愚者と魔術師
言葉少なに浜辺を後にして、とりあえず取った宿の部屋に入ると、高遠くんは珍しくマントも外さないままベッドに沈むように横になった。
ため息を吐きながら目を伏せる疲れた顔に、さすがに心配になってあたしまで気落ちしてしまう。
「魔法使い、か……。魔獣を倒せるような高度な魔法を扱える人材は、みんな北の最前線に集められてるはずだ。南のこの街にたまたま滞在していて、なおかつ宝探しに快く付き合ってくれるような余暇のある人となると……」
「……高遠くんの愛読書にも、魔法って出てこないの?」
「一応魔法使いは出てくるんだけど描写は少ないし、読んでた当時は完全に剣を扱うシーンばかり夢中になってたせいか印象が薄くて……スキルとして反映はされないらしい。ごめん、肝心な時に役に立てなくて」
胸に手を当てて弱々しく呟き、高遠くんは無理に笑って見せた。
あたしはふるふると何度も首を振り、青白い顔を見下ろしてきゅっと唇を噛む。違う、あたしが紛うことなき純血のマグルなばっかりに。
野営の見張り番もあたしに前半を譲ってくれたから寝てない時間も長いのに、ここまでずっと何も言わずに、難しい交渉も全部代わってくれていた。
ううん、この世界に来てからずっとそうだ。あたしが頼りないせいでずっと一人で気を張って、せっかく対等に相談し合えそうな知能を持ったマヤちゃんや太一郎君とも別れて……。
「……雨宮さん、大丈夫? さっきから口数が少ないけど、疲れて……」
「寝る子は育つ!!」
「うわ」
起き上がりかけた高遠くんの肩を突いてベッドに押し倒し、あたしは涙目がバレないようにきつく目を閉じながら仁王立ちで叫ぶ。
「高遠くんは寝ててね、あたしおなか空いちゃったからちょっと食べ物買ってくる! ついて来ちゃ駄目だからね、女の子の買い物は高度な集中力を要する果てしなき蛇行運転の旅なので!」
「ああ、うん、気をつけて、いつにも増して読解力が試されてるなぁ……?」
現代文で毎回満点取ってる人にそこまで言わせるならあたしの日本語も大したものだね、と無駄に誇りながら部屋を飛び出す。
力になるために異世界までついきてたんだもん、高遠くんに頼らなくても見つけてみせる!
齢300歳を超える三角帽子を被った熟練のハイパーロング白ひげおじいちゃん魔法使いの一人や二人!!(偏見の塊)
──なんて意気揚々と全速力で駆け出したはいいものの、さっぱり見つからない上に普通に道に迷った。
この街は水辺らしく運河であちこち区切られていて、似たような橋を渡りまくっていたらもう宿までの道もさっぱり分からなくなってしまった。
脚が速すぎるのも考え物だ、風景がすべて残像と化すのでどこを通ったかすら謎である。
道行く人に魔法使いもしくは帰り道知りませんか、とあまり抱き合わせにされなさそうなセットで尋ねてみても、気まずそうに去って行かれるばかりである。
俊足と超視力のスキルを使いまくったので代償で本当におなかも空いてきちゃった。でも何の成果も上げられてないのに二人旅の資金に手を着けるわけには……。
「そこのお嬢さん、深くお悩みのようだ。それに飢えに喘いでもいる。違うかね?」
とぼとぼと通りを歩いていると、ふいに道ばたにぽつんと置かれた屋台から声をかけられ、はたと足を止める。
「嘘、当たってる……どうして分かるんですか!?」
「いやそんな肩を落として腹を押さえて歩いてたら誰にでも分か……なぁに、ワシには全てお見通しじゃよ。この偉大なる高位魔術師の占星術を持ってすれば全てのことは……」
「えー!? おじいさん魔術師なんですか!? すごーい!!」
キャーと興奮しながら屋根の下に駆け寄ると、水晶玉の乗った小さな机を挟んで腰かける、齢300歳を超えてそうな三角帽子を被ったハイパーロング白ひげおじいちゃんが「うむ」と頷いていた。確定演出だー!
「あの、あたし魔法が使える人を探していて……急なお願いで申し訳ないんですけど、力を貸してもらえませんか?」
「ふむ、まあまずは座りなさい。悩みが晴れぬ内は人生における重要な選択は出来ぬものじゃて」
す、とローブの裾から覗くしわくちゃの手に促されて、あたしはすとんと低い木の丸椅子に腰かける。
高位魔術師さんて占いもできるんだぁ、こんな所でお仕事してるってことは王都の精鋭部隊からはさすがに引退したとか? 第二の人生的な?
女子高生的には占いの館は無条件にテンションが上がるもので、あたしはおじいさんが差し出したメニュー表を手に取ると場違いに目を輝かせてしまった。
健康・仕事・金運・人間関係…………。
勇者的には今後の旅の先行きとか占ってもらうべきだと思うんだけど、あたしの指は愚かにも、それとは縁遠い項目を指して小さく震えた。
「……えっと、こちらの内容で……」
「ほお、恋愛の運勢を占って欲しいと。よかろうよかろう、どれ、そなたと思い人の未来は……ハッ!!」
水晶玉を食い入るように見つめて開眼し、魔術師さんは厳かな声で告げた。
「何か……何とは言えぬが二人を引き裂く暗雲的なものが……そこはかとなく……いつとは言えぬが来たるべき時に……」
「ええ!? 全く何も分からなくて逆に気になる!」
「しかしこれ以上は更なる魔力を消費するゆえ追加料金を貰わんと」
「ん?」
追加? なんかそれって、今の占いにも料金が発生するような物言いでは……
困惑していると、トントン、と魔術師さんはメニュー表の下部を指して手のひらを差し出した。
そこにスキルを使わないと見えないぐらいの小さい字で書いてあった、「なお初回料金は一律以下の通り一括でお支払い頂きます」。
桁が多すぎて数えられない額がしっかり指定されていた、それこそ海賊船を買い取れちゃいそうなぐらいの。
「あ、あの……」
「払えないと言うのなら仕方ないのう、騎士団の目も魔王軍との戦いに注がれている今、奴隷商人も半ば野放し状態じゃて。全く足らんがあんたを売った金で譲歩してやろう、かわいそうじゃがの」
「あ、あ、どうしよう、労働力としてそこそこ役に立ってしまう自信がある……」
山と積まれた麻袋を軽々持ち上げて朝から晩までこき使われる未来を想像しながら、わんわんと泣き喚く。事態に気づいた通行人達に遠巻きにひそひそと視線を向けられてはいるけれど、残念ながら助けに入ってくれそうな気配も無い。自業自得だし。詰みである。
ご、ごめんね高遠くん、でも借金の連帯保証人にさせないためにはもう腹をくくるしか……!
なんてとち狂ったその時だった。真横の運河の水が、吸い上げられたように宙に集まり巨大な球体を象ったのは。
「────え?」
ぽかんと口を開けたあたしの耳に、野次馬の誰かの声が響く。
「水魔法だ!」
次の瞬間、水の球体は目の前の三角帽子の上に素早く移動すると、一気にその形をほどき落下した。
大量の水を滝の如く浴びて魔術師さんは悲鳴を上げる。跳ね上がる飛沫にあたしも慌てて目を瞑った。
「ろ、老体に何という仕打ちを……! 出てこい、慰謝料を請求してやる!」
びしょ濡れになった長いひげを振り乱しながら立ち上がって激昂するご老体に、周囲を取り囲む野次馬達もにわかにざわめいて、お互いを指差し合っては首を横に振っていた。
水魔法ってことは、この目の前の自称魔術師さんの自作自演じゃないとすればそれは……
「悪い悪い。往来でピーチクパーチク煩かったもんでつい」
困惑していると、その渦中の人物の声は意外にもすぐ近くから聞こえた。ていうか正面、さっきまでご老体が腰かけていた椅子の上から。
「わ!?」
「ひ!? い、いつの間にそこに……」
いや、警戒してたけど気配も足音もしなかった。それこそ瞬間移動でもしない限り不可能だ。
だけどその人は何と言うことも無さそうに足を組んでくつろぎ、全然悪いと思ってない声で言った。ローブのフードを深く被っているせいで、その顔はよく見えない。
「いい感じに頭が冷えたろう? おまけに今夜湯を浴びる手間も省けた。いやいいよ、礼には及ばないよ」
「な、何が湯じゃ、冷水浴びせおって! へくちっ」
あたしより数段かわいいくしゃみをしたおじいさんに、謎の人は「おや」と笑ってどうでもよさそうに頬杖をつく。
「悪い悪い、乾かすのを忘れてた」
パチン、と軽く指が鳴らされて、一瞬赤い火を見た気がした。
直後、自称魔術師の体から激しい音ともにじゅわっと蒸気が上がる。アイロンのスチームみたい、と思った頃には、ずぶ濡れだったはずの全身が見事に乾いて元どおりになっていた。
ぽかんとするあたしの背後で野次馬の誰かが「火属性の緻密応用だ」と感嘆の声を上げた。はーん、なんか分かんないけど家電みたいで便利だな、とあたしは小さくうなずく。
湯気の立つ体をわなわなと震わせ、自称魔術師だったおじいさんはあたしをキッと睨み付けて叫んだ。
「おい、お前! 料金を踏み倒した上に魔術師の仲間まで呼んで……卑怯だぞ!」
「え? あたし?」
払うつもりはあったし仲間でもないです、と言うより早く、おじいさんは目の前の水晶玉を掴んで思いきりあたしに向けて振り上げていた。わあ、奴隷エンドを回避したら撲殺エンド。
あたしは仕方なく口を引き結び、胸の中で愛読書を開く。……ボクシング……は、おじいさん相手にまずいよね。よ、よし、ここは重量挙げスキルで……!
だけどスキルが発動するよりも先に、相手は一瞬の衝撃音の後に地に伏していた。突然ピンポイントに落ちてきた、雷に打たれて。
あたしは屋台の屋根に空いた穴ごしに空模様を見る。雲一つない完璧な青空だった。
「悪い悪い、ちょっと血行が悪そうだったんで電流治療を。調子はどうだい? 肌艶が良いね、男を上げたんじゃないか?」
ぺしぺし、と愉しげに三角帽子の先を弾いて笑う謎の人に、おじいさんはピリピリ痺れながらか細い声で囁く。
「な、なんだってこんな南の街中に、ここまでの精度で魔法を扱える高位魔術師が……」
「何を言うご老体、あんたも自称同業なんだろう? ……ただ、笑っちまってさ。本当に未来が見えてる奴が、呑気に恋占いなんかやってられるはずがない」
謎の人は立ち上がると、ボールを蹴るように転がっていた水晶玉をつま先で小突いて、軽く拾い上げながら呟いた。
「俺なら正気じゃいられないね。この世界はどうあがいたって滅ぶ運命なんだから」
するり、と落とされた水晶玉が地面に衝突して割れた音と同時に、急に周囲の喧騒が消えて静かになった。
と言うか、喧騒の輪の中から物理的に離脱していた。具体的に言うと上空に移動する形で。
「そ、空飛んでる……?」
「羽の無い動物は飛べない。飛ばされてるだけだ、風を使ってな」
その人は困惑するあたしを抱きかかえながら宙に浮かび、眼下で自分を探しているだろう大混乱の人の海を見下ろして愉快そうに笑った。
大暴れのおじいさんが街の人に連行されていくのが小さく見える。ああ、あのままあそこにいたら遺跡探索どころじゃなくなってただろうな……。
目深に被っていたフードが風に取り払われる。……随分落ち着いたしゃべり方をする人だなと思っていたら、二十代前半ぐらいのお兄さんで驚いた。
曇り空みたいな肩までの長い灰色の髪に、浅い緑色をした綺麗な目。飴玉みたい、とついついじっと見入ってしまう。
そこでようやく自分がいわゆるお姫様だっこ的な状況に置かれていることに気づいて、ハッとして腕の中でもがもがと身じろぎする。
「お、下ろしてください、重いので!」
「そうか? 別に大した重量じゃないだろ、たかだかよんじゅうな」
「ウワーーー!?」
「うるさっ」
鳥しかいない高度とはいえ濃密な個人情報を晒されそうになって半狂乱になっている内に、その人は視線だけで風に命じるように綿毛みたく軽やかに漂って、少し離れた人気の無い橋の上にふわりと降り立った。
「………あ、ありがとうございましたっ」
た、助かったあ……。
深々と礼をする。何か大切な個人情報を不必要に握られた気もするけど、助けてもらった上に逃亡のお手伝いまで。感謝してもしきれない。
向かい合ってみると、お兄さんはすらりと背が高く、いかにも魔術師らしいフード付きのローブがよく似合っていた。
……杖や魔導書の類は持ってなさそうだし、さっき指パッチンだけで魔法を使ってたあたり、呪文の詠唱とかも必要なさそう。
「勇者パーティなら魔法使いは必須」というマヤちゃんの弁を思い出し、あたしは改めて己の本棚の貧相さを嘆いていた。
するとお兄さんは整った顔に柔らかい笑みを浮かべてあたしを見下ろし、
「子供が頭を下げたりするな。家に帰って甘いものでも食べるといい」
ぽんぽん、と小さい子にするように頭を叩かれたので、さすがにぽかんとしてしまった。
「あの。甘いものは食べたいけどそんなに子供じゃないです。もう高校二年生なので」
「こーこー?」
「あー。えっと、16歳です」
すかさず「嘘だろ、10歳ぐらいかと……」と本気の絶句をされた。いくらあたしでもさすがに傷つく。
「悪い悪い、見た目じゃなく中身で年齢を判断する癖があって」
「フォローになってないです」
この人、「悪い悪い」が口癖なくせに全く悪いと思ってないとこがだいぶ悪い人だった。
「まあいくつだろうと、独り歩きは用心した方がいい。こっちの大陸にも魔族が出没したって噂だからな、魔獣の晩餐になりたくなければ明るい内に家に帰ったほうがいいぞ」
魔族、という単語に無条件で背筋に冷たいものが走ってムッとする。すっかり恐怖を植え付けられちゃったみたいで嫌だな、あの養豚魔族の人……。
「あ、もしかしてお兄さんはそれで北の最前線からここまで出張してきたんですか?」
「ん? ああ、まあそんなところだな。うん。嘘は言ってない」
妙な言い方、と首を傾げつつ、それなら高位魔術師さんがここにいるのも不思議じゃないなとあたしは目を輝かせる。想像してた魔法使いとはちょっと違うけどありがたい、これはさすがにマリアさんにも敵ながら感謝!
「あの、情報が欲しくありませんか? 『獣飼いのマリア』の!」
高遠君を真似て慣れない交渉を切り出したあたしに、お兄さんは面白そうに目を細めて「続けて?」と促した。
「いろいろあって結構おしゃべりしたりおでこ鷲掴みにされたりしたので、役に立てるかもしれません。……事情があって、古代遺跡の攻略に魔法が必要なんです。手伝っていただけたらあたしが知ってることは何でも話します」
「へえ。お嬢ちゃんは獣飼いに遭ったのにどうして生きてるんだ? 幽霊でもなきゃあり得ないね、マリアが二言以上言葉を交わした人間をみすみす逃がすとは思えない」
「それはもちろん、高遠くんがとっても強くて偉くて格好良かったからですっ」
ドヤ、と胸を張ると、お兄さんはきょとんと首を傾げて「よく分からんが」と頷いた。
「神の遺物には俺も興味があるし、可能なら調査するように上司から言われている。いいぜ、喜んで協力しよう」
「わあ、ありがとうございます! 雨宮アリアです。えっと……」
「……ああ、名前か。そうだな、サリとでも呼んでくれ。よろしく、やけに特技の多いお嬢ちゃん」
にこやかに手を差し伸べられて、目を瞬く。あれ、言ったっけ、あたしの一冊2000は軽く超える記録のこと?
まあ高位魔術師さんだし、そういうのお見通しなのかもと軽く頷く。
ともあれ高遠くんに良い報告が出来そうなので、あたしはフリスビーを飼い主に返しに行く犬のように心のしっぽをぶんぶんと旋回させて、胸中で喜び庭駆け回るのだった。