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魔族の根城へと渡るための吊り橋は古く、一歩進むたびに木板がミシミシという嫌すぎる音を立てて軋んでいた。
下を流れる大きな川の轟々という雄大な音に負けないよう、前を歩く高遠くんが声を張ってくれる。
「雨宮さん、平気? 捕まっていいよ」
「ええ何そのご褒美ありがとうボロ橋……じゃない、いえ全然平気です。逆立ちしたって渡れるのでどうぞお構いなく」
「……気を使うなって言ってるのに」
高遠くんは不服そうにそう言って、慎重に木板を踏んで安全を確認しながら一番落下の危険がある先頭役を果敢に担ってくれていた。
だけど本当に残念ながら、あたしは偉大なる愛読書の恩恵により『目を瞑ったまま100メートル以上の高さを綱渡り』することだってできるので、本気でこの程度の吊り橋全く怖くないのだった。おつかれさま人類、命だいじに。
……そんなことよりあたしは、高遠くんの頰に残る、3センチ程の赤い傷跡を見つめて胸を痛めてしまう。
妖刀で付けてしまった傷。高遠くんは整った綺麗な顔をしているから、痛々しいそれは余計に目立って見えた。
意識を奪われていたとはいえ、自分の手で大好きな人を傷つけたことに深い罪悪感を覚えずにはいられない。胸の前で手を握り、キリッと表情を引き締め誓うのだ。
「大丈夫。傷モノにした責任は取るからね」
「え?」
「元の世界に帰ったら高校中退して死に物狂いで働いて慰謝料を貯めるからちょっとだけ待っててね」
「賠償の話だ!?」
いらないからそんなの、と謙虚に遠慮する高遠くんを制し、決意を固める。まずは就職活動がんばらないとね、どうにかこの異世界転移を『危険な国外での命懸けのボランティア活動』とか言って面接のアピールポイントにできたりしないかなぁ。
「晴春君もごめんね? あたしぶん投げちゃったんでしょ、怪我とかしてない?」
振り返り、すぐ後ろを支えるように歩いてくれている晴春君に言う。今はたぬきじゃないけど、どうやらスキルでもって相当な距離を投擲してしまったらしい。
しかし晴春君はぶんぶんと手を振ると、からから明るく笑って言った。
「えー? あはは、大丈夫っスよー。なんかキレイな河も見れたし、死んだ曾祖父ちゃんとも久しぶりに会えてゆっくり話せたし?」
だいぶ大丈夫じゃなかった。向こう側に渡りかけてますやん?
うん、やっぱり二人分の慰謝料を稼がないと! 決意も固くずかずかと進み出すと、死を予感させるとんでもない振れ幅で吊り橋が揺れ、前後から激しい苦情を浴びた。あなや……。
「……そういえばあの双子、甘い物が大好きとか言ってたけど。魔族ってごはん食べないんじゃないの?」
あれらには食欲というものが無い、とあたしの身の潔白を証明してくれたルードレイクさんの言葉を思い出し、はてと疑問符を浮かべる。
首を刎ねても死なないとかよりよっぽど信じがたい悪魔の証明である、あたしが闇落ちしてそんな体質になっちゃったら絶望で死んじゃいかねないね。
「いや、栄養を摂取する必要が無いってだけで食べる機能自体はあるみたいっスよ。まあ完全に味覚に刺激を与えるためだけの非効率的な行為なんで暇つぶしと言うか、個体によっては全く興味を示さないみたいですけど。あの双子が特殊な例なだけで、基本は人に擬態して紛れるためにあえて食事を取って見せる~なんて目的でもなければ何も食べないんじゃないですかね?」
ふぅん、贅沢な生き物もいたものだね、と頷いていると、振り返って話を聞いていた高遠くんがもの凄く不機嫌そうに眉根を寄せていた。
「どしたの高遠くん、珍しい顔して」
「……上品にディナーコースなんか味わってたから違うんだろうなと見逃したのに……やっぱり確たる証拠が無くてもあそこで切っておくべきだったのか……?」
「え? 何? 川の音でなんも聞こえん……」
大自然のせせらぎ(濁流)にかき消された高遠くんの呟きに首を傾げつつ、やっぱり究極に分かり合えなさそうな敵の異常さを再認識して、あたしは戦いへの意志を固めるのだった。
* * *
やがて橋を渡り終え、松のような木々の間を抜けながら、あたしは緊張に口を引き結んでいた。もうすぐ憎き敵の城が──島の雰囲気と建築に携わった島民の文化的に、きっと和風な感じのお城が!
だけど長い坂のてっぺんに至り、いざあたし達の目に飛び込んできたのは。
思わずお腹がファンファーレを鳴らしそうなぐらいおいしそうな、お菓子の家、もとい城だった。
脳内でイマジナリー天守閣が屋根からガラガラと崩れ落ち、鹿威しの幻聴がカコーーーンと耳に響く中、あたしは呆然とその体に悪そうなカラフルな外装を見上げて立ち尽くしていた。さすが心の無い化物、世界観とか情緒とかワビサビとかは解さないらしい。
見たところ壁はクッキー生地、所々に生クリームやジェリービーンズで装飾を施し、屋根瓦の代わりに敷き詰められた色とりどりの大量のマカロン。丸い窓はガラス状に成型した飴、さらにチョコレートの煙突から煙みたいなわたあめがもこもこ伸びて揺れていた。
な、なんてこと、巨大かつ全て食べずにはいられない構造にすることでこちらの胃袋を破壊し、再起不能にする恐ろしい魔の城ということか……!?
「どういうことだ、建築物の素材として脆すぎるし、こんな日当たりのいい屋外に建設して融解しないのか……?」
「あの城には頑丈な魔力コーティングがされてるから、術者の双子がいる限り溶けたり崩れたりすることはないっスよ。あの無駄に豪奢でだだっ広い根城を建設するために何人もの島の人が拐われ、一日中クッキー生地をこねチョコを溶かし飴を加工する地獄の工場勤務を強いられていたんス……!」
「え、食べられないってこと!?食材に対してなんて残酷な! じゃなくて、罪の無い人々に対してなんて残酷な!」
「言い直すことによりどうしようもなさに拍車が掛かってるっスよアリア先輩」
ゆ、ゆるせなすぎる、こんな見せびらかしておきながら食べちゃだめなんて……!
ひどい、全てのお菓子は人間においしく召し上がられることを望んで生まれてきたというのに! ヘンゼルとグレーテルだって捕まる前にかじって美味しい思いしたでしょうが! 悪、極悪、悪の煮こごりっ、こんな不届き者を生かしては置けぬ!
「絶対倒ーーす!」
「シンヤ先輩……アリア先輩がいつもの五割増しおかしくなっちゃったっス……」
「じゃあ150%おかしいってことか……? まずいな、通常の雨宮さんでも既に僕の手では制御し切れてないって言うのに……」
うお~と拳を突き上げ吠えていると男の子二人は何やら深刻な顔で口元を押さえていた。
「ハッ、つまりここに囚われた島民のみなさんは熟練のパティシエに鍛え上げられてしまっているので、助けたお礼に製菓技術を振る舞ってくれる可能性があるってこと??」
「いざ格好良く救いに行こうとする直前に欲にまみれた期待を覗かせないでくださいよ」
ふざけてないで真面目に乗り込みましょーと晴春君に背中を押される。ふざけてないんだが……と憤慨しつつ、角砂糖ほど小さくなってそうな先輩としての威厳を何とか守ろうと渋々歩き出す。
いけないいけない、この中にはイズル君とトーリ君のパパとママだっているんだから。一秒でも早く魔族をやっつけて安心させてあげなくちゃね。
あたしは気を取り直し、巨大なビスケット生地の門の、プレッツェルでできた取手に手をかけ息を吐いた。ここを開けたら敵の領域だ。
素材に似つかわしい軽さでサクッと開いた門の先、広がっていたのはお城の玄関部分、だだっ広いロビーだった。
正面にはウエハース製と思しき長い階段。そしてその前に、双子の悪魔がにこやかにあたし達を待ち構えていた。
「まあ驚いた。あの洗脳はよっぽどの心理的な衝撃を与えなければ一生解けないはずだったのに……一体どんな恐ろしい精神攻撃を加えたのかな?」
「精神攻撃? いや、ただ名前を呼んだ以外には何も……」
「お、おしゃべりで油断させようったってそうはいかないよっ、過去なんか振り返らずいざ尋常に勝負!」
よっぽどの心理的な衝撃(耳元で下の名前呼び捨て)について追求されちゃう前に刀を抜き、真っ赤な顔で勇者らしく宣言する。確かに思い出すだけで耳がとろけそうになるとんでもなく恐ろしい精神攻撃だったけど!
「まあいいや、遊び相手が多いに越したことはないしね。この三人の死体でキャラメリゼの像を作って、入り口に飾っておくのも可愛いかも!」
双子がきゃはっと無邪気に笑い、仲良く手を取り合おうとした瞬間。あたしと晴春君は駆け出した。
「いや、こんなやつらはどうでもいいね。早く人質を解放しないと!」
「そうっスそうっス、お前らの遊び相手をしてる暇はないっス!」
「え!?」
不服そうに目を見開く双子の頭上を、跳躍スキルでひょいと飛び越えて、あたしは目の前の長いお菓子な階段を全速力で駆け抜けた。その後に、ぽんっと一反木綿に変化した晴春君もひゅるりと飛びながら続いて来る。
そして登りきった地点で背中を向けて、左右逆方向の廊下へ二手に分かれて走り出した。
一瞬呆気に取られていた双子は、ハッとした様子で半拍遅れてそれぞれにあたし達を追いかけ始める。
「ま、待ちなさい! 無視するなんてひどいわ、人のお城に来てご挨拶もなしなんて!」
「労働力の引き抜きなんて許すもんか、大体あいつらみんな洗脳済みだから、連れ出したってこのお城に戻ってくるんだからね!」
よし、引っかかった──背後から迫る凄まじい殺気に冷や汗をかきつつ、あたしは駆け抜ける速度を緩めず俊足スキルを使って更に加速した。
晴春君の情報と高遠くんの推察によれば、あの双子は二人で一人。つまり、分断してしまえば本来の力は発揮できない。
瞬間移動した時も、晴春君をたぬきにした時も、あたしに洗脳の術をかけた時も、二人は必ず仲良く手を繋いでいた。晴春君が前回対峙した時も同じだったそうだ。手のひらに一瞬見えた、不死の象徴である赤い魔石──それを触れ合わせることが、得意の幻術の発動必須条件なんだと思う。
だから、攻略法はいたってシンプル。二人の距離を手を繋げない程に引き離し、各個撃破すること。それ以外にはなかった。
残酷な魔族でありながら島民を殺さず生かしておくほど、お菓子を製造する労働力は奴らにとって貴重な資源だったはずだ──それを奪うと宣言し動揺させ、陽動することには成功した。
あとは単体だって強敵だという魔族を、スキルのゴリ押しで叩きのめすだけ!
廊下に並ぶドアの向こうには、確かに虚ろな目をした島民が無心で生クリームを泡立てたり型抜きに勤しんでいる姿がちらついていた。元より人質の解放なんて勝負がついて安全が確保できてからに決まってる、もうちょっと待っててねと思いながら腕を振って、やがて廊下の突き当たりに至りあたしは急ブレーキをかけた。
「な、なんなのこの人間脚が速すぎる……。でも鬼ごっこはおしまいだよ、僕達を離ればなれにしたのは悪手だったかもね。二人なら洗脳なんて繊細な術も使えるけど、ひとりぼっちじゃ雑な術しか使えないんだ。シンプルに心を壊して廃人同然にするぐらいしかしてあげれないけど仕方ないよね?」
赤い石の光る手のひらが額にかざされるのを、あたしはきゅっと握る柄に力を込めながら見つめて──
「二度も触らせるわけないだろ。糖分の摂り過ぎで思考が鈍ってるのか?」
敵の背後から冷たく響いた声と、小さな心臓を貫いてこちらに切っ先を覗かせる美しい聖剣に、ほっとして息を吐いた。
「な、お前、いつの間に……」
「人間を侮りすぎているというのも不幸な性質だな。3対2で分断された状況で挟み撃ちを警戒しないなんて迂闊過ぎる……心臓はあるみたいだけど、ちゃんと脳が詰まってるのかは疑問だな。そんなだから一番純粋そうな子を狙って自由を奪って、あげく僕に殺させるようにけしかけたりしたわけだ。本当に許せないな」
高遠くんは淡々と呟き、魔族の悲鳴が廊下に響く。さ、さすが高遠くん、どんなに見た目が愛らしくても敵には容赦しない……ていうかなんかものすごく怒ってたりする? そんな個人的な恨みがありそうなやさぐれた目で。
でも普段温和な高遠くんだから、ちょっと治安の悪い表情の魅力も倍増かも……なんて見とれちゃいたい気持ちをぐっと堪えて、あたしは高遠くんが磔にしてくれる魔族に向けて刀を構えた。そして突きの姿勢を取って迷わず穿つ、手のひらの赤い魔石を。
砕かれた欠片が板チョコの床に散らばって、苺フレークみたい、と呑気なことを思ってたらあっという間に足下が真っ赤な海になって悲鳴を上げた、高遠くんが聖剣を引き抜いた魔族の胸から溢れ出た大量の血液で。わ、わあ、チョコの苺ソースがけだと錯覚しなければ直視できないグロ映像!
あの部分はもう食べられないな、と切なく目を細めていると、颯爽と靴音を鳴らして血の海を踏み越えてきた高遠くんに優しく微笑まれてハッと顔が赤くなる。
「雨宮さん、大丈夫? ごめんね、陽動役なんて任せて……」
「え? ああいや、こういうのは逃げ足の速い方がやるべきだし。上手くいってよかったね、晴春君の方も順調そうだし」
廊下の反対側、もう片方の魔族を引き連れて行った方からも轟音と悲鳴が届いていた。「自分でケリを付けたいんで」と一人で陽動&撃破役を担ってくれたけど、さすがの仕事ぶりだった。やっぱり晴春君はできる勇者だね!
でも無事に強敵を倒せたことに浮き足立つあたしを横目に、高遠くんは険しい顔をして城の中を見回し、訝しげに呟いた。
「……妙だな。術をかけた魔族が死んだなら人質の洗脳も解けるはずなのに、それにしては静かすぎる」
「え? ああ確かに、目を覚ましていきなりブラックお菓子工場でバリバリ働いてたら悲鳴の一つも上げてよさそうな……」
そこであたしは気づく、床の上からいつの間にか苺フレークもとい魔石が消えて、流れる血の広がりも止まっていたことに。
高遠くん、と叫ぶより早く、うつ伏せで倒れていた魔族の手から赤い光が溢れて、血溜まりがゴポゴポと沸騰する。
ああ、湯煎みたいに溶けちゃうだろうな、もしもこの板チョコの床から、魔力コーティングとやらが意図的に解除されてたら──
珍しく推測が当たり、でもあまりに遅く、あたしは落下していた。どろどろに溶けた床に開いた穴から一階へと。
一瞬のことに愛読書を開くのも間に合わず、衝撃に耐えようときゅっと目を瞑った直後──後を追うように飛び込んできた高遠くんに強引に抱きしめられて、そのまま着地した。高遠くんの背中を、床に激しく叩き付ける形で。
「ぐっ……」
「高遠くん!」
「……っ、平気だから追って、このまま合流されるのはまずい!」
苦しげな声に涙目になりながら、ハッと体を起こしてロビーの方を振り返る。
あたしと一緒に落下していた魔族は、既に胸の傷を跡形もなく再生させて、スキップするように軽く駆け寄っていた。反対側から同じく床に穴を開けて逃げてきたらしい片割れの元へ。
し、死んだふりとか姑息な真似を……! ていうかもしかして同時に砕かないといくらでも再生する的な? なんなのそれ、二人で一人にも程がある!
……お菓子の家をお菓子の家としてしか認識できない人間が、そもそも敵のホームで戦うべきじゃなかったのかもしれない。
完全に地の利を生かされた、あたしじゃ太刀打ちできない、あんなチョコレートを食べ物だと思ってない逃げ方をされたら──
作戦の失敗を悟った直後、無情にも魔石と魔石の合わさる音が鳴り響き、あたしの目の前は真っ赤に染まった。




