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第27話 誰よりも友達想いの市川笑菜が描いたキャラクターだから

 **


 ……だから。だから、僕に笑菜の気持ちを受け入れる資格なんて、ないんだ。

 わかっている。自分でも理解している。

 ここまでくれば、もはや意固地に近いものになっていることも。


 それでも、大切な人をとことんまで傷つけ、挙句病気で倒れるところまで追い込んだ罪の意識が、どうしても僕は拭えなかった。

 一体どうして、こんなクソ野郎がその子に恋なんてすることができるのだろうか。

 いや、ない。

 ましてや、自分が一番大切にしていたものにもう一度触れることなど、許されるのだろうか。

 好きだからこそ、遠ざけた。大切にしたかったから、距離を取りたかった。


「……無理しなくていいよ。つがゆう」

 客観的に見て、僕が責められて然るべき場面だった。

 そうだろう? 女の子に鍵を渡され、僕は名前を書けなかった。結局、手すりに「愛の鍵」を取りつけることもできず、僕と笑菜に「絶対」は生まれなかった。


 どこをどう見たって、百パーセント悪いのは僕だ。

 なのに、あの夏の日、僕が笑菜を傷つけた日、そしてあの病室の日と同じように、笑菜は僕を責めなかった。


「……つがゆうの、そういうところも、わたしは好きだったと思うから」

 それから、泣き崩れた僕がなんとか涙を枯らしたのは一時間後。その頃になると、帰りの飛行機の時間が近づいてしまい、観光どころではなくなってしまったし、用意したクリスマスプレゼントも、渡すことはできなかった。

 最後の最後まで、僕は、クソ野郎だった。


 平井さんたちから受け取ったキラーパスをふいにしてからというものの、僕は半分抜け殻みたいな日々を過ごしていた。大晦日も、正月も、バレンタインも、何をしたかよく覚えていない。笑菜との同居も続いているはずだけど、申し訳なさと僕の不甲斐なさが混ざり合って、上手く接する自信がなかった。


 俗に言う、切り替えってやつができたら、もしかしたらまだ笑菜を幸せにするチャンスは残っていたのかもしれない。でも、千載一遇、PKどころか無人のゴールにシュートを流し込むだけの局面からゴールできなかった僕に、もう一度パスを要求することも、自らドリブルで攻めあがる気力も、残ってはいなかった。


 取り返しのつかないことをしてしまった。僕のせいで、笑菜を現実に帰すことができなくなってしまったかもしれない。

 もし、そうなったら、僕は、どうやって責任を取ればいいのだろうか。


 たったひとつ、自分の気持ちに嘘をつけばいいだけだったのに。それが、できなかった。

 そんなさなか、二月も下旬になる時期に、一通のラインが僕のスマホに届いた。


「……平井さん?」

 メッセージを見ると、受験が終わって余裕ができたのでどこかで時間を作ってもらえないだろうか、という旨のものだった。


 ……もしかしなくても、この間の札幌旅行の件についてだよな。

 正直、平井さんと会うのも気が引けたのだけど、旅行をプレゼントしてくれた手前もあって、僕は断ることができず、約束を取りつけてしまった。


 二月下旬のある日の午後、指定された写真部の部室。僕が訪れると、平井さんだけでなく、そこには小岩君と酒々井さんの姿もあった。


「……みんなでお出迎えとは、豪華だね」

「受験終わったので。……それで、市川さんと行ってきたんですよね? 札幌。どうだったんですか?」

 平井さんはそう話しながら、余っていた椅子を僕に差し出す。三人の視線が一点に集中する位置に置かれた椅子に、僕は腰を落とした。


「……楽しかったよ。楽しかった。高校最後に、いい思い出ができたよ。ありがとう」

「そうじゃ、……なくて。市川さんとっ、何かなかったんですか?」

 当たり障りのない僕の答えに、平井さんは満足しなかったみたいで、ゆっくりと、取り調べは始まった。


「受験が終わって、この間市川さんと話す機会があったから、一緒に札幌旅行のことも聞いた。写真とかも送って見せてもらった。ふたりとも、凄く楽しそうだった。……それで、本当に何もなかったんですか?」


 平井さんの静かな問いに、僕の肩が震える。


「……旅行の日程、クリスマスに指定したの、市川さんのほうって聞きました。そんなの、もう答えを言っているようなものじゃないですかっ。それなのに、本当の本当に、何もなかったんですか?」

 ああ、やっぱりこうなるのか。いや、笑菜に責められなかった分、今こうして平井さん達に責められることで帳尻は合うのかもしれない。

 なら、僕はそれを甘んじて受け入れるべきかもしれない。


「……何も。なかったよ」

 嘘は、つけるわけがなかった。嘘がつけるなら、僕は名前を書いていた。


「っっっ……。つ、都賀くんにとって、市川さんって何ですか」

「……腐れ縁だよ。切っても切れない、腐れ縁だ」

 もう、僕に笑菜を幸せにして現実に帰す手段は思いつかない。最後のチャンスを、逃したんだ。

 これは、最後の審判だ。生きる価値のない、クソ野郎を糾弾する。


 もう、言い張るしかないんだ。嘘偽りなく、僕の気持ちを。あの日つけなかった嘘を、今日話す本当にしてはいけない。

 友達が違うのなら、腐れ縁だ。僕らの関係にラベルを張り付けるなら、それしかないんだ。二度と剥がれないくらい、一ミリの隙間も許さないくらい、きっちり。


「都賀くん。本気で言ってる? それ。わかってるんだよね、市川さんの気持ち。それじゃ駄目なの?」

「……駄目だよ。絶対に、駄目だ」

 すると、ここまで無言を貫いていた酒々井さんがとうとう口を挟む。


「……都賀先輩、市川先輩のこと、嫌いなんですか? 私にはとてもそんなふうには見えないんですけど……」

 嫌いなわけがない。嫌いであんな自由気ままな女の子と長く関わっていられるわけがない。


「……嫌いなはず、ないよ。一緒にいて、楽しいからつるんでる」

「それじゃあ、どうして」

 しかし僕は酒々井さんの言葉を遮り、何度目になるかわからない言い訳を重ねる。


「……だからって全ての異性の友達に、恋愛感情を持つかって言われたら、そうじゃないでしょ? 三人だって、そうでしょ?」

 まさに彼氏彼女がいる三人にとっては、この切り返しは急所だったようで、しばらくの間言葉に詰まってしまっていた。


「……僕にとって笑菜は、そういう立ち位置だよ」

 時計の秒針が何周したころだろうか。おもむろに口を開いたのは、このなかでは一番大人しいと言える小岩君だった。


「……ほんとに? ほんとに心の底からそう思っているの? 都賀君」

「そうだよ」

「……都賀君が僕に言ったあのときの言葉。『はっきりしていないんだよ』って言葉。あれってもしかしなくてもさ、僕だけじゃなくて、都賀君自身にも言っていたんじゃないの?」


 彼の言葉を聞いたとき、僕は確かに心臓が跳ねるのを実感した。

 ……ほんっとさ……。勘が良すぎるにもほどがないかなあ小岩君。


「好きならそう認めればいい。嫌いなら拒絶すればいい。なのに、どっちでもない。友達なら友達でもいいけど、都賀君と市川さんの関係は、ちょっととてもじゃないけど友達なんて安い単語で形容はできない。都賀君自身だって、それを理解しているから、『はっきりしていない』んじゃ」

「……もし仮に、僕が小岩君の言うように『はっきりしていない』状態で、笑菜への気持ちを拗らせているとしたら何? 僕に好きだって告白しろって言うつもり?」

「都賀君が僕らにさせたことって、つまりはそういうことだよね?」


 小岩君が平井さんと酒々井さんに同意を求めると、うんうんと揃って首を縦に振る。

「……僕は、みんなとは違うんだよ。みんなと違って、勇気も度胸もない」

「そっ、そんなことないです都賀先輩」


 僕が両手を横に広げて自嘲しようとしたけど、すぐに酒々井さんに遮られる。

「だって、私のときなんて、リスク高いことしか計画しなかったじゃないですかっ。一度こっぴどくメンタル底辺まで落としましたし、全校生徒の前で告白させますしっ。そんなこと、考える側だって辛いに決まってるじゃないですかっ。それに、都賀先輩は計画を実行するために裏で色々走り回ってましたし、そんなことしているのに、勇気も度胸もないって」


「他人事だからっ。……他人事だから、できたんだよ。僕に、酒々井さんと同じことやれ、小岩君と同じことやれって言われたって、できる自信なんてない。もちろん、平井さんと榎戸君だって、そうだ。……外野だから、立ち回れたんだ」


 いや、立ち回りすら上手くいかないときもあったから、僕にできたことなんて。

「言い訳なの? それが都賀くんなりの、市川さんの気持ちに気づかないふりをする言い訳?」

「……みんながそう思うなら、言い訳なんじゃないかな」


 僕はもう、俯いてそう答えるしかない。

「……それが本当に言い訳なら、市川さん馬鹿にしてない? 都賀くん」

「だとしたらどうって言うんだよ。……三人には、平井さんには、関係」

「あるよっ。関係なくなんてないっ」

 薄く銀がかった髪を揺らしながら、平井さんが半分涙混じりに叫ぶ。


「……私も、渉くんも、酒々井さんも小岩くんも、みんなみんな都賀くんと市川さんに助けられて今があるんだよ。それなのに、関係ないなんて言えるわけないよっ」


 彼女の叫びにつられて、ゆっくりと顔を上げてみると、正面には頷く三人の姿が。小岩君に至っては、榎戸君とのトーク画面も掲げて見せては、今も遠い場所で叶えた夢の先で奮闘している彼の「俺も、都賀と市川に助けられたから、できることはやってやりたい」という一言も添えている。


 ……ああ、そうか。平井さんたちがここまでしつこい理由がわかったよ。

 僕が一番わかっていたことじゃないか。だって、彼ら彼女らは。

 僕みたいなクズでさえも救おうとした、誰よりも友達想いの市川笑菜が描いたキャラクターだからじゃないか。


 いや、キャラクターって言いかたはもはや適切じゃないかもしれない。

 もう、彼らは笑菜の意思を超えた行動をしているのだから。

 僕に手を差し伸べるなんてシナリオ、存在するはずがない。僕は、この漫画の登場人物ではないから。


 つまり彼らは、笑菜が産みだした人なんだ。

 だとするなら、僕がもうはぐらかし続けることができる相手じゃないのは明らかだ。

 南京錠が、カタンと揺らされた気がした。


 だからこそ、やるせなかった。胸のうちに、ゆらゆらと針に刺されるような痛みが優しく広がる。あのとき、笑菜に詰られず、優しくされてしまったように。

 違う。僕は優しくされるべき人間じゃない。違う。違う違う。僕は、僕は……、


「……違うんだよ、そうじゃないんだよ」

 自然と、掠れた声が漏れていた。

「違うって、何が」


「……そうじゃないんだ。僕は……こんなに誰かに優しくされるべき人間じゃないんだよ」

「だから何が言いたいの? 都賀くん」

「だからっ……笑菜に酷いことを言ってっ、笑菜を極限まで傷つけてっ、笑菜の夢まで壊しかけた僕がっ! ……僕が……笑菜をどうこうするとか、誰かに優しくされるとか、そんな都合のいい話があっていいわけが……ないんだよ」

 刹那、写真部の部室に静寂が転がる。僕の独白を、誰も邪魔しない。


「……いいんだよ、僕の気持ちなんて。そんなもの、ずっと前に引き出しの奥に鍵をかけてしまったんだから。そうすることで、僕は、笑菜の『腐れ縁』をやり続けたんだから」

 僕がそこまで言うと、神妙な面持ちは変えないまま、平井さんがゆっくりと尋ねる。


「……市川さんが、都賀くんと結ばれているのを望んでいたとしても? 都賀くんのその考えは変わらないの?」

「変わらないよ。……笑菜どうこうって話じゃないんだよ。僕の問題なんだよ。自分で自分が許せないんだよ」


 だから、あの日僕は嘘をつけなかった。まだ、笑菜への贖罪は終わっていないのに、自分を許してしまうことになるのではないか、そう思った僕がいたから。

 僕の答えに平井さんが何を返そうとしたのも束の間、今度割って入ったのは、これまであまり会話に入ってこなかった酒々井さんだった。


「都賀先輩、馬鹿なんですか? なんで私に教えてくれたことが、わかんないんですか」

「……なんでだろうね」

「都賀先輩、私に言ったじゃないですか。過ぎたことは仕方ないって。大事なのは、これからのことだって。過去に囚われているのは、都賀先輩もじゃないですか」


 酒々井さんの勢いに押し黙る僕。これ好機と、唯一の一年生は僕に畳みかける。

「都賀先輩と市川先輩に昔何があったかは知りません。ほんとに言いたくないことみたいですし、無理に聞き出したりはしませんけど、それにしたってです。都賀先輩を許すかどうか決めるのは、自分だけじゃないんですよ。それだって、都賀先輩が私に伝えたことじゃないですか」


 ……嘘の告白という障壁を乗り越えた酒々井さんだからこそ、この一言は深く刺さる。駄目だ、この説得力は、とてもじゃないけど何も言い返せない。

「市川先輩とちゃんと話もしないで、いつまでも自分で自分を責め続けて殻に籠ってたら、何も解決しませんよ。……都賀先輩なら、わからないわけないじゃないですか」


「でも」

「でもじゃないです。……きっと市川先輩は、許してあげたいんです、都賀先輩のことを。だからせめて、話だけでも、してください」

「……僕もそう思うよ。自分を自分で許すのは、難しいかもしれないけどさ。誰かと一緒なら、できるよ。きっと」

「私も同じ。意見は変わらない」


 ……ああ、もしかしてだけど。笑菜が本当にやりたかったことって、これだったのではないかって、うっすら思ったんだ。


 僕の性格を見越して、こうやって、自分の描いたキャラに、僕の心を絆させる。

 死の際にいる僕を、救うために。

「……ほんと、敵わないよ……」

 どこまでいっても、市川笑菜は、ブレなかった。



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