知らない町と知ってる顔
「……ふが」
記念すべき異世界第一声は、我ながら緊張感のない寝言だった。
後頭部に感じる硬い石畳の感触に顔をしかめつつ、目を開く。仰向けで見上げる視界には教室の天井ではなく、西洋風の街並みの屋根に挟まれた、よく晴れた青空が広がっていた。
なんだろう、大量の情報を一気に流し込まれたみたいに体が重い。
目を細めていると、視界の両端からひょこっとかわいらしい老夫婦の顔が現れて、どうやら自分が路上に寝ていて覗き込まれているらしいことに気づく。その異国の顔立ちに、ああ違う世界に来たんだなあとぼんやり思う。
……いや、勇者召喚!とか言うからてっきりキラキラしたお城とかで、偉い人達に囲まれてジャジャーン! とご登場するものなのかなと思いきや、道ばた。道ばたかあ。
あの神さまのことだからあんまり期待してなかったけど、せめてもう少し寝心地の良いところに落として欲しかったな。
「あらよかった、生きてましたよ」
「その見慣れない服、この町の生まれじゃないだろう? このあたりも治安が悪くなってきて物盗りがうろついているからの、気をつけなさい。頭は大丈夫かの?」
「うっ……ここはどこ、わたしは雨宮アリア16歳高校2年生、身長156cm、家族構成はお母さんお父さんお兄ちゃん。好きな食べ物は食べられるもの、嫌いな食べ物は食べられないもの。生まれて初めてしゃべった言葉は『おかわり』──」
「おお怖い怖い聞いてもない個人情報が濁流のように……」
「頭はちょっと心配ですがとりあえず命に別状はなさそうですねぇ」
怯えるおじいさんと微笑むおばあさんに会釈しながらよいしょと起き上がり、ちょっと乱れた栗色の髪と制服のスカートを整える。
あ、そういえば危険な世界ならジャージに着替えるべきだったかな。通学用のリュックも教室に置いて飛び出したから、スマホもお財布もなんにもないや。慌ててたとはいえ──
いや違う、慌ててた理由! ちょっと違う世界に来た程度のことで一番大事なことを失念してしまった!
「あの! 高遠くん……えっと、この辺であたしと同じくらいの年の男の子を見ませんでしたか?」
「はて、最近の若者はどうも見分けがつかんくてのう。もう少し特徴を教えてもらわんと」
「分かりました。高遠深也くん4月2日生まれの17歳、身長は教室のドアの高さとの比率から計算したところおそらく178cmジャスト、成績は常に学年トップ(すごい)、部活はサッカー部で2年生にしてエースかつ朝練も毎日欠かさない(えらい)が一度だけ遅刻してきた日は道で迷子になって泣いていた小学生を学校まで連れて行ってあげていたらしい(神)、謙虚で目立つことはあんまり好きじゃなさそうだけど常に頼りにされるリーダーシップの高さ、サラサラの綺麗な黒髪に爽やかな笑顔、でも授業中や試合中に見せるキリッとした真剣な表情もまたギャップが素敵で──」
「少しと言うたじゃろうて」
「はて、背が高くて随分と顔立ちの整った青年なら、さっき見かけた気がしますけどねぇ」
「しかし黒髪じゃなかったからの。別人じゃろて」
「あの、心配してくれてありがとうございました。急いでるので失礼します! お元気で!」
ぽかんとしている二人にぺこりとお辞儀をして、あたしは駆け出した。
とは言っても知らない世界の知らない町、土地勘なんかあるわけないし、あっても方向音痴には自信があるし……。
ていうか、何も変わった感じしないんだけど、本当にスキルとか授けてくれたのかなあ? みなぎるパワーとか皆無な感覚に、ついつい表情も渋くなる。
そもそもスキルを使うって具体的にどうやって? かっこいいかけ声とか練習が必要?
「──返して、返してください!」
ふいに耳に飛び込んだ女の子の悲鳴に、ぴくりと足を止めて目を見張る。声がしたのは駆け抜けていた路上の脇、寂れた路地裏の奥からのようだった。
薄暗い影の中で小さな女の子が賢明に背伸びをして何かに手を伸ばし、その先でいかにもゴロツキといっだ感じの悪そうな男が、かわいらしい赤いポシェットを振り回して笑っている。
物盗りに気をつけて──おじいさんの忠告を思い出し、あたしは息を飲んだ。
「ガキがこんな大金持って歩いてたら盗んでくださいって言ってるようなもんだろ、危ないからお兄さんが預かっててあげよう」
「やめて、それはお父さんの代わりに銀行に……大事な売上げ金なんです! それが無いとうちの店はもう……」
あたしは気づいた時には路地裏の端に立ち、精一杯眉を吊り上げ声を張り上げていた。
「…………こらー! 何やってるんですか、警察呼びますよ!」
「誰だケーサツって」
「ああ……」
そういえば異世界だった、勢いだけで飛び込んでしまった。
怪しいヤツを見る目でじろじろ注目され、少しひるんでたじろぐ。
……いや、怖がっててもしょうがない、それに高遠くんだったらきっとここで見捨てたりしない!
「なんだコイツ、変な服着て……金持ってんのか? おい、知り合いかよ」
柄の悪い物盗りに小突かれ、女の子が怯えた様子で首を横に振る。助けを呼びに行く……間が心配だ。ここはこの場でどうにかしないと。
「まあいいか、金ならここにたんまりとあるし。じゃあなお嬢ちゃん、店で待ってるパパにちゃんとおつかいの報告しときなよ」
ケラケラといやらしく笑って路地の向こうへ逃げようとする男に、女の子がついに堪えきれずに涙をこぼす。
それを合図に、あたしはきゅっと目を閉じた。
──胸の奥で、パラパラと紙をめくるような音がする。
使い方を教わるまでもなく、その愛読書とやらは持ち主が望むページを開いてくれたようだ。
そしてそこに記された『記録』が脳裏に浮かんだ瞬間、スキルはもう発動していた。
「…………あれ?」
背後に間の抜けた物盗りの声を聞きながら、胸に抱いた赤いポシェットの中身を確認する。年季の入った紙幣がぎゅっと詰まっていた。
こりゃ盗まれるなと思いながらそっと蓋を閉じ、また取られては大変なので肩に下げて振り返る。
数メートル離れた、さっきまではあたしが見据える側だった地点に、ゴロツキと女の子が呆然と取り残されている。
何が起きたかかわからなそうに驚いた様子を見るに、この世界の人の身体能力はあたしの世界のものとそんなに変わりはなさそうだ。きっと異世界にもそうそういないんだろう、100メートルを9秒台で走れる人なんて。
つまりこういうことだ──
本の内容を自分の力にできるシステムにより、あたしは愛読書として選んだ人類の世界記録集、そこに記された数多の超人的記録。つまり、人類にできることはなんでもできる力を得てしまったらしい。
純粋な身体能力と違うのは、使用者に必要な筋力や体力がなくてもそれを可能にできてしまうところだろう。そこはさすがに神さまの与えたスキル、初めて尊敬を覚えられたポイントかもしれない。
「……な、何しやがったてめぇ!?」
「何……一生懸命走りました?」
「バッカにしやがって、ガキがふざけんじゃねぇぞ!」
物盗りが握った拳を振りかぶってすぐそばまで迫った時、あたしは再び目を閉じて愛読書を開く。そして素早く身をかがめ、大振りな動きでガラ空きになった相手の胴体に掴みかかった。
そこそこ鍛えているようだけど、200㎏を超えるということでもなければ人類には軽いものだ。記された記録を信じ、ひょいと重量挙げの要領でバーベルのように持ち上げた体を、
「よい、しょっと!」
遠慮なく地面に放り投げたら、石畳の上に受け身無しで落下して間抜けな悲鳴が響いた。
その隙に立ち尽くしていた女の子にポシェットを放り投げて目配せする。震えながらもこくりとうなずき、隙に乗じて大通りへ逃げ出す小さな後ろ姿にほっと息を吐く。
「なんだその怪力!? イカサマ使いやがって、人間技じゃないだろ!」
「失礼な、素晴らしい努力の結果ですよ。記録なので」
ぱんぱん手の汚れを払いながらムッと反論しつつ、知らない人とはいえあんな風に震えて青ざめられるとちょっと傷付く。高遠くんにそんな顔されたらと思うと生きていけない、第一印象は一応まだ汚れない真っ白なのに……。
なんて心配している内にチャキンと音がして、どうにか立ち上がったらしいゴロツキの手の内で銀色の何かが光る。わあ、ナイフ。
「は!? ちょっと、高校生相手に刃物はやりすぎでは!」
「黙れバケモノ!」
「バケモノ!? やめてくださいよ高遠くんに聞かれたら責任取ってくれるんですか!?」
抗議しつつさすがにこれはスキルを使っても、と焦っていると、再び胸にページをめくる感覚が広がる。
あたしは振りかぶられた一撃を凝視し──なんだかスローモーションのように遅いそれを、ひょいと避けて身をかがめた。
相手が驚いている隙に拳を握り、ふっと息を吸って思い切り突き出す。拳が空を切るシュッという鋭い音と骨にぶち当たる感覚の後、呻きながら沈む体を眺めて思う。遅い、遅すぎる、そんな速度と動体視力じゃ世界は獲れな──はっ!?
体にあふれる輝かしいボクシング王座防衛の記憶についついチャンピオンぶってしまいながら、あたしは長く息を吐いた。よ、よかった、人を殴るのなんて初めてだけど上手にできた。
だけどその直後──みなぎっていたはずの力がパタンと表紙を閉じるように消えて、代わりに襲ってきた目のくらむような感覚に息を飲む。
「あ、あれ……?」
急に力が抜けて、立っていられなくてその場にうずくまる。脳裏に神さまから聞いた忠告が響いていた。
『使いすぎには気をつけろ、スキルの使用には代償が伴う』──
突然動かなくなったあたしに、あばらの辺りを押さえながら起き上がったゴロツキが、戸惑いながらも口の端を上げたのが見えた。
振り上げられたナイフが光って、痛みに耐えるためにきつく目を閉じる。
だけど耳に届いたその声に、あたしはすぐにあっけなくその目を全開にすることになるのだった。
「……魔王なんてものが存在するなら人間とは敵対しないで済むと思ってたけど、どこの世界にも典型的な悪人ってのはいるものなんだな。残念だ」
驚いて振り返るゴロツキの向こう、路地裏の端の光を浴びてキラキラと輝く、見慣れない綺麗な金色の髪を見つめる。
だけどそのサラサラと風になびく素晴らしい髪質には見覚えがあった。すらりと高い背丈にも。
そして何より凜としたよく通るその声を、あたしが聞き間違うはずがなかった。
「誰だ!? なんなんだ今日はバケモノといい……」
「バケモノ?」
怪訝そうな声ともに、ゴロツキ越しにこちらを覗き込んで──
高遠深也くんは、路地裏にへたり込んだあたしと目が合うと、驚いたように目を見開いた。
「その剣、まさか王都の騎士団か? なんだってこんな辺境の町まで……」
「ああ、一応そういう組織もあるんですね。協力が仰げれば心強いけど……。残念ながら僕はさっきここに来たばかりで、無職ですよ。そちらはお仕事は何を?」
にこやかに礼儀正しく問われて、ゴロツキの舌打ちが鋭く響く。さ、さすが高遠くん、煽りスキルまで優等生!
でも挑発されたゴロツキはやる気満々でナイフの切っ先をあたしから高遠くんに変更してしまった。くそー、さっきのジャブで肋骨もう2、3本折っておけばよかった……!
剣、と言われてよくよく見ると、確かに高遠くんの腰には豪奢な鞘に収められた物々しい長剣が携えられていた。
服もそのまま転移してきたあたしと違って、ゴロツキの言うように物語の騎士を思わせる隊服みたいなものを着て、背中には赤いマントが揺らめいている。おそらく高遠くんの愛読書の描写が反映されたものだろう。
とにかくあまりにも完璧に着こなしているその姿に、あたしはこの世界にカメラが無いかも知れない可能性を強く危惧した。ないなら、ないならもう発明するしか…… ※理系科目オール赤点
でも高遠くんに与えられたスキルがどんなものかは分からないけど、この狭い路地裏において鞘に収められたままの剣と既に構えられたナイフとでは、たぶん前者が不利だ。
姿勢良く立ったまま未だ柄には手をかけない高遠くんに、ゴロツキは先手必勝とばかりに猛スピードで突っ込んでいった。
ひ、と動かない体で悲鳴を飲み込んだあたしの視線の先で──
高遠くんは表情一つ変えずに長い脚でゴロツキの向こう臑を思い切り蹴って払い、そのままよろけた両肩を掴むと、お腹めがけて鋭く膝蹴りを沈ませた。内臓にヒットする鈍い音が響く。
おお、さすがはサッカー部エースの脚力!
…………。
あ、いやそうですよね、人間相手に剣はさすがに……。
一般人相手にスキル使いまくりでエネルギー切れを起こした身としては何となく恥ずかしくて赤面しつつ、胸を撫で下ろす。
高遠くんは地面に崩れ落ちて気絶したゴロツキを見下ろして、ちょっと悲しそうな顔をしていた。ボールを蹴るために鍛えた脚でこんなことをするのは本意じゃなかったのかもしれない。聖人。偉い。あたしがもっと強かったらあんな顔はさせなかったのに……。
などと自責の念に駆られていると、いつの間にか目の前に差し出されていた大きな手に、ぱちくりと目を瞬く。おずおずと見上げると、高遠くんは教室で見せていたのと同じ柔らかい笑顔を浮かべて言った。
「怪我はない? 雨宮さん。驚いたよ、他にも同じ世界から何人かが召喚されるとは聞いてたけどそれがまさか雨宮さんだとは……」
「…………」
「雨宮さん?」
「や、やめて、アマミヤサンは用法容量を守って10秒に1回までにしないと……」
「なんで??」
「じゃなくて、高遠くんあたしの名前知ってたの?」
しゃべったこともない片思いの相手にいきなり名字を連呼されるという異常事態に溶けそうになる耳を押さえながらどうにか言うと、高遠くんはきょとんとして、それからおかしそうに笑って答えた。
「当たり前でしょ。今年から同じクラスだよね、雨宮アリアさん」
「あの……この世界にちゃんとAEDとかあるのか確認してからおしゃべりしてもいいですか?」
「なんで!?」
こうして心肺停止の危機に陥りながらあたしと高遠くんは無事に合流し、ついでに今日こそは話しかけるというチカちゃん達との約束も、なぜか向こうから話しかけられるという形で叶えられたのだった。
報告できる日がいつになるのかはまだ分からないけど、たぶん驚いてくれるだろう。




