エピローグ
「……でも、ほんとにいいの? あたしある日突然悪の心とかに目覚めて暴れまわるのかもよ?」
「はあ。たとえばどんな風に?」
「え!? そりゃあすっごく悪いことですよ……む、無銭飲食とか……アイスのコーンだけ残すとか……?」
突然質問されたのでとっさに頭をひねって例を挙げると、高遠くんは顔を背けて盛大に笑いながら「大丈夫じゃない?」と言った。
「もー、もっと真面目に考えてよー! ねえ魔王さんもそう思うでしょ??」
「あ、そんな自由に会話できる感じなんだ? なんか嫌だな、プライバシーとかどうなってんの」
ちょっとムッとした表情の高遠くんに詰問されてたじろいでいると、ふと心の声が助け舟を出してくれる。
「あ、そーですよね。名案です。ではバトンターッチ」
………………。
「雨宮さん? バトンタッチって」
「プライバシーの件だが、私は基本的にはこの子が危機感を覚えたり自ら呼びかけたりした時以外は眠っているから、君の思うような心配は杞憂だよ」
「うわ!? 雨宮さんが知的に喋った!?」
恋人としていささか失礼なのではないかと思える驚嘆の声と共に、少年は目を見開いてこちらを見つめた。しかしすぐに合点がいったのか、そっと肩に手を置いて身を離すと緊張を孕んだ声で呟く。
「……ま、魔王なのか」
「いかにも。説明はこの少女の得意分野ではないと判断し、しばし体の主導権を譲ってもらうことにした」
私は少し伸びをして慣れない体をほぐすと、とりあえず手近にあった机の上に腰掛けて足を組
「雨宮さんの体で勝手に足を組むなスカート履いてんだろうが!!」
「うわ何だいきなり怖っ」
光の速さで足を戻され数分説教された。仮にも神に対し豪胆な少年だな……。
「……と、とにかく。この世界で私が出来ることはほぼ無いに等しいし、唯一干渉可能なこの少女に対してもせいぜいが深層意識に語りかける程度。こうして体の自由を奪えるのもこれが最後になるだろう」
言いながら自嘲気味に含み笑いをしたら「雨宮さんはそんな笑い方しない」と怒られた。この少年で本当に良いのか……我が宿主ながら余計な心配をしてしまう。
「だから効力が切れて俺の記憶が戻ったのか?」
「いや、それは私とは関係がない。元々この少女に頼まれたのは君たち6人の『記憶』の破壊だったわけだけど……それすらも維持が危ういほど私はこっちでは非力だからね。実際に施したのは『記憶を想起する機能』の破壊だ」
「データは残したまま検索機能を破壊して、アクセス不能にしたってことか」
「この世界風に言えばそうなのかな。まあ実質的には思い出せなければ忘れたことと同義だ。でも、それにしたって私の力は本当にこの世界では脆いものなんだ……それこそ、この少女が『思い出して欲しい』と願えば、簡単に砕けてしまうほどにね」
くすりとからかうように笑って見せると、少年は私をーーーーいや、この少女の顔を見つめて、苦笑した。
「全く我慢強い子だよ。実に半年以上も本心にフタをして忘却を守り続けたんだから。それも君たちを……いや、主に君の心を守るための壮絶な努力だったのだけど。水の泡になってしまったがね」
ぽんぽん、と労うように、栗色の頭を叩く。
少年が自分の犠牲に心を痛めないようにという一心で、不幸なことに毎日顔を合わせる学友であるにも関わらず、他人を演じ続け、思い出して欲しくないと己を偽り続けた。愚かだが賞賛に値する献身だった。人の『好き』とは神である私を持ってしても把握しきれない未知数の感情だ。この少女においては特に。
そこでなけなしの力が尽きてくらっと目眩がして、即座に少年に肩を支えられる。笑ってしまうほどの反応速度だ、この子の『好き』も大概だな、全くお似合いな二人だ。
「さて、そろそろ時間切れかな……。こんな無茶をしたから私はしばらくこんこんと眠り続けることになるだろう。数日か、数年か、数十年かーーいずれにしろ、この子をとって食うようなマネは出来ないから安心してほしい」
「……そうして、雨宮さんの中にとどまることで異世界を維持出来ることはわかった……特に害がないことも。だけど雨宮さんも不死じゃない、その体にいられなくなった後はどうする? その時異世界も終わるのか?」
「さあ、その時は別の依り代でも探すかな……魔王をその身に宿すことを了承する馬鹿がこの少女以外にいるのかは疑問だが。しかし時間はたっぷりとある、あと100年もあるのだから、その間になんとかなるだろう」
くっくと笑って肩を震わせていると、少年はぽかんとした表情で首をかしげる。
「100年?」
「ああ。私の見立てではこの少女、あと100年は余裕で生きるぞ。実に健康でいいことだ」
「はあ!? 117歳以上って、ああでも、世界記録はそれぐらいだったか……?」
「ふふ。この少女もまさか夢にも思うまい。自分がさんざん世話になった愛読書に、遠い未来、自分の名前が記録されることになるなんてな!」
笑う私を見て少年は目を瞬く。
「……名前が記録される、世界記録……ああ!? 雨宮さんの愛読書って、もしかして!」
「なあんだ、今ごろ分かったのか? ずっと一緒に旅をしてきた割にそんなことも知らなかったのか……まあ、これからたくさんそういう驚きをいくつも重ねていくといい。100年は長い、せいぜい君も長生きをして、互いを知り合って支えあいながら、飽きるほど笑って生きなさい。──それじゃあ、後はよろしく」
私は目を閉じて、長い眠りの前に一言だけ別れを述べた。
「……えー、なんでさよなら? 魔王さんてば変なのー……。あ、高遠くん久しぶり! 謎はすべてとけた??」
「おかえり雨宮さん。まあ大体……あの、その、俺も長生きできるように頑張るから」
「はー……? うん、がんばって?」
眠りから覚めるように体の主導権を取り戻して、あたしはなぜだか真剣な表情の高遠くんに眉をひそめる。何の話をしたらそうなるんだろ……。
「あ、そういえば他のみんなは元気? お兄ちゃんはあいかわらずだけど」
「ああ、俺も連絡が取れてるのは真姫菜さんぐらいで……他のみんなはどこにいるのかも」
「そっかぁ、連絡先ぐらい交換しとけば良かったねえ」
まあでも異世界ならまだしも同じ世界の同じ国にいるのだから、がんばって探せばきっとまた巡り会えるだろう。その時はきっと近いと、あたしは胸を弾ませていた。
さて。
「…………」
「…………な、何?」
「いや、これからはいちゃいちゃし放題なんだなと思うと感慨深くて……」
「は!?」
「ほら、高遠くんにはついさっきだけど、あたしは8ヶ月ぐらい我慢してたわけだから、その分飢えてるというか……」
「何言ってんだこの子」
真っ赤な顔で後ずさりする高遠くんにじりじりにじり寄っていると、観念したように高遠くんはため息をついて、あたしの肩にそっと手を置いた。
「…………」
「…………」
そうしてしばし見つめあって数秒、
無音の教室にけたたましく鳴り響いた二つ分の着信音に弾かれたように体を離し、あたしたちは互いにスマホの画面を見た。
「あ、お兄ちゃんからだ」
「真姫菜さんか……」
あ、そっか、他のみんなの記憶もどうやら戻ったらしい。いちゃいちゃタイムの終了と地獄の尋問タイムの始まりにあたしは肩を落とした。
「めーーっちゃ怒られるんだろうな、勝手なことして黙ってたこと……」
「はは。いいよ、一緒に付き合うよ」
「もー、ひとごとだと思って!」
いたずらっぽく笑う高遠くんに憤慨しながら、あたしもふっと笑ってしまう。
きっとこれから何があっても、高遠くんと一緒なら全部へっちゃらだ。
せーので通話ボタンを押した瞬間爆発した怒声に、二人でけらけら笑いながら、あたしはそんなことを確信していた。




