キリスト教は創作です。その理由、根拠、意義について
ここではキリスト教文化圏でやったら殺されそうなことを書いてみようと思います。
先ずイエスキリストの誕生に関しての話です。我々が知っているイエスキリストは紀元前0年12月25日に生まれたわけではないこと自体は結構知られている知識だと思いますが、じゃあ実際にどれくらい前に生まれたかというと、BCE(Before Common Era)4年から2年の間と推定されています。これはヘロデ王の死後に生まれたという記述を元での推測です。
しかし当時イスラエル地方を支配していたローマ帝国の歴史記録でイエスキリストの誕生やその生涯に対する言及は存在しません。ユダヤ人の記述でさえ登場しておりません。新約聖書に登場し、関連するすべての人物に対しての記述が、ユダヤ人の歴史書ですら登場されてない状況。
なので実際にいるかどうかも定かではない人物と思えなくもないというわけですが、だとしたら一つ疑問が残ります。誰が、なぜそんなことをしようと思ったのか。
イエスキリストの生涯に関する唯一の叙述である聖書では、イエスキリストが人々を助けてきた事実が広く知らされています。
キリストの教理では原罪という言葉を使いますが、これは神と人間の分裂を指します。神が作り出した世界で永遠の幸せを享受していた人間は神と離れることを選ぶ。これが原罪の始まりです。
イエスキリストはその原罪から人々を救うために神が人間の姿を取り、人に殺されることによって自分の使命を達成し昇天したとされています。これが新約聖書でのイエスキリストに関する話です。彼は生涯にわたって人々を助け、自らの犠牲を用いて人類を救ったことになっています。
そんな人物に関しての考古学的発掘は限られた遺物を調査することによって進展しています。
例えば聖骸布と呼ばれる、イエスキリストが死亡した際に彼を包んだとされているリネンの布があります。2015年イタリアの研究チームによってこの布に付着している遺伝子分析が行われました。その結果ですが、多くの人物がそれを手に取ったことだけ、はっきりすることが出来ました。
原文はこちら。
https://www.nature.com/articles/srep14484
イエス本人と思われる人物のDNAは発見されておりません。簡単なことですが、イエスキリストは母親から処女受胎されていることになっております。だとしたら、片方の親、母親だけのDNAを持っていることになりますが、そんなDNAが発見されていたらもう大々的に発表されてもおかしくありません。
もちろん、そんな人物のDNAは発見されておりません。
つまるところ、イエスキリストは虚構である可能性が高いということです。聖書では大々的に宣伝しておりますが、そんな重大な人物に対しての叙述が単純に聖書以外に存在しないことは、懐疑的にならない方がおかしいことでしょう。
ここで抱くべき疑問は、そんな人物をなぜ創作しようとしたかという動機です。
ローマ帝国は我々が考えているよりはるかに浅い歴史を持っています。何に比べてなのかというと、他の地中海全域の文明に比べてです。
比較的に最近、トルコで発掘されて遺跡にギョベクリ・テペというのがあります。BCE9500~8000にわたって成立していた文明で、この文明が一体どのような形をしていて、どのような社会構造をしていたのかに関しての研究はまだ完全に初期段階であり、確定したことは一つもないと言っても過言ではありません。ただ一つを除いて。
この文明が成立していた時期です。
今から一万年前に存在していた文明は、それなりに周りにも波及していたはずです。その結果メソポタミア文明が成立していた可能背もあります。
そして地中海南側には古代エジプト文明が存在していました。どちらもローマ帝国より数千年は前に成立しており、神話体系、法律、経済、数学、工学の発展を伝統と共に古代世界を繋げていました。
それに比べ、ローマ帝国は比較的に歴史も浅く、帝国としての正当性が存在しない状況。それをどうにかした確立しようとしたらどうすればいいのか。
ここでイスラエルの話になります。イスラエル文明は古代世界において重要な役割を果たしていました。
イスラエル文明はBCE1250前後に成立し、BCE586年、バビロニア帝国に併合されます。
その前まではエジプト文明とメソポタミア文明の間で両文明から同時に影響を受けておりました。この影響は旧約聖書にも表れます。イスラエルの神話体系はメソポタミア文明のそれを参考にしており、イスラエルの起源はエジプト文明とも密接な繋がりを示唆しています。
ここで軽く旧約聖書での記述をおさらいすると。
天地を創造した神はエデンの園で最初の人間が暮らすようにしました。このエデンのモデルとなったのはメソポタミア文明の南側、肥沃な平野地帯となっています。これに関する記述はウィキペディアからも見つかります。
そしてエデンから追放された、という記述はメソポタミアでの派遣を争っていた部族の中の一つが、さらにその南側に追放されたというメタファーとしても解釈できます。そして、世界地図を見るとわかりますが、調度この南側には砂漠と草原、そして砂漠以外に農業と牧畜が可能な肥沃な土地がもう一つあります。
その場所が現在の、イスラエル・パレスティナです。
そして古代のイスラエルが生まれた場所でもあります。
旧約聖書をメタファーとして読み解くなら、彼らはメソポタミアから追放された後、イスラエル地方の原住民を虐殺してそこに入り、一度エジプト文明を積極的に取り入れたという解釈が出来ます。なぜこうなるのかというと、ユダヤ人は古代エジプトに捕獲され、奴隷にされた後、自らを開放したことになるからです。
聖書ではモーセが軌跡を起こしたユダヤ人を率いてエジプトを出たとされていますが、こんな重大な事件に関するエジプト側での歴史的な記述は発見されておりません。
単純に精神的にエジプト文明に対して依存していた時期からそうでない時期に移行したと見るべきでしょう。そうでない限り、エジプト文明からそんなに多くの人間が脱出した記述以外にも考古学的痕跡が一切発見されていないことを説明できないからです。時に古代の神話はメタファーとして自らの歴史を書き残したりしますので、これも例外ではないという話です。
余談ですがモーセはシナイ山という山で神から十戒を受けたこととなっていますが、このシナイ山のモデルとなっている山、実は山ではなく小さい高原です。山に登るという描写がたくさん出ていますが、登るというよりただ歩いてたどり着くことになります。高原の上にある小さな山です。ここで神から啓示を受けたとして、そこから降りるのに半日もかかるなどという描写はかなり非現実的と思えます。
そんなことをしてまで何かしらの、イスラエルという文明の正当性を確保しようとしたのでしょう。周りの遊牧民がイスラエル地方の、メソポタミアに比べてはそうでもありませんが、それなりに肥沃な土地を占領していることを正当化できません。
これは現代まで続いていて、今もユダヤ教では旧約聖書から自分たちの正当性を見つけています。
フィクションを作って正当性を作ったという話です。
そんなイスラエルの歴史は、それでもローマ帝国(BCE753)に比べてそれなりに長く、またそもそも建国神話にそんなに気を遣わなかったローマに比べて、彼らは長らく建国神話を保存していました。
キリスト教が成立していた当時のローマ帝国では、日々貧富の格差が拡大されつつあり、長らくローマ帝国を支えていた自営農である中産階級の崩壊は刻々と進んでいました。
社会情勢が不安定な時期、それを安定させようとした勢力が現れることは特に異様な現象ではありません。
モンゴル帝国の影響を色濃く受け継ぎ、被支配階級に対して搾取だけすればいいという考えが定着していたロシア帝国は末期に共産主義思想が台頭します。他にも社会が不安定な状態では特異点となるような思想が突然現れ、新たなる秩序をもたらすことは多々あること。
キリスト教はこのような流れの上に、実際に神話だけを持っているだけの民族からその神話を盗むことで始まったとも言えます。これは最近になって発見された事実ですが、ローマ帝国はそこまでキリスト教信者を迫害していなかったようです。
それともあえてそれをするふりをしただけかも知れません。実際に迫害した皇帝はギリシャからの文化を好むネロだけで、他の皇帝たちは新たな神話に基づく秩序を作ることへの意味を分かっていたのではないかという話です。
ただキリスト教というのは自分たちが支配し始めたユダヤ人が持っている神話を盗み、それからイエスキリストという虚像、完璧なる聖人を作っただけではありません。
ここには明確な教理があり、この教理、実は古代の様々な哲学から採用しています。どこから天才が現れた普遍的な意味をもつ宗教を作ったわけではなく、古代の精神的な遺産を継承する意味もあったのです。
特に古代ギリシャ文明の精神的な影響は、文化的なところでは神話を含めて色々影響を受けてはいたローマ帝国においても、まだ不十分な状態が続いていました。
生の目的を追及する自己意識の不在。ローマ人は徹頭徹尾に実用主義を追い求めていましたが、それだけでは社会制度が限界を迎えた時、精神的な支えをなくしてしまうようになります。
すると反乱が起こり、内戦にまで発展するのも時間の問題。それで状況が改善するかも定かではなく、むしろ混とんとした時代が始まる可能性すらあります。
なのでキリスト教の創立は支配階級だけの問題ではなく、ローマ帝国だけの問題でもない。なぜなら北方民族との関係がローマ帝国においてまた重要な問題としてあったからです。ローマ帝国の原住民が持つ実用主義の精神性はただ模倣すればいいというものではありません。中身がない、ただ実用的に様々なことを必要な場所に取り入れ利用するだけ。それで国は維持できたとしても、膨大な規模まで膨れ上がり、様々な民族を中に取り入れたローマ帝国で、これを続けるには事足りない。
だからキリスト教を創作せざるを得なかった。
そしてこのキリスト教の創作にあたって、多くの権力者や学者たちが関与したことは紛れもない事実です。
彼らの手により様々な旧約聖書の記述にラテン語での意図的な翻訳、わざとらしい誤訳が行われました。
例えば旧約聖書でイブはアダムのあばら骨で作られたとラテン語では翻訳されていますが、ヘブライ語でこれはtsela(半身)と表記されていました。
こんなわざとらしい翻訳をした理由は、古代ローマ帝国で女性の地位が男性に比べて低かったことに起因しています。
これ以外にも意図的に一つの本を一つの章として扱うなどという暴挙を繰り返し、原本が持つ神話としても特性をなるべき省いて、発展した宗教を作ることに成功したわけです。
そしてこの成功はローマ帝国のみならず、西洋文明全体を形作るに至ります。
キリスト教は政治的な運動として始まった、エリートたちによる創作ではありますが、ただ創作だけにしても様々な思想を内包しており、その思想はかなり頑丈なものです。単純に聖書を読み始めたら、これにころっと騙されることは、そんなにおかしいことでもありません。
日本では読みにくい表現を書いていますが、英語などではかなり読みやすいので、それらを見る時はこれがローマ帝国時代に必要によって生まれた創作であることを忘れない方がいいでしょう。
ただこの創作を本気で信じる人間は少なくありません。
ローマ帝国が解体されてからもキリスト教は生き残りました。それはローマ帝国から精神的に遺産を受け継いだことにもなるからです。
ただ西洋文明はローマ帝国だけの遺産を受け継いでいつだけ、というわけではありません。西洋の歴史は西洋だけが持つ様々な歴史的な流れがあります。キリスト教の影響も徐々に減りつつある現状、これだけで西洋文明を判断するには、その文明の複雑さは現代文明の専門知識がどれだけ複雑なものかを考えることと同義です。
ただキリスト教は完全なる創作であり、この創作が特別だとするなら、それは古代文明が残した精神的な遺産を相続するという点にあるという点です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。