旅のはじまり
「──では該当の記述を削除し、俺が屋根から屋根へ走って飛び回り、一人で弓を射て数十メートル先の僅か数センチの石を的確に射抜き弱点を破壊、即座に地上に降りて剣の一振りでもって大型魔獣を一刀両断したことにしろと?」
「そうそう、そんな感じ」
「ふんふんなるほど……って阿呆、そんな報告書が王都に送れるかーー!!」
華麗なノリツッコミの後、ばーん、と右手で机を叩いてギュスタさんは力の限り叫んだ。おーよかったよかった、怪我もなくとっても元気みたいだ。
VSでっかい猪、から一夜明け。
あの日、お互いに治療やら事後処理やらで慌ただしくなってしまい、挨拶もそこそこにルードレイクさんを連れて去ってしまったギュスタさん。
彼に呼び出され、あたしと高遠くんは町役場に用意された騎士団の執務室に通されていた。
上等そうな家具やカーペットに囲まれた室内は部屋の主を投影してかちょっと真面目で堅苦しい。
やっぱりギュスタさん、相当お育ちの良い人っぽいな。ピザもナイフとフォークで食べようとしてあたしと喧嘩になったし。
だけどふかふかのソファに背中を預けて、紅茶までいただいてあたしは大いにくつろいでいた。
ちなみにお茶菓子はエリュシカお手製ベリーのタルト。隣には姿勢良く優雅にカップに口をつけている高遠くんという最高のロケーション! いやあ、頑張って死闘を繰り広げた甲斐がありましたなあ。眼福眼福。
「……このご時世だ、君たちの実力と功績が認められれば、騎士団への特別入団も認められるだろうに……」
「あー、うちの高校副業禁止なので」
「それに僕たちの能力や出自は、あなたも知っての通り誤解を招きやすい。また魔族の手先と疑われても面倒ですし、組織に縛られるのも望ましくない」
それに何より、騎士道とか全然向いてないしょう、と言って、高遠くんは爽やかに笑った。それもそうだなとギュスタさんは大人しく引き下がる。あたしをガン見しながら納得しないでもらえるかなあ!?
「それに良かったじゃないですか、今回の魔獣討伐を手柄に立てれば、王都に再配属される可能性も高まるでしょうし。あなたのことですから、死地と名高い最前線にも早く復帰したかったんでしょう?」
「……そんなやり方で栄誉を賜っても嬉しくなんてないよ。別に急いでもいない、骨がくっつくまで当分はここに留まるつもりだからな」
「手足以外の骨なんてものは飾りです、剣は振れますから私はいつでも出発出来ます。……大体、負傷した部下など置いて先に帰ればいいでしょう、文字通りお荷物なんですから」
凛とした声で告げるのは、執務椅子に腰掛けるギュスタさんの隣に完璧な姿勢で控えるルードレイクさん。
服の下は全身包帯ぐるぐる巻きで肋骨は数本折れていると聞いたけれど、全然そんな風に見えない。
ていうかまだ安静にしてて下さいとお医者さんに泣かれたそうだけど完全無視して職務復帰したらしい。さすがだ。
「? なんでそんなことしなくちゃいけないんだ、異動の辞令が出た時に『それなら優秀な部下も持って行かせろ』と駄々をこねたのは俺なのに? お前を置いてどこにも行くわけが無いだろう。大体上官として守ってやれなかったんだから俺の骨のようなものだ。労ってしっかり治してくれ」
「……………。や、やめてください、子どもが見てるでしょうが!」
さも当然のように甘い台詞を吐いたギュスタさんに、ルードさんは冷静な表情を崩して顔を赤くすると大いに取り乱していた。わお、これがクーデレ!肉眼ではじめて見た。
「とにかく、僕たちのことはまだ秘密ということでお願いします。いずれ王都には向かうつもりです。倒すべき敵は同じですから、その時は必然的に騎士団とも協力することになるでしょう」
「ああ、その時はまたぜひ共に剣を振るおう。……それとアマミヤアリア。君が報告してくれた『獣飼いのマリア』のことだが……魔獣はこの先も各地に生息している。いずれ再び遭うこともあるだろう、顔が割れておそらく恨みを買っている以上は、どうか十分に警戒してくれ」
言われて、びくりと肩が震える……今思い出してもちょっとぞっとしてしまう、魔族との邂逅。
心臓を握られて優しく撫でられているような心地だった……あんなのとこれからも何度も出会って、おまけに倒さなきゃいけないなんて気が滅入る。勇者のお仕事って大変なんだなあ……。
「では、次会う時は王都で、ですね。その時までにはもう少し強くなっておけるように頑張ります」
「おいおい、それ以上人間離れしてどうするつもりなんだ……。だが、ああ。俺も君に負けないよう鍛錬に励むよ。どうかそれまで無事で」
「ご武運をお祈りします。良い旅を」
「はい、ギュスターヴさんもルードレイクさんも、仲良くお元気で!」
ギュスタさんは耳を疑うようにあたしを見て、それから、厳格な雰囲気を楽しげに崩して大笑いした。
「可笑しな話だな。……あんなに嫌だった渾名でも、しばらく呼ばれないと思うと寂しいなんて」
* * *
「さて、次の目的地までは歩きか……数日かけて森を抜けて行くみたいだし、少し骨が折れるかもね」
「あ、うん、そうだね。野外で骨が折れたらまず副木でしっかりと関節まで固定して……」
「いやそういう物理的な意味じゃなくて……ていうか」
上の空で胸に手を当て、愛読書に刻まれた最高峰登山家たちのサバイバル技術が脳に流れ込んでくるのをぼんやり諳んじていると。
「なんでそんな遠いの?」
「え!? あ、いや、なんかいよいよ冒険のはじまりだと思ったら距離感バグっちゃって??」
「そっちの方向にバグる人あんまりいないよ」
エリュシカ達に見送られて町を出発し、どこまでも広がる平原を歩いていたあたしは、不満げに目を細める高遠くんに慌てて弁明した。
実に10メートル程距離を隔てて。
あたしはスキルで視力を上げられるからあんまり問題ないけど、高遠くんから見ればこっちはもはや風景の一部かもしれないね、確かに。
「それにさっきまであんなに楽しそうだったのに、急に目も合わなくなるし……」
「えー? なんてー?」
「だから会話も!ままならないから!!こんなに遠いと!!!」
平原っていいですね、大声で会話しても誰にも迷惑かけないし。
いやだって、今までなんだかんだ間にエリュシカとか騎士さんとかチンピラさん(瀕死)とか豚とかいたから!
こっちは片思いこじらせた体なんだからいきなり二人きりは健康に悪いよ!!
なんて悶えてたら、しびれを切らしたように長い脚でずかずかといとも簡単に距離を踏み倒されて、あたしの無駄な抵抗は終わった。わー!?
「ち、近いよ高遠くん、ていうかなんか怒ってる?」
「いや、だって……そんなに離れられたら、何かあった時に守れないだろ」
言って、少し困ったように笑う高遠くんの横顔に、あの冬のバス停の思い出が重なって目を見開く。
見上げた金色の髪が柔らかく風になびいて、キラキラと世界まで輝いて見えた。
ああ、こんなに美しい世界なら、全部を捧げて救う価値もあるよね。
あたしはふふっと肩を揺らして、空に力強く拳を突き上げて笑う。
「よーし、がんばるぞー! わっはっはっは」
「待って雨宮さん、歩くの速くない!?」
それはそう、なにせ人類の『競歩』スキルは時速15kmを越えるので!
胸には未だ未知数の愛読書、隣には大好きな人。目の前に広がる異世界に何が待ち構えているのかは分からないけど、足取りは不思議と軽かった。