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3:原初の灯火

 ダールの朝は憂鬱から始まる。朝の6時に目を覚まし、顔を洗いコーヒーを飲む。アデモラは気候としては地球の基準で温帯から亜熱帯にかかる縦に長い国家だ。大陸の海岸側一帯を統治し、海運に強く台風や大雨に弱い特徴がある。ざっくり言えば気候としては沖縄から東京あたりまでの気候のグラデーションがチリくらいの長さの国に存在しているという説明で概ね過不足はないだろう。

 この国ではアタルが政権を握った後、各地の産業や植生、文化を調べる過程で発見されたコーヒーが一般庶民まで広く普及している。日本円で言うと概ね一杯あたり600円程度、こちらの通貨では300トール、まあ人によっては習慣的に飲むのもそこまで難しくはない程度の値段である。

 当初はその苦味と色合いから、首相はついに目も舌もおかしくなってしまいあと少しの命だ、などと新聞に書かれたようだが、その目も覚めるような鮮烈な苦味と豊かな香りに魅了される者がいたのも事実だ。そしてその勢力はじわじわと広がり、二百年と少しを過ぎる頃には首相からその辺の一般国民まで皆が愛飲するマストアイテムの位置を占めている。

 そんな国民的飲料で朝食のパンと目玉焼きを流し込み、歯を磨いてスーツ、これもアタルからの流行である略式正装を着込み、会議の休憩時間にふかすためのタバコ、会議資料、筆記用具を鞄に詰め、彼は国会へと向かった。


「おはよう」


「おはようございます」


 馴染みの守衛と軽く挨拶を交わし、国会に入る。自分のネームプレートが置かれている席に座り、議長の開会宣言を待つ。その間にペンとインク、メモ用紙を用意していつでも他の人の発言を書き留められるようにしておく。ここまでが彼のルーティーンである。


「えー、それでは皆様お揃いのようですので本日の国会を始めさせていただきます」


 まずは昨日に引き続き予算配分についての話し合い……というよりは論理のない文句に耐える時間である。


「ではダール首相、お願いします」


「かしこまりました。それでは先日ご質問のあった『インフラ関係の予算が大きすぎる』という点から始めさせていただきます。再三述べてきたように、我が国の上下水道は建造後最低でも五十年は経っており、ひどいところでは百年以上何もされていないところが……」


「でも今は使えているじゃないか!」


 そうだそうだとやかましい烏合の衆が喚き始めた。


「議長」


「発言は挙手をして許可が出てからお願いします」


 それに質疑応答の時間は別で取ってあるのでお待ちくださいと議長が告げ、一旦はヤジが収まるものの、また喋り始めるとすぐにヤジで議会は埋め尽くされる。そのヤジも何かしらの聞くべき批判が含まれていればいいが、そんなものは当然ない。

 相手に向けてなぜ今使えていれば刷新する必要がないのか、老朽化で使えなくなる前に替えておくことで水道というものを途切れさせないのが重要なのだと訴えても、馬鹿の一つ覚えのように「それでも使えているしまだ使えるはずだ」と返してくる。どれくらいの期間まだ使用できるかの試算も出さずに。

 つまるところこのヤジを飛ばしている議員は「自分が首相の批判をしていた」というポーズを作り、それによってまるで仕事をしたかのように見せかけ、次の選挙に備えているだけなのだ。それによって国民のインフラが危険にさらされていることを無視して、どうせ次の選挙では皆様の税金の無駄遣いを防ぎました!とでも叫びまくるつもりなのだろう。全くもって馬鹿馬鹿しい。


「それでは午前の部は閉会といたします。一時間の昼食休憩を挟み、午後の部を開始いたしますので、皆様時間までにお集まりください」


 昼食の後もヤジを凌ぎ、どうにかしてまともな反論が比較的期待できる党首討論に持ち込むものの、野党側からまともな対案が出ることもなく、結局議内投票で与党側の投票によりこのインフラへの予算は可決された。

 この点にも彼は不満を残していた。たしかに与党内ではあらかじめ会議を行い、この案、インフラ予算についての話し合いが持たれていた。しかしその場で首相に反対し、何かしらの指摘を行うものは皆無であり、皆長いものには巻かれろとばかりに彼のたたき台でしかない案に賛同した。本当にそう思っていたのなら製作者として彼も感無量だろうが、どんな話についてもそうで、こいつらは誰も責任を取りたがらず、全て首相の意向に委ねているということが丸わかりであった。

 更に、どうせ投票で決めるなら最初から野党は必要ない。投票になれば党内向けに事前にきちんと説明をして、理解と賛同の獲得ができていれば基本的に与党が勝つに決まっているのだ。

 しかも票数は面白いことに野党は全員反対に投じていたようだ。きちんと野党が保持する議席分だけ反対票が集まっている。一体何のための政策説明だったのだろうか。懇切丁寧に説明した甲斐が一つもない。

 このような状態であるが故にダールは常に、こんな政治的決定に何の意味があるのかと苦しみ続けており、右に倣えを繰り返すだけの首相への賛同装置を与党と見做したくないと考え、同様にヤジを飛ばすだけの存在を野党とは思いたくないと毎日首を振っていた。


「それでは本日の議会は全て終了となります。皆様お疲れ様でした」


 鬱々とした状態で投票を終え、ひと段落ついたところでおおむね本日の議会は終了である。そのあとは明日の予定、具体的には何をどの順番でどれくらい話す予定なのかについてざっくりとした共有を行い、特に不満もなさそう……というより誰も聞いていない様子だったので、ただ淡々と用意したプランを読み上げ、それが終わると議長が閉会宣言をした。

 議会からの帰り、ダールはひとりごちた。


「しかも居眠りしてやがる奴もいたしな……どうせ大したことしてないのに結構な御身分だ……」


 歴史を振り返ると、居眠りをする者は民の代弁者の資格なしとして強制的に懲戒免職となったものもいた。しかしながら現在時点ではその処分は形骸化し、仮に免職にしたとして、国会を見ない民衆はまたそいつを当選させる。

 彼は帰宅しソファに身を投げ出すと、懐から煙草を取り出し深く吸い込んだ。

 その時だった。


「ダールよ、聞こえておるか」


 ダールはむせこんだ。誰もいないはずの室内から聞いたこともない厳かな声が響いたのだ。


「……疲れてるな」


 こうなったらとっとと寝てしまおう。起きててもきっと何もできないだろうと彼は資料の準備等をすることを諦め、シャワーを浴び寝巻きに着替えると、寝酒を飲んで床に着いた。

 その夜、彼は夢にしては嫌に鮮明なものを見た。


「あー、ダールよ,聞こえておるか?」


「……は?またこの声か?」


 帰宅した時と同じ声が聞こえた。


「聞こえておるようじゃな」


「……聞こえてるけど何なんだこれは?」


 彼は軽くパニックを引き起こしていた。通常ではあり得ない現象に見舞われているのだ、無理もない。


「混乱するのもわかるが落ち着いて聞いてくれ、今お前に話しかけているのはお前らが指すところの神という存在じゃ」


 そんでもってお前には一つ神託を授けると、気づいたら目の前にいた、全体的に白っぽい性別も年齢もわからないような存在が言葉を継いだ。


「……そろそろやめ時なのかもな、政治家」


「ちょっと待て、信じられんのはわかるけどちょっと待て」


 そう言って神は遠い目をしたダールの頬を軽く叩き、正気を取り戻させた。


「このままだと埒があかんから本題にいきなり入るぞ。お前は昨今の国政をどう思っておる?」


「クソッタレだよ、どいつもこいつも民主主義をフェイクにしようと頑張ってやがる」


 あまりに処理の追いつかない現状に彼の優秀な脳みそは凍結状態であった。しかしながら、日頃から思っていることはスムーズに口をついて出た。


「そうじゃろうな。細かいことは省くが、このまま民主主義が衰退するのはワシにとっても不都合なんじゃ。ついてはお前にこの現状の打破を頼みたい」


「とは言ってもだな……」


 俺はもうやれることはやった。遊説から政策決定、何から何まで努力はしたと彼は奥歯を噛み砕きそうな表情で吐き出した。


「そこでだ」


「なんだ?」


「お前のセコンドに初代首相を付けてやる。お前以外には見えず、声も聞こえないが、希代の革命家を味方にしてやる」


 彼は再びフリーズした。しかし神は気にすることなく言葉を続ける。


「三日後、お前の横に初代をつける。信じ難いかもしれないが準備をしておくように」


 神は一方的に告げ、そして夢はそこで終わり朝が来た。


「……夢、だよな?」


 彼は頭を振るい、コーヒーを飲み、いつものルーティーンに従いつつ、やや気もそぞろな様子で国会を終えた。

 そして三日後。


「おう、お前がダールか、頑張ってるみてえだな」


 そこには国会のエントランスに飾られている肖像画でしか見たことがない、しかし肖像画より遥かに獰猛な色を宿した双眸をした半透明の青年が浮かんでいた。


「国を取り戻すぞ、気張ろうな」


 そう言って初代首相は半透明なその顔に牙を剥くような笑顔を浮かべた。

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