壁
テストに合格した鹿村を地元の人々は、小さな町から誕生したプロ野球選手として諸手を挙げて歓迎した。
清水先生や野球部の仲間たちが祝賀会を開いてくれ、近所の人だけではなく町長までも駆けつけてくれた。
ただ周囲の者が無責任な称賛を繰り返すなか、いちばん喜んでほしい母だけが「田舎者の息子が華やかな世界で本当にやっていけるのだろうか」と浮かない顔をしていたのが、今でも目に焼きついている。
明けて1954年の1月。新たな希望と決意を胸にして鹿村は南洋の選手寮に入寮にするが、南洋の野球環境はその希望と決意が揺らいでしまうくらいのお粗末なものだった。
寮の部屋は個室ではあるものの、広さはわずか3畳ほど。しかも裸電球が1個あるだけで押し入れも窓も存在していないので、まるで収容所だった。
さらに寮での食事も白米と味噌汁に漬物がつくだけの質素なものだった。追加料金を払えばおかずは増えるらしく、球団からきちんとスカウトされた同期や先輩などはタマゴなどを食べてはいるが、月給の7000円の中からから3000円の寮費と実家への1000円の仕送りを捻出している鹿村にはそんなお金の余裕はない。
テスト生とスカウトされた者ではこうも待遇が違うものかと、鹿村は惨めな気もちになるのだった。
さらに心ない先輩のひとことが鹿村の心を傷つける。
「おい。カベ!」
寮の廊下で、先輩はとつぜん鹿村に向かってそう言い放つ。状況的に鹿村が呼ばれたことに間違いのだが、もちろん『カベ』などという呼称に覚えなどない。
「カベって言うのはオマエや。鹿村」
「なんでですか?」
不思議そうな顔をする鹿村。
「ニブい奴やな。オマエは。ええか。オマエら今年のテスト生は全員で7人やろ。しかし、その内訳は投手がふたり、外野手がひとり、そしてキャッチャーが4人。あきらかにキャッチャーが多いけど、なんでか分かるか?」
「いえ……」
「ええか。球団はオマエらキャッチャーを戦力としては見とらんのや。1軍のピッチャーがブルペンで投球練習する時の相手として取っただけ。ピッチャーが投げたボールを返すためだけの役割。だから『壁』なんや」
笑いながら、その場を後にする先輩。
ショックだった。しかし、テスト直後から感じていた多すぎる捕手の合格者に合点がいった。そして、よくよく考えてみれば4名の捕手の合格者は、鹿村を含めてすべて『群』がつくような田舎の出で、野球名門校の出身者ではない。
都会の名門校出の人間が嫌がる雑用も、田舎者ならば率先してやるだろうという球団の思惑が見え隠れするのであった。
そんな寮での貧しい生活環境と選手としては見られていない待遇に嫌気が差したのであろう。開幕を迎える頃にはテスト生は早くも2人も辞めてしまっていたのだった。
もちろん、ペナントレースが始まったからといって鹿村の役割が変わる事はない。1軍には帯同しているものの、やる事と言えば、ブルペンで1軍の投手の投球練習の相手を務め、練習に使ったボールを磨いたり、紛失したボールをマネージャーに報告したりする完全な雑用係だった。
しかし、そんな練習補助員ともいうべき選手生活だったが、まったく試合への出場経験がないわけではなかった。
選手を使い果たした時や大差がついた試合の時などは、鶴岡監督から「おい、鹿村。代打や!」と唐突に告げられることがあった(今みたいに厳密に一軍の選手登録などがあったわけではない。南洋のユニフォームを着てベンチに座っていれば誰でも試合に出場できるような時代だった)。
しかし、そこはさすがに1軍の投手。代打に出してもらっても、なすすべなく三振に倒れるのだった。
悔しさが全身から込み上げてくる鹿村。
しかし、練習をしようにもチームから鹿村に与えられた役割は、雑用係の『壁』。先輩投手たちの練習が終わってからが、ようやく鹿村が自分のために練習できる時間だった。
水のように潤んだ夜空と月光の下。寮の庭で黙々と素振りをする鹿村。
しかし、すでに1軍で活躍している先輩たちは、これから夜の街に遊びに行くところなのだろう。あざけるような笑い声を出して、鹿村の横を通り過ぎていく。
「おい、壁! まだ練習なんかしてんのか? 無駄や。無駄! ええか。壁から1軍のスターになった奴なんかおらんのや。どうせオマエも今年でクビになるんやからな」
しかし、鹿村はその先輩の底意地の悪い嘲りなど黙殺して、素振りを続ける。
〝ふざけるな〟
〝壁から1軍のスターになった選手はいないだと? だったら俺がその最初に選手になってやる!〟
鹿村は幼少の頃から劣等感の塊だった。
丹後ちりめんによる好景気だった町で鹿村家だけは家長を失い、極貧の中にあった。同級生が白米や色とりどりのおかずが入った弁当を持ってくるなか、鹿村の弁当箱には入っていたのは、兄と共に育てたイモだけであった。鹿村はそれが恥ずかしくて、いつもフタで隠すようにして大急ぎで食べていた。中学生になって入った野球部でも同級生はきちんとユニフォームを着ているにもかかわらず、鹿村だけは短パンとランニングシャツで練習していた。
母が親戚中に頭を下げ、それでも借金を断られる姿が今でも鹿村の脳裏には焼きついている。
〝もうあんな思いはたくさんだ〟
〝絶対にあいつらを見返してやる〟
鹿村の掌のマメが破れ、バットのグリップから血が滴り落ちる。しかし、それでも鹿村は素振りをやめないのであった。
異常なまでの劣等感と上昇志向。そして、そこから生み出される創意工夫と執着心こそが野球人・鹿村克也の最大の武器だという事を、この時は誰も気がついていないのだった。
当の本人でさえも……。