恋心とジビエ②
「……愛読書を持ってる同じ世界の人なんだってすぐに分かったわ。いかにもアーサー王って感じの見た目だったもの。うらやましいな、やっぱりこの異世界転移、王道ファンタジーを選ぶのが最強よね。誰かさんと違って高遠君は賢明なんだわ」
鹿肉をお上品に味わいながら、マヤちゃんは半目でちくりと太一郎君を睨み、
「ああその通りだね。夢見がちな誰かさんの選んだ戦闘要素ゼロの愛読書とは大違いってわけだ」
太一郎君の方はけらけらと笑って一蹴し、即座にマヤちゃんに足を踏まれて呻いていた。
すごい、なんて気の置けない間柄、あたしもいつか高遠くんから冷たい目をして踏んづけてもらえるぐらい仲良くなれるかなぁ。
「雨宮さん、なんでそんなキラキラした目してるの?」
「え!? 言えないよそんなセンシティブなこと……。でも楽しいね。みんな同じ2年生だし、4人だとにぎやかでキャンプみたい」
あとはこの異世界にマシュマロがあれば世はこともなし、と鼻歌混じりに木の枝を振っていると、高遠くんは爽やかに微笑んで「鹿からも造れるんじゃないかな、ゼラチン」などと聖剣片手に袖をまくった。
有能な人間に安易に願いを打ち明けてはいけないね、とあたしはやんわり首を横に振ってそっとその袖を下ろすのだった。
マヤちゃんと太一郎君はあたしたちとは違う地域に住む高校生で、元々知り合いの幼なじみ的存在らしい。
類は友を呼ぶと言うか、たまたま同じように神さまに適性を見出されて再会したようで、「腐れ縁なの」とマヤちゃんは呆れたように言った。
2人も別の町に飛ばされて何やかんやのトラブルを解決してきたところらしく、みんなあの放課後に一緒に勇気を出した人達だと思うと、なんだかうれしくなっちゃうね。
「それはどうも。花木さんはファンタジー、と言うか児童文学好き? 『アリス』ほど投影が分かりやすい愛読書もないかもね」
高遠くんの言葉に、あたしは改めて隣に腰かけるマヤちゃんの姿をまじまじと見つめる。
頭につけたリボン、ふわりと裾の膨らんだワンピース。白いエプロンとタイツにピカピカの黒い靴。
髪型は印象的なロングヘアじゃなく黒髪のボブだったけど、実際に原作のモデルになった人物はそんな感じだったらしい。どうもそのへんの影響は本人の読み込み具合やイメージに多少偏るみたい、あたしが自分の愛読書をちゃんと熟読していたら胴着かユニフォームを着て召喚されてたかもしれないね。
まあつまりとにかくとっても可愛い! ──『不思議の国のアリス』、お人形っぽい雰囲気がお目々くりくりで小柄なマヤちゃんにはよく似合っていた。
あたしもその本にしたかったなあ、まあ本棚にはこれしかなかったんだけど。胸に手を当てて、ページを振り乱しながら抗議してる愛読書をどうどうと諫めつつ思う。いつもお世話になっております。
「ええ。でも図書館派だったから、こういうことになるならもう少しジャンルを広げて手元に置いておけば良かったわ。やっぱり勇者パーティなら魔法使いが必須だったもの、魔女が主役のお話とか魔法学園モノとか……。まあ、一番お気に入りの本だから別にいいんだけど」
「あ、あたしも本は知らないけどアニメなら見たことあるよ。面白いよねぇアリス、主人公が不思議の国でクッキー食べたりティーパーティーしたり牡蠣の赤ちゃんいっぱい食べたりするお話だよね?」
「食事シーン以外気絶してた人の感想?」
太一郎君は呆れ気味にツッコミを入れつつ、マヤちゃんが吹き出して笑うのをちょっと驚いたように眺めていた。その横で高遠くんは大真面目な顔をして、キリッと補足する。
「牡蠣を食べたのはアリスじゃなくてセイウチだったような……たしか『セイウチと大工』のくだりは原作の『不思議の国のアリス』には登場しなくて、続編の『鏡の国のアリス』からのエピソードだったんじゃないかな」
「えっ、じゃあマヤちゃんには生牡蠣爆食いスキルは無いの?」
「どんなスキル??」
「ウイルス無効バフ?」
マヤちゃんはまたフフッと口元を押さえて、「アリアちゃんて本当に面白いのね。私、一緒に勇者になれて嬉しいな」と頬を染めて笑った。
かわいい……最初は人見知りと言っていた通りちょっと警戒心が強くて、話しかけても短い言葉しか返ってこなかったんだけど、めげずにいっぱい喋り続けてたら心を開いてくれた。これがツンデレってやつか、たまんねぇな……と何本目か分からない鹿肉を頬ばりながらおじさんぽく感心してしまう。
「でも悪くない選択だと思うよ、戦闘力としても。スキルの元がアリスで、さっきみたいに小人サイズまで小さくなれるってことは……」
「そう、巨人のように巨大化もできる。高遠君て本当に察しがいいのね、あなたのことはチームの頭脳として踏み潰さないように細心の注意を払うわ」
「ま~~じで気をつけた方がいいよ、俺3回ぐらい踏まれかけてるから」
わはは、と陽気に笑う太一郎君に、マヤちゃんは恥ずかしそうに口を引き結んでそっぽを向いた。
そういえばアリス、作中で何かを口にするたび小っちゃくなったり大っきくなったりしてたっけ。巨大化した時はそれこそ、家より遥かに大きくなって内側から破壊していたような?
「マヤちゃん、巨大怪獣になれるってこと? すごーい! つまり魔王のお腹の中に入って巨大化すれば爆発四散ハッピーエンド?」
「そんな爆弾みたいな……。でもものすごく悪目立ちするし周りも崩壊させるから、ピンチの時しか今の所使ってないわ。だから戦闘に関しては本当に苦戦中なの」
「あはは。その気持ち僕もよく分かるな、派手な本を選んだ弊害だよね」
言って、いろいろ思い出したのかスン……と落ち込む高遠くんだった。ちょっと懐かしいね、森林伐採の日々。
「そう言えばアリアちゃんは制服のままみたいだけど、現代物? 何の本を選んだの?」
「あ~。あたしはね、」
答えようとすると、高遠くんのたしなめるような視線を感じてハッとする。焚き火のせいで熱いほっぺがもっと赤くなってしまった。
「こら。ダメだよ雨宮さん、ネタバレ禁止の約束だろ。僕はまだ諦めてないからね」
「あたし達勝負してて……高遠くんがタイトルを当てられるまでナイショなんだ、ごめんね」
長旅に暇つぶしは必需品であること、そして愛読書が分かっちゃうと最初の町で起きた数々の暴力事件の犯人があたしであることも知られてしまってゴリラ系勇者の地位をいよいよ不動のものとしてしまうため、ダメ元でけしかけてみたところ……どうも無類の負けず嫌いだった高遠くんの闘志に火をつけることに見事成功、ノリノリで応じてもらえたのだった。恋愛的には絶対に負けられない戦いである、魔王戦以上に。
「でも剣士と弓使いなんて、近距離と遠距離で連携できる理想的なパーティでいいな。私のスキル、太一郎のスキルに比べて使い勝手が悪いから。だからいつもあまり役には……」
「つーかマヤちゃんは喋ってばっかないでさっさと食いなよ、元々食べんの遅いんだからさぁ。この肉すぐ硬くなるぞ」
「わ、分かってるわよ! ん………」
しゅんと落ち込みかけたマヤちゃんは太一郎君に急かされて慌てて鹿肉をかじったけれど、一口がとっても小さいのと多分そもそもお腹がいっぱいぽくて苦しそうにしていた。うーん……
「マヤちゃん、あたしもっと食べたいからもらってもいい? おかわりなくなっちゃった」
「え? うん、……ありがとう……」
もじもじしながら手渡された肉串を大口で胃におさめると、マヤちゃんは感心したようにあたしを見て目を輝かせた。それから、とても不思議そうに首を傾げる。ブラックホールを初めて観測した人も、こんな顔をしたのかもしれない。
「アリアちゃんて、たくさん食べても体型に響かない体質なのね? うらやましいな」
「ああ……お母さんが心配してちっちゃい時に一回大きい病院に連れてかれたんだけど、『この子は感情の起伏の大きさとオーバーリアクションと秒単位で切り替わる表情筋の稼働量を維持するために体内で膨大なエネルギーを消費し続けているので、これぐらい食べないと死にます』って言われて帰されたらしくて……」
「ああ~~」
「『わかる~』みたいなリアクションやめてくれないかな!?」
どっ、とフロアが沸いてあたしは地団駄を踏んだ。笑い事じゃないぞ、お母さんは帰り道であたしを抱っこしながら「食費……」ってちょっと泣いたんだぞ!
きゃっきゃと無邪気に笑ったマヤちゃんは、「ところで、高遠君とアリアちゃんは、学校ではどんな……」と言いかけた後、ふわあと大きなあくびをこぼしてうとうとと揺れた。ありゃ。
「あーあ、柄にもなくテンション上げるから……」
「お互い森を歩き続けて疲れてるしね。そろそろ明日に備えて眠ろうか、見張りは交替で回そう」
立ち上がってテントの準備を始めた男の子達に、マヤちゃんは眠たげな目をしたままムッと眉を吊り上げて言う。
「平気、まだ寝たくない……アリアちゃんともっとたくさんおしゃべりしたいもの」
「はわわ、きゅん……今夜は寝かさないぜマイハニー……」
「だから無理すんなって、昔から体力ないんだから。いいから寝るぞ、はい解散解散~」
「ん~……うるさいお前に何がわかるー……」
復讐者みたいなうわごとを呟くマヤちゃんは、慣れた様子の太一郎君に腕を引かれてゆらゆらと立ち上がると、きっちり歯みがきまでしてから頭のリボンを解き、寝袋にもぐり込んですぐ寝息を立てていた。
生活習慣がしっかりしている、さすが選ばれし勇者。