魔女の館
痛いくらいの静けさが耳に刺さる。
子供心の素朴な疑問に、昔お兄ちゃんが解説してくれたところによると、雪はその細かな結晶の内側に周囲の音を閉じ込めてしまうらしい。降り積もり山となったならばなおさら。
だけど決してそのせいだけではなく、訪れた目的の雪深い村は異様な静寂に包まれていた。何しろまだ昼間だというのに、人一人として表に出てないのだ。
閑散とした村の入り口に立ち、あたしはマフラーの内側で首をすくめ鼻をすすっていた。寒い。溜め息をつけば悲しいほど白く、空腹もあいまって涙目で震えながら呻くしかなかった。
「さむい……」
「アリアちゃん泣いちゃだめよ、たぶんここ余裕で氷点下だから涙と鼻水が凍るわよ」
弱音を吐くあたしにキリッと忠告するマヤちゃん、しかしその顔は太一郎君の分も含めたマフラーでぐるぐる巻きにされていたたので、もはや片目しか見えていなかった。ミイラみたいだ。
荒野から一転した気候に、分厚いコートやら手袋やらマフラーやらのありったけの防寒具をもこもこに着込んだのにまだ寒いんだから本当に寒い。
しかしこうも厚着をしては戦闘時の動きが鈍る……とか女子高生らしからぬ心配をして眉間にしわを寄せていると、隣にいた高遠くんがハッとした顔でマフラーに指をかける。
「ごめん雨宮さん、今巻くから……」
「あ、いえお構いなく……」
丁重にミイラの擬態をお断りしつつ、その優しさにちょっとだけ心がほっとして体温も上がったような気がする。さすが高遠くん、貼るホッカイロ並みの威力があるね。
「それにしても……人気がないにも程があるよね? 確かにお日様がないから薄暗いけどさ、まだお昼なのに」
村に立ち並ぶ家々、白い雪を乗せた三角屋根にはどこにも可愛らしい煙突が生え、そこからもくもくと白い煙が立ち上っていた。窓からは暖かなオレンジ色の光も漏れ出ている。つまりみーんなお家の中でじっとしているようなのだ。寒いから?
「寒いっつっても、冬眠じゃないんだからずっと引きこもってもいらんないだろ。生きてれば減るもんは減るだろうし」
マフラーをマヤちゃんに譲ってしまった太一郎君はしかめっ面で首をさすりながら、軒先に積まれた暖炉用と思われる薪を指差す。どの家の蓄えも、数えられるほどに残り少ないようだった。今日明日にでも外に出て、新しいものを調達しなければ極寒の夜を迎えることになりそうだけど……。
「外に出たくても出られないってこと?」
「おそらく。まあ何の事情があるのかも、スオウ先生が言う魔女がどこに住んでるのかも、闇雲にうろついてても分からないよ。……それよりなによりまず、寒い」
赤い鼻をさすりながら高遠くんは手近な家の前に立つと、コンコンとドアをノックした。
…………返事はない。
煙突から立ち込めるあったかそうな煙に、あたしはむーっと口を尖らせた。
どうやらあまり歓迎されてないようだ、と思いながら、コートに無理矢理括り付けた残雪の柄を握る。いやここで躊躇してはいられない、そもそもこうなったのもあたしの不甲斐なさ故! ここで怯まず次の一声で怪しい者ではないことを証明しなくては!
「たのもーーー!!」
「なんか違うよ雨宮さん!えーっと、す、すみません、旅の者ですがお聞きしたいことが!」
名乗り口上を上げようとするあたしのフードを引いて制しながら高遠くんが模範的挨拶を投げかけると、ようやく軋む音を立ててドアが開いた。
半分ほど閉ざされたドアの隙間から顔を覗かせたのは、訝しげな目をしたおじさんだった。家の奥から、子供のはしゃぐ声と飛び跳ねる足音、それを諌める女の人の声が聞こえる。
それらを振り返りながら、ちょっと迷惑そうにおじさんは口を開いた。
「……旅の人かい? 悪いけど今年の祭りは中止だよ、早くここから離れた方が良い」
「祭り? いえ、 僕たちはこの街に住むという魔女に用があって……」
高遠くんがそう言うとおじさんは目を見張り、物珍しそうにあたしたちをじろじろと眺める。
「『大魔女』の館に行くのか? 悪いこと言わんが命が惜しいなら、呼ばれてもいないのに行くのはやめといた方が良いぞ。あの魔女は恐ろしく用心深いからな」
「えっ、もしかして悪い魔女なんですか?」
「さあ……悪くはないが良くもないな。変わり者だ。君達全員まだ子供じゃないか、死にたくなければ日が暮れない内に家に帰りなさい」
「大丈夫です! あたし、今まで魔獣と追いかけっこしたり湖に水没したり銃でおでこ直撃ちされたりしたけどこの通り元気なのでっ」
ぶい、とピースを決めるとおじさんは露骨に引いた様子で「それって大丈夫なのか……?」と呟いた。
すると、その体が急につんのめった勢いでドアが全開になる。何かと思えばおじさんの脚に小さな女の子と男の子がそれぞれ抱きついてきゃっきゃと飛び跳ねていた。
「ああこら、危ないだろう。中に入っていなさい」
「パパ、この人たち誰ー?」
「また王立騎士団の人? それともまた魔族?」
「どっちでもない。全く、家の中を走り回るなと言っているだろう」
「だって遊びたいもんー」
おじさんはふて腐れる子供達を軽くあしらいながら苦笑する。
「すまないね、もう随分外に出してあげられていないから体力が余っていて……」
「あの、どうして出られないんですか?」
おじさんが口を開くより早く、足元の子供達が元気よく声を上げた。
「山からオオカミが来るんだよ!」
「外にいると食べられちゃうんだよ、がおーって!」
ガオー、と両手で爪を立てるようにして獣の真似をして、けらけらと笑う。
「オオカミ? 魔獣ですか?」
「ああ。この街の裏側に大きな山があるだろう? あそこは魔雪峰と呼ばれていて、この街の貴重な木材調達先でもあるんだが……最近になって魔族に占拠されてしまって立ち入れないんだ。おまけにその魔族が大量の魔獣を引き連れてくるもんだから迂闊に外出もできなくて……応援に駆けつけた王立騎士団も、山に登ったきり帰ってこないし」
困ったようにおじさんは子供達の頭を撫でる。
魔族、という単語に、あたしたちはハッと顔を見合わせた。「ですが」と高遠くんが手を挙げる。
「魔族がすぐそこにいるのに、家の中にいるだけで大丈夫なんですか?」
「ああ、どうもその魔族は誰かを探しているようで、村の人間など虫ケラ同然に見て歯牙にも掛けないんだ……いつ気が変わるか分からないけどね。あの魔女のことかと思ったが、一度館に入ったきり何もせず帰って行ったし」
「???」
そ、その魔女さん、魔族を追い返すなんて一体何者……!?
それにしても、こんなに小さな子供達が外にも出られないなんて可哀想すぎる。危害を加えないっていうのはどういうわけか分からないけど、こんなの見過ごして置けない!
「おじさん、安心してください! あたしが……」
そこで、「あ」と後ろを振り返る。
そしてみんなの表情を見回してへへっと頷くと、あたしは力強く訂正した。
「あたしたちが必ず、その魔族を倒してみせます!」
「…………はあ?」
おじさんはぽかんとしていたけど、魔女のお家への道順を説明してくれた後、変人を見る目でまあ頑張って……と静かにドアを閉めた。
* * *
誰も歩かない街道はふかふかの新雪で覆われていて、一歩踏み出す度にぎゅっぎゅと小気味い音を立てて、見知らぬ街にあたしの足跡をくっきり残して行く。
それが面白くて鼻歌交じりにどんどん進むその隣で、高遠くんは難しい顔をして腕を組んでいた。
「……不可解だね。魔族は気まぐれな性格だと言うけれど、最初の町で出会った獣飼いは皆殺しを想定していたようだし、島にいた双子は当たり前のように人里を支配して扱き使っていた。奴らにとって人間は排除するか利用するかの存在であっても、決して静観対象ではないはずだ」
「その魔女が絡んでる、って考えるのが妥当じゃないかしら? そもそも、魔女って何なのかよく分からないけど……魔術師とは違うのかしら」
「誰かを探してるっつーのも気掛かりだよな。執拗に追う程の敵か、もしくは仲間か? 精鋭揃いの王立騎士団をおそらく壊滅させてるとこも怖いけどさ」
白い息を宙に舞わせながらやや難しい議論を交わしている三人に耳をすませ、会話に入るタイミングを探ったけどあたしに言えることはなさそうだった。
あたしみたいに知恵を持たない人間にとっては、考えても分からないことは怖がらずに突き進んでぶち当たってみるしかないのだ──そう思っているうちに、村の外れにある噂の魔女の館がいよいよ見えてきてしまった。
「…………お化け屋敷?」
マフラーでくぐもった声のマヤちゃんの感想は、しかし的確だった。
魔女の館は村の一般家屋より遥かに広い敷地を持つ、とんでもなく古めかしい造りのお屋敷だった。
遠目に見てもだいぶ歴史を感じる、蜘蛛の巣に雪と氷が張り付いて一種の芸術的装飾のよう。壁はところどころ隙間が空いていて窓ガラスは明らかに割れてるんだけど寒くないのかな。
明かりもないし、とても人が住んでるようには見えない……あ、人じゃなくて魔女? ていうか魔女って人じゃないのかな? んー。
「……どうする? 見るからに怪しいな」
「だなー。おっさんも死にたくなきゃ帰れって言ってたし、迂闊に突っ込んだら酷い目に遭いそうだ」
審議中の男の子達の声を話半分に聞きながら、あたしはどくんと心臓が鳴るのを感じていた。
……腰に下げた残雪が急かすようにざわめいている。確かにここに、妖刀を修復する手段があるのだ。
「いや、何か起きてもどうにかするのみ! ちょっと行ってきます!」
「あっ!? しまった、珍しく静かにしてくれてると思って油断してた!!」
「馬ッ鹿だな高遠君、ちゃんとリード握っとけよ!!」
犬か何かの話をしてるような高遠くんと太一郎君の叫びを背後に、あたしは魔女の館目指してまっしぐらに雪の中を駆ける。
そして勢いよく跳ね返って、雪の中に背中から沈んだ。
館の門の前にあったらしい、見えない壁に衝突した反動によって。
「雨宮さん!!」
「アリアちゃん!?」
「それ見ろ言わんこっちゃない!」
ざくざくと雪をかき分け駆け寄ってくれる三人の足音を聞きながら、あたしは痛みと冷たさに悶絶していた。見上げる空から降る雪が涙と混ざる。う、うう、一瞬目の前がチカチカした……。
そうして痛みの大元、見えない壁に思い切り強打した鼻を押さえていると、そこに生じたある感覚に戦慄する。
「雨宮さん無事!? 頭とか……」
「こ、来ないでっ!!」
あたしの悲痛な叫びに高遠くんは一瞬怯み、だけどすぐに迷わず歩みを早めるとしゃがみこみ、腕を引いて雪の中から抱き起こしてくれた。
「……よかった、目立った怪我は……あ」
「おーいアリアちゃん派手に行ったけど生きてるー? ……あ」
「なんなの今の、バリアみたいなもの? 全くアリアちゃんの頭にこれ以上何かあったら……あ」
ぽかんと口を開ける高遠くんと同情溢れる顔で目を伏せるマヤちゃん、そして笑いを堪える太一郎君に見つめられながら、あたしは寒さではなく羞恥によってその身を震わせていた。
「…………来ないでって言ったのに……」
両方の鼻からまっすぐに流れ、そして綺麗に凍った鼻血の冷たさに泣きながら、あたしは魔女許すまじと逆恨み的決意をメラメラ燃やすのだった。




