懇願
「ネイト、私は先日も言ったかと思うがな。それが分からない年齢ではないだろう。それとも、あれは私の記憶違いだったのかな?」
額を床につけたネイトの頭の上から、ルイーズの冷たい声が降り注いでくる。
「で、でも、妹の熱がまだ下がらなくて。このままでは妹が、カレンが死んでしまうかもしれなくて……」
ネイトは顔を上げて下からルイーズの顔を見る。あの時と同じようにルイーズの顔には何の表情も浮かんでいなかった。
「ネイト、仮にカレンが死ぬ。それで一体、私に何か関係があるのかい?」
「で、でも……」
ルイーズの言葉にネイトは言い淀む。
「同じことを何度も言わせるな、ネイト。君たちは奴隷だ。今以上の恩恵を受けることなどできない。そんなことが許されるはずがないと、私は言ったはずだがね」
「でも、このままでは……」
ネイトは最後までそれを言うことができなかった。顎に衝撃があって背後に引っくり返ってしまう。ダフネスの悲鳴がそれに重なった。
視界にある天井が揺れていた。口の中には鉄の味が広がってくる。
顎の痛み……。
どうやらルイーズに顎を下から蹴り上げられたようだった。
「ルイーズ様、子供の言うことです。お願いです。どうかご容赦を……」
床に仰向けで引っくり返ったネイトを助け起こして、ダフネスは再びネイトに両膝と額を床につけさせた。そして、ダフネス自身も、ネイトの隣で両膝と額を床につけて言葉を続ける。
「ネイトの両親はすでに亡くなっています。ですから彼にとっては、妹が唯一の残された家族なのです」
「それがどうしたのかな? 私には全くもって関係ない話だ」
ルイーズは冷たく言い放って言葉を続ける。
「そもそもだ。労働力にもならないような幼児に、高額な医療を受けさせるはずもない。いいか、お前たちは奴隷だ。代えはいくらでもいる。幼児の奴隷であれば、医者代よりも安いぐらいなのだからな」
「はい、おっしゃる通りでございます。よく分かっております」
ダフネスは床に額を擦りつけたままで必死に言葉を続けた。
「ですが、ネイトはまだ十歳。そのあたりの理屈が分かっていないのです。あとでよく言って聞かせます。どうかルイーズ様、お怒りを静めて下さい。どうか、ご容赦を……」
ダフネスの必死な言葉をルイーズは鼻で笑う。
「私が奴隷を相手に怒る? この低脳が。やはり奴隷はどこまでいっても奴隷なのだな。今、私は物の道理を説いているだけだ。この低能な奴隷にな!」
ネイトは床につけていた顔を上げる。上方からルイーズの見下ろし、見下すような視線を受け止めながらも口を開いた。
「でも、ルイーズ様、妹がこのままでは……」
「貴様、まだ言うか!」
ルイーズの怒声が響き渡った。次いで下顎に再び衝撃がある。再度、ネイトは仰向けに引っくり返ってしまう。再びダフネスの短い悲鳴が周囲に響いた。
仰向けになりながらも、加減はされているのだろうとネイトは思う。大人の力で蹴り上げられたのだ。普通であればこの程度で済むはずがなかった。
ネイトはふらつく頭を叱咤しながら辛うじて上半身を起こす。赤い液体と一緒に口から白く固い物が幾つか吐き出された。これは何なのだろうか。ネイトは頭の隅でそんなことを思った。
「ルイーズ様、お願いします。妹に医者を……せめて薬だけでも」
ネイトは上半身を起こしただけの格好で、なおもルイーズに訴えた。両膝を揃えて頭を地面につけたかったのだが、下半身に力が入らず立ち上がれなかったのだ。
「貴様、本当にいい加減にしろ。しつこいぞ!」
ルイーズの怒声が重なった。再び顎に衝撃がある。
一瞬、カレンの顔が脳裏に浮かんだ。
まだ病でやつれてしまう前の元気だった頃の顔だ。
笑顔を浮かべた可愛らしい顔だった。
もう少しだけ頑張ってね、カレン。僕がきっと……。
次の瞬間、頭の奥でぷつんという音をネイトは聞いた気がした。




