1.政略結婚の場合
初夜の閨――。
夜も更けた頃、夫となった男が多少の酒精は感じるが、しっかりとした足取りで彼女の前まで歩いてきた。そうして、真新しいシーツの上に座った新妻をさも楽しげに覗き込んだ。
「君は私に愛されたいかい? それとも愛されなくてもいい?」
こてん、と首を傾げた姿は可愛らしいものだろうが、成人男性としてはどうだろう、と妻は思う。そして内容も酷い。
「私はどちらでもいいんだ。君が決めてくれていいよ」
更に酷い。
あからさまに妻を下に見ているのが感じられる発言だ。
妻はじっと今日初めて顔を合わせた夫を見る。それどころか、今初めてまともに彼の顔を見た。湯を使ってきたらしく、結婚式では整え上げられていた髪は下ろされ、しっとりと光っている。総じて美男子だと言っていいだろう。だが、タレ目がどこか間が抜けているというか、油断しきっているようにも見える。多分、酷いことを言われた事による、瞬時に創生された彼限定の偏見である。
加えて言えば、あまり女性関係で良くない噂しか聞いたことがない。ただこの結婚は家同士の繋がりが重視された完全な政略結婚なので、妻となる彼女の意見や主張は考慮されなかった。
呼吸一つ分、夫の淡く青い目を見つめてから、妻は口を開いた。
「わたくしが選んでも良いのですか?」
「ああ」
鷹揚にうなずく彼に、妻は更に尋ねた。
「選んだことを確実に実行してくださいますか?」
「ああ、約束するよ」
言われる言葉はわかっているというように、慈悲を与えていると思ってるかのように、夫は頷いた。
妻には夫が全面に出してくる不確かで不可解なものに裏付けされた余裕と自信が、これはこれで、滑稽でいっそ可愛いのかもしれない、と思った。
そんなことを思っている時点で彼女もそれなりに酷いのだが、幸か不幸か彼女は気がついていない。
なにやら少し楽しくなってきた新妻は微笑んだ。
「では、わたくしを愛してくださいませ」
妻はそこで一旦言葉を切って、小首をかしげた。
「ですが、わたくしはあなたを愛しません」
すぱりと言い切った新妻に、夫は絶句した。
「それは――」
夫は知らない言葉を聞いたとでもいうように呆然としながら、初めてしっかりと本日妻になった女性を見た。地味で本ばかり読むお固い女だと聞いていたのに、そこにいる女性はしっとりと美しく、聡明そうな目は長いまつ毛に彩られ、透き通るような眼差しで自分を見上げていた。おまけにこの照明が落とされた空間にそぐわしい、慎ましくもほのかに扇情的な夜着を身に着け、長く豊かな洗い髪をゆるく片側に流している。薄い寝化粧に染められた唇は瑞々しい。
息を飲む夫の視線の先で、にこり、と妻は笑みを深くする。薄暗く落とされた照明は、それをより魅力的に見せた。
「どちらでも良いのでしょう? 是非、約束通りわたくしをしっかりと愛してくださいませ。……わたくしがあなたを愛しく思うことはありませんが」
ふふふ、と手を口元に当て上品に笑うと、妻は宣言した。
「では、そういうことで。末永くよろしくお願い致します」
マウントを取ろうとして返り討ちにあった旦那様のお話
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