるよ」
「この話の流れでどうして!? もう危険を冒して木材を運んできてくれなくてもいいんですよ? 騎士様がみんなやっつけてくれますから」
きゃーと頬を押さえてかわいらしく悶えるエリュシカを横目に黙々と朝食を食べ終えて、あたし達はそそくさと立ち上がり森へ向かった。うーん、そういえばなんか初日に応援がどうとか言ってたかも?
ここ数日、あたしと高遠くんは毎日せっせと森に通い、豚の魔獣相手にスキルの特訓&木材運びで宿代稼ぎの日々を重ねていた。
もちろん最初は同行を拒まれてまたまた喧嘩になったりもしたけど、最終的には「敵が出たらちゃんと後ろに隠れててね。庇うから」というエクセレントな台詞と共に高遠くんが折れてくれた。
まあ聞き分けの良いフリをしつつ、高遠くんの死角から襲いかかる不届き豚がいればバレないようにこっそりと剛速球で仕留めたりはしたけど……。
そうして町の人達は無理をして森に近付くこともなくなり、すっかりあたし達のことを勇者ではなく熟練の木こりだと思っている。実際そうなんだけど。
……そしてそんな日々の中で、確かに感じてはいた、この森の変化を。
あんまりにも順調すぎて忘れてたけど、そういえばチュートリアルで通知された注意点があったのだ。しかも教えてくれたのは他ならぬ高遠くん本人だったような気がするな。
うーん、と目を閉じたあたしの脳内に高遠くんの凜々しい声が再生される。曰く、
──だから無闇に一般市民の前でスキルを使うのも控えた方がいい。無駄に注目だけ浴びて敵に勘付かれるのは避けたいからね──
「高遠くん、すごく言いづらいんだけど……」
「……うん」
森を歩くことかれこれ数十分。しんと静かな森の中に、二人分の足音だけが響いている。一歩歩けば敵とエンカウントしていた初日とは雲泥の差だ。
あたしの頭の中に、社会の授業で習った深刻な問題が提起される。出生数を死亡数が上回り続けると、その先にあるのは種の滅亡だ。一つの生態系の崩壊。つまり、
「もしかしてなんだけど……これって 絶 滅 させたってこと……?」
「や、やめてくれ、字面が勇者っぽくない!」
頭を抱えてわーときつく目を閉じる高遠くんは、顔を赤くして羞恥に耐えていた。かわいそかわいい、やってしまったことは全くかわいくないんだけど。
うんうん、確かに昨日辺りはだいぶノリノリで倒しまくってたもんね、あたしも応援しちゃったよ、血しぶきがすごかったけど。
……いや、悪さをする魔獣なんだから別に根絶やしにしちゃっても全然問題ないと思うんだけど、さすがに 皆 殺 し という言葉の破壊力にはむしろ魔王的なものを感じないでもなかった。
あたしも微力ながら加担したとはいえ高遠くんには遠く及ばない、たった数日でほぼ一人で全滅させるなんてさすが高遠くん。『森林の伐採者』かつ『種の根絶者』! うんうん、すっごく悪そうだ!
しかしこうなってしまうと「魔獣がうじゃうじゃいる森」とは到底言えない。騎士団の人がこの事態に気づいたら怪しまれるのは木こりとして森に頻繁に出入りしていたあたし達だ。非常にまずい。
「いやいや、一匹ぐらい生き残ってれば……すみませーん! 誰かいませんかー!」
「高遠くん、用が済んだら殺すつもりなのに要救助者を探す時みたいな台詞を使うと余計に邪悪っぽいよ!」
「驚いたな、まだ子供じゃないか。いや、こちらを油断させるための仮の姿か?」
思いがけず返事はすぐに返ってきた。
ただしそれは聞き慣れた豚の声とは違う、ピリッと鋭く、だけどよく通る男の人の声。
突如耳に届いたそれに、そしてそれが放つ背筋が伸びるような緊張感に、あたし達はピタリと動きを止めて振り返った。しまった、絶滅とか皆殺しとか言い逃れできないワードを口走ったばっかりに。
「窮地と聞いて駆け付けてみれば、この森に散らばる無数の魔獣の死骸、そして無残に伐採された木々……。破壊の限りを尽くすその力、到底ただの民間人のものとは思えない。もしも魔族であるならば王立騎士団の名に懸けてここで始末しなければならない……そして何より」
高遠くんの進む先、森の奥から現れたその人影は、随分と尖ったフォルムをしていた──
それがいわゆる西洋風の鎧というやつなのだと、ガチャンと重い音を立てながら一歩ずつその人が近づくのを見つめて理解する。
白銀の甲冑に身を包み、大きな剣を携えたその姿は、名乗った通りまさしく国を守る騎士そのものなんだろう。顔は兜で覆われて伺い知ることはできないけど、声の感じからはまだ若い男の人のように思える。
そしてその人は高遠くんの数歩前で立ち止まり、兜の下からでも分かるぐらい大きく息を吸い込むと、高らかにこう言った。
「……俺の!やる事がなくなるだろうが!!」
あたしは盛大にずっこけ、高遠くんは頭が痛そうに眉根を寄せるのだった。
「…………。ええと、あなたがこの先の町に派遣された騎士の方ですか?」
「いかにも。王都近辺は依然厳しい戦況が続き、応援の手配にも時間がかかってしまったが……ようやく派遣の目処が付き、選考の結果選ばれたのが俺だ」
「ああー、本社から地方に急な転勤的な」
「ホンシャもテンキンも知らないが君が失礼なことを言っているのは分かるぞ!?」
言って騎士の人は剣を鞘から引き抜くと、あたしに向けて構えた。思わずびくっと肩が跳ね上がる。
それを見て高遠くんは前方を睨み、いつもより低い声で糾弾するように言った。
「……民間人の子供なんて言っておきながら武器を向けるんですか?」
「ただの子供なら無論しないさ。騎士の剣は民を守るためのものだ。しかしこの森の惨状を見て、君達がそうであるという保証がなくなった。……君、その剣で一体何匹殺した? 君達は何者だ。あの町の人間じゃないだろう、どこから、何をするためにここに来た?」
「え、えーと……」
騎士の人は尋問の訓練でも受けているんだろうか、有無を言わさぬ雰囲気と今にも斬りかかりそうな気迫にさすがに怖くてぐるぐると目を回してしまう。
ど、どうしよう、こわい、でも剣を向けられるのが高遠くんじゃなくてよかったって喜ぶべき……!?
「嘘を言ってるかどうかは分かる。適当な返事をしたらそっちの少年もまとめて斬るぞ。3秒以内に答えろ。3、2、」
「こことは別の世界から、魔王を倒すために召喚されて来た勇者です!」
「……は?」
とんでもない条件を出されたのでとっさに本当のことを叫んだら、騎士さんにはドン引かれ、高遠くんには青ざめられた。
騎士の人は面食らいながら、たぶん嘘を言っているかどうか分かるというのは本当なんだろう、大いに混乱した様子で頭を押さえていた。
「……何を言うかと思えば訳の分からないことを……。もういい、なんか君はどうも調子が狂うな、そっちの賢そうな方に聞こう」
「遠回しに賢くなさそうな方って言うのやめてくれます!? だったらいっそはっきり言え!」
地団駄を踏んで抗議するあたしを無視して、騎士さんはちょっと疲れた様子で剣を揺らし、切っ先で高遠くんの携えた聖剣を指し示す。
抜いてみろ、ということのようだった。
「少年。君の力を見極め、それをもって処遇を判断させてもらう。魔王の手の者でないというならばその剣技、存分に俺に見せてみるがいい」
「……………」
つう、と、汗が一筋、高遠くんのこめかみを流れていく。
何をためらっているのかは分かる。人間相手にあの聖剣を使って、無事で済ます自信がないのだ。
「………鞘のままか、余裕だな。では力づくで抜かせてみせよう!」
言うなり騎士さんは大剣を構えて足を踏み出し、高遠くん目掛けて思い切り刃を振り上げた。
速い、そして迷いのない洗練された動き。
高遠くんは苦々しげに舌打ちをして、鞘から抜かないままの聖剣を掲げてその攻撃を受け止めた。
「………ぐっ!」
「ほお、丈夫な鞘だな。だが受け身で凌げる程こちらも柔ではない!」
即座に剣を振り上げて、騎士さんは続け様に高遠くんに攻撃を仕掛ける。重そうな剣だと言うのに軽々としたものだ、さすがに高遠くんも受け止めきれずに体制を崩す。
その隙を逃すはずもなく、騎士さんは大剣を素早く沈み込ませ、思い切り聖剣の鞘に下からぶつけて弾き飛ばした。
宙高く回転しながら放り投げられた聖剣が、地面に落ちて鈍い音を立てる。
「………」
「なんだ、その程度の力でどうやって魔獣討伐などやってのけたんだ? てんで弱いじゃないか」
「……そう、です。民間人ですから」
高遠くんは目を細めて、悔しそうにうつむく。
きっとそれが正しい判断だ。下手にここで愛読書の超常スキルを使えば疑いを強固なものにしてしまう。だったら力を隠して大人しく敗北を認めるのは、賢明な高遠くんらしい。
だけど殊勝な高遠くんを見下ろしながら、騎士さんは冷たく呟いた。
「嘘をついているどうかは分かると言っただろう。……俺は手加減されるのが一番嫌いなんだ、死の淵に立たされないと本気を出せないと言うならやむを得ないな」
言って騎士の人は聖剣を拾い上げ、高遠くんの代わりに鞘から剣を引き抜こうと柄に手をかけた。そして、
「……ん、何だこの剣? 抜けな……」
ぴくりとも動かない剣に動揺して、ようやく隙を見せた瞬間に、あたしが目を閉じてスキルを発動させようとしたその直後。
「────おすすめはしませんよ」
「…………は」
首筋に突如として生じたひんやりとした金属の感触に、全身の血の気が引く。
かたかた震える奥歯を噛みながら、視線だけを後ろに向け、どうにかその姿を捉える──
あたしの背後に、ぴったりと張り付くようにして立っていた新手の騎士。その手に握られた細い剣が、まるで弦楽器にあてがわれた弓のように、その刃をあたしの首筋に沿わせていた。
「首の皮を一枚剥かれたぐらいでは人は死にませんが……ものすごく痛いですよ。ですから抵抗するのはおすすめしません」
氷のように冷たいその女の人の声は、えげつない警告を淡々と紡ぎながら耳元で響いていた。
いつの間に、と言おうとして、全く喉が震えず困惑する。
す、少しも気配がしなかった……。なんだこの人、騎士と見せかけて忍者か? ていうかこの状況もしやかなりピンチなのでは??
まずい、怖くて指一本動かせない。あと多分この人本気だ、ちょっとでも動いたら迷わず皮剥きし始めると思う。ピーラーの称号を与えよう。
「……ん、ルード、そっちは仲間とは言え見るからに無力だろう。弱者を一方的に痛めつけるのは騎士道に背く行為だ。加減してやれ」
「いいえ、むしろこの少女こそ警戒すべきかと。それにこうでもしなければ恐らくその少年は……」
あたし達を挟んで会話を始めた騎士二人。
その声で高遠くんは振り返り、そこでひっそりと捕虜に転職していたあたしに気づいて目を見開いた。
そして。
高遠くんは目にも留まらぬ速さで気の緩んでいた騎士さんから聖剣を奪うと、柄に手をかけ勢いよく鞘から引き抜いた。
一瞬でぶわっと震えた大気に、その場にいた全員が身震いする。引き抜かれた刀身はまばゆく輝き、高遠くんがどんな顔をしているかはよく見えない。
目を細めるあたしの狭い視界の中で、彼は両手で聖剣を高く掲げると──そのまま思い切り、切っ先を地面に突き立てた。
「……おや」
「え? あれ? ちょ、ちょっとーー!?」
身動きの取れないあたしと騎士のお姉さんに向かって、剣の真下から激しく湧き上がった地割れの亀裂が、稲妻のようにまっすぐ走ってくる。
衝撃を覚悟して思わず目を瞑ると、後ろから冷たい籠手に首根っこをむんずと掴まれ、あたしは騎士のお姉さんごと真横に吹っ飛んでいた。
コンマ数秒遅れてさっきまであたしが立っていた地点に地割れが走り、森に新たな谷が生まれた。
やがて亀裂は更に数メートル森を横断するように走った後でようやく止まり、辺りに唐突な静寂をもたらしたのだった。
しん、と無音が耳に痛い。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あの、このタイミングで言ってもアレなんですけど、僕達本当に怪しい者じゃないので……」
信じてください、と健気に訴えた高遠くんだったけど、騎士の人も女騎士さんもあたしもに「いやいやいや」と仲良く否定され、「雨宮さんは違うでしょ」と拗ねるのだった。




