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第8話 あまり長いことお花摘んでると、私たちが別のお花摘んでるかもって初芽ちゃんに誤解されるかもしれないしね

 〇


「……そのまま、何度か私のほうから声を掛けて謝ろうとしたんだけど、渉くんが私のこと、避けちゃって……」

 平井さんはそこまで話すと、ようやく一息ついてドーナツとコーヒーをゆっくりと口に運ぶ。


 ……色々と新しい情報が落ちてきて、僕はオーバーヒートしそうなんだけど、とにもかくにも、きっかけ自体は平井さんの言うように些細なことなのは間違いないだろう。今日の榎戸君の様子を見ただけでも、理解できる。


「一週間、ずーっとそんな感じ……か。ラインは? 返事ないの?」

「完璧にスルーされているわけじゃないけど、簡単なスタンプしか返ってこない感じで……」

 なるほど、それは拗れに拗れている。でも、榎戸君が素直に「ごめんなさい」を言えない性格だとは、平井さんの話を聞いては全く思わなかった。むしろ、幼馴染思いの強い好青年っていうか。ただ、この疑問は次の平井さんの一言であっさり氷解した。


「きっと、私が男の人苦手にしているのを理解しているからこそ、自分が私に対してあんなことをしたのが、許せないんじゃないかなって思うんだけど……」

「そっかそっか。大体事情はわかったよ。あ、ごめん、ちょっとお花摘みに行ってもいい?」


 笑菜はするとすっと席を立ち上がっては、おいしょおいしょと席を立ち、トイレに向かおうとする、けど。

「あ、つがゆうも? しょーがないなあ、一緒にお花畑に行こっかー」

 何も言っていないのに僕を強引にトイレに連れていくと、呆気に取られた平井さんを残して席を離れる。


「ちょちょ、別に僕はトイレ行きたかったわけじゃ……」

「んー、それで、どう思う? つがゆう」

 TOILETと書かれた看板が吊るされた真下、扉を開けることはせず、笑菜はくるりと壁に背中を預け僕に聞いてくる。


「……ど、どうって……」

「ちなみに。補足をするとしたら、わたしが描いた脚本はここまでなんだ。初芽ちゃんたちをどうやって助けるかまでは、上手く考えることができなかったんだ」

 コツ、コツ、とローファーで軽く床を蹴る笑菜。その表情はいつもののほほんとしたものではなく、ちょっとだけ唇を噛んだ、苦しさを伴ったものだった。


「……どうすれば、綺麗に収まると思う? つがゆう」

「……平井さんたちがただ単純にくっついてハッピーエンドに終わるんだったら、わざわざこんな回りくどいことしないよね?」

「さすがつがゆう。理解が早くて助かるよ」


「なら、平井さんが榎戸君に対して何を思って何を考えているのかをもっと聞かないといけないし、彼女が榎戸君とどうなりたいのかもきちんと理解しないといけない。同じことは榎戸君にも言える。……一日二日でどうにかなる問題じゃ」

 僕が自分の考えを笑菜に伝えると、硬かった彼女の表情は少し解れていて、安心したように自分の胸を撫で下ろしていた。


「……つがゆうらしいね」

「え? 何か言った?」

「ううん。よし、そうとわかれば、そろそろ席戻らないと。あまり長いことお花摘んでると、私たちが別のお花摘んでるかもって初芽ちゃんに誤解されるかもしれないしね」


 ……流れるようにエグめのネタぶち込むのやめてもらっていいですか? 僕心臓がドキって跳ねた感覚がしたよ今。別のお花って何お花って。

「ごめん初芽ちゃん、お待たせ……は、初芽ちゃん?」

 さて、笑菜の後に続いてテーブルに戻ると、平井さんが焦点の合わない瞳で窓の外をじっと見つめているのが目に入った。


「だ、大丈夫? 何かあった……?」

 心配した笑菜が、さっきまでの位置ではなく平井さんの隣に座って彼女の手を取るも、放心した様子なのは変わらないまま。笑菜が目の前で手を振っても、肩を叩いても。


 視線の先に何かあったのだろうかと僕が窓の外を見ると、

「……あ」

 そこには、楽しげな様子で歩く榎戸君と、平井さんや笑菜と同じ制服を着た僕の知らない女の子の姿があった。


「……笑菜、外」

「え? どうかしたの……って、……嘘」

 遅れて笑菜も状況を理解した。その頃には平井さんが、か細く折れそうな声で、


「……あはは、そ、そうだよね。渉くんだって、私みたいな地味で面倒くさい女より、年下で可愛くて明るい女の子のほうがいいよね。幼馴染だから、今まで良くしてくれてただけで、何勘違いしてたんだろ、馬鹿みたい、私」

 ポロポロと、瞳から大きな雨粒をひとつふたつと降らせていた。握りしめていた両の手は力なくスカートの生地を握りしめていたし、そのスカートも零れ落ちた涙が重なって、じわりと広がるように染みを作っていた。


「はわわわ、そっ、そんなことないよ初芽ちゃんっ、な、何かの間違いだって、ね? ね?」

 違和感しかなかった。笑菜のこのリアクションを見るに、これは笑菜の脚本外の出来事のはず。それに、榎戸君がそんな不誠実なことをするとは、あまり考えられなかった。ついさっき聞いた、平井さんの話も含め。


「……ごめんね、せっかく話聞いてくれたのに。でも、もう──」

「決めつけるのは早いと思うよ、平井さん」

 だから、自然と声が漏れていた。言っている自分で驚いたくらいだ。


「混乱しちゃうのはわかるよ。理由が何であれ、榎戸君がああしているのがショックなのもわかる。……でも、そうやって心のシャッターを下ろすのには、まだ早いかもしれない」

「……つ、都賀くん?」


「僕も協力するからさ。ちょっとだけ、時間くれない? 榎戸君は、平井さんに大声をあげたことを本気で悔いる誠実な人なんでしょ?」

「そ、それは……そうだけど」

「なら大丈夫だよ。幼稚園から付き合いのある平井さんが言うなら間違いない。平井さんが聞いても答えてくれないのなら、僕のほうで何とか探れるようにするから」


 不思議なくらい、スラスラと言葉が並んだ。平井さんも笑菜もびっくりしたみたいで、パチクリと目を丸く瞬かせている。


「……うん。わかった」

「よし。じゃあ、話もある程度まとまったことだし、そろそろお開きにしない? だいぶいい時間になってるし」

 差し込む陽の光はオレンジ色に染まりかかっていて、歩道を行き交う人の影も尻尾が伸びてきていた。


「そ、そうだね。あまり遅くなっても良くないし。帰ろっか、初芽ちゃん」

 僕の提案にふたりも乗ってくれて、この相談会はひとまず無事に終わることができた。


 そのまま歩いて家に帰る僕らと、電車に乗る平井さんは駅前で別れる。肩の高さでひらひらと慎ましげに手を振る平井さんの表情は、心なしか以前よりも少しだけ良くなったんじゃないか、って思う。


「……ありがとね、助かったよつがゆう。あのままだったら、初芽ちゃん完璧に折れていたかもしれない」

 駅の雑踏に溶けていく平井さんの後ろ姿を見送りつつ、笑菜はふと僕の肩に寄りかかりそう呟いた。


「……らしくなく弱気だね」

「だって、あんなタイミング悪く榎戸君が外歩くのにバッティングするなんて思わなかったんだよ。……おかげで寿命が十年くらい縮んだよ」

「はいはい。僕の寿命分けてあげるから」


 分けてあげられるなら、いくらでも分けてあげたいくらいだし。……なんて言葉が喉を越えようとしたけど、音にはならず、ただただ肩越しに笑菜の体温を感じていた。

 待っていた信号が青になり、僕らは一緒に住む自宅へと歩を進めていく。人で賑わう駅前を離れ、閑静な住宅街へとその景色が変わる。


「……野暮なこと確認するけど、榎戸君があの女の子と歩いていたのは、笑菜のシナリオ外の出来事なんだよね」

「うん。そうだよ。だってあのふたりは、ちゃんと両想いだから……」

 となると、今日の榎戸君の行動も、全ては平井さんのためのはず。無意味にあんな見る人が見たら誤解を招くようなことをするとは到底考えにくい。


「……あの女の子、笑菜は知ってる?」

「榎戸君といたショートヘアで八重歯の女の子?」

「……その説明を聞くだけで知ってるってわかるよ」

 僕はあの一瞬だけではそこまで外見の特徴掴めなかったし。


「あの子はね、酒々井小春ちゃん。一年生でサッカー部のマネージャー」

「クラスは? わかる?」

「えらく情報欲しがるねえ。あれ、もしかしてああいういかにもな可愛い系の女の子好きだった? つがゆう」


 僕が件の一年生の子のことを聞きたがったのを笑菜は曲解したのか、今まで真面目な顔つきだったのが途端にニンマリとしたものに変わっていった。


「そういうんじゃなくて。……外堀から埋めたほうがいいかなって思っただけだよ」

「もー、それならそうと言ってくれてもよかったんだけどなあ。あ、クラスは七組だよ」

 駄目だ、人の話聞いちゃいねえ。さっきから僕の脇を肘でちょいちょいと押してくるし。


「そりゃどうも。じゃあ明日あたりすぐ話聞いてみるよ」

 呆れ気味に僕が返し、かと思えば、

「……ありがとね、助かるよ。つがゆう」


 一瞬にしてしおらしい表情でしみじみとお礼を口にするものだから、本当にペースが乱されるというか。まあ、生きていたときから笑菜に振り回されたのは変わらないから、慣れっこと言えばそうなんだけど。


 沈みかけの夕陽の下で坂道を並んで歩いた僕と笑菜の影は、気がつけば一点で交わっていて、

「……笑菜、手」

「いいじゃんこれくらいー」

 悪びれもなく言い放つ腐れ縁の異性に、僕は胸の内でため息を漏らすことしかできなかった。


 家に帰り、晩ご飯を食べてからお風呂を済ませると、先にお風呂に入ったパジャマ姿の笑菜が机に向かって何やらペンを走らせていた。

「……何してるの?」

 右手にアイス、部屋の入口に立ち止まった僕は彼女に尋ねる。


「え? あー、今日の出来事をとりあえずまとめてるんだー」

「……作業早いね」

 右耳に多色ボールペンを挟んだまま、ルーズリーフに書き込みを続ける笑菜。


 これまで幾度となく見てきたいつもの光景だった。笑菜が漫画の企画を立て、プロットを練るときは、大抵こんな感じ。


「んー、まあつがゆうに漫画の続き手伝ってって言ってるのに自分が何もしないのはちょっとねー」

 手元のマグカップのホットミルクを口に含むと、笑菜はふと何か思い出したようにくるりと折り曲げていた膝の向きを僕に変える。


「あ、そういえばさ、お礼何がいい? ちゃんと話してなかったけどさ」

「……お、お礼?」

「そうそう。原稿料ってやつだよ、原稿料。だってわたしの漫画に協力してくれるんだから、それなりの対価は必要だよねー」

「……べ、別に対価が欲しくて引き受けたわけじゃ」


 そもそも、高校と大学の途中までは、それぞれ無報酬で担当の作業をしていたわけだし。

「えー? つがゆうが望むなら、なんだってあげたのになー。あ、五千兆円は無理だよ?」

 ちょっとネタが古いんだよなあ……それにそんな大金あったところで使う時間もないし。


「それともお金じゃなくてえっちなことがよかった?」

 すると突然の爆弾発言に、僕は齧っていたアイスを思わず吹きかける。


「っ、けほっ、けほっ。なっ、何を急にっ」

「何ってねえ? 若い男女が同じ屋根の下で夜を何回も明かすなら、そりゃそうなるかなって」

「ば、馬鹿も休み休み言ってもらっていいかな? んなことできるわけっ」


 僕が顔を真っ赤にしながら否定すると、ふにゃりと湯上りで火照った頬を緩ませた笑菜はわざとらしく後ろ手に床をついて体を反らすものだから、


「別に馬鹿を言っているつもりはないんだけどなー」

「あ、あんまりからかうと僕も怒るからね」

 せめてものの強がりを、視線を逸らしながら吐き捨てるほかなかった。


「んー、じゃあもうこれでいいやっ」

 すると、その一瞬のタイミングで笑菜は僕のもとににじり寄っては、右手にぶら下げていたアイスをパクりと一口齧ってしまう。


「シャリシャリしてて美味しー」

「……え? え?」

「ひとまずのご褒美ってことで、ね?」


 少しだけ形が変わったアイスをまじまじと見つめる僕。……いや、ご褒美ってさあ……。

 ……朝から晩まで振り回していることのお詫びのほうが、どっちかって言うと僕は欲しいかなあ……。はぁ……。



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