水の遺跡
『魔法じゃないと倒せない』なんて言うから、剣で切れないぐらい硬いのかなぁと思ってたけどむしろ逆だった。踏んづけたそれのあまりの弾力につんのめって転びかける。
「あれま」
「雨宮さん、危ない!」
人生最期の台詞としてはあまりにも選択をミスった声をもらしたあたしの腕を、高遠くんが素晴らしい反射神経で掴んで引き寄せてくれる。そうするとぽすん、と胸に頬を押しつけて受け止められる形になって、結局別の意味でまた死にそうになった。命って儚いね。
高遠くんは片腕であたしを庇いながら果敢にも聖剣を構えて、飛びかかってきたそれの──半透明の丸みを帯びたスライムの突撃を、真っ正面から受け止めた。
だけど聖剣にあっさり両断されたスライムは力尽きるでもなく、そのまま二つの塊に分裂して数が倍になる。
バウンドした敵が地面に落ちてもう一度跳躍しようと弓なりに歪むのを見て、高遠くんは珍しく焦ったように舌打ちしていた。
そう、あのぽよぽよボディは物理攻撃無効なのである!
つまりあたしも役立たず、食料を消費するという意味ではお荷物を超越した次のステージに登り詰めた足手まといなのだ、非常にまずい!
死の恐怖にさすがにきゅ、とまぶたを閉じて目の前のものにすがりついた瞬間、
「だから足下には気をつけろって言っただろう。魔力だって無限じゃないんだからな」
呆れたようなサリさんの声と同時に指を鳴らす音が響き、頭上に迫っていたスライムの体が赤く燃え上がった。
その現代では中華料理店の厨房ぐらいでしか滅多にお目にかかれない火力に思わず目を輝かせる。あいかわらず鮮やかな火魔法だ、さすが高位魔術師!
直後、溶けるようにして消失したスライムのゲル状のボディの中心──うっすらと透けていた赤いボール状の『核』が、地を弾んで慌てたように逃げ出す。
それを許すはずもなく、高遠くんはあたしからそっと腕をほどくと、一瞬で間合いを詰めて二つの核を粉々に砕き、鮮やかにトドメを刺した。
パチパチ、と緩慢なサリさんの拍手が鍾乳洞に響く。称賛を向けられた高遠くんはにこりともせず、少し苦しそうに胸を押さえて呼吸を整えていた。
「いやあ、本当に素晴らしい剣筋だな少年。王都に行けば英雄とでも呼んでもらえそうな腕前だ」
「……あなたの魔法で核を露出させなければ攻撃も通りませんから。それに厳密に言えば、僕の実力ではないので」
ま、また何もできずに高遠くんに『代償』を支払わせてしまった……!
でも弓矢はもちろん拳で叩き割ろうにもあの核はかなり硬いようなので、握ったそれをぷるぷると震わせあたしは無力に打ちひしがれるしかなかった。やり場のない暴力。
でも剣と魔法の相性、というか高遠くんとサリさんの無駄の無い攻撃はかなり連携が取れていて、この遺跡に足を踏み入れてからの怒涛のスライム地獄も難なく切り抜けられていた。例えあたしがなすすべなく棒立ちしていたとしても。
遺跡──とは言ってもそこは人間の建造物ではなく、神さまの遺物。
森の奥深くに眠るこの場所は、いわゆる鍾乳洞のような形をしていた。
低い天井から氷柱のように伸びる水晶の輝きで中はほんのりと白く明るく、時折滴り落ちる水滴の音も相まって、どこか神聖な雰囲気を醸し出している。
ぴちょんと前髪が濡れる度に、個人的にテンションが下がっちゃうのはご愛嬌だけど。
内部構造は入り組んでいてどのくらい深くまで広がっているのかも計り知れず、そもそもサリさん曰く「微弱な魔力を感じるのでランダムで迷路のように変形していてもおかしくない」そうな。
そんなこんなで大量のスライムを薙ぎ倒しつつ結構奥まで進んだけど、お目当てのお宝はまだ見つけられていない。
サリさんの魔力の残量もそうだし、高遠くんの『代償』だって連戦になれば命に関わる。そしてついでに──
「少年、顔色が悪いが大丈夫かい? 少し休んだらどうだ」
「別に……これぐらい平気です。それより早く遺産を探し出して船に……」
「スライムって水まんじゅうの遠い親戚だったりする?」
「少し休憩しましょう」
あたしが生物学的仮説を打ち立てながらお腹の音を響かせたのを合図に、キリッと提案した高遠くんのおかげで、その場で小休止タイムと相成った。
* * *
「点火棒……じゃないサリさん、これ焼いて?」
「高位魔術師の火魔法をしょうもないことに使わすな」
「あいた」
ぺし、とわりと本気のチョップを食らわせつつ、文句言いながらもサリさんは指先に魔法で小さな火を灯す。
それがあたしの差し出したバゲッド、その上に乗せられたチーズを器用に炙ると、たちまち香ばしい香りと共に表面がとろけて思わず歓声が漏れた。わお、視覚・嗅覚・味覚的暴力!
糸を引いて伸びるチーズに神経を集中していると、たちまち辺りに沈黙が漂って気まずさでイマイチ味がしなくなる。
……このパーティ、あたしが黙ると残りの二人の会話が死ぬほど弾まないのだけが難点だなぁ……。
気まずさに手早く最後のひとかけを飲み込むと、幾分心臓の鼓動も落ち着いてきた様子の高遠くんにおずおずと声をかける。
「高遠くん、さっきはありがと……。ごめんね、戦力になれなくて」
「いや、大丈夫だよ。こんな狭い所じゃ弓は不利だし、矢だって温存しないといけないから」
「でも」
「?」
膝を抱えながら言葉に詰まる。──でも、それで大丈夫だと、あたしが高遠くんの隣にいる意味ってあるのかな?
ここのところマヤちゃん、太一郎君、サリさんと優秀な人ばかりに出会ったのもあって、遺跡攻略を始めてから何だかずーっとそんなことをぐるぐる考えては気が滅入ってしまっている。
頭も悪いし戦うのだって上手じゃない。役に立てずに守ってもらうだけなら、いくら同じ勇者でも、高遠くんには別にわざわざあたしと一緒に旅をする必要なんかないんじゃないかな。
「……まあ、そうだな。少年はともかく、お嬢ちゃんの能力ではおそらく北の大陸で生き延びるのは至難の業だろう。海に出てから後悔しても遅い、今潔く決断して家に帰る準備をしておくのも悪くない選択だろうな」
うじうじする背中を正論で押すが如く、サリさんは歌うようにさらりと言った。
「……言い過ぎでしょう。気軽に家に帰るだなんて口にしないでください、雨宮さんだって相応の覚悟を持ってここに来たんだ。それに危険だとしても、僕がその分剣を振るって補えばいいだけの話でしょう?」
「少年はそれでいいだろうけどさ。大事なのはお嬢ちゃんがそれをどう思うかだね」
す、と淡い緑色の瞳が細められて、見透かされているようで眉根を寄せる。
サリさんの言ってることは正しい。高遠くんはきっと、一度繋いだ仲間の手を自分から離したりは絶対にできない人だ。
だけどこの先の旅はきっといよいよ過酷で、同じ勇者だからとか、クラスメイトだからとか、そんな理由でパーティメンバーを決めてたら命取りになるのかもしれない。
だとしたらあたしが高遠くんにしてあげられることは……
「……まあ、行きずりの他人が首を突っ込むのは余計なお世話か。悪い悪い、死んだも同然の神が遺した遺跡と侮って思ったより時間がかかってしまった。先を急ごう、そろそろ最奥も近いかもしれないからな」
かもしれない、と言いながらどこか確信めいた口調で、サリさんは伸びをしながら立ち上がると鍾乳洞の奥へと軽快な足取りで歩き出す。
高遠くんは「気にしないでね」と言うように眉を下げて微笑み、それが余計に心苦しくてあたしはとぼとぼと後をついていく。
……じゃあせめて、お宝とやらは自分の手で見つけ出したいな。それぐらいしかここで出来そうなこともないし。
なんて意気込んでいたら突然壁、もとい立ち止まった高遠くんの背中におでこをぶつけて小さく呻く。
涙目でひょこっと前方を覗くと、どうも行き止まりに当たったみたいだ。
ううん、行き止まりって言うか……
「……水たまり?」
「いや……地底湖ってやつかな、随分深いみたいだけど」
鍾乳洞の中に現れた大きな空洞の中心、頭上高くから落ちる水滴が波紋を広げているそれは、青白く不思議な光を放つ綺麗な湖だった。
幅1メートル程の水晶の足場が中央まで伸びていて、桟橋というか飛び込み台のようにも見える。
端にしゃがみこんで水底を覗いてみると、青色の濃淡が揺らぐばかりで何があるのかはよく見えなかった。愛読書を開き、視力を極限まで上げて目を凝らす。
「雨宮さん気を付けて、罠かもしれない」
「うん、でももうちょっとで何か見えそうな……」
「ところでお嬢ちゃん、泳ぎは得意なのか?」
「え? はい。息継ぎは出来ないけどビート板があれば根性で25m泳ぐことが……」
ビート・バン、と必殺技のように呟いて首を捻るサリさんの声をかき消すように、天井から空を切るような音がしてハッと上を見る。
そして目を奪われた、あたしと高遠くんの頭上に星のように降って来る、スライムの光る赤い核に。
「せい!」
「うわ!?」
あたしは一も二もなく愛読書を開き、高遠くんの体を掴んで持ち上げると──そのま力いっぱい後方に放り投げた。
人類が円盤とか砲丸とかハンマーとか数十メートル先まで投げまくってて本当によかった。おかげで同い年の男の子をちょっと離れた安全地点に投げ飛ばすのにも苦労しない。
高遠くんが何が起きたのか分からない顔をしつつ、さすがの運動神経で受け身を取って着地してくれたのをほっと見届けた後──落下してきた敵の攻撃を、高速のジャブをかわすようにとっさに慌てて避ける。横方向に。
「あ」
「雨宮さん!」
高遠くんが必死に伸ばしてくれた手を、残念だけど掴むことはできずに。
あたしの体はそのまま勢い良く水面に飛び込んで、あっけなく沈んでいくのだった。
※1メートル幅の足場で横に逃げてはいけません──