午後の授業
「午后の授業」ではないのは、原文とは違う現代文で本編を書いているから。原文を真似るかどうか迷ったけど、別にそこは今回のテーマで重要な部分ではないなと思い、原文の雰囲気をわずかに残しつつもという形に。
「ではぼくたべよう」みたいな独特のセリフ好きなんですけどね。
「ザネリがばかなからだ」なんかも。バカだからだ、ではなくで、バカなからだ。でも、これをそのまま踏襲する必要はないだろうと、それは決して原作愚弄ではなく。
先生が問う、天の川は何の集まりなのかと。
「星だ」
成績のよろしくないジョバンニにもそれはわかった。唯一の親友カムパネルラと一緒に楽しく過ごしたあの日に見た雑誌で見たことはしっかり覚えている。自信を持って手をあげかけ、そしてやめてしまう。
勢いよく手をあげる級友たち、彼らのような自信は無かった。間違えたら恥ずかしい、自分などが答える場ではない、そう思ってしまう。
そんな性格のジョバンニの事を先生は気にしており、手をあげかけたジョバンニを目ざとく見つけていた。
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう?」
言われてジョバンニは勢いよく立ちあがる。
え?ジョバンニが?驚くザネリ。彼女は他の男子にない何かをジョバンニに感じずっと気になっていた。けれど女丈夫と言われる自分がジョバンニにどう接すればいいかわからない。ジョバンニの評価がクラスで低めなことに納得できないでいる。だから嬉しかった、あのジョバンニが自分から手をあげたんだと。
後ろのジョバンニからは立ち上がる音の後に未だ何も聞こえてこない。緊張しているんだろうなとわかる。「がんばって、ジョバンニ」内心そう思う。気づけば行動に出ていた。前の席から振り返り、おどおどしているジョバンニにくすっと微笑みかける。落ち着けばジョバンニなら出来る。そんなメッセージをこめて。
微笑んだザネリの笑顔の可愛さにどきっとしてしまう。ジョバンニは初めてザネリと顔を合わせたその日からザネリの風のような優雅な動きとその可憐さに魅せられていた。ところがザネリはジョバンニが思っていたような子ではなかった。
今回のあの笑みも僕が間違えることを期待しての笑いに違いない。何でザネリはいつも僕が嫌がる事をするのだろう?あんなに可愛いのにどうして意地悪ばかりするのだろう。僕の何が気に食わないんだろうか。
ますます答えることができない。間違えられないその思いが彼を止めてしまう。
固まってしまったジョバンニに対して諦めず先生は少し変えて問いかける。
「大きな望遠鏡で銀河をよく見てみると銀河は大体何でしょう?」
「星だ」ジョバンニは思う。けれどさっきのザネリが気になってやっぱり答えることができない。彼女の期待に応えるなんて絶対に嫌だ。みっともないところは見せたくない。
答えられず立ち尽くす姿の方がみっともないとはジョバンニは思わない。
先生は「ダメか」と残念に思う。密かに期待してみていたカムパネルラにしても同じ、ザネリも同じ気持ちだ。
私が笑ったから?ジョバンニは何でそんなに私の事が嫌いなんだろうか?素直に想いを伝えられなくて、強がった態度はとってたけど、嫌われるようなことをことをしただろうか?ザネリは思う。それでもジョバンニの事が気になってしまう。でも、もしかしたら彼も私のことが気になっているのかもしれないよねと根拠はないがそう思うことで勇気を持とうとする。
(それなら、ケンタウル祭の日、私も少し勇気を出してみよう。素直に話しかけてみよう。少しでも仲良くなれれば)
ザネリの出番は一文だけ。一般的にはこの笑いは悪意あるものと捉えられているけれど、「くすっとわらう」という表現は本当に悪意からのものなのか。
「ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。」
これに対するジョバンニの反応含めて登場シーンわずか二文。この時のジョバンニの反応も「答えられないジョバンニを笑うザネリに羞恥やくやしさ、怒り」から顔が真っ赤になるのはわかる。けれど、「どぎまぎして」という表現は何だろう?という
「ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました」