恋心とジビエ③
ぎゅ、と弓を抱きながら焚き火を見つめて、鼻先を温める熱についついまぶたが重くなる。
「寝ちゃってもいいけどね、動物が出たら叩き起こすけど」
「ハッ!? え? 何? 熊!?」
「ごめんごめんごめんやっぱ死んでも寝ないで、寝ぼけて誤射されそうで怖い怖い怖い!!」
慌てて矢を番えて狙いを定めたら、焚き火の反対側に腰かけていた太一郎君が青ざめて震えていた。
あ、なんだ、寝起きだと同い年の男の子とクマってついつい見間違えちゃうよね。失敬失敬。
「ごめんね、あたしなんかと一緒に見張り番で……」
「い〜や全然? アリアちゃんみたいな可愛い女の子なら大歓迎」
折った小枝を火に焚べながら茶化されて、あたしは口を尖らせる。
「嘘だぁ、冗談ばっかり言って……いいよ無理しないで。あたしが男の子だったら絶対マヤちゃんと一緒の方がうれしいもん」
「いや? マヤちゃんのことは高遠君に任せられるならそれに越したことはないでしょ。俺のスキルは彼ほど戦闘向きじゃないしね」
夜間の見張り当番は二人交代制で、戦闘でメインを張れるあたしと高遠君は前半後半に分散する組み合わせになった。
あたしと太一郎君は前半チームで、後半の高遠君とマヤちゃんは只今テントですやすや夢の中。交代まではもうちょっとあるし、2人の安眠を守るためにがんばって起きてないとなのだ。
「スキルと言えば太一郎君の愛読書のこと、まだ聞いてなかったよね? よかったら眠気覚ましに聞かせてほしいな。あたしと同じで、私服のままってことはファンタジーじゃなさそうだけど……」
「ああ、いいよ。長話で寝られても困るし実践でよければ。……まあいいよな、保護者の人もちょうど寝てるし」
実践……て、スキルの?
聖剣で真っ二つにされかけた記憶が蘇って背筋が凍り、それにも負けじと襲ってくる眠気に呑気にうとうとしていると、
「じゃあ使うね。今からアリアちゃんは『眠気を感じなくなる』」
胸に手を当てた太一郎君が何気なく一言呟いた直後、閉じかけていた瞼がぱちりと開いて、ぼんやりしていた脳が急に水をかけられたようにクリアになってぎょっとする。
あんなに眠かったのに、眠くない、少しも。
「え?あれ?あ、エナジードリンク的なスキル?」
「いや? じゃあもう一つ。アリアちゃんは『俺の質問に何でも素直に答えたくなる』」
いや答えませんけど、と訝しがっていると、
「人生で一番恥ずかしかったことは?」
「石焼き芋のトラックを追いかけて隣町まで行って警察に保護されたこと……ハッ!?」
驚愕と羞恥に震えながら両手で口を押さえ、笑いを堪えている太一郎君を呆然と見つめる。
は、墓場まで持っていくつもりだった、裸を見られるより恥ずかしい秘密をいとも簡単に……!
「ちょっと待ってアリアちゃん、なんで矢を弓に?」
「口封じしなきゃ……」
「そこまでの秘密だったか!? 分かった分かった、誰にも言わないから。俺も代償払うのは嫌だし実践はこれでお終い!」
パン、と彼が両手を合わせると、それを合図にスキルの効果は切れたらしく、またふわっとした眠気が戻ってきた。まあ散々びっくりすることがあったせいで、さすがにもう寝る気は起きなかったけど。
「……独裁者の伝記的な本?」
「人聞き悪いなぁ、命令よりはもうちょっとマイルドなスキルだよ」
「ジャンルは?」
「自己啓発本」
おお、それはあたしと良い勝負のマイナーなチョイスだ。勝ちたくもないけど。
「タイトルは確か、『やる気を引き出す魔法の言葉〜今日からできる自己暗示入門〜』とかそんな。出来ないと思ってる大抵のことは脳がセーブかけてるだけで意外と出来るもんだし、死ぬ気で頑張らなくても眠ってる実力は結構引き出せますよ、ってな、俺みたいな省エネの民にはありがたい内容だね。だから戦闘スキルはほんとに皆無」
暗示……言葉を使って強く思い込むことで、考え方とか行動とかがまるっと変えちゃえるみたいやつ?
ああなるほど、だからさっき太一郎君に言われたことを、あたしの体は催眠術みたいにそのまま実行しちゃってたわけか。睡眠なんて生理的な欲求まで強制的に抑え込んで。
「ん、でもそれってすごくない? 例えば……」
「そ。例えば俺がスキルで『何も怖くない』って暗示をかければどんな敵が目の前にいても怯えることはないし、『痛みを感じなくなる』って言えば腕が折れてようが構わず全力で動ける。つまり本来必要な肉体のリミッターやアラームを切ったり無理矢理底上げするってことだから、自己管理には気をつけないといけないけどね」
な、何それすごい、恐れを知らぬ狂戦士が生み出せちゃうってこと!? どうしよう、無心で殴り投石し弓で射殺すバーサークゴリラに進化してしまう……
「ちなみにこれは逆も有効で、敵に『何をやっても失敗する』『歩けば転ぶ』『不安でどうしようもなくなる』みたいな暗示をかけて弱体化することもできる。前の町では大体これで乗り切ることが多かったかな、つまりバフとデバフをかけまくれるスキルってこと。サポート型の勇者なんだよね、俺」
「へえ〜……」
ふむなるほど、強力だけど使い所の難しいスキルだ。
置かれた状況を打破するために必要な要素や、相手の嫌がることまで瞬時に分かってしまう頭のキレる人にしか使いこなせないだろう。あたしだったらひたすら『おなかがすきませんように』って願い続けて勝手に餓死してそうだし?
うーんと考え込んでいると、太一郎君はにこにこと人の良い笑顔を浮かべて歌うように言った。
「だからもし高遠君への告白の前に『緊張しなくなる』バフが欲しければ、いつでも相談に乗るよ。面白そうだし」
「わーありがとう、太一郎君てすっごく親切……」
脊髄反射で返事を返して、遅れて発言内容を精査すること数秒。……。
「ねえなんでバレたの? 読心術スキルもあるの?? 言わないでねナイショにしてね、命に関わる事案なので切実に!」
「ん〜、どうしよっかなぁ。俺も男の子だし、どっちかと言うと高遠君の味方でいたいかもなぁ」
パニックに陥ったあたしにわーわーと胸ぐらを掴んで前後に揺すられながら、太一郎君は飄々とした笑顔を崩さずに「じゃあ言わない代わりに。一つだけお願い聞いてもらおうかな」と指を立てた。
「お願い?」
「そう。……マヤちゃんとさ、これからも仲良くしてあげてくんないかな。いつかこの旅が終わって、元の世界に帰っても」
ぐす、と鼻をすすって、素っ頓狂なお願いに目を瞬く。
「そんなことでいいの? 腎臓とかいらないの? 今なら新鮮だよ?」
「覚悟キマってるとこ悪いけど3つ目は要らないかな……。マヤちゃんさ、あんな感じで人見知りの内弁慶だからあんまり友達多くないんだよね」
あんなに可愛くて良い子なのに?と首を傾げると、太一郎君は「でしょ」と上機嫌に笑う。
「でもアリアちゃんとは珍しくすぐ打ち解けて楽しそうにしてたからさ。たまに遊んであげてくれたら嬉しいかなって。本人アレだから、遠慮して自分からは言わないだろうけど……」
あたしが掴んでいた手を離すと、太一郎君はちょっと気まずそうにしながら襟を正して目を伏せていた。……。
「すごい……すごいよ太一郎君、それって愛だよ、わあこんなに近くで初めて見たぁ……!」
「うーわ……まじでやめてくんないそういうの恥ずいから、言わなきゃ良かった……」
キラキラと憧れの眼差しで身を乗り出すと、太一郎君は飄々とした表情を崩し顔を赤くして本気で嫌がっていた。すごい、純愛だ!
「うんうん分かるよ、あたしも片思い界隈ではベテランの域に達しているからね。マヤちゃんのどこが一番好きなのかな? アドバイスは一切出来ないけどお姉さんに話してみなさい」
「同い年だろ。て言うかガチでただ聞きたいだけの人だな? ……別にそういうんじゃないよ。付き合いも長いし、見てると少しほっとけないだけ。もうちょっと俺みたいに適当に生きればいいのに無駄に真面目で頑固だからさ。怖がりのくせに正義感だけは強いし。この世界に来た時も魔獣のいる洞穴で、スキルで小さくなって隠れながらずっと一人で泣いてたみたいで……いやいや俺がたまたま見つけてなかったらどうなってたんだよ、とか思うとゾッとするよね。ホントに」
うんざりしたように焚き火を睨む太一郎君に、あたしはへへっと笑い返して大きく頷いた。
「仲良くしてあげるのはやだけど、仲良くするのは喜んで! それじゃあありがたく、太一郎君がやきもち焼いちゃうぐらいなかよしになっちゃおうかなぁ。……でもそれは別に頼まれなくても元々したかったことだから、お願いにならないよ?別のことにしたら? なんでもしてあげるよ、勇者のよしみで」
「いや特に……つーかそんな可愛い顔で何でもするとか、あんまり誰にでも言わない方がいいと思うけど」
「なんで? 誰にでもなんか言わないよ、太一郎君は特別だもん」
「だからそういうのがさぁ……。高遠君も苦労しそうだな、なんか」
片思い同盟の特別優待割引を放棄して、「ま、あれだけ良い男がぐっちゃぐちゃに振り回されてんのも面白いか。静観しとこ〜」と太一郎君はけらけら笑った。
なにそれ?高遠くんはもう既に大分苦労してますけど……(旅の食費のやりくり的な意味で)
「で、アリアちゃんはどこが好きなの? 人にばっか質問するのは同盟規約違反だぜ」
「え? まあそうかも……? ちょっと耳貸してね、さすがにすぐそばで寝てるのに大きな声では……」
「……何してるの?」
もぞもぞと身を乗り出して、耳に手を当てて囁こうとした瞬間、いつの間にか背後に立っていた高遠くんに淡々と問われて目を見開く。
寝起きだからか目は半分閉じていて、焚き火に下から照らされてる影も相まって何だか不機嫌そうにも見える。
「わ、起こしちゃった? ごめんねうるさくして」
「いや、そろそろ交替の時間だから。代わるね田野上君、そこ座るからどいてもらえるかな」
「熊より怖いわ……」
いつも通りの王子様スマイルでぽんと肩を叩かれ、太一郎君は青ざめながらそそくさとマヤちゃんを起こしに行った。
そういえば眠かったんだった、人の恋バナでアドレナリンドバドバだったから忘れてた。ふわあと手の中で大きめのあくびがこぼれる。
「疲れたでしょ雨宮さん。後は任せてゆっくり寝ておいで」
「ん、ありがと……。マヤちゃんのことよろしくね。何かあったら頭を狙うんだよ頭を」
「肝に銘じるよ。それじゃ、おやすみ」
「うん、おやすみ~」
えへへと手を振り合ってから寝袋にもぐり込んで芋虫と化し、ぼんやりと遠くに聞こえる焚き火の音と、見張りな二人の声に耳を傾ける。
どうやら地図を広げてこの先の行程について真剣に話し合っているらしいその会話に、パーティの頭脳が増えたことを喜びつつ、これからはあんまりあたしとおしゃべりする機会もなくなるのかもしれないな……とちょっと寂しく思っている内に、あっという間に意識は深い夢の中に落っこちていた。
* * *
「……ほんとに一緒には行けないの? マヤちゃん」
「うん。昨日高遠君と相談して決めたの」
高遠君は少し心苦しそうにあたしを見て、だけど一度決めたことは曲げない毅然とした声で言った。
「僕達は前の町で、魔族に遭遇して顔を知られてる。 いずれまた狙われるだろうし、今は固まって行動するより別れていた方がいいと思う」
「それにこの南の大陸には、私たちが救った町以外にも魔獣のせいで困ってる人達がまだまだたくさんいるって聞いたわ。王都を目指す旅の途中で、一つでも多くに立ち寄って解決してあげたいから……二手に分かれた方が効率がいいもの。……だから、これでいいの」
無事に野営を終えた翌朝、森の出口に立ち、あたしは名残惜しそうに繋がれたマヤちゃんの小さな手を見下ろして「そっか」と笑った。
太一郎君は怖がりなんて言ってたけど、やっぱりマヤちゃんも神さまに選ばれた立派な勇者の一人だ。その気持ちは尊重してあげなきゃね、どんなに寂しくても。
「……どうせ一緒に行かなかったところで魔族に会う確率がゼロになるわけじゃないだろ。だったらやっぱり俺とじゃなくてアリアちゃんと一緒に行った方が良いんじゃねぇの? せっかく仲良くなれたんだし」
太一郎君はマヤちゃんがパーティ解散を提案した時からずっと不服そうな顔をしていて、今も「マジ意味わからん」みたいな半目でイライラしていた。
あたしとマヤちゃんのらぶらぶ仲良し計画には結構な熱意があったっぽいから、まあこうなったのは納得しきれないんだろうけど……。ていうか多分あたしのこと用心棒か何かだと思ってるな??
だけどマヤちゃんは負けじと太一郎君を睨み返して、怒ってもかわいらしい声で言った。
「何言ってるのよ、こんなに強いアリアちゃんや高遠君がそばにいたらつい甘えちゃって、いつまでも強くなれないでしょ! ……それに私、こんな性格だからずっと一緒にいたらさすがにアリアちゃんに嫌われちゃうかもしれないし……だからいいの。次に再会する時までに、もっと成長できるように頑張らないと」
「はあ? なんなん、俺に嫌われるのはどうでもいいわけ?」
「え? ……そんなの嫌だけど……」
いつものように喧嘩をけしかけたら思いの外しゅんとしおらしく落ち込まれてしまって、太一郎君は「はあ??」とうろたえながら「もういいよ、分かった!守ってやれないし死ぬ時は一緒だけど文句言うなよ!」と降参していた。わお、これが世に言う両片思い!
「じゃあ……そういうわけだから一時解散か。お肉ごちそうさん、また会った時は協力しようぜ」
「ああ。僕たちも次に会う時は負けないように頑張るよ」
「それにはまずお互い死なないこと。約束よ」
強がりでもなく、マヤちゃんはにっこり笑ってあたしの手を離すと、「それじゃお先に!」と太一郎くんと共に元気よく森の外へ駆けていった。
「……行っちゃった」
急に世界が静かになる。嵐のように現れ、肉とともに去った2人だった……。
でもきっとあの2人にはまたすぐに会える気がする。その日まであたしも頑張らなくちゃ!と気合いを入れるのだった。
それに高遠くんとの2人旅がちょっぴり延長になるなら、それはそれでとってもうれしいし。
ちらりと見上げた高遠くんの横顔は今日も格好良くて、何か難しいことを考えているのかどこか近寄りがたい雰囲気すらあった。
うーん、やっぱり2人きりはドキドキしちゃうなぁ。太一郎君に意識しなくなる暗示をかけてもらえばよかったかも?
「えーと、高遠くん。あたしたちも行こっか」
「うん、でも……雨宮さんは良かったの?」
「なにが?」
ああ……そりゃあたしだってマヤちゃんをもっともっと可愛がってツンが消滅するぐらいデレデレにしてみたかったなとは思うけど、急ぐことじゃないしね。それこそ世界を救った後でも時間はたっぷりあるわけだし。
「その……田野上君とは、随分話が弾んでたみたいだから。僕はあんな風に面白い冗談が言えるわけでもないし……」
高遠くんは珍しく歯切れ悪くそんなことを言う。太一郎君?
ああ、確かに見張り番の時にたくさんおしゃべりしたけど、あれは話が弾んでたっていうか恋バナが弾んでたというか……。
「楽しそうだったけど、何話してたの?」
「え~……愛読書のこととか」
「ふーん……」
「あと無理やり恥ずかしいこと言わされたり?」
「本当に何してたの!!?」
絶句する高遠くんに、これ以上詮索されると片思い同盟の機密事項に触れてしまう恐れがあるため慌てて話題を逸らす。
「楽しかったけど、でもあたしは高遠くんとおしゃべりするのも楽しいよ? あたしとは違う発想があって面白いな~って思うし。まあ確かに関西出身て言ってたし、あんな風にキレよくツッコんでもらえるとボケ寄りの人間としては気持ちがいいのかも?」
チカちゃんやミユちゃんの容赦ない鋭利なツッコミを思い出して懐かしんでいると、
「……なんでやねん?」
「まだ何もボケてないよ!?」
大変だ、野宿の疲労で高遠くんの頭がおかしくなってしまった、急いで次の町に向かわないと!
「異世界に脳神経外科ってあるのかな?」
「やっぱり歩くの早くない?」
競歩スキルでずんずん進む道の先、次に目指すのは港町。
無事に海を渡れれば、いよいよ戦いの激化するという北の大陸は目前だ。