4:青写真
ダールは腰を抜かしていた。変な夢を見たと思ったら夢ではなかったのだ。この国ではみたことのない黒髪黒目、彫りの浅い顔、そしてやたらと筋骨隆々とした半透明の若者がそこにはいた。ほとんど悪夢である。
「お、お、お」
「どうした?」
「おばけだ!!!」
そう叫ぶとダールはキッチンへ走り、塩を持ってきてアタルへと叩きつけた。しかしながらそれはすり抜け、ただダールの部屋を汚して終わった。ダールはこの世の終わりのような顔をした。
「神よ……」
「その神様の使いだっての」
まあでも俺も同じ状態に置かれたらそらパニックになるだろうなとアタルは呆れつつもダールに同情した。なので彼はダールが落ち着くまでしばらく何も喋らず遠い目をして部屋に浮くこととした。
「……あれは夢ではなかったのか。となるとあなたが?」
しばらくして正気を取り戻したダールはアタルに問いかける。
「ああ、今の首相さん、俺が初代だ」
アタルはそう告げると、唐突にこう尋ねた。
「ところで、お前は最終的にどういう風にしたいんだ?」
ダールはしばし考える。
「そうだな……」
ダールの脳裏によぎったのは大きく分けて二つ。民衆と政治家についてだ。民衆が政治に興味を持たないので政治家が好き勝手し、好き勝手する政治家を見て民衆がより政治に絶望して興味を失っていく。どちらの原因が先かはわからないが、とにかくこの二つが大きな原因だとダールは考えた。
「民衆と政治家、相互の無関心だ」
「ではどう解決する?」
「それがわからないからこんな体たらくだ」
「そうだな、そうだよな」
アタルは深く頷き、続けてこう言った。
「俺が思うに、まず解決すべきは民衆の無関心だ。ここを解決せずに政治家の綱紀粛正をやったとて、肝心の民衆の手による政治が戻るとも思えん」
「それはそうだが、遊説くらいしか手段が思いつかないし、それも無意味だったぞ」
「一体どんな内容を話した?」
「ごく普通にこういう政策をすると、インフラの刷新について……」
「どんな言い方をした?」
「そりゃそのままだが……」
それだよ、とアタルは指摘をした。
「お前、致命的に口下手だな」
いいか、民衆に興味を持ってもらうために必要なのはたったの二つだ。他のものは何も必要ない。アタルはそう言い、露悪的な表情で続けた。
「不安と、不満だ」
「不安と不満……」
「人を突き動かすのはいつだってそれだ。現状に満足しているような奴は別に今の状況を変えようとは思わない」
たしかにお前の言っているインフラも大事だが、国民の感情はおそらくお前にケチ付けてる野党側だぞ、とあまり聞きたくないようなことをアタルは付け加える。
「じゃあどのような言い方をすれば?」
「危機感だ。とにかく危機感を煽れ。そうすれば面白いように国民は乗っかってくる」
「危機感を……」
「そうだ、具体的にはいかに生活が脅かされるか、お前の代は良くてもお前の子や孫はどうだといった具合に、とにかく実生活が薄氷の上に立っていることをひたすら教え込め」
扇動家は悪辣な笑みを浮かべる。
「なぁに心配すんな、お前はちゃんと国民のためになるように動いてるし、インフラの整備やらなんやらもちゃんと必要なもんなんだ。少し大袈裟に言ってやればいいのさ」
兎にも角にもお前は少し人が良すぎるんだよ、とアタルは締めくくった。
「悪辣になれよ、お前は市民じゃなくて『政治家』だろ?必要ならどんな汚え手だって使え。綺麗でいようと思うな、国民のために泥を被れ」
そこまで焚き付けられ、ダールは徐々に消えかけていた善性の灯火に悪意の油が注がれているのを明確に感じ取った。嘘ではないかもしれないが良くないことに近いことを今から自分はさせられようと、いや、しようとしている。しかし、確かに必要なのは結果であり、最終的に民衆のためになることだ。
ダールは決意した。
「上等だ、泥沼でバタフライしてやる」
それが結果的にこの世の中のためになるならな、とダールは悪びれた顔をした。その目には既にかつての倦怠などなく、やや暗い色の炎が宿っていた。