条件は一つ
無音の凍えるような長い通路を抜けた先、豪奢な装飾の施された重厚な扉を開けて足を踏み入れた魔女の館の室内は、外とは打って変わって溶けるような温かさに満ちていた。
広間みたいなその部屋の中央には、パーティ会場を思わせる横長のテーブルがどーんと置かれていて、こぼれんばかりに甘そうな焼き菓子や雪の街に似つかわしくないカラフルな熟した果物が所狭しと積まれている。
奥に備え付けられた大きな暖炉、その中でメラメラと揺れる熱はやたらと高く、3段重ねのデコレーションケーキの上でクリームがでろでろと融解し、砂糖菓子のお姫様と王子様をえげつない感じに甘い沼に沈めていた。貴重な薪を贅沢に……と思ったけどよくよく見れば暖炉に火種になるようなものは無く、おそらく魔女さんの魔法が為せる業のようだった。
そしてテーブルのど真ん中──背もたれが数メートルはあるようなアンティーク調の椅子に悠然と腰掛けて。
待ちかねていた彼女はあたしを見ると、「ようこそ」と言うように軽く手を開き、透き通るような声で囁いた。
「この館に客人を迎えるのは久方ぶりのことですわ。親愛なる不法侵入者を寛大なる心を持って歓迎しましょう。わたくしの名はジゼル。あるいは極寒の魔女、血も凍る悪魔、極悪永久凍土などと呼称されたこともありますけれど、まあ好きなように呼んでいただいて構いませんわ」
言って、ソーサーから音も無くティーカップを持ち上げると、薔薇色の唇を重ねて優雅に傾ける。
その物言いも振る舞いも洗練された淑女のようだったけれど、しかし彼女の外見はどう見てもせいぜい十二歳程の愛らしい少女のものだった。
童話で見たような黒い大きな三角帽子に、真っ黒なドレスと手袋。身長より優に長そうな、お月様みたいにキラキラした金色の髪。やや釣り気味の大きな瞳の赤は燃えるようで、冷めた目つきの冷ややかさを際立たせていた。
……罠のえげつなさへの苦言とか実年齢いくつですかとか、いろいろ言いたいことはあるけれど。
あたしの意識はこの部屋に入ってからずっと、その奇妙な魔女さんには1%程しか向けられていない。
残りの99%はと言えば、
「……ふむ。なかなか悪くない淹れ具合ですよ新入り。貴方には見込みがあります。他の二人ももっと気合を入れるように」
「…………。それはどうも」
魔女さんがカップを片手に薄く微笑みかける先。
彼女のすぐ脇に姿勢良く控えている、長身の超絶爽やか格好いい執事風のスーツを着た男の人に、あたしの目は釘付けになっていた。ていうかいわゆる高遠深也くんだった。
た、高遠くん執事バージョン……!?
制服、ユニフォーム、騎士風だけでも大満足だったのにこんなSSR級のウルトラレア衣装が存在していたなんて……!
ああ似合う、めっちゃ似合う、ちょっと不服で気恥ずかしそうな表情も百億点満点、高遠くんの紳士的雰囲気に絶妙にマッチしている。拝啓校長先生様お元気ですか、これを制服にしましょう。
こんなの眼が福にも程がある、あたしが今までめちゃくちゃ死にかけてきたのは全てこの奇跡を目にするためのバランス調整だったのかもしれない。眩しすぎて目が眩み、謎の頭痛発生、動悸脈拍いとやばし、鼻をぶってもないのにまた流血しそうになってきた。もう体を抑える手が足りない、いま進路希望調査を書かされたら私の第一希望が千手観音です。
あとマヤちゃんと太一郎君も同じような格好をさせられてそれぞれ魔女さんの髪を櫛で梳かしたり爪の形を整えさせられたりしていました。
「なんか今すげーはしょられた気がする」
「しかたないわ、恋は盲目だもの……見なさいあの目、完全に私たちは背景の草か何かよ」
悲しげに呟くマヤちゃんたちの声をぼんやりと聞きながら、あたしはようやく2割ほど正気を取り戻し声を張り上げた。
「な……何してるんですかうらやましいあたしも混ぜてっ! ……じゃなくて、あたしの仲間に何たる狼藉、今すぐみんなを解放してください!」
「大変勇ましいことですけど前半の本音ダダ漏れですべて台無しですわ」
憐れむように三角帽子の下で目を細めて、魔女さんは嘆息した。
「まずはわたくしの館に土足で上がり込んだ言い訳を聞かせてもらいましょう。……あなた方は王立騎士団の者でも魔族の者でも無いようですわね? 彼らのようにわたくしを戦場へ連れ戻そうというおつもりなら、魔女と云われる全力を尽くしてお断りしますわ。わたくしは既に、隠居している身ですので」
魔女さんはそう言うと、赤い瞳を尖らせてあたしを睨んだ。
戦場……隠居……なんだか物騒な。魔女さんは色んなとこから力を請われてて、でも戦いたくないって感じの状況ってこと?
だけどあたしは彼女が危惧しているようなことはなんにも望んでいないので、ふるふると首を振って否定する。
「魔女さんは戦わなくていいです。あたしが戦うために、力を貸して欲しいんです」
魔女さんは訝しげに眉根を寄せたけど、あたしが腰の鞘から白い刀を引き抜くと、丸くした目をぱちぱちと瞬いた。折れた妖刀を差し出すように掲げながら一息に続ける。
「これはある人から譲り受けた刀です。あたしのせいで折れました。面目ないですが大事な相棒です、どうか直して下さい」
悔しさに歯噛みしながら頭を下げると、魔女さんは表情を変えないままくいっと指を振り上げた。
するとあたしの手にあったはずの残雪は宙に浮かび、吸い寄せられるように魔女さんの小さな手の内に飛び込んでいく。
「サイバラ・スオウ……息災なのかしら。挨拶もなしに人に丸投げするあたり、相変わらずの無骨者のようですわね」
そして懐かしい友人を見るように残雪の痛ましい姿をしばらく眺め、ふっと笑って頷く。
「いかにも。この妖刀・残雪は稀代の刀鍛冶にして刀術の鬼才だったスオウが鍛え、魔雪峰の雪解け水を冷却に用い、わたくしが魔力を封じ込めた至高の芸術品ですわ。この世界に存在する武器の中でも最高傑作の一つと言って過言ではないでしょう。……それだけに持ち手は選ぶと思っていましたけど、なかなかどうして面白い人選をしてしまったものですわね」
くすりと微笑み、魔女さんは値踏みするようにあたしを見つめた。内臓まで見透かされるような視線に思わずたじろいでいると、「それにしても」と彼女は首を傾げる。
「この刀が折れたということは、持ち主の心は再起不能なほどに傷ついたはずですわ。とっくに精神崩壊していてもおかしくないはずなのですけれど……ああ、精神崩壊した結果がその残念な脳みそなのかしら……?」
「こ、この脳みそは元からです!」
「それはそれで悲惨ですわね……」
ふう、とため息をついて憐れむように目を伏せると、魔女さんは妖刀の刃を指でなぞりながら妖しく微笑んで言った。
「いいでしょう、この刀を造った者の一人として、わたくしにはこの子を蘇らせる義務がある。……ただし、無償というわけにはいきませんの。条件が一つありますわ」
あ、あの容赦ないトラップを仕掛けてきた魔女が出す条件……。思わず背筋が伸びて、ごくりと唾を飲み込む。
緊張で吐きそうだったけど、ふと執事な高遠くんが心配そうにこちらを見ているのが目に入ると、一瞬でへへっと表情筋を緩めてしまった。そのゆるさはもはやレンジで1分チンしたおもち。もうなんでもどんと来いって感じだった。
「……もう少し畏怖して欲しいのですけれど……まあいいですわ。条件は一つ。かの魔雪峰に登り、わたくしの弟子を見つけ出し無事に連れ帰ること。それだけですわ」
「お弟子さん……ですか? その人も魔女?」
「ええ、見習いですけれど。前の弟子に酷く手を噛まれて以来、何十年も弟子は取っていなかったのですが……なかなか筋の良い娘が現れたもので。しばらく面倒を見ていたのです。ですが、あの山に魔族を討ちに行ったきりもう一晩帰っておりませんの」
魔女さんはカップの紅茶を揺らして苦々しげに言葉を落とした。
雪山に一晩──しかも、魔族が拠点にしているところに?
思わず青ざめて息を飲んでしまった。……それは、無事でいるのが奇跡というものだ。
「わたくしは訳あってこの館を離れることができません。わたくしの代わりに弟子を連れ帰ってくれれば、望み通り妖刀の修復を承りましょう」
どうなさいます? と残雪を揺らしながら、魔女さんは問う。
……うーん、さすがにあの極寒の中。メイン武器が無い今、ミイラ取りがミイラに、って可能性もかなり高い。
でもこれは、あたしの目的を果たすだけでなく、そのお弟子さんを助けることもできる条件だ。
きっとその人、寒くてとっても怖い思いをしている。今温かい場所にいるあたしのささやかな不安なんて、それとは比べものにもならないだろう。
あたしは顔を上げると、胸を拳でとんと叩いて弱気を押し殺し、声を張り上げて答えた。
「分かりました。やります!」
「良いお返事ですわ」
魔女さんはにこりと微笑む。すると隣の高遠くんが咄嗟に口を開き、らしくなく切羽詰まった声で言った。
「僕も行きます。視界が悪い中で弓と拳銃だけで身を守るのは至難の業だ、一人で魔族のいる雪山に登らせるなんてできません!」
「高遠くん……」
優しさにじーんとしつつ、脳内を占有する「どうにかしてこっちを通常装備に変更できないかな……!?」という邪な提案が口から飛び出すのを防ぐのにあたしは必死だった。
「ふむ、まあそうですね……。貴方は大変見目も好く優秀な執事候補なので、出来れば此処に居て欲しかったのですけど。成功確率は高い方がわたくしも安心です。許可しましょう」
「ちょ、ちょっと待って! だったら私たちも行きます!」
「いえ、同行者は一名までですわ」
がたっと立ち上がったマヤちゃんと太一郎君を、魔女さんが一瞥もせずにぴしゃりと切り捨てる。
そして音もなくぱっと手の中に二つの紅い小瓶を呼び出すと、その中の液体を揺らして見せた。
「魔雪峰の雪は現在、魔族の放つ瘴気により弱い毒性を含んでいます。長く浴びれば死に至る……わたくしが調合したこの薬を飲み、毒素を無効化しなければ進行は不可能です。弟子に二つ渡して、残りはもうこれだけ。小瓶一つで6時間は保ちます。往復を考えれば二人が限界ですわ」
そ、そんなデンジャラスな山だったとは!?
もともと雪山の捜索なんて長時間は無理だけど、3時間で見つけて戻って来なければ死ってことかあ……。
ていうかお弟子さん、大丈夫かな。薬をきっかり飲んでも、一晩経ったということはもう効果は切れてるだろうし。雪の当たらない雪洞とかにどうにか身を隠してくれていると良いんだけど……。
心配の余り顔を曇らせていると、高遠くんが鼓舞するように言った。
「大丈夫です。必ず雨宮さんも貴方の弟子も、無事に連れて帰ってきてみせます」
凛々しく言い切ったその横顔に思わずまた眩暈を覚える。ああ高遠くんあまりにも勇者適性◎、あとできればぜひその格好のまま一緒に雪山登山して欲しいです。死ぬか。
「うう……歯がゆいけど、私たちの中で一番攻撃力が高いのは高遠君だものね……アリアちゃんのことは任せたわ」
「できるだけ早く帰ってきてな、この魔女マジで人使い荒いから」
奉仕の手を休めずに死んだ目で言うマヤちゃんと太一郎君に、大きく頷いてあたしは笑ってみせた。
高遠くんはあたしを見て、いつものように優しく微笑んでくれる。それだけで百人力だ。でも、
「では弟子の特徴と山の現状について説明をしましょう。暗くなるといけませんわ、すぐに出発を……」
「あの、その前にちょっといいですか?」
あたしは垂直挙手でもって魔女さんの言葉を遮ると、胸の前でパチッと手を打ち小首を傾げて言った。
「能力の都合上、空腹では心もとないので……そこの執事さんに、あたしにもお茶を一杯淹れて欲しいなーなんて」
神さま、素晴らしい代償をありがとうございます。
堂々と職権乱用するあたしに魔女さんは呆れて目を細める。
高遠くんも少し目を丸くしていたけど、すぐに白い手袋に包まれた手を胸に当てると、完璧な角度で恭しく礼をして「かしこまりました」と笑ってくれた。やったー。




