魔雪峰の戦い④ 六花の少女
スキルを使って落ち着いて撃てばちゃんと命中する。そう思ってたけど、まず落ち着くのが無理だった。
「…………速っ!?」
トリガーを引くより先に、巨大狼のこれまた巨大な前脚があたしたちの頭上を鞭の様に引っ掻いてくる。咄嗟に避けたけど、直後にさっきまでいた雪洞は斜面ごとごっそり抉れて消え去っていた。……い、今の一撃って、避けられなかったら普通に死んじゃってた……?
えげつなさに青ざめていると、今度は間髪入れずすぐ隣で、ヒュンと空気を裂くような音が響いてハッと目を見開く。
高遠くんが振り上げた剣は迷いなく、狼が引き戻そうとしたその前脚に突き刺さり、熱と痛みに敵は耳をつんざくような唸りを上げた。
そして剣に付随してその柄を握る高遠くんの体もまた宙に引き上げられ、あたしは思わず銃を構えて震える照準に苛立つ。ああもう、冷えてる指なんか邪魔、全然役に立たない!
だけど高遠くんは少しも怯まず、剣を軸にして器用にくるりと体を持ち上げて敵の脚に乗り上げると、そのまま思い切り刃を食い込ませて骨ごと捩じ切った。
「雨宮さん!」
その容赦ない戦いっぷりに見入っていたあたしは、高遠くんが視線と大声をこちらに向けたことでようやくハッと息を飲む。視線を上げ、赤い血が溢れる傷口からわずかに肉が盛り上がって再生を始めるのを認めた後、苦痛に悶え動きが鈍った狼の額で赤く光る石を見据える。
さすがにあそこまで隙を作ってもらえたら外さない。銃口を向け、迷わずに引き金を引いた。
──狙いは完璧だったし、手元も狂わなかった。だけど弾は当たらなかった。
いや、当たりはした。赤い不死の石じゃなく、その上に腰掛ける魔族のつま先に。
「…………はあ!?」
「今のちょっと痛かったわ、さすがは創造主の遺した遺産ね」
ふう、と悩ましげに眉根を寄せて、魔族マリアはため息をついた。ブランコに乗る少女のように、長い脚をぶらつかせて。
……い、いま、銃弾を蹴り飛ばした!? どういう動体視力と反応速度、人のことあんまり言えないけど!
なんてこった、あの位置に陣取ってるのは操縦席的ポジションかと思ったら、おでこの弱点をガードするためにあそこに座ってたのか!? 割と献身的な飼い主!
これはまずい、だったらまずはマリアをどうにかしないと不死の石を破壊できずにこの狼も倒せない。
でも相手は魔族、どうにかなんてできるのかな……現に銃弾だって弾かれちゃったし……。
「順番なんてどうでもいいな。どの道どっちも殺すんだから、前倒しにして欲しいならお望み通りにしてやるよ」
高遠くんは淡々とそう言うと、ぐるぐる逡巡するあたしを置いて、躊躇わずに敵に向かって行った。前肢の再生を終えた狼が牙と爪、長い尾を次々に振り乱して襲いかかってくるけど、軽々と躱しながら難なくその足元に飛び込んでしまう。
そして聖剣を器用にピッケルみたいに突き刺して脚を伝って巨体をよじ登り、その背にひょいと飛び乗ると、暴れる魔獣の硬い白銀の毛を掴みながら毅然と前方、姿勢良く腰かける魔族を見据えた。
「僕に背を向けたままなら遠慮なく斬る。僕に向き合い雨宮さんに背を向ければその隙に魔石が撃たれる。……大型が好きなのかもしれないけど、お前の魔獣はいつも図体が邪魔をして、人間みたいな小さな敵を倒すには攻撃が大振りになり過ぎる所があるな」
「……そうね。それは私の悪い癖だわ。覚えておきましょう」
背後を取られながら、なおもマリアは余裕だった。
振り返りもせず、銃を構えるあたしを冷たく見下ろしている。そこに隙はなく、相変わらずガードの固い的になかなかトリガーが引けず焦りが募る。
「……それにしても、勿体ないわね」
「勿体ない?」
身をよじり振り落とそうとする狼の背の上を踏みつけるように移動しながら、高遠くんは訝しげに目を細める。
「これでも獣飼いと呼ばれるぐらいだから、私、動物の生態観察には長けているの。……そんなに獰猛なのに、どうして草食動物みたいな人畜無害な顔をして牙を隠しているのかしら」
何の話をしているのか一瞬分からず、でも、言われた高遠くんが痛い所を突かれたみたいに目を見張ったので、それが彼を評しているのだと知る。
獰猛? 高遠くんが?
「別に恥じることはないわ、人間だって結局は獣ですもの、本能のままに暴れ回ったって悪くはないでしょう。……ああそれとも、この娘がいる前では本性を曝け出せないと言うのなら、先にあちらを片付けてあげましょうか?」
「雨宮さん!」
「え?」
目の前の大型魔獣と魔族と高遠くんに集中していて、あたしはすっかり視野が狭まっていた。それはもう、すぐ真横から飛び出してきた標準サイズの狼魔獣に気づかないくらいに。
咄嗟に銃口を向け発砲したけど耳を掠めただけで動きは止められない。開かれた大きな口と鋭い牙に、「ああ、これは死んだな」と思った瞬間。
「……目の前の敵に夢中で女の子をほったらかすなんて、とんだポンコツだよね?」
キツく閉じた視界の外で、ひゅう、と風を切る冷たい音が長く伸びて、あたしは自分が空を飛んでいることに気づく。ううん、空を飛ぶなんて地球人類にはできない。だからあたしにもできない。
つまりこれはこの人……あたしをお姫様抱っこして遥か下方である地上の敵を睨む、このお姉さんの力だ。
「…………」
「負けず嫌いで血の気が多い所は全く成長してない。君もそう思わない? 可愛い勇者さん」
勇者、という単語にハッとする。
飛行スキル。何の愛読書か知らないけど、この人は……!
「しっかりしがみついて、私から離れないでね。その限りは君にも絶対に当たらないから」
頼もしく言うとその人は、あたしを抱いたまま空を急降下した。
襲いかかる冷たい風と雪に目を細める。彼女が背と腕にゆるりと纏っている半透明の羽衣が、風の抵抗とは明らかに不自然にふわりふわりと優美に揺れていた。
そして降下はなんと魔獣の鼻先で止まり、目の前で再会した魔族の仏頂面と見つめ合う羽目になる。
ひ、と息を飲むとあたしはどうにか銃を構え、眼前の赤い石に銃口を向けた。即座に狼が唸り、大きな口先をこちらに向け振り上げる。
ぶ、ぶつか……!
「ぶつからないよ。そういうスキルだから」
言うとあたしを抱えるその人は避けようともせず目を伏せて──だけど、確かに攻撃はぶつからなかった。
気づくと少しだけ上空に移動していて、彼女とあたしは羽衣をふよふよさせながら、のんびりと空に浮かんでいるのだ。
「……て、テレポート……?」
「ううん、『回避』スキル。私には一切の攻撃が当たらないの。別にいくら試してもいいけど、その分貴女のワンちゃんが無駄に疲れるだけだと思うよ」
にこりともせずに恐ろしいことを言ってのけたその人は、マリアを睨み──そして、その背後で固まっている高遠くんをちらりと見て、フッと笑う。見事な嘲笑だった。
その高遠くんはといえば、このお姉さんの登場以降ずっと今まで見たこともないような面白い顔をしていた。驚きと困惑と絶望をぐちゃぐちゃにかき混ぜたような表情だ、そして顔色が最悪だった。はて??
「……ふむ。なるほど分かった、私はお前に絶対に勝つことはできない。そしてお前も私には絶対に勝つことができない。そういうことなのね?」
生態観察は得意と言っただけあり、マリアはじっとお姉さんを見つめただけで何かを理解すると、くすりと笑って頷いた。
「分かったわ。ここは退いてあげる。でも次会う時はお前を潰す方法も用意してくるわ。覚えておきなさい、生き物である以上、死なないことなんて出来ないのだから」
言うとマリアは指を鳴らし、それを合図に巨大な狼が全身の毛を逆立てて吠える。
そして次の瞬間、ぱっと消えた。魔族も魔獣も。つまり当然、その背に乗っていた高遠くんは足場を失うわけで。
「─────!」
高所恐怖症の高遠くん、絶句しながらも空中で聖剣を振り下ろし、雪面に当てた衝撃波で軽く体を浮かしてから器用に着地していた。その姿はもくもくと雪煙に消える。
「た、高遠くんっ!」
「へえ、便利ねあの剣。さすがは王道ファンタジー小説、物理法則とか色々無視してくれる。いけ好かないな」
「……あ、あの、貴女は……」
あたしは改めてまじまじと、自分を優しく抱えて空を飛ぶ彼女のことを見つめる。
でもドキドキしちゃって三秒と見つめていられないような、浮世離れしたものすごい美人だった。
透けるような亜麻色の髪は長く、腿のあたりまで絹糸のようにサラサラと流れている。瞳の緑は深い竹林みたいに涼しげで、長い睫毛が瞬きのたびに影を落とし美しく揺れていた。
年はあんまり離れてないように思えるけど、細い体はすらりとして女の子にしては背が高く、形の良い唇に落ち着き払った笑みを浮かべる様はとても大人びていて、どこか教室で見ていた高遠くんに雰囲気が似ていた。
ふんわりとした羽衣を纏い、肩のあたりではだけた着物風の衣装、その中にはなぜかSFチックな黒いボディスーツというどうにも奇妙な出で立ちだった。でもその優雅な顔立ちとスタイルの良さで、実に完璧に着こなしている。女の子なのに思わず見惚れて、ついついぽーっと頰を染めてしまった。
……勇者、そしてスキルという単語。だからこの人はおそらく……
彼女はゆっくりと地上に向けて降下すると、雪面に手を突いて乱れる息を整えていた高遠くんの目の前に静かに着地した。
そしてあたしを丁重に雪の上に下ろすと、彼に向けてそのたおやかな白い手を差し伸べる。
高遠くんはその手を、どこか苦々しげにじっと見つめ──やがて観念したように、しっかりと握った。
「……驚いた。あなたは異世界を救うだとか勇者とか、こういう馬鹿げた誘いには乗らない人だと思ってました。真姫菜さん」
「大正解。私はこの世界を救いに来たわけじゃないもの。……久しぶりだね、深くん。君はなーんにも変われてないね」
よいしょと高遠くんを引き起こして、その人──六人目の勇者さんは、悪戯っぽく微笑んだ。




