魔雪峰の戦い② 籠城アバランチ
「に、にー……煮込みハンバーグ!」
「グリッシーニ」
「何それ!? しかもまた『に』……にんじん……あっダメだ、にくまん……ハッ…………あ、煮っころがし!!」
「シャンハイガニ」
「…………。に、に、にぃ~……。にゅうめん? 肉みそおでん? ……あーーもう無理だー、降参!」
うきー、とサルのように身悶えしながら降伏すると、高遠くんはふっと目を細めて勝ち誇ったように言った。
「これで僕の13勝無敗だね」
「うう……いやそもそも、あたしと高遠くんでしりとりなんてするのが間違ってる! 語彙力と頭の回転が違いすぎるもん、別のにしよー別のにっ!」る
「どうぞ。敗者には次のゲームを有利に進める権利があって然るべきだからね」
そうでなければつまらない、と実に楽しそうに微笑む高遠くんは何気に鬼だったけど、この爽やか王子様スマイルで言われてしまうとついつい絆されてしまうのだからまことに罪深い顔面である。ていうかただの惚れた弱みなんだけど!
だけどあたしが高遠くんに敵うもの、かつこの環境で出来ること、なんてそうそう思いつかない。
偉大なる愛読書は『32秒でケチャップ一本飲み干す』『52時間サンドバッグを殴り続ける』などの百年の恋も冷めるようなすばらしいスキルの数々をさっきから懸命に閃かせてくるんだけど、残念ながらこの場所では披露するのは難しそうだ。いや出来てもやらないけど!
この場所────あたしたちが今いる場所。
人二人がようやく座って入れるほどの狭い狭い雪洞の中は、ひとたび黙ってしまうと余りにも静かだった。まるで世界に二人きりのような気分になるけど、もちろん字面ほど現状はロマンチックじゃなかった。
* * * * * *
雪崩の流れの端ギリギリで辛くも埋没を免れたあたし達を、しかし息つく間もなく無慈悲に襲ったのはスキルの代償だった。
進行方向を大量の雪に塞がれ打開策を必死に練るあたしの隣で、高遠くんは突然胸を抑えてうずくまったのだ。
愛読書『アーサー王物語』、そのスキル使用の代償は心拍数の上昇。
これまでその力の半分も出さずに戦ってきたからせいぜい息切れする程度で済んでいたけど、今回は最大出力で二連戦を終えていたので、その負荷もまた大きいものだった。
高遠くんは滝のように汗を流しながら苦しげに目をぎゅっと閉じて、過呼吸になりそうなぐらい荒く息を乱していた。胸を押さえる手が、分厚い上着の上からでもその脈打つ心臓を握り潰せるんじゃないかと思うほどキツく指を食い込ませている。
それを見下ろすあたしは逆に心臓が鼓動を止めてしまいそうだった────
この人が苦しんでいる姿を、あたしは1秒だって黙って見ていられないんだって、その時によく分かった。
何とかしなければ。しゃがみこむ高遠くんの震える体に、容赦なく凍てつくような吹雪が吹き付ける。
どこか暖かくて安全な場所に身を隠さないと……でも周囲は一面雪、そんな都合のいい所なんて────
そう思った時、胸にページをめくる音が響き、あたしはすぐさま背負っていたリュックをまさぐると、用意してきていたスコップを取り出してぐっと握る手に力を込めた。
「あ、まみや、さ………」
「高遠くん、もうちょっとだけ待っててね」
苦しげな横顔に言う。代わってあげられないのが辛くてあたしは唇を噛んだ。
そして雪崩が起きたのとは別の斜面に駆け寄ると、雪の具合を確かめ、深い雪にスコップを思い切り突き刺した。
* * * * * *
「…………それにしても驚いた、雪洞が作れる女の子なんて初めて見たよ」
「ふふふ、そこは企業秘密ですなあ」
愛読書にその名を記録されている数多の勇敢なる登山家たちが繰り広げた、厳しい雪山での大冒険。
そこで用いられた雪山生存術の全てを使うことができるスキルにより、あたしは雪の斜面を掘り進み、簡易的な雪洞をこしらえる事に成功したのだった。
「本当はもっと広くしたかったんだけど、時間も人手もなかったから……こんなのでごめんね」
「いや、十分だよ。雪洞の中って周りは雪なのにあったかいんだね。それに、すごく静かだ」
あたしたちが腰掛ける斜面内部の空洞スペースの先、外へと続く細い通路の出口には布をかけて蓋をしてあるけれど、その向こうは依然として吹雪が猛威を奮っているはずだ。だけどそのごうごうと言う音は今は随分遠い。雪がすべての音を閉じ込めてしまうのか、ここが雪山だってことも何だか忘れそうになる。
雪洞の中は0度程の気温に保たれているので、さっきまでの極寒の世界が嘘のようにとても暖かい。さっきまでは青白く、本当に死んでしまいそうだった高遠くんの顔に、ようやく血の通う色が戻ったことがうれしくて、あたしはほっと目を細める。
……だけどそれにしたって暑すぎるなあと、あたしはちょっと困惑していた。
だってこの雪洞は狭すぎて、高校生二人──しかも片方は背の高い運動部男子、もう片方は馬鹿でかい荷物を背負った女子──が収まるには、どうしたって隙間を作る余裕なんてないのだ。
膝を抱えて座り込んで、あたしの左半身は高遠くんの右半身とぴったりくっついてしまっている。
今ちょっとでも横を向いたら、確実に鼻と鼻がぶつかるだろう。高遠くん鼻高いし。
そんなわけで片思い相手とゼロ距離密着というおよそこの世に有り得ない状況に、ようやく心臓が落ち着いてきたらしい彼と反比例するようにあたしの心拍数はうなぎ登りなのだった。
「それで、次のゲームは?」
「へえっ!? あ、えと、どうしよっかなあ!?」
さっきから発言の全てが耳元で甘く囁かれてるようなものなので、そろそろ耳が蕩けて腐れ落ちるんじゃないかと本気で不安になってきた。そんなこんなで頭もちっとも回らない。まあそれは普段からだけど!
疲労と温かさで眠ってしまうのを防ぐためにさっきから二人でしりとりなんかのゲームをして気を紛らわせていたんだけど、正直全然それどころじゃなかった。
「げ、ゲームはそろそろおしまい。あたしが高遠くんに勝てそうなのなんて大食い対決ぐらいだもん。ここじゃ味無しかき氷ぐらいしか用意出来ないし……シロップを持ってくればよかったね」
「あったら食べるのか、この寒さの中で……? それにしてもこの雪山での知識と対応力、登山家の伝記とかか……?」
うーんと考え込む高遠くん、どうやらあたしの愛読書当てゲームはばっちり継続中だったみたい。ちょっと真面目すぎるがゆえに頭が堅いのか正解までは遠そうだけどね。
ふあぁとあくびしつつ、高遠くんて意外と負けず嫌いだよね、と、真剣な横顔を眺めながらくすりと笑ってしまう。
「何? あ、ヒントとか要らないからね。それじゃつまらないだろ」
「いやいや。元気になってきたみたいで良かったなあと思いまして」
へへへと目を細めると、高遠くんは口を引き結んで、申し訳なさそうに視線を逸らした。
「その……ありがとう。本当にごめん、雪山であんな攻撃するなんて考え無しにも程がある。危険な目に遭わせた上に助けてもらって、もう何てお詫びすればいいのか……」
言いながら、ずーーーーんと落ち込んでしまう。「まったくだよ」なんて言ったら雪に顔を埋めて死んでしまいそうだなーと思い、あたしは首を横に振る。
「でもああでもしなかったら今頃、オオカミの群れに襲われてあたしたち食べられちゃってたよ。一掃するにはああするしかなかった。その結果雪崩は起きたけど、でも今こうしてあたしたち元気におしゃべりしてるんだもん。それだけじゃ、高遠くんが間違ってなかったことの証明にはならない?」
笑って言いながら視線を送ると、高遠くんはなんだか辛そうな顔をして俯いた。
「…………ずっと、まともに戦闘で役に立てなかったから、いいとこ見せなきゃって思ってたんだ。それに、刀の無い雨宮さんを守るためには自分が何とかしないとって焦ってて……格好悪いよね、ほんと」
そう言って、膝を抱えて黙り込んでしまう。律儀な人だなあ、そんなところも好きだけど。
それにしてもスキルが強すぎてヒーローになれないなんて、愛読書が壮大すぎるのも考えものだ。
きっとそのうち、もっと大きな戦争クラスの戦いにおいては、高遠くんの聖剣は無双級の活躍ができる。あたしが追いつけないくらいに。だから今はそんなに落ち込まないでもいいのにな、と、あたしは気の毒に思っていた。
「さて、元気になったらそろそろ出発しなきゃだね。残念ながら残り時間も少ないし」
するすると食道のラインをなぞり、あたしは胸焼けを思い出す。
出発前に飲んだ魔女さんの抗魔雪薬、その片道有効期間は3時間。なのにまだ目的のお弟子さんの影すら見つけられてない。
それにしても不味い薬だった……金髪執事高遠くんの淹れてくれた紅茶が懐かしい。それにしてもあれは幸せな時間だったな、とにやにやしていると、高遠くんは渋い顔をして通路の先の外界を睨んだ。
「こたつじゃないけど、一度雪洞の暖かさに慣れると外に出るのは憚られるな……またあの吹雪の中に出るのか」
「あ、さては高遠くん雪苦手? 山に入る時から嫌そうな顔してたもんね」
ふふんと無駄に勝ち誇るあたし、ちなみに雪は大好きである!
さすがに吹雪は勘弁だけど、風がなければ雪合戦にかまくら作り、雪だるまコンテストとかいろいろ遊びたいなーとひそかに目論んでる。問題は付き合ってくれる精神年齢の人が誰もいないことだけだ。せめて晴春君がいればなあ。
「雨宮さんは好きなんだ」
「うん。楽しいもん、雪。大好き!」
「そうなんだ……僕は嫌いだな」
疲れてぼーっとしてたんだろう、それはぽろっと出た一言のようだった。
だけど直後、ハッとした表情で高遠くんは青ざめ、ぐりんっとこちらに顔を向ける。ち、近い!
即死攻撃か??と戸惑うあたしから、高遠くんは絶望したように肩を落とし目を逸らす。
「ごめん……」
「え、なにが?」
「……自分が好きなものを、嫌いだなんて言われたら不快だろ。……一緒にいるなら、同じようにものを考えて、同じものを好きでいられる方が良いに決まってる」
寂しそうにそう言う高遠くんの言葉に、あたしは同意しかねた。だって、
「そうかなあ。でもあたしは、好き嫌いがバラバラな人の方が、二人でぜんぶ残さず食べられるからいいと思うけどな」
なんて、これは好き嫌いがほとんどない人間が言っても説得力がないんだけど。結局あたしが相手の分もぜんぶ美味しくたいらげるだけである。
しかし高遠くんは目を丸くしてあたしを見ると、ふいっと視線を外し、膝を抱える腕に口を埋めて呟いた。
「雨宮さんには勝てないな」
なんのゲームだったんだろう、でもよく分かんないけどあたしの1勝13敗ってことみたいなので、記念すべき初勝利に笑っておいた。
「それにしても雪……苦手だったのか? なんでだろう、外練習が出来ないからか?」
多分そんなに自覚がなかったんだろう、真剣に分析する高遠くんだった。その理由も真面目も真面目、さすがサッカー部エース!と感心してしまう。
「それに高遠くん、春生まれだもんね。4月2日でしょ?」
「うん……あれ、言ったっけ誕生日?」
そりゃあクラス替え初日、休み時間のたびにありとあらゆる友達や女子に囲まれて盛大に祝われてる人がクラスにいれば誰だって覚える。しかも春休みがあったから当日でもなかったというのに……
人気者って大変だなあと思ったものだった。そして、同じ教室にいながらおめでとうも言えない自分に死にたくもなっていた。なんだか遠い昔のことみたいだ。
「……その理屈で言うと、雨宮さんは冬生まれなんだ」
「あ、そうそう。だからかなあ、雪見るとテンション上がっちゃうの」
「……へ、へー。ちなみに何月何日?」
明日の天気を聞くように言いながら、なぜか高遠くんの声色はやけに真剣だった。まるで犯人の尻尾を掴んだ探偵のようだ。
怪訝に思いつつ、関心を持ってもらえるのは嬉しいことなので心持ち弾んで答える。
「12月だよ。お兄ちゃんがクリスマスで、あたしがイブなの。珍しいでしょ」
へへっと雨宮家豆知識を披露する。おかげで我が家ではクリスマスの分も合わせて、連日連夜ケーキの大渋滞が起こるのだ。隣で総摂取カロリーを計算してくるお兄ちゃんさえ無視すれば一年で一番幸せな期間だねっ!
「イブ……12月24日か。よし。……えーと、そっか、雨宮さんにはお兄さんがいるんだね」
何がしかの気合いを入れた後、高遠くんは言う。
「うん、年は三つ離れてるんだ。お兄ちゃんはすごいんだよ。あたし十人ぶんくらいすごいよっ」
「雨宮さんが……十人……? それはすごいな……」
何を想像したのか知らないけど高遠くんはごくりと唾を飲み、畏怖するように小さく震えていた。どんな反応??
それにしてもお兄ちゃん、元気でやってるかな。何も言わないで転移しちゃったから一番心配してくれてるかも……。やっぱり早く元の世界に戻らなくちゃ、と改めて気合が入る。
「仲が良さそうで羨ましいな、僕は一人っ子だから……まあ、きょうだいみたいな人はいたけど」
「みたいな?」
おお、控えめな高遠くんが自分のことを話そうとしてくれてる! レアだ! うれしいっ!
興味津々にぱあっと目を輝かせたあたしに反し、じっと雪洞の向こうを見つめながら、高遠くんはなぜだかあんまり楽しくなさそうにぽつぽつ呟く。
「幼なじみって言うのかな……家が隣だった上に同じ病院で一分違いで生まれたから、双子みたいだって親同士が盛り上がって何するにも一緒にされてた。僕が引っ越してもう十年も会ってないけど」
へえ、すごい偶然もあるもんだ。しかも4月1日と2日の日付を跨ぐ一分差だったので、学年は向こうが一つ上なのだと高遠くんは言った。ってことはお兄さん的存在かあ。
「いいなぁ、生まれた時から友達なんて楽しそうだね」
「…………いや、友達だとも楽しいとも一度も思ったことはなかった……あの人はいつも楽しそうだったけど……」
何かを思い出したのか高遠くんはぶるりと身震いし、恐ろしい体験を振り返るように言う。
「僕はあの人のお気に入りなんだ、玩具的意味で。クソ真面目に苦悩する姿が最高に笑えるとかで……」
ああ、それはなんか分かるかも、とこっそり思いつつ、なんだか凄そうな幼なじみさんに想いを馳せる。高遠くんは王子様のようだけど、その人はどうやら王様系男子みたいだ。
「……まったく、本物の魔女に会った今でも、『魔女』って聞くとあの人のことを思い出して陰鬱な気分になる……」
……ん? 魔女?
「ねえ高遠くん、その幼なじみさんってもしかして女の子……」
不穏な予感を抱きながら恐る恐る尋ねた瞬間、雪洞が大きく振動した。
遠く聞こえるはずの外の音。それでもなお全身を震わせるようなそれは、狼の遠吠えだった。
「…………!」
「代償は払い終えたし、ちょうど良い頃合いかな……。行こう。続きは魔女の館で紅茶でも飲みながらゆっくり、ね」
ふ、と目の前で微笑まれて。あたしは状況の緊迫感にそぐわずきゅーんと胸をときめかせてしまった。
おめでとう! アリアは魔獣三十匹分くらいは倒せる元気が回復した!
しかし雪洞を這い出て吹雪の中に戻り、あたしたちを待ち構えていた魔獣は三十匹どころか、たったの一匹だった。
いや正確には、一匹と一人。
あたしはその人の懐かしい顔を見てあんぐりと口を開け……たら、すっごい勢いで雪が中に入ってきた。冷たっ。




