甘い夢の終わり
チャイムの音が鳴り響く。
一日の授業を終えたクラスメイト達は次々に席を立って、賑やかにそれぞれの目指す場所に動き出す。放課後は高校生の──
…………あれ?
ちょっと待ってなんで教室に、お菓子の城は? 魔族は?
早く戦わないと──
「どしたのアリアちゃん、いつにも増してぼんやりして」
横から声をかけられて、その懐かしい顔に目を見開く。
……チカちゃんとミユちゃんは、返事もせず呆然とするあたしに、不思議そうに眉根を寄せていた。
「何だよ、いつになく大人しいね。そんなにお腹空いてんの?」
からかうようなチカちゃんの笑顔に一気に懐かしい日常の感覚が戻ってきて、あたしは泣きそうになるのを堪えながら飛びつくように口を開く。
「ふ、二人とも久しぶり、元気だった? ごめんね急にいなくなって心配かけて! 話したいこといっぱいあるんだ、あのね、あたしね……」
「いや、久しぶりって言うか今日も普通に一日授業受けてたでしょ? アリアちゃんはずーっとここにいて、どこにも行ったりしてないじゃない。変なアリアちゃん」
くすくす、と笑うミユちゃんと呆れたようなチカちゃんに、目を丸くして言葉を飲み込む。
でもあたし、さっきまで異世界に……。
あれ、もしかして全部夢だったのかな?
そっとすがるように腰に手を伸ばす。妖刀がない。当たり前だ、帯刀って犯罪だし。
胸に手を当ててもあのページをめくるような不思議な感覚は少しもなくて、代わりに、とくとくと走る心臓の音だけがうるさく響く。
冗談と笑い声の飛び交う教室はただただ平穏で、痛い思いやいつ死んじゃうかも分からない恐怖とは無縁の場所だった。
異世界なんて非現実的なものは存在しなくて全部夢だったのなら、それに越したことは無いのかもしれない。
だけどこれがあの日の放課後なら──
ハッと顔を上げて、いつも見つめていた席に視線を向けた。
そこに既にその人の姿は無く、一も二もなく立ち上がって走り出す。
会いたくて仕方なかった友達の引き止める声を振り切ってまっすぐに目指したのは、神さまに出会ったあの空き教室だった。
息を切らしながらドアを開けたあたしの目に、光る魔方陣なんて飛び込んでこなかった。
「ごめんね雨宮さん、急に呼び出したりして」
代わりになんだか懐かしい気すらする制服を着た高遠深也くんが、夕陽の差し込む教室に一人佇み、あたしを見ると柔らかく微笑んだ。
軽く肩をすくめるしぐさと共に、綺麗な黒髪が揺れる。頬には刀で切られた傷痕なんて1ミリも無い。
呼び出し……そうだっけ。そうだったかも。あたしは高遠くんに呼び出されてここに来たんだった、かも? なんだか高遠君の声を聞いてると頭がぼんやりして、上手く考えられなくなる。
でもそっか、放課後にこんな所にわざわざ足を運ぶ理由としては、少なくとも異界の神さまに呼び出されるよりはずっと現実味があるかも。
高遠くんは静かにあたしに歩み寄り、ほんのちょっと気恥ずかしそうに目を細めて囁いた。
「……その、ここまで来たらもう分かってると思うけど、僕は雨宮さんのことが好きなんだ」
緊張がこちらまで伝わってくるような真剣な目で、まっすぐ見つめられる。
好き。あたしを。高遠くんが。
「僕と付き合ってほしい。………嫌じゃなければ」
不安そうに視線をそらして、目を細める。そんな悲しそうな顔は見たくないな。あたしは無意識に、嫌じゃないよ、とつぶやいていた。
「本当に? やった!」
高遠くんはぱっと顔を輝かせると、少しためらってから、そっとあたしを抱きしめた。
ぎゅ、と腕の中に包まれて、ああ高遠くんは背が高いなあ、つま先が浮いちゃいそう、とぼんやり思う。
制服越しに胸に頰を寄せる。あったかくて、なんだかほっとする匂いがする。ずーっとこうしてたいぐらい。
きっとこれってハッピーエンドなんだよね、高遠くんはもう危険な目に遭うこともないし、おまけになんか両想いになっちゃってるし、これ以上望むことも何にもないのかもしれない。
でも、
「……ピザ、美味しかったね」
「え?」
「初めての野宿は大変だけど楽しかったし、落っこちた湖は死ぬほど冷たかった。タコに襲われた時はちょっと怖かったけど、たぬきのしっぽはふわふわで、ちっちゃい子のほっぺは幸せが詰まってるみたいに柔らかかった」
あの時壁になってくれたことも、泣いて怒ってくれたことも、吐きそうなのに守ろうとしてくれたことも、一緒にたくさんの人に出会って別れてきたことも──
あたしやっぱり、全部なかったことにしたくないな。この先どんなにがんばっても、二度と結ばれることなんてないとしても。
だから困惑する高遠くんの胸を思い切り突き飛ばして、息を吸い込み。
あたしは、真っ赤な教室の中心で吠えた。
「……ていうかそんなの全然高遠くんじゃない! 解像度が低すぎる、重度の片思いの人にお出しできるクオリティに達してないよ!」
「……え、ええ?」
高遠くん……の顔をしたそれは、唖然としてあたしを見つめていた。その顔でドン引きするのはやめてほしいな、と少し胸を痛めながら一息で言う。
「まずシチュエーションだけど、部活熱心で真面目な高遠くんがわざわざ練習試合があるはずの放課後に女の子を呼び出したりしないってことぐらいちょっと考えたら分かるじゃん! もっとリサーチしてリアリティを追求するべき!」
「そんな無茶な……」
「それに一言も喋ったことないクラスメイトにいきなり告白するのも解釈違い過ぎる、もっとちゃんと距離を縮めて関係性を深めてから告白してくれるはず! あと正直両想いになってすぐ抱きついたりするのはちょっと違うんだよね、むしろこっちがじれったくなるぐらい慎重に段階を踏んでくれそうというか?」
「それは」
「あと細かいことを言えばちょっとした表情とかしぐさとか、諸々なんかぜんぶ微妙に違うからダメ! もっと観察と研究を重ねてから出直してきて欲しいけど、そんなの待ってられるほどこの世界あなた達のせいで平和じゃないし……と言うことで」
あたしは一息つき、いつの間にか手に握られていた妖刀・残雪に力を込めて前を見据える。
「……あたしはあたしのこと別に好きになってくれなくても、本物の高遠くんのそばにいたいから……だからどんなに見込みがない世界だとしても、ちゃんと現実に帰らなくちゃ」
そして即座に腕を振ると──高遠くんの姿をしたそれの胸に、深々と刃を突き刺した。
幻でも、好きな人を傷つけるのって心が痛むんだなあ。
あたしはガラガラ崩れていく教室、帰りたくてたまらない世界に背を向けて、そっと目を閉じた。
* * *
目を開けるとそこはもう教室じゃなかった。
甘ったるいクッキーの床の上で意識を取り戻し、跳ね起きるようにして立ち上がり辺りを見回す。
そしてすぐに、足元に倒れ、右手の赤い石を押さえて「なんでぇ~~」とクルクル目を回している魔族と、隣でぼんやり立ち尽くしている晴春君に気づく。
「晴春君! 大丈夫!?」
さっきの何だかやたらに都合の良い夢、あれは多分、魔族がこちらの戦意を削ぐために見せた幻覚ってやつだったんだろう。
……血も涙もない恐ろしい攻撃だったあ……。
ここまでの旅で手を繋ぐ、おんぶ、お姫様抱っこ等いくつもの死線を潜り抜けて耐性をつけていなかったら、あたしは永遠にあの甘い世界に囚われていたかもしれない……。
いやでもちょっともったいなかったのでは? もうちょい騙されたフリして留まってても良かったのでは!?
とか割と本気で後悔してしまうあたり、やっぱりあたしは非正規のダメ勇者だった。
でももし晴春君に敵が幻覚を見せるとすれば、たぶん前回ここに来た時の、仲間を助けられなかった記憶だろうと思うから──あたしは心配だった。きっとつらい思いをしたに違いない。
だけど晴春君は首を振って、照れくさそうに頭を掻いて笑った。
「はは。いくら幻覚だって分かってても、血まみれで足掴まれたり『お前のせいで』とか言われちまうとしんどいっスね、実際」
でも、と、珊瑚色の髪、お社の前であたしが撫でていた辺りを、くしゃりと掴んで言う。
「でも昨日、アリア先輩が言ってくれたこと思い出して……だから、どうにか戻ってこれました。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、次に顔を上げた晴春君の目にはもう、少しの陰りもなかった。
やっぱり晴春君はとっても良い子で、立派な勇者なのだった。
床に視線を戻すと倒れている魔族の隣、全く同じ顔をした魔族もまた、左手の赤い石を押さえて「あれ~~?」と目を回していた。
そしてその足元に悠然と立ち、苦しむ様を何の感慨もない表情で見下ろしていた高遠くんが、あたしの方を振り返って穏やかに笑う。
「おかえり、雨宮さん」
「高遠くん……ハッ!」
そこであたしの脳裏に幻覚の最後の瞬間が浮かび上がり、手にはまざまざと刀を突き刺した感覚が蘇った。それはもうぶっすりと。
いやあれはただの精神攻撃……と思いつつ、ずかずかと高遠くんに歩み寄りその胸に穴が空いてないかついつい確認してしまう。
「え? な、何?」
「いや、万が一ということもあるし……あの、ちょっと分かりづらいから上の服全部脱いでもらってもいいですか?」
「よくないけど!?」
真剣にお願いするあたしにそんなことより、と高遠くんは焦った声で叫ぶ。
「て、敵が弱ってる今がチャンスだ。訳分かんないこと言ってないで勝負を付けよう!」
わけわかんなくないし、と思いながらもあたしは大いに同意した。
幻覚を跳ね除けた反動は敵に大ダメージを与えたみたい。やるなら一気に畳み掛けるのみ!
だから高遠くんは聖剣の、あたしは妖刀の。それぞれの切先を下に向けて構え、呼吸を合わせた。
直後ハッと息を吐いて双子が目を覚まし、互いの手を探し求めながら起き上がろうとする。でもそんなのもう遅すぎた。
あたしは双子の片割れの右手の、高遠くんはもう一方の左手の。その平に埋め込まれた、鈍い光を放つ赤い石目がけて、全力で互いの刃の先を突き立てた。
「────ああぁ!?」
苦痛に顔を歪めて双子の悪魔は絶叫し、床の上で激しくもがく。力の源を砕かれ敵は弱り切っていた。あと一撃でも与えれば息の根を止められそうなぐらい。
だからあたしと高遠くんはその場を飛び退き、道を譲ることにした。振り返り、ほぼ同時に叫ぶ。
「真白君!」
「晴春君!」
「とどめ!」
そして轟々と音と熱を引き連れて現れた、巨大な火車は。
凄まじい速度でもって、いっそ清々しい程に力強く、双子の悪魔の上を颯爽と駆け抜けて行った。
* * *
「ねえ高遠くん、このマカロン一個ぐらいなら大丈夫そうじゃない? 砂もついてないし」
「駄目だよ雨宮さん、煤が着いてるだろ。代償が辛いのは分かるけど生存者を探すみたいに食べられそうなお菓子を探すのはもうやめなよ」
「うう正論……でもこの優しいようで容赦ない厳しさこそが真骨頂、やっぱり本物は違うね……」
「本物って何?」
怪訝そうな高遠くんの隣、燃えてボロボロに崩れ落ちた城の残骸の前にしゃがみ込んで、あたしは無念──と手を合わせた。勇者になって初めて救えなかった命かも、可愛いお菓子たち。
「まあこういうの、雨宮さんが好きなのは分かるけど……」
「え、あ、え!? やっぱりまだ偽物!?」
「何が!? なんで抜刀したの!?」
いまだに幻覚に囚われてて敏感になってるところに「雨宮さんが好き」とか言われて赤面しながら刀を構えると、高遠くんは困惑しながら聖剣の柄に手をかけていた。あっちはあっちであたしが洗脳されてた時のトラウマが抜けきってないのでカオスである、魔族ってほんとにろくなことしないね。
「でもまあお菓子は絶滅したけど人質はみんな無事に助け出せたし、めでたしめでたしだよね? 早くスオウ先生のところに帰って教えてあげなくちゃね」
「ああ。……まあ、山を下りるのはもうちょっと後になりそうだけど」
苦笑しながら高遠くんが視線を向けた先、囚われていた島の人々にお神輿のようにかつがれているたぬき──もとい晴春君は、まだまだ帰れそうにはなかった。
「あ、あの、俺様、一人で逃げ帰ったことをずっと謝りたくて……」
「いや少年、よく生き残って助けに来てくれた!」
「英雄だ!」
「この島の至る所にたぬきの像を建てよう!」
「ええ……? せめてそこは人型に……」
毛玉のように胴上げされて大いに混乱している晴春君を見上げて、二人でふふっと笑う。そうそう、晴春君は神さまに選ばれた崇められるべき至高のもふもふなのだ! 暗い顔なんて似合わないね!
「よかったねぇ晴春君。偉かったもんね、あたしも後でお願いしてまたなでなでさせてもらいたいなぁ」
なんてうきうきしていたら、高遠くんに物言いたげな半目で睨まれてびくっと肩が跳ね上がる。
「な、なに? 高遠くんもしたいの? なでなで……」
「いや……そういうことじゃなくて……」
「?」
こてんと首を傾げて眉根を寄せると、高遠くんは頬を赤くして、言いにくそうに呟いた。
「……雨宮さんて、誰がたぬきになってもそういうことするの?」
「え? それはもちろん……」
んーとつまり、たとえば高遠くんの頭をよしよし撫で撫でしたり、抱っこしてぎゅ~ってしてほっぺすり寄せたり……?
………………。
「……で、できないかも……?」
耳まで真っ赤にして湯気を出しそうになりながら、高遠くんの代償がたぬきじゃなくて良かったぁと心から思い、あたしはぐるぐる目を回すのだった。




