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第1話 あーあ、責任取ってくれるなら取ってくれてもいいんだよー?

 その日の東京は、吐き出す息が白く染まりあがるほど、冷えた一日だった。

 平日正午過ぎの新宿駅は、朝の通勤ラッシュを終えて、ほんの少しだけ行き交う人の数が減っていた。そんななか、僕は東改札で巻きつけたマフラーに顔半分を埋めて、スマホ片手にある人物のことを待っていた。


 頭上からガタンゴトンと電車が走り去っていく音が聞こえてくると同時に、ピークから減ったとは言えそれなりの人数の人たちが目の前の改札を次々に通過していく。

 その人混みのなかに、毛糸の帽子にクリーム色のダッフルコートを着込んだ見慣れた顔がやって来るのを見つけた。


「お待たせー、つがゆうー」

 その緩やかな声を聞いて、僕は手にしていたスマホをズボンのポケットにしまい、少しだけ表情を崩す。

「全然。電車、大丈夫だった?」

「うん。途中までお母さん付き添ってくれたし。久し振りに電車乗ったけど新宿駅綺麗になっててビックリしたよー」


 今やって来たのは市川笑菜(いちかわえみな)。僕──都賀優作(つがゆうさく)──と同い年の二三歳で、高校のときの同級生にして同じ部活の友達。


「東口と西口で迷子になることは、もうなさそうだね」

「あはは、その言いかた、それ以外の出口では迷子のなりそうって言いかただねつがゆう」

「高校生のとき、南口と新南改札を間違えて三十分くらい迷子になったのはどの口かな」

「いだいいだいいだいほっぺたちねらないでいだいから」


 マシュマロみたいに柔らかい笑菜の頬を伸ばして遊んでいると、次第に周囲からの視線に耐えきれなくなって、こほんと咳払いをして笑菜から少し離れる。


「でも、急に外出許可が下りるなんてびっくりしたよ。また先生に無理言ったんじゃないよね?」

「全然全然。そんなことしてないよー。ただ、クリスマスくらい、友達と遊びたいなーって毎日先生に言い続けただけだって」


「……それも、なかなかに無理を言ったの範疇に入ると思うんだけど」

「べつに、小説や漫画みたいに、病室から私を抜けださせてもよかったんだよ? むしろ、そっちのほうが私はワクワクしたかなー」


「それは僕のほうが胃がもたないし、笑菜に万が一があったら親御さんに一生顔向けできないから勘弁して」

「えへへ、まるで責任取ってくれるみたいな言い回しだね、それ」

 おどけるようにして僕の顔を覗き込んだ彼女は、その名前に相応しい柔らかい笑みを浮かべる。


「あーあ、責任取ってくれるなら取ってくれてもいいんだよー? ほらほら、結婚適齢期の未婚の雌が誘っているよー?」

 そう言いながら、歌舞伎町に向かう出口にチラチラと目くばせしない。っていうかまだ昼だし、なんだったら僕らはそういう関係でもないし。あと、雌言うなし、生々しいでしょうが。


「……そもそも、無理は禁物って先生に言われているでしょ? 仮にそうでなくても泊まるのはホテルではなくて病室のベッドだろうし」

「もう薬の匂いがする病室で寝るの飽きたよー。一日くらいいいじゃんー、けちんぼ」

「けちんぼ言われても駄目なものは駄目だから。っていうか以下顔向けできないのくだりに繰り返しになるんだけど」


「一生その流れで会話し続けようか?」

「……それで笑菜がずっと満足してくれるなら別に」

「……あはは。なかなかに嬉しいこと言ってくれるね、つがゆうはー」


 と言う割には、そんなに嬉しそうではない、のには理由がある。

 まず前提として、市川笑菜は入院をしている。現在進行形で。循環器か何かがあまりよくないって笑菜から聞かされた。そもそも、知り合った高校生のときから、体が丈夫ではないのは知っていた。それが、大学生になって、色々あって悪化したみたいで、今は一日の大半をベッドの上で過ごしている、という状態だ。


 その色々も、僕は知っている。

 そんな複雑な事情を、か細い小さな体ひとつに抱え込んで、今日も彼女は僕に笑顔を浮かべている。


「じゃ、そろそろ映画の時間だし、行こっかつがゆう」

「あっ、ちょ、あんましはしゃぎすぎると体力もたないよ」

「大丈夫大丈夫、へーきへーき」


 今は楽しそうに、楽しそうにしているけど、僕はわかっている。

 道端にそっと小さく咲くような笑みも、長くは続かないことを。僕は知っている。


「映画館で映画見るのなんて何年振りだろうなあ。スマホのちっちゃい画面でしか最近見られてなかったから、楽しみなんだよねー」

「また、外出許可下りたら見に行こうよ。僕は、いつでも大丈夫だからさ」

「お? さすがニート一年目のつがゆうは言うことが違うねえ」


「ニート言うなし、まだ大学五年生だから」

「今年で卒業できそうなの?」

「……できるよ。できる」


「そっか。それはよかった。でも、内定は無いんだよね?」

「……ほんと、ズサズサ心臓にナイフ刺してくるな、笑菜は」

 実際、本当に内定はないんだけどね。晴れて来年からフリーター確定です。……まあ、やりたいことも見つからなかったし、もう、なんでもいいかなって。


「えー? だって、普通に生きていられるだけで羨ましいからさー。それに、私のほうがニートみたいなものだし」

「笑菜は……違うだろ。それに、ちゃんと仕事だってしていただろ?」

「……入院する前まで、はね? 今はもう無職も無職だよ。それに、もう」


 新宿駅の東口、地下から地上に出て映画館に向かう道すがら、通り過ぎる書店の平台に積まれた本の数々をどこか寂しそうな瞳で一瞥した彼女は、


「……私の名前を覚えている人なんて、いないよ」

「そんなこと」

「そういうものだよ。私の代わりの作家さんは、いくらでも世に出ている。その流れに置いて行かれたら、最後なんだ」

 どこか自分に言い聞かせるみたいな口振りで、そう呟いた。


「体が駄目になる前に、漫画を描けたのは楽しかったけどね? ほんと、いい思いさせてもらったよ、最後」

「最後って。退院したらまた描くって言っていたじゃないか」


 市川笑菜は、大学在学の時期に、とある雑誌で読み切りの漫画を掲載したことがあり、そこから一本の連載を持つに至った経験がある、れっきとしたプロの漫画家だ。連載デビュー作もそれなりに人気を博して、単行本も何回か重版したほどだった。

 今は、体調不良ということで、休載しているけど。


「……あはは、そんなことも言っていたね、私。じゃあ、もうちょっと頑張らないとなー」

 彼女のその一言は、やけに空っぽで、とりあえず言葉にしているだけ、そんな印象が拭えなかった。

 まるで、もうこれ以上生きるのを、諦めているような、そんな印象が。


「さ、映画の前なのに、なんか湿っぽい話しちゃったね。ささ、早く映画館行かないと、ほらっ、つがゆう」

「う、うん。そ、そうだね……」


 僕らが見たのは、ライト文芸が原作の淡い青春ものの映画だった。終始、開けたてのサイダーみたいな爽やかさが維持されていて、見ているこっちが眩しくなってしまうくらいの内容だった。


「いやー、青春してたねー、もう私たちには無理だよ、あんな青い台詞吐くの」

「……笑菜は結構漫画の登場人物にそういう台詞言わせてた気がするけど」

「あれは考えている私も机の上で悶えているからね?」

「……ま、気持ちはなんとなくわかるよ」


 映画が終わり、近くのファミレスでドリンクバーを注文し映画の感想を言い合うなか、そんな会話が生み出される。ひと通りの話を終えると、


「つがゆう、私本屋さん行きたいっ」

「……まだ僕一杯しか飲んでないんだけど」

 唐突に笑菜はそんなことを言い出す。


「私がつがゆうの分まで元取ってあげたから大丈夫だよ。ほらっ、いこいこっ」

 確かに笑菜、オレンジジュースとウーロン茶のローテーションで何倍か飲んでたけどさ、そういう問題じゃなくない? 違うよね? それ単純に僕が損しているだけだよね?


「って、っていうか笑菜はしゃぎすぎだって、もう少し落ち着いてって」

「だって外で遊べるのは今しかないんだよ? 今はしゃがないでいつはしゃぐのさ?」


 ある種刹那主義にも取れるその発言を、僕は窘めることができなかった。

 だって、僕も笑菜も、このままでは、現状のままでは、笑菜が次のクリスマスを迎える確率は、とても低いことを理解していたから。



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